「会話」と「地の文」の相克、その転変


 性懲りも無い、手もとに散らばる古書雑書書きつけの類をあれこれついばみながらの千鳥足な道行きの日々の身の上。今日もまた、ふと目に留まったこんな断片から、身の裡にくぐもるささやかな問いの数珠つなぎのさらなる紐解きを例によって。

 「地の文を三行垂らしたら、会話をまぜて読みやすくしなければならない」

 若き日の山本周五郎に、少年少女小説や大衆小説の書き方のコツを教えたという『譚海』の編集者、川手長次の言。昭和初年のことだったそうです。この川手という編集者自身、のちに「桃太郎侍」などで名をなした長谷川伸門下の堂々たる大衆小説作家、山手樹一郎だったりもするのですが、それはまた別の話。

 そんな彼が、しかし後年、こんな述懐も残していたりもします。

 「ぼくは山本君の作品に、いちいち小さな注文なんかつけたことはなかった。というのは、彼の目標とするところは少年少女小説作家になることじゃない。それはよく承知していたから、これは将来のびそうだなと思われる人たちには、自由に書かせて文句はつけなかった。げんに『少女世界』や『譚海』によく書いて居た連中のなかで、少年少女ものの専門的な書き手になったのはひとりも居りませんでしょ。」(木村久邇典『山本周五郎・馬込時代』福武書店、1990年、p.28)

 この間、時間的な経過があっての言表であり、戦前と戦後という時代背景による言語空間の違いも等閑視できない文脈としてあること、また何よりも、そもそも人の体験や見聞とその記憶というのは、それが同じ個人による言語化であっても、意識せざる部分も含めての整形や編集を伴うものであるという、一個の生きものとしてと共に言葉と意味の水準にも同時に生きざるを得ないわれら人間存在の本質に否応なく関わってくる大きな約束ごとをまず斟酌しておかねばならないにせよ、それでもなお、自身の書いてきたような歴史ものの大衆小説が「少年少女もの」の読みもの文芸とは明らかに別もので「格上」の文章表現である、という価値観がこの背後に横たわっていることは見てとれます。

 戦前、大正末年から昭和初年にかけて新たに励起してきたそれら「大衆」読者層を相手にした市場に商品として流通させてゆくことを前提に生産された作品――その頃「大衆小説」と呼ばれるようになり始めていたものであり、またその程度に、それはそれまでの「文学」前提の小説観からすれば装い新たな異物にさえ見えたらしい一群の文章表現だったわけですが、それらに対して、「文学」というものさしによる評価だけでなく、読みもの文芸という「商品」としての評価軸がこの彼の中には、さて、どれくらいあり得ていたのか、もしもそれが稀薄だったとしたら、ならばそのような前提で想定されていた「読者」とはどのような形象として商品生産の当事者としてイメージされていて、またそれは当時同じく、主に一部の知識人とその予備軍の世間から発信されすでに前景化されてきていた「大衆」という抽象的な語彙の内実とどのように平仄が合わせられていたのか……などなど、これらもまた別の大きな問いへと連なる枝葉になってゆくはずですが、ここでは仮留めして先を急ぎます。

 そもそもが昭和初年のこと、でした。当時、いきなり爆発的に増えた読みもの文芸の市場、特にそれらを「読む」リテラシーをそれまでとは異なるありようで実装した人々――つまりその頃新たにその姿を同時代の地平にくっきりとあらわしてきた世間一般その他おおぜいであり、要するに「大衆」であったりもするわけですが、いずれにせよその存在感は、通り一遍の社会科学由来の術語や概念による意味づけの水準を越えたところで、読みもの文芸の商品市場とそこに供給される商品の生産点における現場に携わる生身にとっては、たとえばこのような「会話」と「地の文」の混合比率に対する示唆という形で、いみじくも鋭敏に反映され始めていたようです。

 「大正十四年創刊の『キング』をはじめとする講談社発行の九雑誌の総発行部数は、昭和五年頃には一ヶ月およそ六〇〇万に達していた。」

 「大正十五年から昭和二年にかけ、改造社が企画した「現代日本文学全集」六十巻の予約募集が開始され、定価わずかに一円均一という、当時破天荒の廉価版全集の公刊に端を発した円本ブームによって、改造社以外の全集に収録された文学者らも含め、思いがけぬ不労所得にうるおされることになった。」

 教科書的な文学史的記述においては、概ねこのように語られるその頃の出版をめぐるにわかに活気を呈していた状況。言わばバブル景気に等しかったわけですが、「大衆の出現」が「円本ブーム」と「雑誌の隆盛」によってそれこそ「わかりやすく」語られる話法で、ここに「レコード」や「ラジオ」といった新たなメディアの登場や、それを介した「流行歌」や「エロ・グロ・ナンセンス」といった皮膚感覚的に響きやすい世相風俗的な事象、つまり「大衆文化」の個別の挿話をいくつかさらにトッピングすれば、少し前まで「そういうもの」として流通し、通用していた「軍靴の響きが近づいていた」「戦前」の「暗い時代」という定型にもまた異なる新たな彩りが、それこそ今様の「さまざまな意匠」の一環として添景されてそれらしく格好がつけられるというもの。いわゆる「近現代史」にまつわるそれら教科書的で「そういうもの」として公式化された語られ方は近年、以前とはまた少し違うそのような新たな「わかりやすさ」の装いを無意識裡に織り込んだものになっているように見えますが、それもまた別の話。

 ともあれ、ここで言われている「会話」と「地の文」の関係、それらが入り交じった散文表現が読みもの文芸の商品市場における有力なコンテンツになって、それに見合ったリテラシーを実装したその他おおぜいの読み手がまさに「量」として、それら市場を相手取って商売をする生産点の現場において意識されざるを得なくなってきていた、その内実については、それら「大衆」の内面、精神生活のありようと「うた」の関係を及ばずながら探ろうとしてゆく上でも、なお速度をできるだけ落として立ち止まっておく必要のある問いのひとつです。

 ここでいみじくも「少年少女小説」とひとくくりに語られている作物とは、「童話」なども含めて要は〈おんな・こども〉を相手とする商品に他ならない。山本周五郎自身、「最初、彼が文学に志をたてたときに志向した純文学や劇作と、ますますかけ離れてゆく大衆娯楽読物という路線でオゼゼを稼ぎ、まげもの小説や“小児・婦人科”(と山本は自嘲的に命名していた)の小説も、生活のためには手がけなければならないのが詐りのない現実」(木村、前掲書)に生きていたわけで、稼ぎとして相手どらねばならない目には確かに見えぬ読者とは、そのような〈おんな・こども〉としての属性をもすでに「そういうもの」としてうっかり孕んでいたらしい。そのように、それら新しく同時代に登場し始めた「読む」リテラシーのありようは、まさに「わかりやすさ」として表現を整えてゆかねばならないその先に、まごうかたない消費者として立ち現れ始めたものの必然でもありました。

 その「わかりやすさ」とは、書き言葉による文字表現がそれまで疎外してきた日々の暮らし、日常のとりとめない現実に生きる生身に宿る感覚や意識、気分や情といった十全に言語化されざるいわば〈それ以外〉の領域に対して、より直接的に、かつ個別具体的に関わってくる(と読み手自身が直感的に感受してしまえるような)文章、つまり話し言葉の仮構的な直接性、具体性をよすがに再編制されるようになった〈リアル〉に対する不特定多数の共感と支持のあらわれとして可視化されてくるようなものだったようです。

 何のことはない、ほんの少し前、このような言い方で自分自身、そのような〈リアル〉につながる気配を半ば無意識に素描していました。

 「話し言葉をそのまま書き言葉に引き写した、読み手にとっても実際そう思える、感じられるようになっていた文体は、「読む」に際してそれまでの書き言葉と違った生身の親しさ、日々の暮らしの中であたりまえに抱いている水準と地続きの意識や感覚を生起するようになっていた。」

 速記を介した講談の速記本から、あらかじめその文体を模した形の書き講談へという過程に宿ったであろう話し言葉による表現――「言文一致」と大雑把かつ一緒くたにくくられてしまうことが大方でもあるそのような文字表現の衝撃が、当時のその他おおぜいの読み手の間にもたらしたと思われる〈リアル〉のありよう。それはその後、文字による散文表現が、それを「読む」ことを介して期せずして「自分ごと」になってくるような事態を世に広くもたらしたものでもあったらしい。そのように考えれば、、まさに「大衆小説」とは、単にまげものや歴史小説、時代小説といった形式的な意味においてだけでなく、「少年少女小説」や「童話」などもゆるやかに含めたところの、「大衆」の〈おんな・こども〉属性を全面化させる/できるようになった、言い換えれば文章表現を広く「自分ごと」として「読む」ことが良くも悪くもできるようになった新たな「読者」のリテラシーに向けて積極的に開かれた商品であり消費財となった読みもの文芸の総称、と定義しなおすことが可能になってきます。

 いま、「自分ごと」として「読む」と言いました。しかし、言い添えておかねばならないことは、それは同じ「自分ごと」であっても、それまであたりまえにあったような茫洋とした輪郭の、しかしその分のほほんともしていただろう民俗的な生活空間とも自明に地続きであり得ていた未だ自他不分明な自分という意識を前提にしたものとはまた別の、当時ようやくその輪郭を整え始めていた、急速に形を整え始めた情報環境に即して編制され、またいくらか自省的な視線をも持ち始めていた新時代の自意識にとっての、より輪郭確かに際立った「自分ごと」だったろう、ということです。

 つまり、近世的な情報環境とその懐にあった広義の読書空間、その時代の「読む」リテラシーとの相関においてすでに歴史民俗的な経緯来歴と共に宿ってきていたような「自分ごと」――それこそ歌舞伎や浄瑠璃など小屋での舞台表現や寄席の講談落語から路上の各種大道芸の類、さらにはそれら上演的な表現だけでなく、浮世草子から草双紙、洒落本、人情本など当時なりに転変しながら市場を形成、そこに商品として流通していた各種読みもの文芸などに至るまで、いずれそれら同時代の「おはなし」表現を同じくその頃なりのリテラシーを介して「読む」ことによってあたりまえに宿り得ていたような、当時の生身に宿っていた自分という意識からは、すでに何らか不連続をはらんだものだったのだろう、と。

 「むろん、それまでの書き言葉を読むことの習熟度の違いによる個人差などはあったでしょうが、それでも時代の赴く先として、速記による講談本の文体が引き出したであろう読み手の側の日常との地続き感は、それまでの「読む」に伴っていた、読み手側の〈いま・ここ〉感覚との距離感や疎外感とは異なる身近さ、親しさを、日々の生身の生きるまるごとのリズムやテンポとも同調しながら喚起してゆきます。」

 「会話」が、言文一致の話し言葉によって文字に引き写されることで、際立ったものとして「読む」に関与してくるようになる。それによって〈それ以外〉の部分、つまり結果的に「地の文」と総称されるようになったそれまでの文字表現の水準に対する「読む」もまた、「会話」との関係でその意味あいをあらたに別なものにしてゆく。

 同じ紙の上に印刷された文字表現であっても、「会話」と「地の文」のそのような分離によって、それらを「読む」側の内面にもそれまでの文字表現、同じ平面的な水準で展開されていた文章としてのありように、何らか奥行きというか、遠近や落差といった三次元的な位相が「読み」を介して加わってくる。比喩的に言えば、舞台の書き割りや装置といった「背景」の脈絡と、その上で、あるいはその前景において、何らか「動き」を伴いながら想起される「会話」を介した登場人物という形象の存在感とが、それぞれ異なる水準へと分離してゆく。と同時に、それらは共にあらたにそのような「読み」の裡に起ち上がる仮想的で三次元的な空間に収斂し、統合されてゆくことで、「動き」を内包した「流れ」の感覚をも読み手の裡によどみなく宿らせてゆくようにもなってゆく。それら言わば立体的な「おはなし」空間が成立することで、文字表現はその読み手が生身を伴い日々生きて暮らしている〈いま・ここ〉の「現実」とそれまでよりもずっと地続きで切実に感じられるものとして、このあらたな自分という意識を軸にして仮想的に時空を制御することが可能になった想像力の遠近法において、それまでと異なる〈リアル〉として「読む」ことが可能になってゆきます。

 「「読む」という行為に、どこか上演や口演といった生身の感覚に根ざした〈まるごと〉の〈いま・ここ〉が流れ込むようになってくる。同じ書き言葉の文字列が、それまでと違う表情で身の裡に浸透してくるようになり、テキストとの新たな相互性が宿り始める。」(以上、拙稿「立川文庫的なるもの、の内実」、本誌2025年6月号)

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 「会話」を適宜混ぜてゆくことで、読みものとして初めて「読みやすく」なる――その「読みやすい」の内実というのは、「会話」の文体、つまり広義の言文一致とされるような話し言葉を引き写した(と読み手が素直に感じられるような)文字表現をより身近に、抵抗なく「読む」ことのできるようなリテラシーを持つ読み手にとって、ということが、冒頭に引用した「大衆小説の書き方」のコツのあらましでした。

 つまり、日常生活の話し言葉、要は「おしゃべり」ということでしょうが、その話し言葉の調子や感覚が文字表現としてそのまま地続きに引き写されている、と感じられるような書き方の部分をうまく織り交ぜながら、「地の文」とのコンビネーションによって「動き」と「流れ」を立体的な仮想空間に統合した「おはなし」を展開させることが、大衆小説にとって心がけるべき要点である、と。

 のちに歴史小説の大家として知られるようになる山本周五郎ですが、この昭和初年頃には〈おんな・こども〉相手の読みもの、それも比較的短いものを主に手がけていて、少女小説や童話といった体裁の原稿が主な売りもの。ということは、ここで編集者としての川手、のちの山手樹一郎が言う「読みやすさ」とは、それらの読み手として想定される〈おんな・こども〉にとってのもの、ということになる。

 同じ文字表現であり、印刷された書籍であっても、その中身によって商品としての価値、市場におけるありようが変わってくるわけで、その意味では〈おんな・こども〉相手の読みもの文芸、「おはなし」商品としての大衆小説は、それまでならば「講談本」と呼ばれていたような商品に近い扱いをされていた部分があったようです。

 「講談本」という言い方は、小説であれ随筆であれ、戦前に書かれた文章の中には普通に使われていますし、いま目にしたところで、それを日本語として読むのには何の抵抗もなくそのまま読み流してゆけるようなものでしょう。ただ、その語彙に当時はらまれていた内実、同じ「本」だとしても、微妙に下に見た感覚などについては、同じ日本語の単語としてフラットにそのまま目に入ってくることができる分、かえって読み取られにくくなっているかもしれません。

 たとえば、とある読みもの文芸、通俗小説の中のこんな「会話」にも。

「こんなことなら、講談本でも持ってくるんだつたな。」


「ばか野郎、下足番とはちつたあちがふんだぞ。講談本をよみながらつとまるかい。」

 前者のせりふは、やくざの三下のびっくり鐵というあんちゃん、渡世のしがらみから自分の属する一家が、襲撃されるおそれがあるという顔役の屋敷へ喧嘩支度をして出張って警戒態勢をとらねばならなくなったものの、いざ現場についてみれば、いますぐ切った貼ったが始まるわけでもなく、まして自分は「臺所の通用門の見はり」役という冴えない部署にまわされたので拍子抜け気味の退屈交じりにふと口にしたもの。そして、それを耳にした兄貴分が諫めたせりふが、後者になります。

 「講談本」がそのような「ひまつぶし」に使われるもの、何か言いつけられた仕事を「しながら」、その片手間にめくって消閑する道具として扱われているのがよくわかる。

 これはその後「マンガ本」から「ビニ本」「エロ本」などにもおそらく通底していった、物理的な媒体、具体的なブツとしては「本」つまり書籍という形態のものではあっても、その意味あいが違っているという内実を込める場合の「○○本」というもの言いの系譜に連なるものだったでしょう。同じ「本」であっても、その使い途というか、日々の暮らしの中、どのような場面や局面で実用に供せられるものか、それによって割とくっきりとものの違い、質の相違からその優劣の感覚までが附与される。そういうものさしとして「○○本」というもの言いのその「○○」の部分が、いわばインデックスとして頭にくっついているという次第。

 ともあれ、このふたつのせりふ、戯曲や脚本、シナリオならそのまま「せりふ」でしょうし、マンガならば「吹き出し」の中の「ネーム」にあたるようなものでしょう。これだけ文字ヅラとして並べてあっても、まあ、そういう「会話」なんだな、という理解がこちら読み手の側にも宿るでしょうし、また、その「せりふ」の発される場の情景、シーンといったものも、舞台や映画、ドラマなどの違いはあれど、いずれそれなりに「読む」側の意識の銀幕に合焦してゆくようなものでしょう。

 ただ、実際には、このふたつのせりふの間に以下のような「地の文」が、画然と差し挟まれていました。 

 「びつくり鐵は古めかしい市松型に木を組んだ古い天井を見上げて、けふ一日の単調を思ひやる目つきをした。眞新しい手拭なぞ卷󠄁いた道具を揃へて乗込んで來た気分では、すぐに緊張した何かの場面がひらけるものと鐵は思つてゐたらしかつた。」

 以上、たまたま手もとにあってめくっていた平林たい子地底の歌』(文藝春秋新社、1949年)から抜粋した部分でしかないのですが、「会話」「せりふ」と「地の文」との関係を考えてみる上でわかりやすい例として。

 あらためてほどいて言うのも野暮でしょうが、この「地の文」というのは情景や風景の描写であり、その場の背景含めての何らか説明であるような部分、場合によっては心理や内面についての書き込みなども含めてあり得るような、いずれそのような散文的な文章のパートです。一方、「会話」というのは言うまでもなく話しことばによる言文一致でふだんのおしゃべりや会話を引き写した(と読み手が自然に受けとるような)部分。この混ぜ具合によって「読みやすく」なる度合いが異なってくる、という、先の川手、のちの山手樹一郎である編集者による示唆は、その当時の通俗おはなし文芸市場に提供される商品を介して、その向こうに姿をあらわし始めていた新たな「大衆」である読者のリテラシーが、それら商品の生産点においてどのようなものとして把握、認識されていたのか、という問いに対する答えのひとつの糸口になってきます。

 これは、戯曲における「せりふ」と「ト書き」の関係にも近い。いわゆる文芸雑誌などで「創作」「評論」「詩」などと共に「戯曲」という枠組みが案外あたりまえにあって、それもまた「読みもの」として読まれることが普通にあったらしいことは、以前も何度か触れてきましたが、その間の事情をもう少し丁寧に考えようとする際、このあたりの視点は効きのいい足場になってくるように思えます。と同時に、わざわざそのように問題設定をしようとしないことにはうまく気づけなくなっている、その程度には、この「会話」と「地の文」の組み合わせによる読みもの文芸的な散文表現に、われわれはいつしか意識せずともなじんでしまっているようではあります。

 そう言えば、近年のいわゆるラノベ(ライトノベル)と呼ばれるようないまどきの読みもの文芸の特徴として、「会話ばかりで地の文がない」といった評言によって言い表されることがあります。地の文がないのに会話だけで成りたっていて、でもその会話がどのような登場人物、どのようなキャラクターのどのような状況でかわされているものか、これまでのような「読み」のリテラシーしか持っていない側からはよく見えてこない、だから「ラノベはわからない」といった方向でのネガな評価になっていることが多いようですが、ただそれは、同時にゲームや、webにアップされて見られることを前提としたいまどきの短い動画のシナリオなどにも通じるところもあったりするらしい。たとえ文字ヅラにおいては「会話」だけであっても、かつて「地の文」が担っていた役回りはすでに同時代のある読者の間では自明に「そういうもの」として共有されているらしい何らかのイメージ、それなりに具体的で立体的な映像系の形象を介して、立派に〈いま・ここ〉の〈リアル〉を結像してゆける「読み」が健在なのかもしれません。

 「定住民の心身を蝕んでいる視覚中心的な孤立化にいまだ汚染されていない彼らは、根っから音声指向的であるといえる。音声指向的であるということは、言い換えれば、具体的でヴィヴィドな映像が刻々、生起しては絶えまなく流れ去っていく“夢”の世界にどっぷりひたっているということである。」(堀切直人「舞踏家と漂泊民」、『遊行』2、1987年1月号初出、『ファンタジーフモール』(沖積舎、1989年)所収、pp.61。)

 文字を「読む」ことをしながら、しかしその内面は音声志向的になることが可能になる。言文一致が普及して以降の「会話」「せりふ」が混在する散文の表現形式、しかもそれが商品市場に流通し、手軽に手に取れる「娯楽」のための消費財となってゆく過程においては、「具体的でヴィヴィドな映像が刻々、生起しては絶え間なく流れ去っていく“夢”の世界」が読み手の間に普通に生成されるようになっていったのかもしれない。しかも、敢えて微分的に附言するなら、「視覚中心的な孤立化」と同時並行の過程としてそれが進行していったはずであることも含めて。

 このような「音声志向」と「視覚中心的な孤立化」が同時に進行する過程においては、音声的な、話しことばに根ざしたイメージの生成が、視覚中心的な過程が現実化してゆく以前のそれら生成過程の、まさに「生起して絶えまなく流れ去っていく」ような、いわば前近代的とでもくくっても差し支えないような民俗的水準も含めてのとりとめないイメージの複声的で多元化された発露の「流れ」としてでなく、それらの要所要所を映画におけるスチール写真のように、あるいはいまどきならばweb上に流れる動画のスクリーンショットのように、固定された「シーン」「場面」として定着させた輪郭確かなイメージの「単体」「ひとコマ」として前景化させながらの一連のシークェンス的なものとして意識されるようになるでしょう。それらが背後にリニアーに「流れ」ながら、随所に「セリフ」「会話」の言文一致的な文体・話法による音声志向の喚起力がさしはさまれてゆく。その双方の併せ技によって、「おはなし」総体のありようが、「読む」を介したリテラシーの情報環境との相関によって「まるごと」として、より近代的な意味での〈リアル〉の側へと引き寄せられてゆく――ああ、性急な急ぎ足はおのが本分から最も遠い作法、ここでもまた、問いは問いとして仮留めにしたまま、また別途、適切な枝葉を繁らせてゆける邂逅の時が訪れる僥倖を、半ばまどろみながらゆるく待つことにしましょう。