1996-03-01から1ヶ月間の記事一覧

メディアと結果責任

坂本弁護士一家殺害事件はあってはならない不幸な事件だった。それは全くその通りだ。何も一部の弁護士たちの言うように「弁護士が殺害されるなんてとんでもない社会だ」てな特権意識に立ってのことではない。どんな商売に携わる者であれ通常の市民生活を営…

『EYECOM』編集長 福岡俊弘さん

大月です。パソコン雑誌で「パソコンなんていらない」てな看板掲げて商売しようなんて、というジト眼の視線をひしひしと感じつつ、まずは店開きさせていただきます。 えー、看板通り小生パソコンは使えませんし、ひとまず使う気もありません。職場に導入され…

再び、テレビの報道について

どうも事態があまり健康でない方向に動いているようなので、しつこいようだけれどもTBSの問題をもう一回。 報道機関は「まともな」報道をしなければならない、と言われる。もちろんそう思う。思うが、しかしじゃあテレビにとっての「まともな」報道ってど…

テレビの報道について

メディアの注目するできごとの現場に行く。今どきのことだから、新聞記者もいれば雑誌ライターもいるし、さまざまなスチールカメラマンもいればテレビカメラかついだテレビクルーやレポーターたちなどもひしめいている。ただ、所属は異なれど、いずれ身体を…

「気分」もまた、すでにわれわれの現実である

*1 「危機」を煽り立てるもの言いというのが「知性」の証明であり続けてきた歴史というのが、どうやらこの国にはある。ジャーナリズム然り。学問然り。思想や言論といった分野もまた然りだ。 「知性」とはそのように世の中の「危機」に対して誰よりも先に気…

マック鈴木の苦戦

マック鈴木が苦戦している。現実にももちろんだが、メディアの舞台での語られ方としてもかなり苦しい。 海外で「成功」することというのは、明治維新このかた、日本人の精神史の中である輝かしさと共に語り継がれてきた重要な物語のひとつだ。 とりわけ、ア…

「志」という危うさ

去る2月24日付の『朝日新聞』に、「どこへいった高級官僚の志」というタイトルで佐高信と城山三郎両氏の対談が掲載されていた。 城山 日本の官僚は、有能であるといわれてますね。それと他国と比べて信頼度が高かったのは、何より清潔だということでした…

住専問題、の教訓

もはや食傷気味の住専問題である。こちとらが何をどう感じてようが、そんなものとはまるで関係ないところで政治ってのは動いてやがる。 あんたらのそういうやり口は確かにあんたらの位置から見える現実には有効なんだろうし、なるほど、かなりの程度間違いな…