民俗学
● 身の回りの古本や雑本ばかりを日々めくって過ごすのが日々の営みと化してもう久しい身の上なのは、これまでも何度か触れてきた通りですが、つい先日、昔の古い本と同じように古い新聞をあさっていて、あ、かつては新聞もまた本と同じように「読む」ものだ…
● 「話術」というもの言いで、実はそれまで世間でさまざまに分節され認識されてもいたらしい「上演」の現前性を伴う多様な口頭の表現がひとくくりにされていったことについて。 それまでの生身を介した話し言葉の上演に際する身体的な技術が、個々の表現のジャ…
● 万歳三唱、がまだ生きていました。かろうじて、ではあるにせよ、でもまあ、ひとつの「かたち」としてなぞられている、その程度には。 それは、日々の暮らしの水準に降りて身の裡にまで食い込んでしまった習い性というやつは、どれだけその中身も内実も空虚…
● 「革命」という言葉が、かつてありました。いや、今もまだ「ある」と思ってはいるのですが、それはともかく。 漢字二文字で構成される単語という意味では、かの福沢諭吉とそのご一統が明治初年は文明開化の上げ潮にそれまで見慣れぬけったいな横文字を若気の…
● 立川文庫の生産点における速記の役割に着目しながら、さらに執拗にそれを微分し、「創作」の要素へと解き放ってゆくことで、猿飛佐助や霧隠才蔵など、下敷きにされていた講談・講釈由来の「おはなし」には含まれておらず、またそもそも宿りようすらなかった…
● 桃中軒雲右衛門というのは、つまり「矢沢の永ちゃん」でした。 それは、あの「矢沢の永ちゃん」、かつてキャロルの一員として本邦世間一般その他おおぜいの共同的認識において、「ロック」ないしは「ロックンロール」をおそらく初めて、この上なく具体的でわ…
● 「竹本三坑太夫が義太夫「安達ヶ原三ノ切」をうなった。酒井委員が浪花節「神崎与五郎東下り」を、上野委員が同じく「塩原孝子伝」を、目黒委員が「勇敢活発なる所の新劇浪花節」を語った。」 義太夫と浪花節、この「新劇浪花節」というのは正直、正体不明で…
● さて、話は浪曲へと赴きます。そう、あの浪曲、つまり浪花節です。*1 フシとタンカが浪花節の骨組みであるということが、これまでも言われてきました。このフシとタンカの組み合わせは、もしかしたら前回少し触れたような意味での「会話」と「地の文」に対応す…
● 性懲りも無い、手もとに散らばる古書雑書書きつけの類をあれこれついばみながらの千鳥足な道行きの日々の身の上。今日もまた、ふと目に留まったこんな断片から、身の裡にくぐもるささやかな問いの数珠つなぎのさらなる紐解きを例によって。 「地の文を三行…
● もう40年近く前、還暦直前の年回りで出張帰りの羽田空港、到着ロビーの公衆電話で「これから帰るから風呂沸かしとけ」と家に連絡した後、その場で斃れてそのまま昇天したオヤジは、いま言うところの突然死、もしかしたら過労死だったのかもしれませんが、…
● 創作物とは――小説であれ詩であれ、ひとまず文字表現としての「作品」とは、それを書いたはずの作者やその具体的な生身の存在の態様、さらに同じような位相にこちらは無慮広大な多様性と匿名性を伴って出現するはずの読者の読み方との関係その他、周囲にま…
● 「文学」とか「芸術」とか、言葉にし、口にすること自体、どうも気恥ずかしく気おくれがする。と言って、「アート」とか「クリエイティヴ」(これ、形容詞のはずが、なぜか名詞みたいに使われているようですが)とか、横文字をそのままカタカナにしてわかったよ…
● 「アニソン」というのがあります。要は、アニメ作品に付随する主題歌や挿入歌のこと。テレビであれ映画であれ、いわゆるアニメーションの映像作品に人心を集め注目を集めるためのフックとしてつけられる楽曲の総称、と言っていいでしょう。 商品音楽として…
信仰の現場 ~すっとこどっこいにヨロシク~ (星海社 e-SHINSHO)作者:ナンシー関講談社Amazon信仰の現場: すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫 な 30-3)作者:ナンシー関KADOKAWAAmazon● もともと1994年に角川書店から出されたもので、すでに30年以上前の一…
● AIだのChatGPTだの、見慣れぬアルファベットの語彙がこの自分のまわりにさえも遠慮会釈なく飛び交うようになった昨今、乗り遅れるな、これからはそういうAIの時代なんですよ、と開いた瞳孔丸出しに煽ってくれるいまどきキラキラ目線な若い衆あんちゃんお…
● あらゆる批評、評論は「二次創作」だったりもする――前回連載の末尾で自分、どうやらうっかりととんでもないことを言っていたようです。 文字を「書く」ことというのが、あれこれ〈いま・ここ〉で自ら読み直しながらの手作業であるがゆえに備わってくるらし…
● 「さうだ。私達は、酒を呑むといふと、肩を怒らせものをぶッ叩きつゝ放歌高吟した高等學校時分の習慣を、再び完全に取りもどした。左翼思想に熱中すると共に、私どもの間には飲酒高吟の風が廢れ、そのかはり、眼にものを言はせたり耳語したりすることが流…
● 本というやつ、残念ながらやはり、時代のうしろへと繰り込まれてゆきつつあるようです。 書物といい、書籍と呼び、いずれそれら漢語の画数の多い語彙にするとなおのこと、何やら重々しさも感じる字ヅラにもなるわけですが、日常的にはまず「本」、これ一発。…
● 具体的なブツとしての「本」、という話になっていたので、そのあたりからもう少し。 昨今、「本」もまた、これまでとはまたひとつ異なる形のブツになっています。いまどき流行りのもの言いで言えば「転生」でしょうか。そう、あの電子書籍というのが、すでに…
「敗戦」から79年、ざっと80年という時間が経過したことになりました。1945年から2024年――なるほど、われらが生きるこの21世紀というのは、そのように淡々と、ある種冷酷なまでに〈いま・ここ〉、であります。 この時期、毎年、新聞やテレビで「あの戦争」に関…
● 読み手であり書き手でもあるような主体、それが行なう実践としての「読む」も「書く」も、同じ生身の個体によって行なわれる営みであるがゆえに、「私」の個的なものであると同時に、「公」の社会的なものとしてもある。そして、そのような実践に際して彼なり彼…
● 「うた」は、ことば抜きに成り立ち得るものか――ああ、こういう問いはいつも、おいそれとすぐに片づけて始末してしまえるものではない分、どんなに脇の見えないところに取り置いて忘れたつもりにしていても、何かの拍子にひょい、と眼の前に転がり出てきて…
● 「書く」と「読む」、その同時進行の過程においてこの生身の裡に宿るものは、この場で縷々執着してきているような「うた」の本質および本願、言葉本来の意味での人間的な、生身を生きねばならぬ存在ゆえの営みにうっかり根をおろしているものでもある。「読む」…
● 使うべき言葉やもの言い、道具としてのそれらをひとつひとつ丁寧に意味と紐付けて「定義」してゆき、その上であたかも煉瓦やブロック、機械の部品を手順に沿って組み立ててゆく、そんな言葉の作法、少なくとも書き言葉において文章としてつむいでゆくことが…
*1 *2 長谷川伸のまわりからは、戦後の中間小説から歴史小説などの新たな読みもの文芸の市場が拡がってゆく中、何人もの書き手が巣立ち、羽ばたいていった。巷間「長谷川部屋」などとも呼ばれていたという彼のまわりの勉強会だが、のちの新鷹会、もともとは…
*1 *2● およそ「文学」と正面切って掲げられているものやこと、いや、はっきり言えばそのあたりに好んでへばりついているとしか思えないような人がたそのものもだが、いずれ、そういう界隈に縁のないまま生きてきた自分にとって、それでもなお、いいよなぁ、と…
*1 *2● 小説家が儲かった時代、というのがある。いや、あった、と過去形にした方が、すでによくなっているのかもしれないのだが。 売文渡世として書きものを換金できるようになる。それが持続して「食えるようになる」というだけでなく、まさに一攫千金、常…
*1 *2● 中山正男といっても、覚えている向きはこの令和の御代、まずないのだろう。ましてや「文学」の世間では、さらに輪をかけて見事になかったことにされているはず。事実、今回この企画で採る作品の版権処理をしてもらう過程で、この中山正男だけは著作権…
● 今こそ、ドラゴンボールを集めに行かねばならん――わが国のみならず、世界中がそう思ったようです。 鳥山明急逝の報がweb環境を介して瞬時にかけめぐりました。享年68。急性硬膜下血腫とのことでしたが、その衝撃は国内もさることながら、むしろそれ以上に…
*1 *2 ● 「掟」というと、なぜか耳もとで必ず再生される一節がある。 「光あるところに影がある…まこと、栄光の陰に数知れぬ忍者に姿があった…命を掛けて歴史を作った影の男たち…だが人よ、名を問うなかれ…闇に生まれ闇に消える…それが忍者の定めなのだ…」 む…