演劇

「馬鹿」と「純情」――山田洋次『馬鹿まるだし』と戦後の民衆的想像力における「無法松」像の変貌

*1 ――小説を映画化するということは、その小説からエッセンスだけを抽出して、そのエッセンスをもう一度、映画として豊かに再展開して行くことですから、言ってしまえば、エッセンスが濃厚でありさえすれば、原作の小説がくだらなくたってつまらなくたって失…

語られるべき「炭鉱」とは?

炭鉱は、いつも最前線でした。何の? わがニッポンの、あのとんでもない「近代」の。 鉄と石炭とが「近代」の土台を、あらゆる産業の根幹を支えていた。そんな時代、最も熱く、煮えたぎるようにならざるを得ない、身体を張った生の場所のひとつが、炭鉱でした。 …

 「お芝居」のもたらした自由

「紅天女」を国立能楽堂で、新作能として上演する、という話を耳にした時、正直びっくりしました。そんなムチャクチャ……あ、いや、勇猛果敢で男前な企てを正々堂々やってのけるなんて、という素朴な驚きと共に、ああそうか、そういうこともいまや平然と現実…