もうひとつの現実、を織り込むこと

● 19世紀末から20世紀にかけて、当時の近代化先進地域から始まった「大衆社会」へと向かってゆく様相というのは、それまでの社会にあたりまえにはらまれていた「違い」――個々の人間の持ち前の性質や体質から、その出自来歴、地縁血縁含めた逃れようのない規定要…

続・阿久悠と都倉俊一――あたらしい〈おんな・こども〉の感覚

● 阿久悠と都倉俊一の「出逢い」が、どれだけ互いに異質なもの同士の遭遇だったか。それは後世の後知恵でごくあっさり言ってしまうならば、「育ちの違い」というひとくくりな言い方に還元してしまっても、ひとまずいいようなものではありました。 だがしかし、と…

「統一協会」という名詞

ああ、「暗殺」というのが、いまや実にこういう形で、平手打ちのように不意に眼前のものになるんだ――それがまず、最初の感想でした。奈良は西大寺駅頭における、安倍元首相遭難の一件です。 手製の銃、それもひとりでこさえたものを携えて、参院選終盤のこと、…

阿久悠と都倉俊一――〈おんな・こども〉への合焦

● 前回、最後に阿久悠の名前が出たので、彼の仕事を足場にもう少し、〈おんな・こども〉の領域が「うた」とそれに伴う日常の身体性とでも言うべき領域にどのように関わってきていたのかについて、続けてみます。 阿久悠という名前は、「作詞家」という肩書きが…

世相史は、いつも後知恵で

自分の生きてある〈いま・ここ〉と地続きの時代の流れ、自分以外の他人を介してもなお未だ生身を介しての地続きではある「ほんのちょっと前」――only yesterdayな過去、いわゆる現代史、時には世相史や生活史と呼ばれもするような間尺の、それも日々の暮らし…

瞑目して「うたう」こと、の来歴

先日、ヘンな夢を見ました。ふだん、あまり夢は見ない方なのですが、だから余計に印象に残ったらしい。 手もとの紙に書かれた詩のようなものがあって、それらを実際に「うたう」ことを求められている場に自分が居合わせていて、しかもそれをカラオケのように…

更新される「ロシア」

ウクライナをめぐる事態が、この数ヶ月の世界を一気に、これまでと違うものに染め上げているような印象すらある2022年の春、です。ここは何か少しはもっともらしいことを言わねばならないのかもしれない、でもさて、敢えて言うべきことは何か。 現在、現地で…

ウクライナの「うた」、五木寛之の記憶

● いまどきの情報環境のこと、無職で隠居に等しい身の上で、外へ出て人と会う用事なども基本的になく、それこそ日々ひきこもりに等しい生活をしていても、世の動きや動静は文字に限らず画像、映像、動画に音声、いずれそれら各種「情報」として平等に、なんだ…

「みんな」と「大衆」・小考

● ラジオやレコードなど、「飛び道具」の登場してきた情報環境における「うた」の転変の周辺を、例によっての千鳥足で経巡ってきていますが、今回はちょっと迂遠な話を。それらの千鳥足の道行きの背景、書き割りの部分の整理という感じで。 「広告・宣伝」が、…

三木鶏郎にとっての「うた」の戦後

● 「広告・宣伝」に使われる音楽と、「流行歌」として半ば自然発生的な過程も含めて作られてくる音楽との間には、当時の同時代気分として大きな違いが、それなりに感知されてはいたようです。そしてまた、それらと「歌謡曲」として作られる音楽との間にも、また…

ばんえい十勝「公社化」騒動・草稿

*1 *2 去る1月27日、北海道は帯広の、ばんえい十勝・帯広競馬場で、ばんえい十勝調教師会・騎手会とばんえい競馬馬主協会が、帯広市長に対して「要望書」を手渡しました。 内容は、「ばんえい競馬の公社化に反対する」というもの。これだけでは何のことか…

「学者」って、なあに?

学者の世間離れ、というのは何も今に始まったことではありません。 一般的なイメージとしても、またある程度具体的な実態を伴った見聞、身の丈の経験値としても、いわゆる「学者」というのは「世間」「浮世」のあれこれからかけ離れた、超然とした存在という風に…

「放送」と「いなか」の耳

● 戦前の「盛り場」、それも大正末の関東大震災以降、復興してゆく東京を「尖端」として現出されていったようなあり方は、それ以前の「市」的な、どこか近世以来の歴史・民俗的な色合いに規定された賑わいとは、どこか違う空気をはらむようになっていたようで…

さまざまな「いなか」が――石原苑子『祖母から聞いた不思議な話』

twitter.com*1● 主人公というか主な語り手、主な素材供給元であるおばあちゃんは、昭和7年の生まれ。主な舞台は、岡山県北西部とおぼしき土地、おそらくは今の新見市に編入されたムラでしょうが、そういう具体的な地名もまた、まず意味がない。というか、関…

「宣伝・広告」と「放送」媒体の必然

● ラジオが「ナマ放送」であることの「臨場感」を大事にしていたこと。そしてそのような初期のラジオの媒体としての自覚が、すでに巷に出回っていたレコードを放送に乗せることをどうやら忌避していたらしいこと。 その一方で、ラジオは「家庭」というたてつ…

「古本」の記憶

● 古本とのつきあいは、それなりにある。致し方ない、それだけ無駄に長い間生きてきちまった、ということだろう、今となっては。とは言え、偉そうに言えるほどのことは何もない。 初めて古本を買ったのは――ということは古本屋に自覚的に出入りしたということ…

ラジオと臨場性、そして「家庭」

● 初期のラジオはレコードを使って放送することを避けていたらしい、それはなぜか、という話からもう少し続けてみます。 ラジオ(当時は「ラヂヲ」という表記だった)という新しいメディア――いや、ここは敢えて「媒体」と漢字にしておきましょう、なんでもかん…

街に流れるうた、の転変

● 「世相」というのはいつも眼前を通り過ぎてゆくものであり、だからよほど意識しておかないことにはそれと気がつかないし、だから書き留められ「記録」になることもない――〈いま・ここ〉というのは常にそんなもの、です。 だからこそ、日々の暮しは必ずそれ…

自民党総裁選タウンミーティング雑感

自民党の総裁選挙が決着しました。地方の一般党員票も含めた1回目の投票で決着がつかず、国会議員(と地方県連)による決選投票の結果、岸田文雄前政調会長が新たに自民党総裁に選出された、というのはご案内の通りです。 総裁選が単に一政党のものだけではな…

ラジオドラマのモダニズム&アメリカニズム

● 改めて言うまでもない、「うた」が生身に宿る、それは人間にとって自然な感情表現のひとつのかたちでした。おそらくそれは、時代の違いや文化、民族の差などを超えた人間本来、天然の本質といったところがあったはずです。 ただ、それが人の耳と口を介して…

【改稿分】TOKYO2020の見せた「希望」

*1 *2 ● 「老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他おお…

TOKYO2020の見せた「希望」

*1 *2 ● 「老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他おお…

「わたしにもできる」ということ

www.youtube.com● 「わたしにも写せます」というフレーズを、おぼろげながらも自分ごとの見聞として覚えている向きは、ゆるく見積ったとしてもいまやもう50代も後半以上、まずは還暦超えた年寄り世代ということになるのでしょう。いまどきの若い衆世代の語彙…

五輪の「教訓」

*1 sports.nhk.or.jp sports.nhk.or.jp おい、マリオやドラえもんどころか、ポケモンもニンジャもアキラのバイクも出てこんかったじゃないか!――終わったばかりのオリンピックのまずは私的な印象です。 個々の競技や選手の手柄は全部措いておきます。開催す…

広告・童謡・歌謡曲

● 流行歌の歌詞を作るということが、世間一般その他おおぜいにとってのわかりやすい「一発当てる」という夢の依代になっていたこと。特に稽古をしたり、師匠や先生について修行を積んだりすることをしなくても、またそのための特別な道具をそろえたりするこ…

「作詞家」になりたい

● 敗戦直後、『夢とおもかげ』所収の論考において、南博が正当にも言及していた「大衆娯楽」の「産業構造」の部分への視線は、その後の彼ら思想の科学研究会の進路はもとより、「戦後」の過程における本邦日本語環境での人文社会系自体の脈絡においても、それほ…

対談・朝倉喬司・頌

*1 現代書館から『朝倉喬司芸能論集成』が刊行された。ルポライター・朝倉喬司氏(1943~2010)の芸能関係の文章を集めた968頁の大著である。刊行を機に、編集委員会のメンバーである、株式会社出版人代表の今井照容氏、民俗学者の大月隆寛氏に対談してもら…

『夢とおもかげ』の時代

敗戦後、流行歌は世相と結びつけられ、語られるようになりました、それまで以上にあたりまえに。「歌は世につれ、世は歌につれ」というあの有名なもの言いも、玉置宏が自分の番組で使い始めたのが、一説には昭和33年とか。この「世相」と「流行歌」の関係があた…

馬の頭を蹴った、から始まること

馬の頭を蹴った、という些細なできことから、ちょっと騒動が出来しています。北海道は帯広、ばんえい競馬の競馬場でのことです。 ばんえい競馬というのは、普通の競馬と異なり、サラブレッドの倍ほどある体重1トンにもなる重種馬たちが鉄製のそりを「輓曳」…

本邦いまどきの「ポリコレ」・考

● 明らかに何かがおかしい。いや、前からおかしくなってきているのは確かでしたが、ここにきてまたそれが一段と加速、もはや何か取り返しのつかないところにまで事態の底が抜けて、見渡す限り何やら煮崩れ始めたような印象です。 他でもない、昨今「ポリコレ…