「和解」のご報告、ご挨拶

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 札幌国際大学人文学部教授の大月隆寛です。

 2020年6月29日に大学から不当な懲戒解雇を受けたことで、裁判に訴えて争っていた一件ですが、昨年暮れ12月27日に、札幌高等裁判所において「和解」が成立いたしました。

 ch桜北海道でも速報でお知らせしましたし、また、北海道新聞や朝日、毎日、読売の主要新聞、また、共同通信経由で全国の地方紙などにも報道されましたので、すでにご存知の向きも多いと思いますが、3年と6ヶ月にわたる長い期間、仮処分申請から一審地方裁判所での審理から判決、その後、判決を不服とした大学側の控訴を受けての二審高等裁判所での控訴審の経緯などを、随時折りに触れて、いかに大学側が不当な処分を行ってきたか、その前提としてどのような問題があったのか、などについて、訴える場を設けていただいたch桜北海道とその視聴者のみなさんに対しては、速報だけでなく、あらためてお礼とご挨拶の場を設けねばならないと思い、今日、このような場を作っていただきました。

 あらためて、長い間、陰に陽にさまざまに関心を持っていただき、支援や励ましの言葉などをいただいたことを、心からお礼を申し上げます。

 速報でも触れたように、和解内容、および和解に至る過程については口外しないこと、という項目が和解条項に含まれており、詳細はお話しできません。ただ、自分としては満足とまでは言い難いものの、地方裁判所での一審の判決内容や、控訴審となった高等裁判所でのこれまでの審理の経緯、さらに、すでに3年6ヶ月という長い時間をかけての係争になっていること、また、どちらにしてもこの3月末で正規の定年期日を迎えることになるという事情などを踏まえれば、現時点ではそれなりに納得のできる内容だと判断し、和解に同意したと思っていただいて構いません。

 あのいきなりの「懲戒解雇」以来、すでに3年6ヶ月もの時間がたち、当時大学に在籍していた学生たちのほとんどは卒業していなくなり、また、教職員も多くが入れ替わっていて、あの頃、学内で何が起こっていたかを知る者ももう少なくなっています。さらに、当時自分が在籍していた学科さえもその後いきなり廃止され、現在はその清算の最後の段階にあるようです。それでも、当時、学長としてこの留学生入試をめぐる問題に全力であたられていた城後豊さんの名誉の実質的な回復という意味でも、この和解は意義があると思いますし、また、自分ごととしても、これで長い間大学の研究室等に置かれたままだった本や資料などをようやく手に取ることができ、大学教員としての自分のささやかな経歴の最後の後始末のための3ヶ月という時間ができたことについて、ひとまず喜んでおくことにします。

 もともと、定員充足率を満たすために、日本語能力の明らかに足りない外国人留学生を不適切な方法で入学させ始めていた、それを問題視した当時の城後豊学長以下、自分も含めた学内教員らが何とか学内で事態の改善をはかろうとしていたところ、大学側かそれらに耳を貸さなかったばかりか、逆に一方的なやり方で城後学長を事実上解任に等しい形で追放し、それらの動きに同調していたという理由で自分をいきなり懲戒解雇処分にしたというのが、事件のおよその経緯でした。

 一審の地裁判決の内容は、自分に対する懲戒解雇は不法なものであり、定年まで大学教員としての地位にあることを認めるという、実質的に全面勝訴に等しいものでした。また、裁判の中で、大学側の行っていた外国人留学生の選抜の現状についてはできる限り明らかにし、公益法人である大学としていかに不適切なものであったかを証拠と共に示したつもりですので、興味関心のおありの方は、裁判資料を閲覧していただければと思います。これは、決してこの大学だけでなく、日本全国の大学、特に地方の中小の私立大学、さらには専門学校などでも未だに構造的に行われていることであり、また、昨今問題化してきた海外からの移民や技能実習生など、外国人を受け入れようとするわれわれの国のやり方に、法律や制度についてどのような穴や漏れがあり、またそれらを逆手にとって悪用しようとする向きもあれこれ跋扈しているのか、あらためて考えようとする上でひとつの足場になる事案だと思います。

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 それらとは少し別な角度から、ひとつ言い添えておきたいこともあります。

 それは、労働問題という角度から見た場合、今回のこの自分の懲戒解雇のような明らかに不当で、手続きすら無視したやり方がまかり通るようになっている、そしてそれに対する異議申し立てや抵抗が現場からできにくくなっている、そのことです。

 自分が懲戒解雇という処分を喰いそうになった時、明らかにそれを目的とした委員会がお手盛りで組織された時も、同じ大学の中で、それはいくらなんでもおかしいだろう、という声を共にあげてくれる人は、正直、ほとんどいなかった。それどころか、おそらく指名されて仕方なく、だったのかもしれません、その委員会に唯々諾々と加わる人すらいた。ヘタに声をあげれば今度は自分が同じような攻撃対象になる、だから何もできない――人の気持ちとしてはそんなものでしょうし、それはわからないでもない。でも、人として通すべきスジ、守るべき一線というのも、同じく人の気持ちとしてあるべきだろうし、またそれらもなくなったら、そもそもその「人」の部分、生身で共に同じ仕事の場に活きているということの手ざわりすらも、なかったことになってしまうでしょう。

 むしろ大学の外、直接に関係の無いところにいる人たちから、素朴に「それはおかしい」という声があげられました。ch桜北海道もそのひとつでしたが、最も当事者として利害関係のある立場の人たちは沈黙したままで、それらから一歩はずれたところにいる立場の人たちほど、素直に素朴に「おかしい」が言える――決して表立って目に見えるものではなくても、そのような「良き観客」というものの存在を思いました。

 「観客民主主義」ということをだいぶ前に、自分は提示したことがあります。何か社会的な問題やおかしいと思うことがある、それに対して具体的な運動やムーヴメントを起こしてアピールし、政治の局面に持ち出して事態を改善してゆく――そのようなやり方こそが「正しい」もので正統的なものだ、という考え方が、これまでの社会運動にはありました。

 それに対して、まわりから傍観する、見ている、見てあれこれ取り沙汰し、好き勝手なことを言う、言わば野次馬であり無責任な観客にすぎないわけですが、でも、そのような「観客」でしかない立場に中に何らかの「責任」を伴うような仕組みを宿してゆくことが、メディアの発達によって情報環境が大きくかわってしまった昨今の社会状況においては必要なんじゃないか――ざっとそのような道筋で「良き観客」ということを、それら単なる野次馬でない、責任ある観客意識といったものが、いまの日本のような社会における「民主主義」があり得るとしたら、ひとつ積極的に評価し、考えられねばならないんじゃないか。

 「良き観客」は常に名無しです、匿名のその他大勢です。でも、そのその名無しのその他おおぜいのそれぞれが、あれこれ好き勝手なことを感じて口にし、またやりとりしあうことが、いまの情報環境では以前と比較にならないくらい可視化されるようになっています。いわゆるSNSなどがその強力なツールになっていますし、またそれを支えるスマホその他のデバイスと通信環境についても、同様です。

 「民意」というのは、いまやそのような匿名で名無しのその他おおぜいである「観客」の中の「良き観客」という意識を継続して持てる部分に、相当担保されざるを得なくなっているらしい。それはもちろん不定形でとりとめなくて、容易に把握したり捕捉したり、数字や形としてとらまえにくいものですが、でも、確かにそれはあるらしい。

 今回、はからずもこのようなもらい事故のような裁判沙汰に捲き込まれた自分にとって、直接に何か見えるものでもなく、具体的に助けてくれるものでもないそれら「良き観客」としか言いようのない人たちからの、さまざまな前向きな意志や励ましの表明は、何かそういうこれまでとは違う種類の「民主主義的空間」の手ざわりを、やはり感じさせてくれるものでした。

 昨日、3年6ヶ月と1ヶ月ぶりに大学の構内に立ち入ることが出来ました。ほったらかしになっていた研究室その他の本や資料にも再会できました。3月末の定年期日までにこれらもどこかに搬出して片づけねばならない大仕事が残っているのですが、まあ、それでも、この先どれくらい生き延びられるかわかりませんが、ざっと上限で20年として、その間まだ何らかの仕事が自分なりにできるのならば、その道行きでの手助けをしてくれそうなそれら雑書古書がらくたの類を少しずつ整理しながら、どこかにまとめて持ち出して残りの人生、つきあうことができるようにしたいと思っています。

*1:ch桜北海道、放送用草稿。