マンガ

「貧しさ」の語られ方について――「サムライの子」をめぐる〈リアル〉の諸相

*1 ――つねにわたしたちの論拠は〈児童文学〉という限定された、しかも複雑怪奇とまでいわれるほどに特殊な分野であって、そこに生起するさまざまの事象は文学一般の概念規定とはくい違うほどに独自の、偏狭な意味内容をもつ曖昧なことばによって表現されるこ…

マンガの「危機」について

*1 ● マンガが危機? そんなもん20年も前から言われとりますがな。 『少年ジャンプ』がとうとう200万部を切った、確かに四半世紀ほど前の全盛時600万部と言われとった頃からすりゃ三分の一以下、雑誌のみならず単行本も長期低落が止まらず確かにえらいことで…

「こち亀」が愛された理由

*1 1.「こち亀」という漫画が、老若男女に愛された理由は何だと思われますか? 当初から愛されたわけでもなかったんですがね。 連載開始が1976年、当時すでに少年マンガ市場は「青年」読者を取り込みながら右肩上がりを続けて我が世の春を迎えていたとは言え…

「こち亀」終了に寄せて

通称「こち亀」。この短く端折った呼ばれ方こそが、今様読み物文芸としてのニッポンマンガの栄光である。 人気マンガ作品がこのように略して呼びならわされるようになったのは、概ね80年代末から90年代にかけて。『少年ジャンプ』の600万部以下、週刊誌での…

マンガと北海道

● 北海道とマンガ、の関係について考えてみました。これもまた「ホッカイドウ学」の一環です。 去る3月始め、『ホッカイドウ学的マンガ学夜話』と銘打って、札幌市内でトークセッションを行いました。登場してもらったのはNHKの隠れた名物番組『BSマンガ夜…

マンガと大衆文学・再考――吉田聡『江戸川キング』をめぐって

「大衆文学はある日、忽然として誕生したわけではない。それに先行するいくつかの先駆的形態をふまえている。とくに大衆時代ものは講談・人情噺・歌舞伎・祭文・あるいは近世庶民文芸などに材をあおぎ、近くは渋柿園や碧瑠璃園の歴史もの、浪六の撥鬢小説な…

「ホッカイドウ学」的 マンガ学夜話

札幌国際大学 北海道地域・観光研究センター「ホッカイドウ学」準備室Presents 「ホッカイドウ学」的 マンガ学夜話 twitterのハッシュタグは…. #mangagaku_yawa #hokkaidogaku Facebookのイベントページは… http://www.facebook.com/events/270972866304610/…

マンガと若者文化の現在

―全体として、いまマンガはどうなっているのでしょうか。 さて、全体像をとらえるというのは不可能、ちょっと誰にもとらえられませんよ。ただ一時期のような勢いはなくなっていますね。週刊マンガ誌の『少年ジャンプ』が六〇〇万部だった九〇年代からいえば…

いまどきまだ『はだしのゲン』で……

――素直に読むことだ。そして、素直に感動することだ。とってつけたような政治の言葉でそれを説明しないことだ。その時、作中人物に稚拙な政治的言葉しか語らせられない 中沢啓治のもどかしさも感じられるだろう。 呉 智英 ● 毎年、八月十五日を目がけて、わ…

解説・山野車輪『韓国のなかの日本』

山野車輪が、韓国という「現場」に降り立った。まず、そのことが今回、この彼の新しい作品について最初に語られるべきこと、なのだろう。 言うまでもなく、あの『マンガ嫌韓流』の作者である。近年ニッポン国内にはっきり宿り始めている韓国/朝鮮への違和感…

 追悼 米沢嘉博

ああ、そうか、漫画評論家、か――そう思った。米沢嘉博の訃報に接した時に、まず最初に抱いた感想はそれだった。そんな肩書きになっちゃうんだな。そうなんだ、やっぱり死ぬってのは、そういうことなんだな。 社会的立ち位置としては、コミケの主催者、という…

対談 vs. 西原理恵子「明日船を出したら」

西原理恵子という“漁師”の目線。 あるいは、オヤジの皮かぶったキンタマオンナ、のこと *1■ 二二年目の舵 ――**さんは、九三年の年末のNHK『BSブックレビュー』で、その年のベストワンに『怒濤の虫』(毎日新聞社)を挙げてらっしゃっいましたね。その他に挙…

サイバラはブンガク、か?

『ユリイカ』編集部からメイル。かなりびっくり(笑) 原稿依頼なんで、まあ、それはそれ、なんですが……その内容がこんなの。 『ユリイカ』7月号特集企画書(06/4/21) 特集*西原理恵子――うつくしいのはらを目指して 締切=5月25日 発売=6月2…

 「お芝居」のもたらした自由

「紅天女」を国立能楽堂で、新作能として上演する、という話を耳にした時、正直びっくりしました。そんなムチャクチャ……あ、いや、勇猛果敢で男前な企てを正々堂々やってのけるなんて、という素朴な驚きと共に、ああそうか、そういうこともいまや平然と現実…

解説 業田良家『世直し源さん』

● マンガは童話でなくてはならない――かつて、業田良家はそう言っていた。だが、その後何も言っていない。だから、ここであたしが勝手にその先をほどいてみる。 童話、と言い、寓話、と呼ぶ。あたしゃ民俗学者だからもっと端的に「民話」と言っちゃう。フォー…

無法松、あすなひろしの無意識をうっかりと引きずり出すこと

いや、のけぞった。めまいがした。そうか、そういうことだったのか、やっぱり、と、膝を何度も叩きまくった。 今回、あすなひろし公式サイトを管理する高橋徹さんに、この解説を書くための資料として送ってもらったコピーで初めて読んだのだが、あすなひろし…

追悼・永島慎二

おいこら、水島新司じゃないぞ、永島慎二、『ドカベン』じゃなくて『フーテン』の、『漫画家残酷物語』のダンさん、だ、気をつけろい――ネットで訃報を見て間抜けな問い合わせをしてきた若い友人にそんなオヤジ臭い説教かましたのは、こっちもそれだけトシ食…

思いっきりおおざっぱな「ラブコメ」・試論

● *1ニッポンのマンガ表現において、「少女マンガ」「少年マンガ」という分類が、事実上意味をなさなくなったのは、おおむね1980年前後のことでした。 具体的には、『タッチ』『みゆき』に代表されるあだち充の一連の作品あたりから顕著になり、高橋留美…

追悼・青木雄二という身体

● 青木雄二について述べる。 最初に会ったのは、雑誌のインタヴューだった。今は亡き『マルコポーロ』の企画。当時すでに『ナニワ金融道』が大ブレイク、あの型破りの絵とおはなしとで、小うるさい能書き並べるマンガ読みはもちろんのこと、使い捨て読みっぱ…

 マンガと「伝統」

さて、いまどきのマンガはいったいどうなっておるのか! ……なあんて見栄切ってみたところで、特に何も始まらないんですが、昨今の出版不況はマンガにもよそごとでなくて、小学館、講談社、集英社と少なくともマンガでその屋台骨を支えている版元のどこもが、…

ニッポンマンガとナショナリズム――『クニミツの政』『突撃!第二少年工科学校』

*1 マンガってのはすでにエイジカルチュア、つまりある世代にとっては重要なメディアだけれどもそれ以外にはどうも……てな代物になりつつある、というのがここのところのあたしの持論。いや、だからマンガはダメだ、って言ってるわけじゃなくて、メディアのラ…

ヤンキーマンガの〈いま・ここ〉――古沢優『東京板橋マル走自動車教習所』

今、日本全国のコンビニエンスストアで売られる雑誌や文庫本、マンガ本など、いずれ「本」の形をした商品の売り上げ全部をひっくるめた額は、全国の紀伊国屋書店全ての売り上げ額にほぼ相当するという。つまり、いわゆる書店としては大手の紀伊国屋全店の売…

山上たつひこ、の復活を望む

*1 朝日新聞が今年から始めた手塚治虫漫画賞が、ようやく第一次選考まで終わった。 選考委員が三十名という、この種の賞としては異例の多人数だったことに加えて、委員が顔を合わせて合議をせず、それぞれの推薦する作品に持ち点を配分して投票した結果を機…

つの丸『みどりのマキバオー』の断然

*1 えー、まいど、民俗学者の大月です。 このたび新しくこの『ビッグゴールド』のお座敷にお呼びがかかりました。一部では「日本一性格の悪い学者」「学者の皮をかぶったゴロツキ」、あるいは「本多勝一から中島みゆきまで、あとさき考えず噛みつく狂犬ライ…

マンガ評・唐沢なをき『電脳なをさん』(アスペクト)

唐沢なをきの新刊『電脳なをさん』(アスペクト 一六〇〇円)がいい。 もとはコンピュータ雑誌『EYE−COM』(アスキー)に連載されていた作品だが、担当編集者による巻末の解説(よくまとまっている)に「20年前の四月馬鹿に、高校の同級生ふたりが作…

手塚治虫という神話

*1 手塚治虫というと、何か“リベラル”で“民主的”な作家の代表のように取り扱われる傾向があります。特に彼が亡くなった後、雨後の筍のように出された玉石混交の「手塚本」においてその語り口はみるみる型通りのものとして形成されてゆきました。 そのような…

マンガ評・小林まこと『1・2の三四郎 2』(講談社)

歳をとる、というのは難しい。単なる年齢を加えるというだけならば、それは誰もが経験する、生き物なら逃れられぬ過程だ。しかし、うまく歳をとってゆくことは、現実はもとよりたとえ虚構の中でさえも、本当に難しい。 だが、小林まこと『1・2の三四郎2』…

大塚英志、許すまじ

大塚英志がサントリー学芸賞を受賞したという報を耳にした。しかも、こともあろうに漫画をめぐる仕事で、だ。 このような賞にまつわるあれこれを外野がガタガタ言うのは、どんな正当な理由があっても、見てくれとしてみっともいいものにはならない。ならない…

「趣味」は独裁ではない

● 昔、この国に柳田國男という名前の、とびっきり性格の悪いジイさんがいました。明治の始めに生まれ、八十八年生きて、今からちょうど三十年前の夏にくたばりました。もともとは国のお役人だったのですが、四十何歳かの時に上役と喧嘩して辞めてからは、死…