皐月賞を眺めながら

 皐月賞を眺めていました。テレビで、ではありますが、それでも最近、JRAのG?をちゃんと見たことがあまりなかったので、これはあたし的にはちと珍しいことではあります。

 で、あの結果。レコードに近い速い時計での決着もさることながら、一番人気を背負っていた四連勝馬ロジユニヴァースのふたケタ着順惨敗が、案の定、話題になっています。本当に強い馬だったのか? 高速馬場での時計勝負が向いてなかったのか? 騎手の乗り間違いはなかったか?……例によって、あれこれと評定はされていて、これはこれでこれまでもう何度となく繰り返されてきた、競馬をめぐるメディアとそこに流通するもの言いのおきまりの風景、ではあります。

 ただ、それでもやはり気になることが。まず、美浦所属の関東馬のG?16連敗。栗東美浦との「格差」がここまでどうしようもなくなってしまっていることについて、どうして勧進元であるJRAは何も手を打とうとしないのか。ロジユニヴァースに騎乗していた横山典騎手のコメントも、どことなく他人事のように聞こえてしまうのはあたしの性格が曲がっているからでしょうか。あるいは、これまた2番人気馬リーチザクラウンに騎乗していた武豊騎手の敗戦の弁も、いつになく淡々としているように感じるのは、やはりこっちの受け取り方の問題でしょうか。

競馬の「報道」というのがどういう仕組みで動くようになっているのか、それがすでにルーティンと化してしまって誰がどう関わろうと、本当の意味での現場、生きてそこで仕事をしている人間や馬たちの息づかいをできるだけ多くのファンの眼前に届けるようには働かなくなっている、そんな印象を改めて強く持ってしまったものでした。

 スポーツジャーナリズム、というものが、わがニッポンにおいては成り立っていない。メディアによる報道の、その最も恩恵に浴するべき立場のファン、世間一般のその他おおぜいの人たちにとって役に立つような形になっていない。あの悪名高い記者クラブ制度に似たような仕組みが、多くのプロスポーツの分野においても事実上できあがっていて、にわかには変えられなくなっています。

 同じように「昭和」で「戦後」なスポーツのひとつとして、相撲や競馬と共に凋落の一途をたどっているはずのプロ野球ですが、それでも、先のWBCでの日本代表チームの歴史に残る奮戦ぶりや、新たに人気を博しているパリーグの盛り上がりなどを見ていると、やはり腐っても鯛、落ち目と言えども戦後数十年、この日本に根づいてきた大衆スポーツの「伝統」の底力を感じさせます。それは、一時期盛り上がったもののここにきてあちこちで棚落ちが起こっているJリーグ以下のプロサッカーの現状と比べてもはっきりする。ならば、どうしてプロ野球並みの歴史があるはずの競馬において、そういう「伝統」を感じさせてくれるような底力の発露が見られないままなのか、が問題です。

 人気馬が負ける、それはいい。東西で成績の格差が固定されている、それもまあ、勝負の世界、そういう事態もあり得るだろう。いけないのは、そんなあれこれが「そういうものだから」という気分のまま何も手を打たれず、反省もされず、ただ放置され続けていることでしょう。

 出馬表を眺めても、本当の意味でそれぞれの「物語」を背負った馬たちがぶつかりあう、というようには見えません。さまざまな背景や事情を抱えた者たちが、名誉と誇りを賭けて渾身の力でぶつかりあう勝負の世界。そんな基本的な条件が、申し訳ありませんがJRAの競馬からはもう、感じられなくなっているようです。もちろん、個々の馬や騎手、厩舎関係者は仕事として誠実に努力しているでしょう。ただ、それとは別に、メディアを介した舞台で「競馬」というコンテンツを作り出し、運営し、演出してゆくシステム自体にこびりついてしまっている、ある種の「錆」や「金属疲労」といったものがもたらす弊害のように思えます。

 たとえば、これはもう以前から何度か触れていることですが、どうして現場のトラックマンや記者といった人たちが、同時に騎手のエージェントをやっているのか。このひとつだけとってみても、JRAとそれに付随するいまのシステムが、自分たちの最も大切なコンテンツ、メシの種としての競馬を本気で大切にする気のないことがよくわかります。騎手のエージェントをやるのならば、予想に関わる仕事からは潔く外れるべきで、これは理屈や能書きじゃない、仕事としての倫理の問題です。個人の判断任せではうまくゆかないのならなおのこと、JRAがきちんとあるべき方向に指導をしてゆくのがスジのはず。以前から言われてきていることなのに、未だに事態が改善されたということは耳にしませんし、それ以前に、断片的な報道や問題提起すらスポーツ紙、専門紙の片隅にさえも載ってこないまま。本当に不思議です。

 ファンも馬鹿じゃない、一部のトラックマンらが騎手のエージェントを兼業しているということは、もう何となく耳にしている。◎や○▲をつけて予想をしている誰それは、実はあのジョッキーの乗り馬を決定する権限を持っている、ということを知って、彼らの予想を読んでいる。皮肉なことに、大昔の競馬のように駆け引きや八百長も含めて予想するのが競馬の楽しみ方、という時代と、あんまり変わらない状態になっていることを、あの「公正競馬」というタテマエをあれほどマジメに守り続けてきた方面などは、さて、果たしてどのように眺めているのでしょうか。