民俗学

「うた」と「うたう」の現在

「うた」というもの言いがある。 「歌」でも「唄」でもいいし、場合によっては「詠」や「謡」、「唱」なども、表記にせよニュアンス的にせよ、そのカバーする意味あいのうちに含まれてきたりする。不思議なことにそれらの一部はまた、「よむ」の方にもひっかか…

「現代文化論」のために

*1 確かに大学へ入ったはずなのに、高校あるいはそれまでの日々と何も区切りのつかない毎日をすごしていると思います。 人間、生きていればいろんなことに遭遇するものですが、あなたたちがいま、10代やそこらで遭遇しているのは、敢えて大げさに言えば「文…

「おりる」ということ――渡辺京二の方法意識について

――ひとりひとりの個の生は、こういう私化された小さな小宇宙の複合体であり、その複合体を鞏固な統一物と見せかけているものがもろもろの文化的観念的構築なのである。そして思想とは文学とはつねに、個的な日常の規定から、そのうえにそびえ立つ文化的観念…

からあげクン、と、天皇

元号が変わりました。Webを介した世間では、「退位」か「譲位」かで物議を醸したり、はたまた「上皇」をどう呼べばいいのか、「陛下」になるのかそれとも「上皇さま」でいいのか、などなどあれこれ些末な悶着が例によってメディアの舞台を反響板としながら流れてゆき…

「ムラ」と民俗誌的記述の関係について・ノート

*1 *2 ――この国の民俗学とは社会が未だ「豊かさ」が実現できない段階での学問なのであり、その意味では貧困の文化、手弁当の窮屈の中での学問だった。と同時に、「豊かさ」から疎外された恵まれない条件の下で何か知的な営みに眼を開いてしまった人間にとっ…

「馬鹿」と「純情」――山田洋次『馬鹿まるだし』と戦後の民衆的想像力における「無法松」像の変貌

*1 ――小説を映画化するということは、その小説からエッセンスだけを抽出して、そのエッセンスをもう一度、映画として豊かに再展開して行くことですから、言ってしまえば、エッセンスが濃厚でありさえすれば、原作の小説がくだらなくたってつまらなくたって失…

ホワイトイルミネーションを見ると別れる?

*1 カップルが別れるジンクス、のある名所なり観光スポットなりはすでに全国いくつもありますね。ディズニーランドや観覧車、水族館などに並んで、ホワイトイルミネーションのようなライトアップイベントもそういうスポットの割と定番みたいです。 カップル…

「貧しさ」の語られ方について――「サムライの子」をめぐる〈リアル〉の諸相

*1 ――つねにわたしたちの論拠は〈児童文学〉という限定された、しかも複雑怪奇とまでいわれるほどに特殊な分野であって、そこに生起するさまざまの事象は文学一般の概念規定とはくい違うほどに独自の、偏狭な意味内容をもつ曖昧なことばによって表現されるこ…

「残酷物語」の時代・ノート――「鼎談・残酷ということ」から

● 今から59年前、1960年8月発行の雑誌『民話』第18号に、「残酷ということ」という「鼎談」が掲載されています。*1 出席者は岡本太郎、深沢七郎、宮本常一の3人。それぞれ芸術家、作家、そして民俗学者として、その頃それぞれ話題になっていた文化人たちで…

「はなしを聴く」ことのいまどき

人さまの話を聴き、それを素材に何かものを書く。「取材」であれ「インタヴュー」であれ「聞き書き」であれ、呼び名はさまざまなれど基本的な営み自体は変わらない。もちろんそれが売文稼業のひとコマでも、はたまた何かおのれの興味関心の赴くままの道楽沙汰…

〈北〉のおはなし――〈それ以外〉の日本ということ

● 「東北」でも「北海道」でもなく、ただ〈北〉である、ということ。そんな足場を最近、特に考えるようになっています。 いま、わたしたちが普通にイメージする「日本」というのは、概ね西南日本、少なくとも中部地方より西の地域に根ざしたさまざまなものの見…

「不良」の共同性について――「隼おきん」を糸口に

*1 「僕はその頃十六であつた。丸く黒く、焼けすぎた食パンの頭みたいな顔をして、臙脂色のジヤケツを着て、ポケットに手を突つこんで、毎日街を歩いてゐた。」*2 「こういう、一体なにが本業だかわからないで、なんとなく喰えている男が、ひところ、浅草の…

「科学」と忠誠心、あるいは信心

「論文」という形式がある。いや、あるのはそんなもの知ってるしそれがどうした、なんだが、近年どうにも納得いかないのはその形式に対する忠誠心みたいなものをなんでそこまで要求されにゃならんのだろう、ということだったりする。まあ、一般的に言えば、…

「民俗」化するハロウィーン?

ハロウィーン、今年はにわかにえらいことになっていたようです。 小生の暮らす北海道は札幌では特段のこともなかったのですが、テレビその他のメディアを介して教えられる東京などでは、少し前までと違う様相を呈し始めているようでした。また、それに引きず…

そして「遺骨」は粉になる

骨を「処理」するサービスが、また一段とさまざまな形になってきているようです。骨、つまり「遺骨」のことなのですが。 人が死んで、火葬に付された遺体は遺骨になる。これまでは通常、骨壺に収めてそれを墓地に埋葬するという形が一般的だったわけですが、…

「年上」ということ――川村邦光さん「退官」に寄せて

● 川村邦光さんは、年上である。年上の、と口にして、さてそのあと何と呼べばいいのだろうとなると、そこでちと立ち止まってしまう。 学者教員研究者、いずれそんな通り一遍のラベルを貼ってすませるのをはばからせる何ものか、があるらしい。友人というほど…

書評 サトウハチロー『僕の東京地図』 (1936年 有恒社)

● 古書の書評、というのはあまり見たことがない。いや、その筋の趣味人好事家道楽者の界隈には紹介言及ひけらかしな蘊蓄沙汰はそりゃ古来各種取り揃えてあるものの、それらは概ね書評というのでもなくお互い手のこんだマウンティング、こじれた相互認証の手…

「恐妻」とその周辺・ノート 

● 「恐妻」というもの言いがあった。昨今ではもうあまり使われなくなっているようだが、敗戦後、昭和20年代半ば過ぎあたりから、当時の雑誌やラジオその他のメディアを介してある種「流行語」になっていたとされる。 この種のもの言いを糸口に何か考察を始め…

【翻訳】D.A.メッサーシュミット「手もと足もと」での人類学について――文化人類学における「自文化研究」の今日的意義

*1 Donald A. Messerschmidt On anthropology“at home” In Anthropologist at Home in North America : Methods and Issues in the Study of One's Own Society. Edited by Donald A. Messerschmidt Cambridge University Press, 1981*2 ● これまで、通過儀…

聞き書きは、なぜ「難しい」ものになってしまったのか――「聞き書き」という手法の本来的可能性についての一考察

「聞き書き」は、民俗学の主要な手法のひとつとして認識されてきた。それは近年「インタビュー」や「取材」なども含めて、オーラルヒストリーやエスノグラフィーなど、人文・社会科学系の分野での「質的研究」領域の進展と共に改めて注目されている。その「…

生活・暮し・日常――開かれた民俗学へ向けての理論的考察③

知識人や《文化》人は(どういう理由からか)日常生活は低俗なものしか提供できないと頭から固く信じている。このような確信は、あらゆる非形而上学的生活を陳腐なもの、公認されないものとして投げ捨ててしまういわゆる《実存》哲学においては、重要な役割を…

“民俗学的知性”とは何か…

頼まれたので告知。こういうセミナーにお呼ばれしました。 「“民俗学的知性”とは何か…」 コメンテーター◇川村邦光(大阪大学文学部教授) 司会◇古川武志(GCOE特任助教) 日時■9/19(月祝)15:00〜17:00 場所■大阪大学豊中キャンパス 大学教育実践センター スチュ…

民俗学的知性、について・メモ

民俗学に可能性はもうない、と言い続けて久しいわけです。 大学という場所の民俗学がキライだった、ってのもあります。アタマが悪いんですよね。人が俗物過ぎる。そのことを許容できなかった程度にこっちも若かった、ってことなんでしょうが。 自由に生きる…

ホッカイドウ学、のこと

● ホッカイドウ学、ということを考え始めました。札幌は清田区、あの羊ヶ丘の南どなり、札幌ドームともごくご近所の小さな大学で、です。 北海道学、ではなく、ホッカイドウ学、です。敢えてカタカナ表記にしてみたのは、奇を衒ったわけじゃない。小さな大学…

「学者」世間の疎ましさ・メモ

「学者」の世間の、いったい何がそこまで疎ましかったのか。 「学会」「学界」の揺籃におさまりながら、指導教員や先輩たちの視線に対してまっすぐに身構えつつ、しかし生身の自分の内側には確実にアンビシャスでもの欲しげな「功名心」の気配を満々とたたえ…

平山蘆江の不思議―― 民俗学的知性とその身体に関する一考察 

―― 一般の人は、花柳界といふ名で特殊部落のやうにかたづけ、時としてさげすみさへするし、文人たちも花柳小説と呼んで外道のやうにあつかひ、花柳界の人たち自身も弱い稼業とか、水商賣とかいふ風に、自らを卑下したがるのだが、もっと眞實に、親切に見なほ…

民俗学的思考の来歴・覚え書き――「現代民俗学」のための、迂遠な考察

――故に日本がもし今までの通りに、いくらか流行におくれつつも、真似だけはかならずする国民であるならば、これから三十年五十年の後の、学問の方向だけはおよそ予察しえられるのである。ただ大学は寺院に次いでの保守派であるから、やや余分に遅蒔きに渋々…

「丸さん」のこと

佐倉の歴博にいた頃、共同研究に加わってもらってました。もとは、北九州大に勤め始めた重信氏が「九州でオモシロい人がいる」というので、紹介してもらったのが最初だったかと。福岡市博の福間氏なども含めて、地元の若い民俗学者や歴史学者その他を従えて「…

 新たな「都鄙」「内地雑居」問題

国籍法の「改正」が国会を通過しました。何か奥深い理由でもあったのか、拙速を絵に描いたようなザル審議で、メディアも通りいっぺんの報道しかしないまま。大方は何が起こっているのかわからないかも。 「過疎」ということが言われ始めたのは高度成長期半ば…

「給仕」ということ

「書生の本領」、というのは、16年ぶりの看板である。元の連載がいつ、どこの雑誌で店開きしていたものか、は言わない。ただ、そうだよなあ、時代ってこうやって変わるんだよなあ、ということだけを、今さらながらにふと、言い添えておく。 ● 「書生」とはこ…