歴史

「隠し芸」の射程、繋がってゆく力

● 「竹本三坑太夫が義太夫「安達ヶ原三ノ切」をうなった。酒井委員が浪花節「神崎与五郎東下り」を、上野委員が同じく「塩原孝子伝」を、目黒委員が「勇敢活発なる所の新劇浪花節」を語った。」 義太夫と浪花節、この「新劇浪花節」というのは正直、正体不明で…

フシとタンカの〈リアル〉

● さて、話は浪曲へと赴きます。そう、あの浪曲、つまり浪花節です。*1 フシとタンカが浪花節の骨組みであるということが、これまでも言われてきました。このフシとタンカの組み合わせは、もしかしたら前回少し触れたような意味での「会話」と「地の文」に対応す…

「会話」と「地の文」の相克、その転変

● 性懲りも無い、手もとに散らばる古書雑書書きつけの類をあれこれついばみながらの千鳥足な道行きの日々の身の上。今日もまた、ふと目に留まったこんな断片から、身の裡にくぐもるささやかな問いの数珠つなぎのさらなる紐解きを例によって。 「地の文を三行…

汝、「読む」を武器とせよ

● 創作物とは――小説であれ詩であれ、ひとまず文字表現としての「作品」とは、それを書いたはずの作者やその具体的な生身の存在の態様、さらに同じような位相にこちらは無慮広大な多様性と匿名性を伴って出現するはずの読者の読み方との関係その他、周囲にま…

「情緒」と「情調」のあいだ

● 「文学」とか「芸術」とか、言葉にし、口にすること自体、どうも気恥ずかしく気おくれがする。と言って、「アート」とか「クリエイティヴ」(これ、形容詞のはずが、なぜか名詞みたいに使われているようですが)とか、横文字をそのままカタカナにしてわかったよ…

「読む」「書く」のあるべき帰郷

● AIだのChatGPTだの、見慣れぬアルファベットの語彙がこの自分のまわりにさえも遠慮会釈なく飛び交うようになった昨今、乗り遅れるな、これからはそういうAIの時代なんですよ、と開いた瞳孔丸出しに煽ってくれるいまどきキラキラ目線な若い衆あんちゃんお…

「論壇」と「文壇」の来歴

● あらゆる批評、評論は「二次創作」だったりもする――前回連載の末尾で自分、どうやらうっかりととんでもないことを言っていたようです。 文字を「書く」ことというのが、あれこれ〈いま・ここ〉で自ら読み直しながらの手作業であるがゆえに備わってくるらし…

「批評」にも「うた」は封じ込められていた

● 「『大衆文藝』とは人間の娯楽を取扱ふ文学ではない、人間の娯楽として取扱はれる文学である。文学を娯楽の一形式としようと企画するなら、今日の如く直接な生理的娯楽の充満する世に、人間感情を一たん文学に回収して後、文字によつて人間感情の錯覚を起…

「高歌放吟」と「蛮声」の共同性

● 「さうだ。私達は、酒を呑むといふと、肩を怒らせものをぶッ叩きつゝ放歌高吟した高等學校時分の習慣を、再び完全に取りもどした。左翼思想に熱中すると共に、私どもの間には飲酒高吟の風が廢れ、そのかはり、眼にものを言はせたり耳語したりすることが流…

「コスパ」と「タイパ」、集中と持続そして反復

● 本というやつ、残念ながらやはり、時代のうしろへと繰り込まれてゆきつつあるようです。 書物といい、書籍と呼び、いずれそれら漢語の画数の多い語彙にするとなおのこと、何やら重々しさも感じる字ヅラにもなるわけですが、日常的にはまず「本」、これ一発。…

「あの戦争」の引き継ぎ方

「敗戦」から79年、ざっと80年という時間が経過したことになりました。1945年から2024年――なるほど、われらが生きるこの21世紀というのは、そのように淡々と、ある種冷酷なまでに〈いま・ここ〉、であります。 この時期、毎年、新聞やテレビで「あの戦争」に関…

アクチュアリティとリアリティ、そして〈リアル〉

● 読み手であり書き手でもあるような主体、それが行なう実践としての「読む」も「書く」も、同じ生身の個体によって行なわれる営みであるがゆえに、「私」の個的なものであると同時に、「公」の社会的なものとしてもある。そして、そのような実践に際して彼なり彼…

そして「読み書き」も「上演」をはらむ

● 「うた」は、ことば抜きに成り立ち得るものか――ああ、こういう問いはいつも、おいそれとすぐに片づけて始末してしまえるものではない分、どんなに脇の見えないところに取り置いて忘れたつもりにしていても、何かの拍子にひょい、と眼の前に転がり出てきて…

「上演」であること、その来歴

● 「書く」と「読む」、その同時進行の過程においてこの生身の裡に宿るものは、この場で縷々執着してきているような「うた」の本質および本願、言葉本来の意味での人間的な、生身を生きねばならぬ存在ゆえの営みにうっかり根をおろしているものでもある。「読む」…

解説・村上元三「ひとり狼」

*1 *2 長谷川伸のまわりからは、戦後の中間小説から歴史小説などの新たな読みもの文芸の市場が拡がってゆく中、何人もの書き手が巣立ち、羽ばたいていった。巷間「長谷川部屋」などとも呼ばれていたという彼のまわりの勉強会だが、のちの新鷹会、もともとは…

解説・富士正晴「童貞」

*1 *2● 書き手としての富士正晴というのも、これまた、なかなかに好もしい。いや、それどころではない、すさまじく、かつ手に負えない。それでいながら、なお好もしい。そういう書き手は、いや、ほんとうに稀有なのだ。 男の側から性欲というものを言語化し…

解説・藤原審爾「安五郎出世」

*1 *2● 小説家が儲かった時代、というのがある。いや、あった、と過去形にした方が、すでによくなっているのかもしれないのだが。 売文渡世として書きものを換金できるようになる。それが持続して「食えるようになる」というだけでなく、まさに一攫千金、常…

鳥山明逝去、に寄す

● 今こそ、ドラゴンボールを集めに行かねばならん――わが国のみならず、世界中がそう思ったようです。 鳥山明急逝の報がweb環境を介して瞬時にかけめぐりました。享年68。急性硬膜下血腫とのことでしたが、その衝撃は国内もさることながら、むしろそれ以上に…

「詩」とは、あたりまえに「うた」であった

● 前回、「美術」「芸術」に対して、ずっと抱いていた敷居の高さのようなものについて、少し触れました。せっかくなので、そのへんからもう少し、身近な問いをほどきながら続けてみます。 あらためて思い返してみれば、同じような敷居の高さ、距離感といったも…

「美術」「芸術」から「コンテンツ」へ至る道行き

● 期せずして無職隠居渡世に突然なってしまったことで、それまで気になっていてもなかなかあらたまって読むこともできなかったような分野の本――もちろん古書雑書ですが、これもまあ、ある種の怪我の功名というのか、日々の仕事にまぎれて敷居の高かったそれ…

「音楽」の転生・転変、その現在―「NOT OK」からの不思議

● 同時代のうた、眼前の〈いま・ここ〉に流れている最新の、いや、そうでなくても、ある程度いま、商業音楽として市場に流通しているいまどき流行りの楽曲に、おのれの耳もココロも反応しにくくなってしまうことは、加齢の必然と半ばあきらめてしまっていま…

鼻歌、ということ

● 鼻歌をうたう、という身ぶり、あるいは日常生活上のちょっとした癖みたいなものでしょうか、いずれにせよ、そういうしぐさもまた、昨今見かけなくなったもののひとつかも知れません。 たとえば、『あたしンち』という、けらえいこのマンガに出てくるおかあ…

「孤立」とうた、自意識の解き放たれ方

● 歌は世につれ、世は歌につれ、というもの言い、玉置宏の発案と言われてますが、その真偽はともかく、そこで言われているような、世の中と「うた」とが自明にがっちりからみあい、共に存在するという認識自体、もしかしたらすでに静かに歴史の向こう側に退…

「上げ馬神事はかわいそう」一辺倒に疑問 

*1 元競走馬に約2メートルの土壁を駆け上がらせる三重県桑名市の「上げ馬神事」について、動物愛護法違反の疑いがあるとして6月、県警に刑事告発された。 5月の神事で1頭の馬が脚を骨折し、その後殺処分とされたことなどからSNS上で批判が噴出。奉納先の多度…

文字/活字の〈リアル〉視聴覚系の〈リアル〉

● そう言えば、 「盛り場」という言い方も、最近はあまりされなくなったようです。 飲み食いから夜は酒やオンナなども、そしてそれに伴いさまざまな興行もの、その時その場所での「上演」を属性とするような「消費」が、場合によっては24時間体制ですら準備され…

「娯楽」と「ジャーナリズム」の関係、その他

● かつて――と、もう言ってしまっていいのでしょう、「アカデミズムとジャーナリズム」という対比で語られるのがあたりまえに「そういうもの」だった、そんな言語空間と情報環境が本邦の〈いま・ここ〉にありました。 それがもう「かつて」と呼んで構わない程…

「無法松の一生」のこと

*1 先日、三浦小太郎さんが、かつて自分の書いた「無法松の影」という本をとりあげて、えらくほめてくださっていたんですが、それを受ける形で、今日はその素材になった「無法松の一生」の話をしろ、ということなので、少しお話しさせていただきます。 というの…

「恐妻」とその周辺・ノート 

● 「恐妻」というもの言いがあった。昨今ではもうあまり使われなくなっているようだが、敗戦後、昭和20年代半ば過ぎあたりから、当時の雑誌やラジオその他のメディアを介してある種「流行語」になっていたとされる。 この種のもの言いを糸口に何か考察を始め…

「ホッカイドウ学」ことはじめ ――北海道はどのように語られてきたのか、から始める学問

1.「ホッカイドウ学」の試み 「ホッカイドウ学」ということを、大学で考え始めました。 北海道学、ではなく、ホッカイドウ学、です。この道民カレッジは「ほっかいどう学」とひらがな表記のようですが、こちらは敢えてカタカナ表記。小さな大学であることを…

忘れられたもうひとつの馬、そして競馬――坑内馬、アラブ競馬、他

● 坑道を石炭はこびつつおもよせて いななき交わすよごれ馬はも 死にてより時はすぐれど馬小屋に なほ棄てられしよごれ馬はも 死馬のあたまおしさげ小台車に 馬蹄ははこぶつば吐きつつ *1 明治末から大正初期にかけて、雑誌『アララギ』に投稿された山口好と…