音楽

続・阿久悠と都倉俊一――あたらしい〈おんな・こども〉の感覚

● 阿久悠と都倉俊一の「出逢い」が、どれだけ互いに異質なもの同士の遭遇だったか。それは後世の後知恵でごくあっさり言ってしまうならば、「育ちの違い」というひとくくりな言い方に還元してしまっても、ひとまずいいようなものではありました。 だがしかし、と…

阿久悠と都倉俊一――〈おんな・こども〉への合焦

● 前回、最後に阿久悠の名前が出たので、彼の仕事を足場にもう少し、〈おんな・こども〉の領域が「うた」とそれに伴う日常の身体性とでも言うべき領域にどのように関わってきていたのかについて、続けてみます。 阿久悠という名前は、「作詞家」という肩書きが…

世相史は、いつも後知恵で

自分の生きてある〈いま・ここ〉と地続きの時代の流れ、自分以外の他人を介してもなお未だ生身を介しての地続きではある「ほんのちょっと前」――only yesterdayな過去、いわゆる現代史、時には世相史や生活史と呼ばれもするような間尺の、それも日々の暮らし…

瞑目して「うたう」こと、の来歴

先日、ヘンな夢を見ました。ふだん、あまり夢は見ない方なのですが、だから余計に印象に残ったらしい。 手もとの紙に書かれた詩のようなものがあって、それらを実際に「うたう」ことを求められている場に自分が居合わせていて、しかもそれをカラオケのように…

ウクライナの「うた」、五木寛之の記憶

● いまどきの情報環境のこと、無職で隠居に等しい身の上で、外へ出て人と会う用事なども基本的になく、それこそ日々ひきこもりに等しい生活をしていても、世の動きや動静は文字に限らず画像、映像、動画に音声、いずれそれら各種「情報」として平等に、なんだ…

三木鶏郎にとっての「うた」の戦後

● 「広告・宣伝」に使われる音楽と、「流行歌」として半ば自然発生的な過程も含めて作られてくる音楽との間には、当時の同時代気分として大きな違いが、それなりに感知されてはいたようです。そしてまた、それらと「歌謡曲」として作られる音楽との間にも、また…

「放送」と「いなか」の耳

● 戦前の「盛り場」、それも大正末の関東大震災以降、復興してゆく東京を「尖端」として現出されていったようなあり方は、それ以前の「市」的な、どこか近世以来の歴史・民俗的な色合いに規定された賑わいとは、どこか違う空気をはらむようになっていたようで…

ラジオと臨場性、そして「家庭」

● 初期のラジオはレコードを使って放送することを避けていたらしい、それはなぜか、という話からもう少し続けてみます。 ラジオ(当時は「ラヂヲ」という表記だった)という新しいメディア――いや、ここは敢えて「媒体」と漢字にしておきましょう、なんでもかん…

街に流れるうた、の転変

● 「世相」というのはいつも眼前を通り過ぎてゆくものであり、だからよほど意識しておかないことにはそれと気がつかないし、だから書き留められ「記録」になることもない――〈いま・ここ〉というのは常にそんなもの、です。 だからこそ、日々の暮しは必ずそれ…

ラジオドラマのモダニズム&アメリカニズム

● 改めて言うまでもない、「うた」が生身に宿る、それは人間にとって自然な感情表現のひとつのかたちでした。おそらくそれは、時代の違いや文化、民族の差などを超えた人間本来、天然の本質といったところがあったはずです。 ただ、それが人の耳と口を介して…

「わたしにもできる」ということ

www.youtube.com● 「わたしにも写せます」というフレーズを、おぼろげながらも自分ごとの見聞として覚えている向きは、ゆるく見積ったとしてもいまやもう50代も後半以上、まずは還暦超えた年寄り世代ということになるのでしょう。いまどきの若い衆世代の語彙…

広告・童謡・歌謡曲

● 流行歌の歌詞を作るということが、世間一般その他おおぜいにとってのわかりやすい「一発当てる」という夢の依代になっていたこと。特に稽古をしたり、師匠や先生について修行を積んだりすることをしなくても、またそのための特別な道具をそろえたりするこ…

「作詞家」になりたい

● 敗戦直後、『夢とおもかげ』所収の論考において、南博が正当にも言及していた「大衆娯楽」の「産業構造」の部分への視線は、その後の彼ら思想の科学研究会の進路はもとより、「戦後」の過程における本邦日本語環境での人文社会系自体の脈絡においても、それほ…

対談・朝倉喬司・頌

*1 現代書館から『朝倉喬司芸能論集成』が刊行された。ルポライター・朝倉喬司氏(1943~2010)の芸能関係の文章を集めた968頁の大著である。刊行を機に、編集委員会のメンバーである、株式会社出版人代表の今井照容氏、民俗学者の大月隆寛氏に対談してもら…

『夢とおもかげ』の時代

敗戦後、流行歌は世相と結びつけられ、語られるようになりました、それまで以上にあたりまえに。「歌は世につれ、世は歌につれ」というあの有名なもの言いも、玉置宏が自分の番組で使い始めたのが、一説には昭和33年とか。この「世相」と「流行歌」の関係があた…

「作詞家」と「作詞」の今昔

● 「作詞家」という肩書きも、もうあまり見かけなくなった。 いや、商売としては現存しているのだろうが、それが仕事の肩書きとして眼に触れる機会が少なくなったというだけのことなのか。web検索を叩いてみると、それら「作詞家」志望をあてこんだとおぼしきサ…

「歌謡」と「曲」の来歴

● 戦前、ざっと大正末期から昭和初期にかけて、「童謡」と「民謡」はうっかり隣り合わせになり始めていた。そこでは「童」と「民」、つまり「子ども」と「民衆」≒普通の人々が、共に「謡」≒「うた」を媒介としながら、文字・活字ベースの情報環境で編制された〈知…

「小唄」ということ

小唄、というもの言いがある。 学術的な定義その他についてはあれこれ沙汰あれど、とりあえず自分ひとりにとってなじみがあるとすれば、いわゆる流行歌の中の「●●小唄」。やはり大正末年から昭和初期、震災後に流行ったと言われる新たな小唄、改めて「小唄」…

「うた」と言葉について

「木綿のハンカチーフ」にしても「ウエディング・ベル」にしても、未だそこまで自分の内面、やくたいもないこのココロの銀幕に鮮烈な印象を残しているらしいのは、単にその「歌詞」、言葉としてそこで歌われている言葉の意味内容においてだけでなく、それが具…

「カバー」ということ

「カバー」という言い方がある。特に音楽の、個々のうたや楽曲について言われるようになった印象ではある。元のうたや楽曲があって、それを元の歌い手やバンドとは別の人が歌ったり演奏したりする、そのことをさして言う言い方ではある、一応のところは。辞書…

「うた」と「うたう」の現在

「うた」というもの言いがある。 「歌」でも「唄」でもいいし、場合によっては「詠」や「謡」、「唱」なども、表記にせよニュアンス的にせよ、そのカバーする意味あいのうちに含まれてきたりする。不思議なことにそれらの一部はまた、「よむ」の方にもひっかか…

書評・中村とうよう『雑音だらけのラヴソング』(ミュージック・マガジン社)

雑音だらけのラヴソング (とうようズコレクション)作者:中村 とうようミュージックマガジンAmazon 音楽を語る、論ずる、という作法が衰退して久しい。 音楽だけじゃない。映画やマンガ、いやいや、見たり聞いたり読んだりしたら何か能書きを言いたくなる表現…

忘れられた「タフ (tough)」――浪曲と日本の近代

*1● 浪曲は忘れられた芸能です。 今日、日本人のほとんどは浪曲のことを知りません。若い世代はもちろん、大人でさえも浪曲のことを忘れています。浪曲のことを話して、あるなつかしさと共に応えてくれるのは、70代から上の老人たちばかりです。かつてはど…

書評・湯浅 学『人情山脈の逆襲』(BIプレス)

人情山脈の逆襲作者:湯浅 学ブルースインターアクションズAmazon ベースはひとまず音楽。ロックからブルースとR&Bへと黒くなり、同時にインディーズ系へも淫していった経緯が推測される。これにお笑いと芸能とプロスポーツ。さらにマンガや映画やアートや…

CD市場、退潮の気配

SWEET 19 BLUESアーティスト:安室奈美恵エイベックストラックスAmazon この不景気な時代にわが世の春を謳歌しているかに思われている音楽CDの売り上げだが、どうやらこれがひと頃に比べて落ち込み始めたという噂が飛び交うようになっている。 「アムラー」…

安室奈美恵というフォークロア

● 安室奈美恵のニューアルバム『SWEET19BLUES』のセールスは、五〇〇万枚を突破しそうな勢いという。五〇〇万枚。見当すらつかないが、ひとまず豪気な話だ。 だが、商品音楽の市場がこういうとんでもない広がりを獲得し始めたのは何も今始まった…

CD評・広沢虎造『広沢虎造浪曲全集――清水次郎長伝』(コロンビア COCF-13516〜23)

石松三十石船道中 本座村為五郎 荒神山の血煙り(一)(二) 荒神山の血煙り(三)(四) 大瀬の半五郎(一)(二) 大瀬の半五郎(三)(四) 大瀬の半五郎(五)(六) 大瀬の半五郎(七) 清水の三下奴(一) 清水の三下奴(二)(三) CD化がまず手柄だ。CD…

どこかの誰かと“デキる”力を宿せる場

*1 民俗学者という看板を出して世渡りしている以上、これはもう避けられないこととあきらめているが、こいつは絶対にこの「祭り」というやつに何かひとくさり能書きを言えるはずだ、という世間の視線に遭遇することが多い。これが実に困る。 専門的には「民…

野放しの「趣味」のたよりなさ――尾崎豊「一周忌」、その他

*1 ● 先日、尾崎豊の一周忌にあたってさまざまな催しがあったらしい。お定まりの追悼集会はもちろん、酩酊状態で素っ裸の彼が庭先で倒れた民家にまでファンが押しかけたというし、墓地は墓地で今や半ば名所化しているという。 ただ、自称ファン、あるいはそ…

「歴史」をほどく耳――解説・平岡正明『耳の快楽』

*1 平岡正明オン・エア 耳の快楽作者:平岡 正明メディア: 単行本 初対面は品川駅の構内、京急デパートの一角にある喫茶店だった。慶応の学園祭でのDJ形式の講演会の評を、仲間うちに向けた小さなニューズレターに書いた。それをどこからか手に入れた『サン…