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「きみはリベラルだから」
そう面と向かって言われたのは、「保守」論壇の重鎮と目されていた御仁から。その頃勤めていた大学、というか研究所を辞めて、入れ替わりに加わっていた、とある団体を理不尽に追い出されることを申し渡されようとする現場で、その団体のボスだったその人から直接言われたのですから、まあ、ちょっと忘れられぬ思ひ出ではあり。*1
所属している組織や集団から理不尽に追い出される、という仕打ちは、その後20年ほどたって、その後新たにもぐりこんでしばらく身を落ち着けていた小さな大学から、今度はさらに「懲戒解雇」という金看板だか刺青だかまでご丁寧にも背負わされてもう一度がっつり喰わされることになるのですが、それはまた別の話。*2
とは言え、つらつら思い返してみれば、そうだ、そんな風に腰おろしてひと息ついていた場所から理不尽に追い立てられ、放り出されるといった事態は、これまで70年近く生きてきて、それなりに結構な回数、自分ごととして遭遇してきているような。
こういう仕打ち、昨今は「キャンセル・カルチャー」などと呼ばれるようです。
「「社会的に容認されない言動を行った」とみなされた個人が、「社会正義」を理由に法律に基づかない形で排斥・追放されたり解雇されたりする社会的制裁の文化のこと」(Wikipediaより)
まあ、こんな感じの例によってもっともらしい定義沙汰が、すでにこってりついてまわっています。これを振りかざして気に入らない相手を正義ごかしにレッテル貼って居場所を失わせてゆくという南蛮渡来のバテレンの秘法としてある種の界隈中心に持ち回られているようではありますが、なに、偉そうにしたところで早い話が、いじめ、シカト、ハブり、のこと。いにしえの言語空間の語彙ならパージ、粛清、シベリア送り、ポスモ風味だと第三項排除、何でもいいですが、つまりはざっくりそういう種類の人の世にありがちなけったくそ悪い仕打ちではあります。そんな陳腐で月並みな人でなしの手口が「文化」とまで装われて正当化されているのだから始末が悪い。まあ、実際のところはというと、いきなり「なかったことにされる」から始まったりするのですが、なるほど、そういう意味でなら恥ずかしながら自分などはこの「キャンセル」されることについての経験値をこれまであんな職場、そんな現場で相当に積み上げてきていたらしい。だって、どんな場所であっても、どんな人がたとどんな仕事をしていたとしても、結局最後はいつも必ずそんなもん、だったのですから。

無職老害隠居脳の繰り言などどうでもいい。君はリベラルだからこの場にいるべきではない――つまり、追い出されること、「キャンセル」される理由として「リベラル」と言われた、まずはその話です。

それまでそんな風に自分のことを考えたことは、正直あまりなかったし、また語彙としてもそこまで立ち止まって吟味してみることもなかった。通り一遍、教科書的な理解としての自由主義という程度の、それ以上でも以下でもない認識で過ごしていたのですが、それが他でもないこのおのが身の属性として対面で指摘され、しかも、だからここから追い出すのだ、という理由づけとして使われていたからこそ、このシーン、それなりに鮮烈な印象を残してくれていたのでありました。
この「リベラル」、昨今ではまたひとつあれこれ紆余曲折を経て、かつての左翼や進歩的思想信条のなれの果てとして融通無碍に使い回されるようにもなっている。前回取り上げた「インテリ」「知識人」と同じような、もとの定義沙汰などどこ吹く風で、手にして使い回す際の気分次第の何でもありに意味や内実を盛り込んでも構わない、だからどんどん漠然とふくらんでゆくばかりで、いまや誰もが眼にし耳にするようになっているけれども言葉としては何も確かな意味を担わせることのできない、まあ、ざっとそんな空虚で頼りない語彙にすでになっています。
思えば、もう30年近く前になる。東西を隔てていたベルリンの壁にうっかり風穴があいてしまい、それ以来ドミノ倒しに続いたいわゆる冷戦構造の崩壊。それによって、それまでそれなりにくっきりと二分法で理解されていた右と左、右翼と左翼、保守と革新、東と西、社会主義と資本主義、統制経済と市場経済、これまた何でもいいですが、いずれそういう政治的イデオロギーをものさしにしたあっちとこっち、敵味方の色分けの図式が、一朝にして「そういうもの」という自明の前提で使いにくくなった。特に、程度や文脈、濃淡の違いなど事情は種々あったにせよ、それなりに自他共に認められていた「左翼」という立ち位置は、ソ連という一方の親玉を軸にした世界のありようが目の前でみるみる煮崩れバラバラになっていったことで、それまでのように脳天気かつ考えなしに標榜してゆくことがさすがにしにくくなってしまった――前世紀の末、90年代から今世紀の初めにかけての時期、本邦の言語空間に起こっていた事態は、およそそんなものではありました。


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本当ならそこで、その「そういうもの」と化して昨日まで自らの身の裡にあった認識枠そのものをあらためて取り出し、おのが思考の俎板の上に置いて、眼前の激しくうつろいゆく現実とつきあわせつつ、さて、これにどのように手を入れ、必要ならバージョンアップしてゆけばいいのか、まずは謙虚に自省し、つぶさに言語化して考えようとする、それこそが〈知〉の側にあることを前向きに標榜してきた者の矜持であり本領、そしてスジの通し方であったはず、でした。しかし、残念ながらどうやら事態はそのようには転変してゆけなかった。
もはや、のほほんと「左翼」でござい、と収まったままではいられない。その存在理由の根幹にあったマルクス主義という教義をいきなり全否定するわけにもゆかないけれども、しかしだからと言って、そうはっきり表明することはどうも時局柄後ろめたいし、何より世間体がよろしくない。なので、ひとまず別の看板にすり替えて世の眼を欺き、姑息に当座をしのごうとした。その際、たまたま便利に拾われてしまったもの言いが、この「リベラル」だったようです。*3
「リベラル、というもの言いは、未だによく使われる。進歩派とか良識派、というのはさすがにもう古色蒼然、まして自由と民主主義を正面から唱えてみせるには、昨今その対極にあったはずの社会主義や共産主義の類があまりにグズグズになり過ぎてしまった。思想や信条の対抗軸がぼやけて見えなくなってしまった現在、党派であれ個人であれ、その拠って立つ立場というやつを説明し、説得してゆこうとする場合のもの言いの不定型さというやつは、戦後六十年あまりの経験の中でも、思えばかなりめんどくさく、また厄介な状況を生み出してきている。」(拙稿「「リベラル」考」2006年)*4
そう言えば、「ラディカル」というもの言いも、それよりさらにまたふた昔ほど前、60年代の終わり頃から70年代あたりにかけて、ちょっと流行った時期がありました。
実際、その頃書かれたもの、とりわけ思想や批評、評論といった分野に関わるものの中には、何かというとこの「ラディカル」が顔を出してきます。人により、また版元や媒体にもより一概には言えないものの、何かその当時、同時代的な価値観や美意識がその一点に集中している重心のように扱われていたらしい。何というか、あれこれ面倒を一気にすっ飛ばして早上がりしてしまえる呪文のように、熱っぽい昂揚感と共に使い回されていたりする気配。時には、とにかくその「ラディカル」という言葉を使ってみたいがために、そういう気分にうまくなじみそうな理屈や能書きをあれこれ拾ってかき集めて見てくれ体裁を整えました、といった物件さえあったりする。
「60年代後半における世界的規模でのラディカリズムの登場は、われわれに、世界文化大革命の開始を告げ知らせた。それは〈戦後〉の構造的ナショナリズムの世界体制に対する、ラディカリズムの挑戦であった。(…)ラディカリズムがラディクス(根底)からの変革であるならば、それはラディクスそのものの止揚でなければならない。すなわち(農耕的あるいは工業的を問わず)労働からの解放。しかしこれはユートピアにすぎない。われわれの現存において、根拠の止揚を妨げる具体的条件性としてのスタイルとモード(ナショナリズムの二「要因」)を、解体の対象として提示することができないなら、ラディカリズムはアナキズムとして、ヘーゲル主義=スターリニズムの補完物となる。」
今から半世紀と5年前、1971年に書かれたものからですが、書き手の固有名詞はこの際どうでもいい。ここで「ラディカル」は「イズム」として紹介され、ナショナリズムやアナキズム、スターリニズムなどと同じ種類の乾いた文字列に組み込まれています。その意味で、まずは論理的で知的であろうとする、そんな純粋まっすぐな主体によって編制されている文章というわけですが、しかし、このような生硬な思想沙汰のお堅い装いから、「ラディカル」は自在にひとり歩きを始め、場と機会に応じて多様な意味を自在に詰め込まれ得る、今で言うバズ・ワードへとうっかり昇華されてゆきます。
「リベラル」同様、この「ラディカル」もまた、もとは「根源的に」といった程度の何でもない普通の語彙のはずでした。けれども、時代の気分に波乗りしてうっかり広く使い回されるようになったもの言いの常、そんなもとの意味などとうにぶっちぎって、「過激」で「戦闘的」で「破壊的」な事柄やできごと一般から、はねっかえりの型破りな行為や若気の至りで短慮な暴れっぷりの形容としてまでも、大方は前向きで好意的な意味で便利に使い回されるようになっていたようです。

そのように言葉本来の意味や内実に対して使い回される文脈が野放図に多様化し拡散させられることで、その言葉を手にして使う側の意識もまた、言葉を手もと足もとで制御してゆけるだけの輪郭のぼやけたものになってゆき、〈知〉を担保し得る主体としてはみるみる擦り切れてゆく。生身の自分と、便利に使いまわしているつもりの言葉との間が気づかぬうちに乖離してゆき、そうこうするうちそれら言葉の側でだけ互いに勝手な連携を始めて社会的な意味を構築するようになり、ある閾値を越えるとその構築された社会的な意味を後ろ楯にした言葉の側から逆にこちらが便利に使い回されるような本末転倒の事態が公然化すらして……あれ? これって昨今のAIをめぐる状況とも何やら既視感が、といういらぬ枝葉も繁ってゆきそうな。*5
ともあれ、「左翼」を「リベラル」と雑にすり替えて当面の難局をやりすごそうとするような、言葉本来の意味での自由主義ベースの「教養」――それこそが「リベラル」という語彙の初発の内実だったはずなのですが、そのような認識からすれば無惨な煮崩れ棚落ち頽廃に他ならぬ知的な横着がおおっぴらに、恥知らずにまかりとおるようになっていった事情というのも、すでにそれ以前、「ラディカル」をめぐって起こってもいたような、大衆社会化をそれまでと異なる位相へ遷移させることを可能としていった情報環境の変貌とそれに伴う言語空間の変質に関わるものだったようです。
「「リベラル」というもの言いも時代によってかなり中身が変わってきてますが、昨今使われるような罵倒語侮蔑語としてのそれは、先に言った「戦後」の言語空間で醸成されてきた、閉じられた場での「正義」がそのまま温存され腐敗しきった現状に対してのものだと思います。学校やメディア、ある種の役所などもそうでしょうが、そういう限られた場に潮だまりのように残った「戦後」価値観の煮詰まった果て、という感じですね。」*6

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でも、これは「リベラル」が悪いんじゃない。たまたま「リベラル」という語彙が気の毒な役回りをわかりやすく振られてしまっただけのこと。言葉自体に罪はない。
およそ言葉一般、少なくとも本邦日本語を母語とする環境における言語空間と同時代の情報環境の複合において、すでにその頃、そのような言葉と自分、生身を背負った「個」としての輪郭ある主体という自意識との間の落ち着いた意味を介した関係をさまざまに紡いでいた回路はズタズタに切断されつつありました。それはある意味で社会に余白が――ほどいて言うなら表立って流通する言葉と意味の水準に収納されきることのできない〈それ以外〉の部分が見失われ「なかったこと」にされてゆき、一律に概ね「学校」的な空間の側に呑み込まれ、結果として「公共」的なるものごとフラットに再編制されてゆく過程だったと共に、社会的な資源であり、またそれを統合してゆく本質的な媒体でもあるはずの言葉というインフラが流通する環境自体から変貌してゆくさらに大文字の過程でもありました。
由来、左翼と言えばやたらめんどくさい論争沙汰がつきもので、それはそれでまた別の難儀な性癖でした。それは一方では、それだけ言葉と現実との紐付け具合に考えなしの前のめりに熱中してゆくような純朴でおバカな主体のありようがあたりまえになっていたがゆえでもあったのですが、しかし、いずれそのような思想と主体、ものを考えることと自分自身の存在理由との緊密な関係といった約束ごとまでが、単に言葉としての「左翼」が色褪せてすすけたものになったというだけでなく、その背後の生身のありようの変質などまでもひっくるめて、冷戦構造崩壊の頃にはもうすでに希薄になっていたようです。
同時代の同じ過程の裡にある以上、マルクス主義(的なるもの、も含めて)を良くも悪くもそのたてつけの、大黒柱とまでゆかずともまずは基本的な構造を支える太めな柱のひとつとして頼りにもして持ち回ってきた明治このかたの本邦「教養」の、それを引き受けるだけの生身の主体もまたうっかりと劣化、空洞化してしまっていた。だから、「ラディカル」、つまり根源的かつ本質的に事態と向かい合い格闘してゆくという、めんどくさくも純朴でおバカな態度もまた支えられなくなった。全て等しく意味がない、と嗤い飛ばすことがとにかく正義となった「相対主義」と「軽チャー」の時代の到来。あらゆる選択肢が目の前に広げられ、どれもお好み次第に選ぶことができる、と誰もが平等に思えるようになった「豊かさ」の果実。ああ、そうだ、本来は「生産」と併せ技で論じられるものだったはずの「消費」が、その縁を勝手に切って、ひとりどんどん空中浮遊していったのも同じ頃でしたっけ。*7
「ある時期以降、メディアの舞台で流通する「左翼」的もの言いというのは、まず背景に実存の伴わないコピーライティングのようなもので、書いたりしゃべったりしている当人にしても深く考え抜いた上のことなどでなく、単に「そういうものだから」というだけで習い性としてやっている程度のこと、それには間違いなく世代性も介在している、そういう意味です。」

自由主義であり個人主義でもある、本邦文脈ではそれこそ大正期の一部にようやく胚胎したような概ね西欧由来のものの見方や考え方、それが本来の「リベラル」の最大公約数な内実だったはずです。その後、昭和初期あたりからは北米アメリカ経由の大々的な工業化によるケタ違いの生産力に起因する大衆社会化を介した新たなバージョンも合流し、さらに敗戦後の占領政策による社会文化的な土壌改良を奇貨として一気にまた増幅、「戦後」の言語空間と情報環境、そして高度経済成長でブーストされた「豊かさ」をエンジンとして、それまでのような選ばれた一部の特権的な遊民層、知識人や文化人層だけでなく、世間一般その他おおぜいの水準まで広く含めて浸透していった、そんなある心の習慣であり、案外余力のあった「豊かさ」まかせにうっかり「そういうもの」の自明性にまで日常化、透明化していった価値観や美意識なども含めたありよう。
「なるほど、学校とその延長線上に連なる空間で、世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説というのは、まあ、必須でした。少なくとも、ある時期までは確実に。世間から、言い換えれば通俗のまかり通る場所から良くも悪くも隔離され、別天地として約束ごとが設定されていた「学校」、およびその係累の場であるマスコミ周辺などにおいては、そのような世渡り作法は長い間温存されていました。それは、実利があればこそ温存されていたわけで、そのようなサヨク/リベラル系言説を身につけておけば、ひとまずいらぬ摩擦や軋轢を回避しながら、あたかも超伝導のようにあらかじめ設定されたチューブの中を滑走してゆくことができる、そういう実利をもたらしてくれるものでした。」(拙稿「「論壇」の行き着く先」、2009年)
言葉というのは、辞書的な定義やあたりまえの意味を穏やかに収納し、時間空間を越えて保存してくれるお行儀の良い道具というだけではありませんでした。本質的にその場だけ、放たれてははかなく消えて行く話し言葉でなく、何らかかたちになり残されてゆく書き言葉の文字や活字であっても、それが同時代を生きる生身らが求めて紡いだものである以上、たとえ見てくれは一見フラットで平板な、はい、こちとら印刷物でござい、という顔でたたずんではいても、こちらからきちんと「読む」を介して切実なナマの関係を繋ぐことができれば、その背後にじっとひそんでいた同時代的な躍動や闊達、かつて生きてそこにいた生身たちのまとっていた生の気配すら〈いま・ここ〉に召喚することもできる、そんな動態的で融通無碍な「動く」メディア。たとえ「書かれた」言葉であってさえも、その本質としては話し言葉であり、生身を介して〈いま・ここ〉で発声され、音や呂律を伴いその場に放たれてゆく「話され/語られ」、時に「うたわれる」ものであるような、そのように何ものかを再び〈いま・ここ〉に召喚するための触媒としての、この言葉というやつのもうひとつの相貌。
はじめの一歩、初発の時点で、およそ表現へと向かわされるものは、常に身の裡であらかじめ理路整然と整えられたものとして始まっているはずもなく、言葉へと至る以前の何ものか、現前化を求めてこの身の裡に確かにうごめいているあやふやでかたちにならない領分も含めてのことであり、それは単に自分ひとりだけでなく自分以外のまわりの生身たち、同時代を生きる同じような境遇似たような設定下にある「みんな」にもまた確かに宿っているはずの切実さを同伴しているものでもありました。あらわれとしては書きとめられた静かな文字列に封印されているにせよ、でも「読む」を介せばそれは当時の〈いま・ここ〉の呂律に沿って解凍され、現在の〈いま・ここ〉に召喚され得る。
そう、だから表現というやつはいつだって、眼にみえて表現されているもののかたちそのまま、ではなかったりする。「読む」こちら側がどのように関わり、縁を紡いでゆくか、それによって自在にありようを変え、思いもしなかった内実をうっかり垣間見せてくれたりもするもののようです。

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かくて、そのように「リベラルだから」と面と向かって言われ「キャンセル」認定されてしまってから30年あまり、今度はなぜか「ネトウヨ」と呼ばれるようにもなりました。*8
こちらは特定の誰かに言われたわけでなくゆるく世間の評判、web環境も含めた概ね今世紀に入るあたりから新たに輪郭整え編制、整備されてきた情報環境において、それとなく取り沙汰されるようになったミームを実際の具体例をあげて裏打ちしてゆく、そんな過程におけるわかりやすい事例のひとつとして、ではありましたが、ただ、そのように認識してひとくくりにしてくる側は、あの「リベラル」を自他共に許す属性として自ら前向きに、なにがしかの誇らしさと共に実装しているようでした。それこそ、かつて冷戦構造健在だった頃の「左翼」のように。
不思議な話です。少し前にリベラルと認定されたはずなのに、今度はそのリベラルと自他共に許しているらしい側から、ネトウヨと呼ばれるようになっている。それはこちらを「なかったこと」にしてゆくための、キャンセルすべき対象をわかりやすく雑に可視化させるためのもの言いのようでしたが、でも、なぜだろう、そのような人がたは、その操る言葉やもの言いにその人なりの生身の気配や信頼するに足る人格のたたずまいといったものがとても薄い。こちらから言葉を介して声をかけ、話をし、何らか関係を紡いでゆこうと思う、そんな気持ちさえ初手から微笑みと共に拒絶しているような。*9
違う言い方をするなら、「うた」から遠い人。「うた」でしか引き受けようのない生身の切実を、この世に生きて棲みながらなぜか身にしみていない人。なのに、「うた」をどこかで必ず必要とする、そんな言葉本来の作法をうわべだけなぞってみせることばかりうまくなってしまった主体なき言葉のホログラフィと、そこに身も心も等しく平等に並列化されて取り込まれてしまっている、いずれそんな印象のゆるふわキラキラな、多幸症めいた「いい人」に見える人がた、そして界隈。
「どうも日本の詩人の詩をみてると、みんな、あまりにも詩的口調にとらわれて書いている。(…) 日本の詩てものはだいたい、むかしの活弁の口調、ないしは新劇のあのおかしげな、とってつけたような口調だからね。この間も昼間のテレビで、伊藤信吉君がとりもって新劇のいろんな人が朗読してるんですよ、長岡輝子とかがね。だけど詩の朗読てものは止めてくれっていいたくなるね。それがね、笛を吹いたり、ピアノ弾いたりしてやるからね。(…) むかしはまるで詠嘆調でね、かなわんですよ。昔の弁士がね、……春や春、春、南方の物語、メリーさんとロバート青年とは……、なんて、ああいった調子ですよ。朗読だけじゃなくてね、詩という奴はああした調子だ。いまの二十代の詩人でも、結局はね。」(金子光晴『新雑事秘辛』濤書房、1971年)
柳田國男に、近代になって自分たちはさまざまな本をさまざまに読むようになったことでvivacious になった、という表現があります。これも「快活」「明朗」といった辞書的な意味あいだけでもなく、おそらく「軽薄」であり「はしゃぎがち」であり、ある意味女性的でもあるような性格を実装するようになったという含みを持ったものでもあったのだと思っています。論より証拠、英英辞典を引っ張るとこんな説明もされている。
A vivacious person, especially a woman or girl, is attractively energetic and enthusiastic.
多方向に興味関心を素直に向け、素朴に明朗で快活で、オンナのコのようにキャピキャピした性格を持つようになったと言うことは、それまでの「書を読む」読み方で鍛えられていたような、今よりもさらに集中と内向に鍛錬されていたような〈知〉とそれを宿した生身のたたずまい――それはその頃の、ほぼ男の属性だとされてきていたもののはずですが、しかし、いずれそれらがみるみるうちに近代と共に煮崩れていった痕跡を、この柳田の表現から読み取ることもできます。
それは、今のわれわれにつながる「個」や「自由」を遍く可能にしてゆく流れの底にあったものでもある。しかし、と同時に、言葉と意味のつながり方、さらにそれを手もと足もとで制御しながら、眼前の現実に何らか確かな手ざわりの水準をまわりと共に宿してゆくための道具として使う器量ある主体との関係をも相対化して分断してゆくものだったのではないか、という問いもまた、あらためて目の前に。ゆるふわキラキラで微笑みながら「キャンセル」を淡々と仕掛けてくる「いい人」、といったいまどきの「リベラル」界隈のあの多幸症なたたずまいの背後にも、すでにそんな必然性をはらんだ経緯来歴もまた、「読む」を介して初めて〈いま・ここ〉に召喚、現前化され得る歴史として横たわっているようです。