紀田純一郎について・アンケート

① 紀田先生の本で好きなものは何ですか(タイトル、ジャンルなど複数回答可)。できれば理由や感想もお答えください。
② 紀田先生に注目したのは何からでしたか。思い出などあれば、お聞かせください。
③ 卒寿を迎える紀田先生へ寄せて何かありましたら、お書きください。


 未だろくに整理もつけられていないままの、手もとのガラクタな古書・雑書の山にあるもので言えば、そうだなぁ、『日本人の諷刺精神』(蝸牛社)、『知の職人たち』(新潮社)あたりですかねぇ、これまで少しはおのが肌になじむ感じがあったのは。


 ああ、そうなんだ、本を――いや、それだけでなく雑誌その他も含めて、とにかく文字・活字を読むというのは実はこんなにも大変なことだったりもするんだなぁ、と、ぼんやり思わされてしまった、そういう本という意味では『現代人の読書術(正・続)』(柏書房)とか『知性派の読書学』あたりでしょうか。いずれにせよ20代そこそこ、手当たり次第好き放題に読むことしかしなかった、できなかったし、またそれであまり思い悩むこともなく呑気に日々生きることのできた、今から思えば幸せな時代、ではありました。


 そもそも、紀田順一郎のいい読み手、ではないんですよ、自分などは絶対に。

 だって、本を読むことを「読書」と呼んで、まるで何か修行をしなければならないような、真面目に居住まい正して先生や師匠、先輩や先達の教える通りになぞってみながら、日々少しずつわが身のものにして達成に近づいてゆくような、いずれそういう装いで提供されてくる気配そのものに対して、あ、こりゃあかん、自分には無理、という感覚が真っ先に立ってしまうものだったんですもの。あの頃同じように巷間もてはやされていた渡辺昇一などの「読書術」「書斎術」指南みたいな本と同じように、少なくともその高級版、教室の真面目な優等生とその後すくすく大人になってまともな読書人になったような人がた向きな、あるべき教養についてのよくできた入門本のように見えていたんですもの。*1

 それは書き手である紀田さん自身の責ではなく、むしろそれら著書が市場に流通させられてゆく、その過程で当時すでにまつわらされていたものによるところが大きいのでしょうし、その限りではほんとに申し訳ないことではあるのですが、でも、そういう出逢い方しかできなかった自分というのも確かにありました。そして、それは自分だけのことでもなく、そういう「読書」からは生まれながらに縁無き衆生の読み手というのも、あの頃すでにそれなりに出現し始めていたのだろう、と思っています。

 その感覚は後になって、眼前に流通する本から古書や古本にまで、ある趣味的な傾きを折り目正しい教養の装いにもまぶしつつ、何ともおおらかに示すことのできる人がたや界隈に対して抱いてしまう縁無き衆生感、突き放して言えば極私的かつ生理的な疎外感とも共通していたようです。そういうある種の知的なサロン感覚、紀田さんご本人が意図していたかどうかはともかく、そしてもちろん紀田さんだけのことでもまったくなく、結果的にその著書や書いたもの、さらには発言などのまわりにあたりまえのように醸成されてゆくかに見える、ありがちな仲間意識のようなものに対して、自分は常によそ者でしかあり得なかったようです。そういう意味では、自分にとってはたとえば森銑三なんかとも近い、ほんとうはもっとちゃんとその懐の裡に入ってゆかねばならなかったのであろう本と活字にまつわる大きな仕事をなしとげてきた、でも、やはり本と活字を介して遠く見知ることしかできなかった、多くの立派な人のひとり、のようではあるのです。

*1:このへん自分的にも根の深い問題だとは思う。かつてまだあった「読書会」とか「勉強会」とか、そういう集まりにも反射的な拒否感があったし。