アニソン、「うた」なりや



 「アニソン」というのがあります。要は、アニメ作品に付随する主題歌や挿入歌のこと。テレビであれ映画であれ、いわゆるアニメーションの映像作品に人心を集め注目を集めるためのフックとしてつけられる楽曲の総称、と言っていいでしょう。

 商品音楽としての流行歌が、楽曲単体としてよりも映画作品の主題歌という組み合わせでその「流行」の起爆力を強め、射程距離と共に広めていったのは、戦前からの本邦大衆社会化と情報環境の組み合わせの時代状況下での歴史的過程でした。その相乗りする媒体が映画から戦後は民放ラジオの広告に、そしてその後はテレビのCMへと移り変わっても、音声と映像の複合する、そして世間一般その他おおぜい、つまり「大衆(マス)」をまるっと相手取るメディアと手に手を取って「流行」を仕掛けてゆく立ち位置にそれら楽曲が常に同伴してきたことは、〈いま・ここ〉に至る現代史の未だ正面から認識されにくい経緯のひとつかもしれません。

 とは言え、それらの大筋とは別に、〈いま・ここ〉眼前の「アニソン」というやつ、はたしてあれらは「うた」なのだろうか、という素朴な疑問が個人的にはあります。あるいはまた、同じく昨今割とあたりまえに認識され、人口にも膾炙するようにもなってきているあの「ラップ」というやつ。あれもまた、「アニソン」と同じように、はたして「うた」の範疇に入れていいものかどうか、というのも等しく個人的な問いとして。

 何らかの衝動、それも普段の生活の裡ではおいそれと自覚もされず、だから容易に解き放たれることもない、そんな種類のいずれあやしくも胡乱な感情を起爆力とした、激発へと向かう可能性をもはらんだ何ものか。それらをひとまず叫びや発声、ことばやフシ、身ぶりや動きなどまで、いずれ生身の〈まるごと〉として表現しようとするただならぬできごととその瞬間という意味においては、最も焦点距離を広げたところでの「うた」と言っても構わないのだろう、と思ってはいます。いますが、しかし、それを「うた」であり、あるいはもっと平たく丸めるなら何らか自己表現の一端であると認めてしたり顔で鷹揚に収納してしまうには、眼前の〈いま・ここ〉の本邦「アニソン」あるいは「ラップ」というのは、少なくとも戦後高度成長期に生を享け、ああ、その後すでに六十幾有余年にわたるやくたいもない浮世の七転八倒をみっともなくも繰り返してきたこの自分にとっては、これまであたりまえに「うた」と思ってきたものとは、すでにどこか決定的に違う部分をはらんでいるような気がするのであります。


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 思えばあれは概ね前世紀末、90年代あたりからはっきりと顕在的になってきたことだったでしょうか。いわゆるアニメ作品が本邦商品映像コンテンツの主力になってきてこのかた、それら「アニソン」もそれまでの単なる子ども相手のテレビ番組のつきもの程度の扱いはすでに昔日、「流行」させ人心を収攬し何らか利潤へと繋げてゆくからくりの〈いま・ここ〉同時代のありようにおいて、かつてのいわゆる「流行歌」「歌謡曲」と呼ばれていたような商品音楽の楽曲と同じような、いや、ある部分ではすでにそれらを凌駕してしまっているほどの存在感を持っているのかもしれません。


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 ことほどさように、ふと気がつけば、それら「アニソン」およびアニソン的な音楽というのは、もはや身のまわりにあたりまえに転がっているように感じます。たとえ、街頭や路上から思いがけず流れてくるような「流行歌」が事実上ほぼ絶滅し、レコードはおろかCDまでもが新規小売りの路面店の店先から消え、それぞれ思い思いに高天原から降ろし奉った好みの楽曲をスマホその他手もとの依代を介してイヤフォンやヘッドフォン、あるいはまた広さは蚕棚の飯場か場末のドヤに等しいながらも空調完備、清潔に自閉した個室の間尺で再生し耳傾けるばかりになっている現在、それら概ね「個」を前提とした単位で整然と構築されてしまっているいまどきの情報環境の、そのわずかな亀裂や隙間からかろうじてもれ聞こえてくるのがせいぜいで、何より個々の歌い手もその楽曲もロクに判別おぼつかぬ老害耄碌ぶり覆うべくないこちとらの耳もとへの届き方ではあるにせよ。

 専門的なことや技術的な細部は全く門外漢ゆえ、そこらその他おおぜい素人の耳限りの雑な印象で言うしかないですが、それら「アニソン」およびアニソン的な音楽というのは、まずリズムが異様に小刻みでテンポも異様に速い、歌唱が男女不問で異様に高音域に集中している、というとりあえずは「異様」づくしの耳慣れぬものです。そのせいか、歌詞つまりことばも個々に意味を伴ってこの老いてたるんだ鼓膜に響いてくることのできる限界を越えて、意味を背後に取り残した単に一律の「音声」となり、楽曲まるごとそのような音声ないしは音響的なまとまりとしてだけ聞こえてくる。なので、どこか異国の音楽、それこそ中国やタイ、ベトナムなどアジア系諸国のいまどき大衆向け商品音楽――アジアン・ポップとでも呼ぶのでしょうか、とにかくそういう類とほぼ同じジャンルの楽曲としてなだらかに「そういうもの」として耳慣れてしまうような代物だったりします。

 そのような意味では本邦「ラップ」も同じこと。いや、そもそもラップ自体、そのようにことばを意味の分節でなく敢えて「音声」としての属性において扱うのが前提でなりたってきた表現らしいですから、この印象はそもそもお門違いなのでしょうが、ただ、それらを踏まえた上でなお、「アニソン」と同じ本邦いまどき情報環境における同時代的世相の一端として考えるなら、このへんの聴き手の側の耳のリテラシーを介した「聴く」現場の生身の感覚における地続き感も含めて、それなりに要考察の事案ではあるでしょう。

 意味から乖離した、することのできたことばがただ「音声」としてだけ、何らか楽曲としてのまとまりの裡に、意味と表裏一体なことばの相においては想像できなかったような、また別のなまめかしさをはらんでそこにある――うまく言えませんが、そのような表現の水準、何らか審美的なあらわれの位相がいまどき本邦のその他おおぜい、つまり「マス」の市場の商品音楽のありように、それを受け止めることのできる新たなリテラシーと共にすでに現前化しているのだとしたら、それはやはり「うた」の〈いま・ここ〉のひとつの現在としてひとまず仮留めくらいしておくべきなのだと思います。


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 そういえば、最近はそれらアニソンなどもひっくるめたいまどきの本邦商品音楽をまとめて「J-POP」と呼びならわすようでもあります。これも最初、そのように使われているのを耳にした時、あれ? とちょっと立ち止まる程度には違和感がありました。

 だって、かつてそう言われ始めた頃の「J-POP」というのは、おぼつかない記憶によれば、これまた確か1990年代はじめ頃、まだ「洋楽」が国内の音楽市場に一定の存在感と共にそれなりのシェアがあった時代、その「洋楽」との対抗関係で内国産の商品音楽を、それまでの「邦楽」でも「歌謡曲」でもない新たな文脈でとにかくひっくくっておく、そのために新たに流通するようになったもの言いだったような。当時アニソンなどはその範疇には入れられておらず、ラップにしてもそれら商品音楽の表舞台においては、たまたま趣向のひとつくらいにもの珍しく使い回される程度だったはず。つまり、語彙としての「J-POP」というのは、それこそユーミンやサザンや山下達郎や、今となってはすでに軒並みキャリア40年以上になんなんとするいずれ斯界の大御所級、いや、当時でさえもそれ以前80年代から本邦商品音楽市場を支える大きな存在になっていたそれら若い衆世代向け商品音楽の大手生産者らをわかりやすい先行者として足場にしつつ、そのあと続いて出現し始めていた新たな世代の後継生産者たちをも含めて「新時代の流行歌」「これからの歌謡曲」として新たにパッケージングし直す必要あってのネーミングという印象なのでした。


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 実際、その頃のアニソンはというと、それこそいわゆる「おたく」向けの言葉本来の意味でのサブ・カルチュアにとどまっていて、それら表舞台の商品音楽市場に堂々と地歩を占めるまでにはまだ至っていません。なるほど、80年代を通じて若い世代に向けたアニメという表現ジャンル自体が大きく浮上し前景化されてきたことで、アニソンもまた確かにある程度知られるようにはなり、それに応じた社会的認知もそれなりにされるようになってはいた、その限りでは「POP」――つまり大衆的で通俗的な表現ではあったかもしれないけれども、でも決して「J-POP」とは思われていなかった。何より、当のアニソンの生産者や供給側はもとより、それを享受していた側も共に、そんなうわずった自己認識など、ほとんど持っていなかったはずです。

 ならば、あの「J-POP」のアタマにくっついていた「J」とは何だったのか。その一文字にそうと気づかずに込められていた、密度も質量も実はケタ違いに大きかったらしい時代精神の重心のごとき特異点、当時賑々しくあちこちで起ち上がり始めたJ-WAVEやJリーグなどのいずれキラキラと華やいで見えた文化的消費財たちが醸し出していた横並びな同時代的気分にせわしなく後押しされる何らか差異化のための巧妙な標識、ないしはそうと悟られぬようさりげなく張られた厳然たる結界、のちに「分断」などと、よりむくつけなもの言いで言い募られるようにもなる、その同じ不連続へと至る、おそらくははじまりの風景における忘れてはいけないひとコマとして。



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 それまで戦後半世紀近くの間、明治維新このかたこってりとまつわらせてきた近代の垢をあの敗戦でさらにこじらせ、その後うっかり半ば棚ボタ的に手にした冥加に余る豊かさにもまた不用意にまみれさせ、あげく無様にいじけてすすけ果てていた本邦のナショナリズムを健気にも支えてきた表象群、要は漢字表記の「日本」とそこに抜き難くまつわってきていたさまざまなもの言いやイメージなどを全部まとめていったん漂白、洗い晒しをしておく必要が、バブル期の熾火がまだ盛大に余熱を発していた時代のこと、折しもグローバル化してゆく金融経済市場に手もなく引きずり込まれ始めていた本邦資本主義にとっての半ば必然として求められていました。だからそのあらわれとしての、何であれカタカナ表記がよりふさわしいと感じるようになり始めていた気分に阿る「ニッポン」という意味を込めた、その時代におけるある種暗黙の了解的な共通項でもありました。


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 そしてそれは、そのような気分が同時代的な拡がりを獲得してゆくことと共に、どこかで「うた」をこっそりと宿し、思わぬかたちへと発酵させ始める培養基にもなっていたようです。すでにもうそれ以前、戦前の遠い昔から、ある意味においては。

 「𦾔い日本と新しい日本のギャップに生ずる哀しくもほほゑましい風俗は一種の「歌」でさへあった。」野田宇太郎『パンの會』三笠書房、1952年、p.73。

「一体、小劇場運動というのは、どうしてこう、おしなべてナツメロ集へナツメロ集へと急速に傾斜していったのか。(…)早稲田小劇場の芝居も、戦争中の軍歌や、阿部定の調書やを高唱するものであった。どうして現在の演劇活動の前衛にある世代の演劇人たちは、彼ら自身が経験したわけでもない、彼らの一時代前の通俗文化を、あんなに懐かしそうに語り、演じ、高唱できるのか。」佐藤忠男ナツメロと演劇」『新劇』1973年3月号、p.30。

 歴史間尺での考証沙汰はさておき、当時そのような「J-POP」に込められていた内実のかなりの部分は、「流行歌」「歌謡曲」そのもののありようごとひん曲げられてゆくその後の情報環境のおよそ30年ばかりのさらなる激変の過程に、ほんの視野の端にしかとらえられていなかったあのアニソン的なるものに知らぬ間にとって変わられていったところがあるのかもしれない。新たなパッケージングを施して勇躍グローバル化する金融経済至上の資本主義世間に乗り出せるはずだったあの「ニッポン」も、しょせんはアニソン的なるものを介して、「うた」本来の人文的現実での地下水路からもうひとつの新たな世界的〈リアル〉の側へと通底し始めているのかもしれません。

 ことばから意味を剥奪、いや、そこまでゆかずとも後景化させてゆくことは、これまでもさまざまな表現のジャンルにおいて、試行錯誤と共に行なわれてきたことでもありました。「うた」におけることば、というのもどこかでそのような意味の後景化、少なくとも日常的な有用性、情報伝達を第一義とした役割を敢えて軽視したり、それ以外の要素、たとえば「音声」としての部分を前景化させるような試みを加えられてきた経緯もあります。「詩」という意味での「うた」の属性においてならば、そのようにことばの「音声」としての部分を重視する行き方は、いわゆる音楽の楽曲におけるだけでなく、また文学表現の一ジャンルとして自明化されて以降の詩歌だけでもなく、案外別のかたちで意外な表現において同じ効果をもたらしていたところがあります。

 たとえば、立川文庫。あの集団による共同制作的な創作過程が「書き講談」の一端として創出されたことはすでに知られていますが、市場に受け入れられ「売れる」ようになったことで、その生産点にもより一層の「速度」が求められるようになった結果、半ば自動筆記のようになっていったことの当時の市場や情報環境との関係における意味、速記の普及を介した話しことばの「速度」が当時の同時代の生身の身体における「書く」手技に反映される内実を期せずして変えていったかもしれないこと、など、まだ案外見過ごされてきている重要な問いがあるように思います。

 あるいはまた、こんな例も。

 「いついかなるばあいにも、彼は事実を事実として、あるだけの量と質に限定することのできない性質をもっている。それは一般に言われる虚偽や修飾よりも、もっと衝動的・無意識的な、避けることのできない体質的なものであった。だから、いつわる必要のない場合にも、彼の筆はかるがると飛躍する。(…)彼は活字の形で空想をのべたかったのだ。」(村上信彦「虚像と実像・村上浪六」『思想の科学』1959年10月号、中央公論社、p.43。)

 明治期から大正を経て昭和初期まで、実は長らく多作を続けたベストセラー作家であり続けていながら、文学史や文芸批評、あるいは思想史などの脈絡においてさえもすでにほとんどなかったことにされて正面から言及されない特異な書き手、村上浪六の創作作法についての言及なのですが、ことばを意味との照応、もう少し正確に言うなら現実を引き写してゆく際の有効なツールとして意味との伴い具合を調整してゆくのでなく、ある意味自分の内的な風景、あらかじめ想定されている何らかのイメージとしての現実の〈リアル〉を表現してゆくような方向でことばを使い回してゆくことが、期せずして指摘されていないでしょうか。

 「ホラ吹き」という言い方がなじむような虚言性。「事実」とは違う、でも何らかの水準での〈リアル〉を読み手や聴き手に喚起してゆく「おはなし」化の能力。「おはなし」が〈リアル〉を引き出し、だから何らか感情をうっかり動かしてしまうようなものだとしたら、つまりそれは「感動」であり、何らかの情動を衝撃的に、不意打ち的に起ち上がらせるものでもあるはず――ほら、すでにもうこれは、「うた」の現前する地点にどこか近づいてきていないでしょうか。

 「速度」によって意味を引きちぎってゆく。ただひたすらにしゃべることも書くことも、共にそれら持続する過程を具体的に生きる生身の「速度」によって、ことばを制御する主体の自意識との紐つけられた部分を無化してゆくことになります。そのような主体なきことば、主語の制御を離れた表現は、自動筆記や巫女の神がかりに近くなってゆきますが、ただ、そこに至るまでに、おそらくことばそれ自身の節理や理路の水準でことば自らがことばをつむぎ出してゆくような段階がどこかで訪れるものらしい。浪六の「ホラ」に等しい「おはなし」記述のたてつけも、あるいは、手工業を越えた資本の要求に応じるために半ば無自覚に繰り出されるようになった立川文庫の生産点での書き飛ばしも、いずれそのように主体的な制御をどこかで離れ始めた表現が必然としてあらわす方法的な現前に他ならない。それは、おそらくはラップのバトルにおける即興的なやりとりや、あるいは、これはまだ仮説的に先廻りした解釈になるかもしれませんが、アニソンのあの歌詞の歌われ方の、確かに母語でありその限りで歌い手の生身の実存と紐付いているはずのことばが、これまでの理解における「書きことばを自明の前提にしたうた」のことばの分節的明晰さ、あるいは学校の教科としての音楽唱歌的な歌唱をひとつの準拠点とした表現など、既存の文字的表象の引力圏から離脱して、「音声」としてという部分を第一義に歌われることばになっているかもしれないことなどにも通じている、そんな予感が自分にはしています。