映画・映像

読み書きと「わかる」の転変

● 最近、おそらくは老化がらみでもあるだろう事案ですが、あれ、これはひょっとしたらヤバいかも、と思っていることのひとつに、「横書き」の日本語文章が読みにくくなっているかもしれないこと、があります。 いや、読むのは読めるんだけれども、腰を据えて…

「美術」「芸術」から「コンテンツ」へ至る道行き

● 期せずして無職隠居渡世に突然なってしまったことで、それまで気になっていてもなかなかあらたまって読むこともできなかったような分野の本――もちろん古書雑書ですが、これもまあ、ある種の怪我の功名というのか、日々の仕事にまぎれて敷居の高かったそれ…

「音楽」の転生・転変、その現在―「NOT OK」からの不思議

● 同時代のうた、眼前の〈いま・ここ〉に流れている最新の、いや、そうでなくても、ある程度いま、商業音楽として市場に流通しているいまどき流行りの楽曲に、おのれの耳もココロも反応しにくくなってしまうことは、加齢の必然と半ばあきらめてしまっていま…

文字/活字の〈リアル〉視聴覚系の〈リアル〉

● そう言えば、 「盛り場」という言い方も、最近はあまりされなくなったようです。 飲み食いから夜は酒やオンナなども、そしてそれに伴いさまざまな興行もの、その時その場所での「上演」を属性とするような「消費」が、場合によっては24時間体制ですら準備され…

「娯楽」と「ジャーナリズム」の関係、その他

● かつて――と、もう言ってしまっていいのでしょう、「アカデミズムとジャーナリズム」という対比で語られるのがあたりまえに「そういうもの」だった、そんな言語空間と情報環境が本邦の〈いま・ここ〉にありました。 それがもう「かつて」と呼んで構わない程…

「視聴覚文化論」、その未発の可能性

● 視覚と聴覚、という話から、もう少し続けてみます。情報環境の遷移とその裡に宿っていった生身の意識や感覚について、情報化社会と視聴覚文化、といった補助線から、例によっての千鳥足でゆるゆると。 情報化社会を語ることは、映像情報の大量化を語ること…

「視覚の優越」と「耳の快楽」

● とある体育系の某教員談。授業で身体動かすBGMに嵐のオルゴール曲を流してたら、学生が「センセ、嵐の声聞きた~い」と言ってきた由。 歌詞を、ではなく、だから「ことば」ではない。あくまでも「声」、音響としての音声を聴かせて欲しい、という意味らし…

「無法松の一生」のこと

*1 先日、三浦小太郎さんが、かつて自分の書いた「無法松の影」という本をとりあげて、えらくほめてくださっていたんですが、それを受ける形で、今日はその素材になった「無法松の一生」の話をしろ、ということなので、少しお話しさせていただきます。 というの…

記録する情熱と「おはなし」の関係

● わだかまっていた厄介事に、とりあえずの決着がつきました。 とは言えその間、2年9ヶ月という時間が、それもおのれの還暦60代という人生終盤、予期せぬめぐりあわせの裡に過ぎ去っていました。 大学という日々の勤めの場が、たとえ北辺のやくたいもない…

耳の〈リアル〉と「事実」の関係

● 大正12年の秋、というと、あの関東大震災が起きた年の、まさにちょうどその頃、ということになります。ただし、これは被災地東京ではなく大阪でのこと。当時、朝日新聞社企画部にいた高尾楓蔭が、ひとりのアメリカ人を会社に連れてきました。この高尾楓蔭…

「団塊の世代」と「全共闘」㉚ ――吉本信者への違和感、草の根の共産党員のこと

――思想なり発言なりに何らかの抵抗値が設定されてないと、その輪郭も自覚できないままってところはありますね。あたしが年来便利に使っている「あと出しジャンケン保守」というもの言いと同じことで。福田恒存や江藤淳がかつて、ああいう論陣を張っていたの…

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1 *2●教養願望とオタク的情報量の集積 ――でも今、浅田彰や宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。 それは、教養になり得ていないんだよ。 ――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほん…

「馬鹿」と「純情」――山田洋次『馬鹿まるだし』と戦後の民衆的想像力における「無法松」像の変貌

*1 ――小説を映画化するということは、その小説からエッセンスだけを抽出して、そのエッセンスをもう一度、映画として豊かに再展開して行くことですから、言ってしまえば、エッセンスが濃厚でありさえすれば、原作の小説がくだらなくたってつまらなくたって失…

「貧しさ」の語られ方について――「サムライの子」をめぐる〈リアル〉の諸相

*1 ――つねにわたしたちの論拠は〈児童文学〉という限定された、しかも複雑怪奇とまでいわれるほどに特殊な分野であって、そこに生起するさまざまの事象は文学一般の概念規定とはくい違うほどに独自の、偏狭な意味内容をもつ曖昧なことばによって表現されるこ…

山田洋次の「晩節」

*1 ――ぼく自身、大衆の側に立って映画を作りたい。それを忘れたから、だんだん映画というものをみんなが見なくなったのじゃないか、と思っています。ぼくは、そういう立場で映画を作り続けたい、と思っている人間だし。 ――貧乏に耐えて、歯を食いしばって一…

ソクーロフ『太陽』の〈リアル〉

*1 ● ロシア、おそるべし、である。〈リアル〉を作り出すそのブンカ的腕力、未だ健在なり、だ。 社会主義リアリズム、と、かつては言った。今も言うのか? とにかく、社会主義と〈リアル〉とは手に手をとって、映画だの芝居だのブンガクだの、いずれゲージュ…

松本竜介=チャボ、逝く(草稿)

松本竜介が逝った。享年四九歳。脳溢血で倒れて一週間ほど。いまのお笑いブームではない、かつてのMANZAIブームの頃の紳助・竜介のはじけ方を同時代で知っている者にとっては、やはりある種の感慨がある。 漫才コンビ紳・竜の当時の姿は、逝去を機にい…

『たそがれ清兵衛』・考

時代劇がいま、静かに広く、そして深く、ニッポンの同時代精神に浸透し始めています。 いまさら何を、と言われるかも知れません。けれども、嘘じゃない。小説や読み物といった活字の表現は言うに及ばず、テレビドラマからマンガや映画などに至るまで、時代劇…

書評&追悼・『いつだって一期一会――テレビカメラマン新沼隆朗』

どういう具合に取り上げようかと、柄にもなく逡巡していた本がある。 400字書評でやるのももったいないし、何より抱き合わせで引き立つその他の本もなかなかない。特集でやらせてもらっている民俗学概論大月流の方で、とも思ったけれども、それだと本自体の…

異なる水準の言葉の連携、そして、社会・歴史像の転換

■「情報環境」という問いが今、必要な理由 くだらないこと、ささやかなこと、とるにたらないことがただそのようなものとして充満している「日常」を、構築的にではなく記述的にとらえる態度が、果たしてどのようにこの島国に棲みついた人々の意識の歴史の上…

「研究」という名の神――あるいは、「好きなもの」の消息について

「人の作りだした? あの時南極で拾ったものをただコピーしただけじゃないの。オリジナルが聞いてあきれるわ」 「ただのコピーとは違うわ。人の意志が込められているものよ」 ――第20話「心のかたち、人のかたち」 ● おそらく、『新世紀エヴァンゲリオン』…

「久米調」の未来

テレビのニュース番組で、キャスターが何か事件を伝えたその後にちょろっと何かコメントをつける、というスタイルがあります。それはキャスター個人のコメントであるようで、しかし実はそうでもないようで、という微妙なあたりを一発で狙い撃ちするのがまさ…

「エヴァ」というできごと

『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメがあります。 一昨年秋から昨年にかけてテレビ東京系列で放映され、後半、物語の異様なまでの混乱も含めて爆発的な人気を呼びました。その後、ビデオやレーザーディスクになったものも驚異的な売り上げを示し、来春に…

斎藤龍鳳

*1 「ルポルタージュ」とか「ノンフィクション」とか呼ばれる表現領域の、その文体がどのように構成されてきたのか、ということについて考える時、僕はことさらに斉藤龍鳳の仕事を引用することがある。今どきの大学生はもちろんのこと、同年代のもの書き稼業…

徳川夢声

*1 「ムセイ老」と呼ばれていた。まだ若い頃からだ。 「老」と呼ばれてしまうようなタチの奴が、たとえば学校の同級生といった広がりに、必ずひとりいる。ジジむさい、というわけでもないのだけれども、何か達観したような、その程度にはもののわかったよう…

どうして「現場」へ行きたがる?――キャスターたちの「現場」

阪神大震災の報道を見ていて思ったことはいくつかあるが、まず不思議だったのは、どうしてニュースキャスターたちが先を争って現地へ行かねばならないのだろう、ということだった。いきなり「温泉場のようです」と馬鹿な第一声をやった筑紫哲也を初めとして…

それは「詐欺師」ではなかったりする、かも知れない

*1 思い込みのはげしい人、というのがいる。 それも自分ひとりでクラく閉じながら思い込むのでなく、他人との関係の中で明るく開きながらまっすぐ思い込んでゆく。何と言えばいいのか、そんな“全方位全天候型万能社交人”とでも言うしかないようなタチの人間…

貘与太平。“思想なき気質”の全力疾走。

「トスキナア」というオペラが上演されている。場所は東京、浅草は観音劇場。時は大正八年の春。遠い、しかし〈いま・ここ〉の僕たちと地続きの昔だ。 逆さに読めば「アナキスト」。スリが役所公認の稼業になり、赤い帽子に青いマント、免許を懐におおっぴら…

園井恵子、三十三年の夢。ただし、その他おおぜいの。

*1 大正の始め、夏空の広がる八月六日の昼下がり、岩手県はなだらかに広がる岩手山のふもと、松尾村というところにひとりの女の子が生まれた。名前は袴田トミ。父清吉はもともと養蚕をやっていたが、彼女が生まれた時の稼業は和菓子屋。母カメは時の村長の長…

インタヴュー・渡辺文樹

● いきなり眼の前に現われた渡辺文樹は、入口からのっしのっしと大股で近ずいてきた。そして、大きな声でお国なまりの挨拶一発。 「いやぁ、遠いところわざわざ来てもらって、悪かったねぇ」 福島市内、小さいけれども去年建ったばかりとかでまだ真新しい映…