世相

「国際情勢」を語る話法、その静かな変貌

一時期、やたら取り沙汰され、とにかく理屈抜きにいいもの、正しい方向として喧伝されてきていた、あの「国際化」とか「グローバル化」といったもの言い、スローガンも、さすがにもう胡散臭いものというイメージがつきまとうようになってきたかも知れません。…

読み書きと「わかる」の転変

● 最近、おそらくは老化がらみでもあるだろう事案ですが、あれ、これはひょっとしたらヤバいかも、と思っていることのひとつに、「横書き」の日本語文章が読みにくくなっているかもしれないこと、があります。 いや、読むのは読めるんだけれども、腰を据えて…

八代亜紀「うたに感情を込めない」、のこと

*1 *2● 1月10日のスポーツ紙朝刊、八代亜紀の訃報が、まるで阪神優勝の勢いで特大の色刷り活字の見出しの乱れ打ちと共に右へならえ、横並びの潔さで躍っていました。 ああ、それほどまでに、本邦スポーツ紙の想定読者層にとっての八代亜紀、いや、より丁寧に…

「音楽」の転生・転変、その現在―「NOT OK」からの不思議

● 同時代のうた、眼前の〈いま・ここ〉に流れている最新の、いや、そうでなくても、ある程度いま、商業音楽として市場に流通しているいまどき流行りの楽曲に、おのれの耳もココロも反応しにくくなってしまうことは、加齢の必然と半ばあきらめてしまっていま…

Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……④ 仕事の世界

仕事の世界 「俺たちが組合を持ってるってのは、クソみてェにいいことさ」 ――『オアシス』に来る大工の弁 ● はじめに 歴史的に言って、西欧社会においては人生の中心は仕事であった。その自己イメージと、その地域での地位双方は、どれだけ稼ぐかにかかって…

Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……③ 居酒屋と街とセンセイ

居酒屋と街とセンセイ 「『オアシス』であんたはいつだって楽しい時を過ごせるってわけだ」 ――『オアシス』の常連の弁 ● 居酒屋 『オアシス』はご近所のための居酒屋ではない。その客たちは歩いてではなくクルマでやってくる。彼らのうちの何人かは数マイル…

Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……② はじめに

はじめに 「おれたちゃあんたのことを、ポリ公にしちゃいいヤツだ、と思ってたんだぜ」 ――筆者についての『オアシス』の常連の弁 社会、とりわけ複雑で多様な合衆国のような社会においては、社会の異なった切片を記録し、分析することは重要な作業である。こ…

Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……① まえがき

Blue Collar Aristocrats Life Styles at a Working C作者:Lemasters, E. E.University of Wisconsin PressAmazon まずは、例によっての言い訳から。 翻訳を引き受けたものの、なんだかんだで延々お手玉せざるを得なくなり……あ、いや、正直に言えば、ただた…

「生きもの」を扱う仕事、のこと

● 「生きもの」を扱う仕事というのが、世の中にはあります。というか、あたりまえにありました、少し前まで、ある時期までは。 「生きもの」というと、身近なところだと犬や猫、昨今は兎やハムスターなども含めた、いわゆるペットとくくられる小さな動物を、人…

「孤立」とうた、自意識の解き放たれ方

● 歌は世につれ、世は歌につれ、というもの言い、玉置宏の発案と言われてますが、その真偽はともかく、そこで言われているような、世の中と「うた」とが自明にがっちりからみあい、共に存在するという認識自体、もしかしたらすでに静かに歴史の向こう側に退…

「上げ馬神事はかわいそう」一辺倒に疑問 

*1 元競走馬に約2メートルの土壁を駆け上がらせる三重県桑名市の「上げ馬神事」について、動物愛護法違反の疑いがあるとして6月、県警に刑事告発された。 5月の神事で1頭の馬が脚を骨折し、その後殺処分とされたことなどからSNS上で批判が噴出。奉納先の多度…

「上げ馬神事」の事故について・雑感

*1● 馬を2mほどの高さの、ほとんど「壁」に等しいところ駆け上がらせる。というよりも、人間たちがまわりで寄ってたかって囃し立て、無理にでも押し上げるのが見せ場になっているという神事が、警察に告発されたという件について、言っておかねばならないこと…

「視聴覚文化論」、その未発の可能性

● 視覚と聴覚、という話から、もう少し続けてみます。情報環境の遷移とその裡に宿っていった生身の意識や感覚について、情報化社会と視聴覚文化、といった補助線から、例によっての千鳥足でゆるゆると。 情報化社会を語ることは、映像情報の大量化を語ること…

「視覚の優越」と「耳の快楽」

● とある体育系の某教員談。授業で身体動かすBGMに嵐のオルゴール曲を流してたら、学生が「センセ、嵐の声聞きた~い」と言ってきた由。 歌詞を、ではなく、だから「ことば」ではない。あくまでも「声」、音響としての音声を聴かせて欲しい、という意味らし…

記録する情熱と「おはなし」の関係

● わだかまっていた厄介事に、とりあえずの決着がつきました。 とは言えその間、2年9ヶ月という時間が、それもおのれの還暦60代という人生終盤、予期せぬめぐりあわせの裡に過ぎ去っていました。 大学という日々の勤めの場が、たとえ北辺のやくたいもない…

留学生の不適切入試の疑いで混乱する札幌国際大学

田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)から、札幌国際大学の留学生をめぐるワヤについての部分。取材を受けたし、また内容の細部についての説明やコメントもした。自分自身の書いた仕事ではないが、札幌国際大学問題についての一連のエントリー関連という…

「団塊の世代」と「全共闘」・余滴②――呉智英かく語りき・断片

● 創価学会 創価学会は危険な組織か、とよく議論されるけど、創価学会に対して自由に批判があり得るうちは、さほど危険ではないと私は思ってる。この場合の批判というのは、何も高尚でお上品なものだけではなくて、野次や嘲笑、罵倒なんかも含めてのことだけ…

耳の〈リアル〉と「事実」の関係

● 大正12年の秋、というと、あの関東大震災が起きた年の、まさにちょうどその頃、ということになります。ただし、これは被災地東京ではなく大阪でのこと。当時、朝日新聞社企画部にいた高尾楓蔭が、ひとりのアメリカ人を会社に連れてきました。この高尾楓蔭…

「団塊の世代」と「全共闘」㉜ ――大江健三郎、高橋和巳

●大江健三郎 ――三島なんかとは格が違うとは思うんですが、未だに朝日新聞以下、後がなくなってるリベラル陣営の守護神というか貧乏神みたいになっている、大江健三郎はどうでしたか? 大江健三郎は、私たちの頃は尊敬の対象ではなかったし、私も大江健三郎を…

「団塊の世代」と「全共闘」㉛ ――三島由紀夫、連合赤軍、「学生」の東と西

●三島由紀夫 ――あと、呉智英さんの世代、いや、もう少し下まで含めていいと思いますが、吉本と共に三島の影響ってのも大きいことに驚くんですよ。あたしらにとっちゃ、少なくとも同時代の印象としては、単に自衛隊に突入して腹切っちゃったヘンな作家、程度…

「団塊の世代」と「全共闘」㉚ ――吉本信者への違和感、草の根の共産党員のこと

――思想なり発言なりに何らかの抵抗値が設定されてないと、その輪郭も自覚できないままってところはありますね。あたしが年来便利に使っている「あと出しジャンケン保守」というもの言いと同じことで。福田恒存や江藤淳がかつて、ああいう論陣を張っていたの…

「団塊の世代」と「全共闘」㉙ ――本音と建前、二分法の前景化

――「国家」ってのがもうあらかじめそんなに大変な争点になってた、ってことなんでしょうね。で、そんなものは崩壊する、死滅する、というのが理想郷である、と。なんというか、ラスボスとしての「国家」を想定してそれを倒すことが正義、というのは、まず想…

「団塊の世代」と「全共闘」㉖ ――「大学」の衰退、戦後の終焉の風景

●大学という場の磁力、日本人の退嬰化 ――大学自体、そういう「教養」をわが身に紐付けて形成してゆくような教育を、最近はもうしていませんし。 そう、ただ昔から大学は、そういう教育をしていたとしても、それは一般的な教養教育にすぎないんであって、制度が…

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1 *2●教養願望とオタク的情報量の集積 ――でも今、浅田彰や宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。 それは、教養になり得ていないんだよ。 ――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほん…

「団塊の世代」と「全共闘」㉓ ――快適なシングルライフ、の尖兵

●快適なシングルライフ ひとり者=シングルの始まりは団塊世代か、ということについて、友人の山口文憲が『団塊ひとりぼっち』という本で書いていた。これはさっきちょっと触れた七○年以降の社会インフラの整備と関係することだけど、地域の共同体は崩壊して…

「団塊の世代」と「全共闘」㉒ ――オトコとオンナ、自慰の暗闇、処女性の霹靂

◎男と女、自慰の暗闇 処女性の霹靂 ――「婚前交渉」と同じように、当時はオナニーも問題になったでしょ。自慰、マスターベーション、ですが。 もちろん、問題になった。私の世代では、小・中学校の頃、オナニーは変態扱いだったね。 ――うわ……いきなり「変態」…

続・阿久悠と都倉俊一――あたらしい〈おんな・こども〉の感覚

● 阿久悠と都倉俊一の「出逢い」が、どれだけ互いに異質なもの同士の遭遇だったか。それは後世の後知恵でごくあっさり言ってしまうならば、「育ちの違い」というひとくくりな言い方に還元してしまっても、ひとまずいいようなものではありました。 だがしかし、と…

「統一協会」という名詞

ああ、「暗殺」というのが、いまや実にこういう形で、平手打ちのように不意に眼前のものになるんだ――それがまず、最初の感想でした。奈良は西大寺駅頭における、安倍元首相遭難の一件です。 手製の銃、それもひとりでこさえたものを携えて、参院選終盤のこと、…

阿久悠と都倉俊一――〈おんな・こども〉への合焦

● 前回、最後に阿久悠の名前が出たので、彼の仕事を足場にもう少し、〈おんな・こども〉の領域が「うた」とそれに伴う日常の身体性とでも言うべき領域にどのように関わってきていたのかについて、続けてみます。 阿久悠という名前は、「作詞家」という肩書きが…

世相史は、いつも後知恵で

自分の生きてある〈いま・ここ〉と地続きの時代の流れ、自分以外の他人を介してもなお未だ生身を介しての地続きではある「ほんのちょっと前」――only yesterdayな過去、いわゆる現代史、時には世相史や生活史と呼ばれもするような間尺の、それも日々の暮らし…