「しらべもの」の現在


 世の中のこと、社会のありようについて何か疑問を持ったり、わからないことがあった場合、それについてそれなりの「答え」を求めようとする。わからないからわかろうとする、そのための作業はさまざまにあれど、ごくおおざっぱに「しらべもの」と言っていいでしょう。

 その「しらべもの」の結果、必ず納得ゆく「答え」に到達できるとは限らない。多くの場合はさらに問いが問いを呼び、とめどなく枝分かれをしてわけがわからなくなったりするものです。まただからこそ、「しらべもの」は面白かったりもするのですが、ただ、たとえ満足ゆくような結果は得られなかったとしても、少なくともどこかで納得したい、あ、そういうことなんだ、と「わかる」になっておきたいという欲望だけは、ある種の人間にとってその後も身の裡に熾火のように宿りつづけるものらしい。

 そういうところに「わかる」ための秘訣、といった代物がうっかりと手招きしてきます。「思想」だの「哲学」だの「文学」だの、いずれ大文字で抽象的で、またそれだけ大風呂敷で世界まるごとひっくくって包み込んでしまえるかのように思わせてくれる、そんな「わかる」へ早上がりするためのさまざまな言葉たちが各種取り揃えられ、しかもそれらは概ね本のかたちで待ち受けていて、そこへ導き寄せられてゆくことは、たとえ予後がどのようなものになったにせよ、人が人となっていまどきの世の中に出てゆく上で、大なり小なりくぐり抜けねばならない通過儀礼のようなものではありました。

 そういう秘訣を出会い頭にいくつか拾って見よう見まね、格好つけられそうな程度にまで何とか身につけて、さて、あらためて世の中を見回してみれば、あら不思議、それまでとりとめない個別具体のモノやコト、いろんな利害や思惑や権謀術策、欲と本能とが生身を介してドグラマグラに絡み合いつつあたりに充満して蠢いているばかり、いずれそのどこかに身を置かねばならぬ運命らしいにせよ、あまりに茫洋、ただ漠然として、とにかく始末に負えない厄介な混沌としか見えなかった眼前の風景が、一気に何やら整理がついてすっきりくっきり見えるようになっていた。そうか、こういう「わかる」が自分にも宿るようになるんだ、とそこはそれ、若気の至りとは言え、まずは素直に感動したりもするのであります。

 けれども、厄介なことに、そういう「わかる」は直ちに自己増殖し始める。早上がりできるだけの飛び道具的な射程距離の長さと足の速さを兼ね備えている言葉だけに、それに見合った似たようなタチの言葉たちをたちどころに呼び寄せて、みるみるうちに互いに手を組み、仲良く結びつきあって、何やら透過膜のようなものを頼みもせぬのにこの身のまわりに分泌、生成し始める。その内側から見透かしている限り、世界は常に明快で理にかなった造りになっていて、パースの狂わぬ見事な像をそれこそ解像度高く目の当たりに合焦、現前させてくれるという次第。

 たとえば、それまでさまざまに論われていた個別具体の事象なり眼前の世相風俗なりの多くも、要は「資本主義」によってそうなっているのだ、と決め打ちされれば、その透過膜を介して見る限りすべて一律「資本主義」に粛々と収斂してゆく明快かつ鮮明な映像として映し出されもする。

 しかし、それは要するに通俗凡庸その他おおぜいの問題、つまり大衆社会化状況に伴って必然的にもたらされる現象のこと、だったりもするのではないか。ここは資本主義社会における大衆社会化状況と、定石通りに言い換えてもいいですが、要はそのうしろの部分、大衆社会化状況によってもたらされている部分が大きいようなものなのではないか。それを資本主義の問題、経済をまわしてゆくたてつけの問題としてだけ見てしまうことが、もしかしたら間違いの元だったのではないか。なんの、何を言う、それでは下部構造と上部構造のたてつけが逆、その大衆社会がそもそも資本主義(的な生産様式)に規定されて初めて出現し得たのではないか――ああ、ないかないか、の張り手の応酬、確かに問いは問いを呼び、いつ果てるともわからぬ言葉の無限連鎖に巻き込まれてゆくばかり。こういう大文字の問いの空中戦もまた、あの透過膜を介してあたりまえに生成され、その内側の世間に流通してゆくものでありました。

 だが、これもまた、「資本主義」というくくり方からではなく、むしろ「市場」という〈リアル〉の問題として考えた方がわかりやすいのではないか。この自分がおのが生身を抱えて日々棲んで生き永らえている世界は、「意味」を介して編制されている現実でもあるのがわれら人間の宿命であるらしい。である以上、それは生身の器官を介して直接に認識できている範囲にとどまらず、眼によって見る、耳で聴く、それらあまたの感覚によって引き寄せられる個別具体の間尺を越えた〈それ以外〉の現実も、「意味」という共通の土俵においていくらでも編制されてゆくことができる。そのように、「市場」という身の丈を越えた拡がりの現実もまた、同じ生身の裡に〈リアル〉としてひとまとめに宿してゆける。それは、カミやホトケといった超越的で普遍的な形象およびそれに付随するイメージ共々、シームレスかつ融通無碍に融けあってもゆくものになり得ます。要は、われら人間にとっての想像力というのは、そのように本質的に飛び道具、実にあやしくもうっかりと胡乱な厄物らしい、ということなのですが。

 そうなってくると、日本語の語彙としての「大衆」よりも、もともとのmassの内実にまで問いの射程を伸ばさねばならない。 

 mass――つまり「たくさん」「大量」という意味あいになりますが、これはそれこそ数の認識が人類に宿るようになっていった過程でも意識されてきていたことなのでしょう。しかし、われらがいま生きるような大衆社会段階での「たくさん」とは、単に無機質でフラットな数の認識においてというだけでなく、この「自分」と同じ存在がこの世の中に「たくさん」あるらしい、という認識、いわば自分自身を対現実認識の基本におく態度が自然に介在できるようになって初めて、いかにもいまわれわれが日々感じ、そして考えるような大衆社会における「大衆」の内実に近いものになってゆけます。

 自分のような「個」が横並びに「たくさん」存在する、しかも間違いなくこの自分ではない別の異なる存在として、という認識のありよう。つまり、「個」としてのこの自分自身が明確に「自分」という輪郭を、まず獲得できるようになっておくこと。それとの対抗的な関係で「たくさん」もある種の不気味さや恐ろしさ、自分自身との関係における根源的な不安のようなものを伴って立ち現れる。「自分」を確立してゆくに伴い、〈それ以外〉としての「他者」もまた顔の識別できる等身大の個体として存在する、という認識と共に、同時にそれは不特定多数の、かつ顔の見えない匿名性を伴った「たくさん」「大量」としても立ち現れてくるという、それこそ弁証法的な認識のからくり。「存在の根源的不安」などと賢しらにまとめてしまえばまたそれまでのことでしょうが、それでも身の裡に宿るこの何やら底知れぬ不気味な感じは、透過膜になじんだそのような言葉や文字にきれいに収まりきるものではないし、まただからこそ、思想だの哲学だの文学だのという、世の中の割り切れぬ残余、〈それ以外〉としか言いようのない部分を受け止めるたてつけの養いにもなってゆける。なおその一方でまた、そのような不気味な「たくさん」は、同時に信頼するに足る「みんな」だったりもしてきたのではないか、という問いも姿を現します。このように、「市場」的な拡がりの〈リアル〉というのも、その本質としてそのように両義的で、突き詰めてゆけばそれこそ「聖/俗」の属性を表裏一体として備えているようなものになってもゆくようであります。

 家族親族から半径身の丈、顔の見える範囲での日常接触する間尺程度のあつまり、それは「ムラ」でも「身内」でも共同体でも何でもいいのですが、いずれそのような範囲の「みんな」に対する信頼は、「マス」「大衆」的な「たくさん」とはまた別のカテゴリーになっていたのではないか。だとしたら、その場合の「みんな」とは、数量としての意味あいならば地続きであろう「たくさん」とはむしろ対抗的なカテゴリーにもなり得るはず。数でカウントするなら同じものさし、数字の多寡でだけ測って連続的にプロットすることもできるけれども、でも、その間にはどこかで決定的な不連続、生身の認識としては越えられない違いも確実にはらまれている。これは、どこまでを「みんな」という切実な「身内」「内輪」と認め、どこから先を〈それ以外〉の縁無き衆生、つまりひとしなみの「大衆」「マス」「その他おおぜい」と認識するのか、という線引きの問題にもなってきます。そして、あのhumanity という語彙が歴史・文化的に宿してきた、常に一定の熱っぽさをはらんだ内実にも、おそらくはまた。

 「自分(たち)」と〈それ以外〉、という対抗図式。これもまた、言語の基本構造などに規定されているという、あの「パンツをはいたサル」としての本質的な認識の枠組みかもしれません。ただ、それでもその図式の「自分(たち)」のスケールをどのへんまで自然に、それこそ資本主義経済が成立して拡散浸透してゆく以前の社会において、人は拡大してゆけるものだったのか。そしてまたその場合、想定されている「たくさん」なりの側はどのようにイメージされ、あるいはまたどのように〈それ以外〉になっていたのかいなかったのか、などがまた次なる問いとして連なってくる。「その他おおぜい」という雑でひとくくりな想像力もまた、それら〈それ以外〉の中には「自分(たち)」もまたまごうかたなく含まれ得る、という自己認識のありようと背後で秘かに通底しています。複製技術の進展が大衆社会状況を下支えしていた、というのは例によってベンヤミン経由の能書きになりますが、それはわれわれの現実認識、殊に自分も含めた人間認識にもどれくらい影響を与えていたのか。そう、人間もまた複製できるかもしれない、「科学」の力によってそれが可能になる「未来」があり得るのかもしれない。「自分」は確かに他でもないこの自分自身ひとりだけれども、だとしてもある意味で同じ人間、同じ個体という意味での自分なら世の中にいくらでも、それこそ無尽蔵に近い規模で存在しているらしい。

 ただ、いまどきの若い衆世代、そう、ざっと30代くらいから下、概ね平成生まれと言ってもいいあたりの同胞にとって、こういう類のしちめんどくさくも逃れがたいある種の「教養」によって刷り込まれた自意識の自覚というのは、すでにもうかなり他人ごと、ありていに言って「昭和」「戦後」にたまたま生まれ、折りから降って湧いた「豊かさ」にあぐらをかいて好き勝手な能書きや思い込みを気分次第にまき散らしながらうかうかと世を過ごしてきた年寄り老害世代のやくたいもない繰り言としてしか響きようのないものになっているようです。彼ら彼女らにしたらそれこそ、ああ、それは結構なご身分でしたねぇ、と口もとのひとつもひん曲げながらうしろ向きに吐き捨てるしかなくなっているような類の、自分たちがこの先、生きてゆく上ではすでに役に立たない過ぎ去った過去のめんどくさい作法として。


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 たとえば、先日ふと目にした、とあるブログの一節。おそらくはそんな若い衆世代のひとりであろう書き手による何でもない書評めいた内容の一節に、こんなコメントがつけられていました。

 「小難しい書き方をされている文章を頭の中で変換したり、読み返して咀嚼しなきゃならないのでほんとに疲れます。内容は、よく調べてあると思うところもありますが、自説に合わない事例を無視して論を進めているところが散見されるので大変モヤモヤします。」

 この「モヤモヤします」という部分に、さて、どういう違和感が宿っているのか。それが気になって立ち止まった。

 評されているのはオカルト番組についての本らしいのですが、そこに取り上げられている70年代や80年代、かつて放映されていたテレビ番組の評価や、当時確かに存在して人気もあった番組が拾われていないことなど、同時代として見聞してきた体験からしても、資料の偏りや抜け落ち、視野の狭さや決めつけが気になる、どうしてこんなことに――ざっとまあ、こういう文脈での「モヤモヤします」でした。

 ありがちな「おたく」気質、個別具体の細部へのマニアックな執着ゆえの違和感とだけ見ればそれだけのことになりますが、ただ、どうもそれだけでもない違和感の気配、書き手自身もうまく言語化できていないようだけれども、他でもないこの自分の裡でも日々鈍く感じていた根深い問いと共通する何ものかが、その「モヤモヤします」の背後にちらり、垣間見えたような気がしたゆえの敢えての立ち止まり。

 「よく調べてあるところもある」と前向きな評価もしています。「よく調べてある」になるにはそれなりの能力が必要ですが、しかし、その能力は、文字に限らず映像でも音声でも一律に「情報」化されデジタイズされてなめらかに水平化、フラット化してゆくいまどきの情報環境においては、少し前までの情報環境において求められ、ある程度まで否応なく生身に宿らされていた能力と比べて、〈知〉のありようとして本質的に別のものと言うしかない不連続をはらんでいるのかも知れない。その程度に、およそ今世紀にさしかかるあたりからこのかた、ざっと30年ばかりの間に日々少しずつくぐもり続けてきていた、身の丈の「読む/書く」に関する所作、「そういうもの」としてあってきたはずの作法の変貌についての、とろ火にかけられゆるく煮崩れてゆくような違和感は、自分ごととしても根の浅からぬ問いになっています。

 そう、「よく調べてある」と言う、その「調べる」の内実とは?

 「自説に合わない事例を無視して論を進めている」と感じているのは、その「自説」に向かってきれいに整序されているのとは別の、〈それ以外〉の「情報」も持っているはずなのに、それらをあらかじめ除外することで「よく調べている」が成りたっているように見えた(と、評者であるこの書き手が感じた)からでしょう。眼前の「自説」に反映されてはいないけれども、そのような〈それ以外〉の「情報」もまた背後に持っているはず、という何らかの気配がその直感を裏づけているからこそ、彼はそのように感じたのだろう、ということと共に。

 もちろんいまどきの情報環境のこと、それらもまた同じように等しく「コンテンツ」化された「情報」であるのでしょう。それらは共に一律にフラットに平面的に「情報」として一望できるようになっている(と感じている)がゆえに、それらを同じ水準で「資料」として、つまり「自説」のための「パーツ」「素材」としてどれだけきれいに整理し、取捨選択した上で「自説」を完成形として見せることができるか、という結果が、その本の紙面上に示されている。そして、その著者の手もとにあるだろう実際には使われなかった「資料」もまた、眼前に現前する「自説」を組み立てている「資料」と同じ水準、フラットな「コンテンツ」「情報」として存在しているだろうことも、この評者も共に前提にしている。そのようないまどきの情報環境における「資料」のありようについての認識はすでに自明に共有されていて、いわば互いの手の内を舞台裏の道具立てごと素通しに見透かすことのできるという認識は、ひとまず地続きになっているようです。

 でも、この評者の書き手も、同時代を生きて見聞し、体験してきた生身の領域も抱えて〈いま・ここ〉を生きている。その本に取り上げられた「情報」としてのかつてのテレビ番組たちの多くを当時の〈いま・ここ〉で彼は見ていたし、そのことのかけがえのない感覚、まさに “I was there”――「自分はその時、間違いなくそこにいた。いて確かにこの身で見聞きし体験した」と昂然と宣言したいほどの主体感の確かさは、単なる「情報」としての字ヅラに立体的な遠近感を即座に与えてくれます。紙の上の理路、「情報」としてのフラットな平面においてそのようにうまく処理されている限りの印象がなめらかで整っているものであればあるほど、おのが身の裡の〈いま・ここ〉感覚、それを介して立体化した同時代的な手ざわりを回復し、紙面からそれこそ地湧の菩薩のように平板な文面のそこここから立ち上がってくる〈まるごと〉の記憶や印象にドライヴされての「情報」の変容は、おそらく彼の裡で切実だったのでしょう。しかし、その切実さをそのまま言葉に変換する回路は、評者の彼にあってもすでに自覚されないものになっているらしい。だからこそ、それは「モヤモヤする」違和感として、ぶっきらぼうに放り出してみせるしかなかった、と。

 これは、前々から言っている「情報」化「コンテンツ」化や、それらを前提にしたいまどきの「しらべもの」――「調査研究」でも「取材」でも構いませんが、それらの作業に特徴的になっている「スキャン」的、2次元的かつ平面的な検索の視線など、近年の情報環境の変貌とそこに宿る〈知〉のありようの変質に直接関わってきます。そこで自明の前提になっているのは、同じ水準で素材を「情報」として共有する/できる状態で、それらを取捨選択してどれだけきれいに整った「自説」を生成してゆけるか、という種類の「競争」のイメージです。マウンティング前提での勝ち負けでしかものごとを考えられないゲーム感覚の上での「論破」こそが正義であり、言葉をやりとりする目的である、といった感覚が薄く広く実装されているらしい事態と共に、これはいまどきの本邦同胞の間に静かに浸透し、支配的になってゆきつつある情報環境の変化に伴う社会相らしい。

 しらべものの結果、自分の手もとに資料として立ち現れたものは、しかし自分以外の誰かにとっても同じように役に立つ資料になるとは限らない、という感覚はおそらくここにはない。「コンテンツ」化された「情報」は誰にとっても等しく意味を持ち、平等にアクセスすることが可能なものである、という新たな情報環境の前提からは、しかしそのように処理される手前の段階、いずれ生身の主体が時間をかけ、手間もカネもかけ、図書館に通ったり古本をあさったり、事情を知る者を探して会いに行き、アポをとって話を聞き、必要なら写真や映像、音声もまた記録し、資料としてフィルムやテープ、何らか具体的なブツとしての媒体を紙の文書資料と同じように手作業でハンドリングしてゆき、いずれそのような一定の問いの文脈と必要とに応じたあれこれ試行錯誤の結果の雑多で多様でそれ自体は客観的にはやくたいもないガラクタの集積である、という前向きなあきらめを伴う理解が、その過程へのつぶさな認識と共にきれいに抜け落ちています。

 昨今眺めている限り、このような世の趨勢に対する素朴な違和感や不信感の類を感じたそのままに表明することは案外少ないようで、むしろそれを「しない/できない」ように抑制されている印象すらある。いや、さらに一歩進んで、そのような違和感などはらみそうになった瞬間から即座にキャンセル、「自説」とは別の自前の「自説」を手もとの〈それ以外〉の「資料」含めて駆使して即座に構築、とっとと体裁整え勇躍反撃に向かうという、まさに「ロンパー」モード、表面的な「論破」だけを第一義のミッションと心得た言語活動の即時始動が半ばプロトコルとして「しらべもの」に従事する生身の間に実装されているようにさえ感じられます。「モヤモヤする」ことなく、常に明快かつ鮮明に隅々まで見通せる素通しになったつもりの同じ土俵でどのように反撃するか、という悪い意味でのゲーム的な認識と感覚にドライヴされた半ば自動的で反射的なやりとりの連続。もちろん、その結果はそれらの過程で生成されるそれぞれの「自説」の横並び半自動生成の連鎖という、ある種ヴァーチャルな「正義」のぶつけあいによる不毛なものにしかならないのも含めて、言うまでもなく。

 そういう意味ではこの書評めいた一文の書き手、「モヤモヤする」と言語化して表明できる、その程度に「立ち止まる」「おりる」という手続きがとれるという一点において、ひとまず貴重なのかもしれません。それらいまどきモードの対話なり議論なりのプロトコルに従った結果がロクなものにならない、という認識も漠然とであれそれなりにあった上で、自分が見切ったそれら〈それ以外〉の「資料」についてはどう考え、どのように扱ったらいいのかなどの〈そこから先〉も含めて、当面は「モヤモヤする」というあたりで立ち止まるしかないことも含めて。

 他の誰でもない、この自分との関係において初めてその資料はある特定の意味を持つようになる、という感覚の後退。これはおそらく、紙やその他媒体を介して、さらにはそこから「デジタイズ」化された「情報」として、現在の情報環境における極限にまで客体化された「データ」としてしか資料を考えられなくなったことにもどこかでつながっている。それは、「科学」「論理」「データ」「客観的」といったもの言いの組み合わせで何となく理解されている〈知〉に対するある種通俗的な認識としても、また。これは、「コックピット的一望監視感」の全面化とそのような環境での「個」という意識のありようなどとも当然、関わっているはずです。

 取材や聞き書きなどで得られた資料は単にそういう「データ」ではない、ということ。他でもない自分がその日その時その場所で取材し、話を聞き、その関係と場において解釈し理解した、その〈いま・ここ〉のまるごとの感覚が否応なくわが身の裡にあって初めて、それら取材や聞き書きの結果としての「データ」も資料として十全に存在し得る、といった感覚の留保ができなくなっている状況。昨今、すでにバンザイクリフの如き状況を呈しつつある本邦日本語環境におけるいわゆる人文社会系の「教養」としての守るべき一線というのも、煮詰めてゆけば、しょせんこのような留保による「おりる」の方法化を介してしか存在し得ないはず、なのですが。

イメージとしての「キリスト教」

 同じ信仰、宗教沙汰とは言え、キリスト教というのは、思えばどこか行儀良く、育ちも良く、ありていに言って良家の子弟、関西で言うところの「ええし」の子のもの、という感覚がありました。それも大方は女の子。コール天のワンピース着て、髪にはリボンなんか飾って、まだ珍しかった自家用車で幼稚園に父親が送りにくるような。

 何の間違いか1年ほどだけだったとは言え、一応キリスト教の学校附属の幼稚園に通わされていたことがあって、バザーやキャンドルサービスなんていかにもな催しにも参加させられ、賛美歌も手ほどき程度に歌わされていた記憶があるのですが、単にそれだけのことで、カトリックとプロテスタント、神父と牧師の違いすら全く知らぬが仏、日曜学校に通う習慣があるような敬虔なご家庭とのつきあいはついぞないままでした。いや、もしかしたらこちらが知らないだけで、あのリボンをつけた女の子などはそういう家の子だったのかもしれませんが、こちとらもちろん縁なき衆生、その子の持って来るお手製サンドイッチと瓶入りヨーグルトの弁当がうらやましかっただけ。思えばもう60年以上前のことです。

 どうやら本邦、特に戦後において「キリスト教」は他の「宗教」(仏教系や新宗教その他)とはまた一線を画した別枠で、それこそどこか「ええし」のもので、要は「民主的」で「リベラル」で「ハイカラ」で「意識高い」っぽい色づけのアイテムとして何となく受け取られてきたところが、一般的なイメージとしてあるようです。

 まあ、それはクリスマスだの、教会での結婚式だのがなしくずしに生活習慣化して入り込み、本来キリスト教に裏づけられた行事だったはずのものも、これからはすべて「洋式」に変えてゆくのが「民主的」で「正しい」ふるまいなのだ、と健気にもうっかり思い込んでしまったわれら同胞、当時のおとなたちの雑な心の習慣に下支えされていたゆえではありますが、それにしてもお寺や神社に関わる信仰や宗教が、割とひとくくりに「古い」「遅れた」「保守的」なものと意味づけられてきたことと、イメージとしては見事に裏表、同じ「宗教」という語彙におさめて語ってしまうのも実ははばかられるような感覚がどこかにどんより漂っていたらしい。

 文科省が教育基本法に抵触するという判断を正式に出したことをきっかけにようやく表沙汰にされ始めた、同志社国際高校の沖縄は辺野古の修学旅行における死傷事故の件も、地元の米軍基地反対運動のいささか常軌を逸した偏り方やそれとなしくずしに癒着してきたらしい高校側の責任が問われる局面になっていますが、自分などからすれば、それと共に、生活習慣化してきた戦後の本邦のキリスト教の、イメージ含めた経緯来歴までも、いまいちど言語化して振り返ることもこの際、なされるべきだろうと思います。

 同時に、「平和教育」ということも言及されるようになっています。その中身があまりに偏向していて極端なものになっている、という指摘がされ始めているわけですが、これって他の宗教、それこそ仏教系や新宗教系でも同じようにやられているのかどうか。

 なるほど、キリスト教と「平和」の組み合わせは何となくおさまりがよろしい。「民主的」で「リベラル」で「意識高い」から「平和教育」やってると聞いても不思議に思わないし、むしろ「そういうもの」程度でそれ以上深く考えないでいられる。これがキリスト教以外、何でもいいですが、たとえば日蓮宗や浄土真宗、本願寺が「平和教育」やっているとなると、素朴に「え、どうして?」くらいの軽い違和感は生じるような。まして、神社関係、それこそお伊勢さんやお稲荷さん、靖国神社が「平和教育」なんてことになったらもう、申し訳ないが冗談にしか聞こえません。

 仏教や神道、要はお寺や神社にまつわる「宗教」は「古い」もの、戦後の価値観においては「封建的」で「保守的」で、だから積極的に評価されない、カッコ悪いものでしかなく、そのせいか戦後にできた新宗教系にしても、元は大方仏教なり神道なりに根ざしたものであっても、そういう出自来歴はできるだけ目立たないようにしてきたフシがあるような。それに対して、キリスト教だけは別枠で、それらネガティヴなイメージの対極にあるものとして、無条件に「良い宗教」的な意味が付与されてきたところはあるようです。

 統一教会に「解散命令」を出してしまったことで、ムスリムその他これまで意識されなかった、する必要のなかった「宗教」までもが身近な問題として考えざるを得なくなった最近の本邦のありようから、「良い宗教」として「ええし」の特別席に坐ってきていたキリスト教もまた、無関係でいられるはずもありません。

新聞もまた「読む」ものであった。


 身の回りの古本や雑本ばかりを日々めくって過ごすのが日々の営みと化してもう久しい身の上なのは、これまでも何度か触れてきた通りですが、つい先日、昔の古い本と同じように古い新聞をあさっていて、あ、かつては新聞もまた本と同じように「読む」ものだったんだ、ということに突然、あらためて思い至ったのでそのへんから少し。

 そんなあたりまえのことをどうしていまさら、と言うなかれ。話はそう単純でもなさそうなのであります。

 古新聞、それも戦前までもゆかない、たかだか戦後まだそれほど間もない頃のものでしたが、その活字の大きさと行間などの詰まり具合、要は紙面における文字情報の凝縮具合のビジュアル的なたたずまい、細かい活字がびっしりと紙面に詰め込まれていて、見出しもまた当然に文字中心、写真や図版はあるにせよ、その比率は今の新聞の感覚からすると拍子抜けするほどわずかなもので、広告でさえも同じように活字中心で組まれている。そういう見てくれの紙面が新聞紙の大きさ全面に整然と展開されている視覚的なありように、ああそうか、これは同じ時代の活字本の版ヅラと地続きであることに気づかされたという次第。

 そう言えば、昔は虫眼鏡、年寄りは天眼鏡と呼んでいましたが、あれがなぜか家にあって、おとなたちは新聞や辞書を読む時に持ち出してきたりしていました。それは何も老眼で細かい文字が読みにくくなったという理由からだけでもなかったようで、あれは新聞だけでなくある種の活字媒体、本や辞書や百科事典なども含めて、いずれそのように本腰入れて「読む」ことを求めてき得るメディアの活字の組み方、組まれ方自体が、そのようにびっしりと詰め込むのが割と普通だったということなのでしょう。

 それは、紙がまだまだ貴重で同じ紙面にできるだけ多くの情報を詰め込む必要があった、といった実利的な理由と共に、そういう凝縮された活字の集積がビジュアル的にもよしとされていった、どこかフェティッシュな嗜好性もまた読み手の世間の側に介在するようになっていた、そんな事情も含めてのことだったような気がします。

 たとえば、相撲の番付の一番下、どこに名前があるのか肉眼ではおいそれとわからぬような下っ端、序の口の力士を称して「虫眼鏡」と呼ぶのも、あの番付一枚の紙面上にあたかも織物の地模様か何かのように詰め込まれて表現された「名前」と「序列」の組み合わせ情報の群がりの、下へ行くほどもはや文字とも思えぬようなあの異様な密度と禍々しくすらある存在感に対して、こちら側から生身の「読む」を発動して関わるためには、虫眼鏡のようなある種日常ならざる飛び道具を別途持ち出してまでするべきものだ、といった感覚が概ねゆるく共有され、介在していた可能性などと共に。

 とは言え、毎朝各世帯に「配達」されてまで届く新聞という媒体は、すでにその部数を急激に減らしてきており、大手日刊紙ですらすでに気息奄々、ブロック紙や地方紙からタブロイドの夕刊紙ももちろん例外ではなく、さらに小規模な政党や組合、各種団体の機関紙などは、もうお看取りからご臨終の時期に粛々とさしかかりつつあるのが現状。すでに、自社ビルその他の不動産を抱えるところは主な利益はそちらからで、表看板にしてきた新聞、それに付随し軒先を広げた雑誌や出版など、紙媒体を作って売る商売自体、やればやるほど赤字が出るフェイズになっている由。デジタル化やweb配信、サブスクなどと組み合わせての延命策もあれこれ採られ始めてはいるものの、国内どころか世界中を見回してみてもそれで画期的な再生に至った新聞社はどうやらごく一部。つまり、紙媒体としての新聞自体、市場からはもう求められなくなっており、商売として成りたたないのが時代の趨勢なわけで、本邦のみならず概ね世界的な情勢であることも含めて、すでに諦めと共に認知されてきています。

 でも、言いたいのはそういうことじゃない。そんな新聞もまた本と同じように、密度の高い活字の情報媒体という意味で地続きのブツとして日常に存在していたこと、だからそれらを「読む」ことも、同じく高密度の情報集積媒体であった本を読むように「読む」のが自然であたりまえだったらしい、そのことです。

 虫眼鏡をわざわざ持ち出し、かざしてまで「読む」というご大層な作法でさえ、そう不自然でなく暮らしの中に実装されていたのも、そういう「読む」ことが日々を生きる上での実用的なスキルとしてあって、またそのことを世間一般その他おおぜいの感覚として特に違和感もなく「そういうもの」として受け取られていたからのはず。

 それはいまのわれわれが使っているような意味での「読む」とは、実はもう想像以上に異なる内実をはらんだ、歴史的な距離感とともにある「読む」になりつつあるのかもしれません。たまたま目にした古新聞の紙面の、密度の濃い活字の地模様めいたありさまと、ふだん見慣れているはずの古本、雑本の版ヅラの、同じく異様な密度に感じられるようになっている活字の文字列の抗いがたい吸引力との期せずするシンクロ具合が、ああ、これはかつてその当時、地続きのブツとして日常に配置されていたもので、だからそういうものに対する作法としての「読む」もまたシームレスに同じように作動させられていたんじゃないか、と閃かせてくれたのでありました。


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 新聞を本のように「読む」というのは、毎朝配達されてくる新聞の紙面に込められている情報を、本の文章を読むように読む、ということでした。少なくとも、本をそのように「読む」ことができる程度のリテラシーを実装していた読者層にとっては、そうとはっきり意識した上でのことでなくても、「読む」という営み自体があたりまえにそういうもの、ではあったらしい。

 何より、新聞を作って届ける側の生産点で共有されていた意識からしてそうでした。密度の濃い活字の文字列によるあの紙面も、それを善きものとする感覚や価値観と共に、そのような「読み」を自然に発動することのできる主体の共同性を頼りに組まれていました。「中卒にもわかるように」と言われる新聞の文章表現の基準にしても、戦後の過程ではっきりと強調されるようになった、その意味では「戦後民主主義」に後押しされた基準だったわけですが、それでも当時の実際の紙面を眺めていると、その「中学卒業程度」のリテラシーというのは、達成目標として掲げられ始めていたものではあったとは言え、いまの感覚からするとなかなか調子の高いものだったんだな、と感じます。

 「読む」とまで言わずとも、もう少し軽くカジュアルに表現する場合、「目を通す」といった言い方もされていました。いわゆる斜め読み、それこそ「ざっと」読むという表面的で単線的、一義的な意味の読み取りをとりあえずする、といった内実の込められた、大づかみに内容を要約することを眼目にした読み方と言っていい。主に事務書類や私信など、日常的な文書に対する実用的なアクセスの仕方として言われていたもの言いですが、新聞に対しても使われていた。

 けれども、新聞に「目を通す」ということは、それだけでもなくさらにその先、必要があればていねいに精読に近い「読む」を、それこそ虫眼鏡を持ち出してまで発動させ得ることまで含めての、集中力のギアを一段あげた一連の過程を背後に想定した行為でもありました。

 たとえば、少し前までなら、会社勤めの新入社員がまず最初にやらされる仕事に、新聞の切り抜きを作ってスクラップブックに貼り込んでゆく、というのがありました。さすがに昨今はどうなっているのか、そのへん直近の事情には疎いのですが、ただ、あれもまた、新聞に単に「目を通す」ことの先に、必要があれば「読む」ための資料としてアクセスしやすい「本」「「冊子」の形式に変換しておく、そういう情報整理のはじめの一歩を社会人修業の手習いとしてやらせる、その意味で新聞がただ「見る」「目を通す」だけでなく本質的に「読む」ための、そのような精度の高い持続的な情報摂取の作法に応え得るだけの質が担保された活字情報の集積媒体であるという共通認識があったからこそ成りたっていたことでした。

 ならば、その「読む」と「見る」の関係というのは、どのようなものだったか。

 同じ目という身体器官を介して、映像情報としてわが身の裡に取り込む文字ではあっても、単に「見る」だけでなく「読む」に値するような働きをさせるためには、その「見る」という行為にも何らかの連続性、脈絡や文脈といった単線的な流れを意識せざるを得なくなる。つまり、ひとつひとつの文字ではなくあるまとまりを持つ文字列として、結果的に文章として認識される散文的なたてつけの中で解釈し、そこから意味を引き出してゆく、そのような「読む」を発動するには、「見る」に加えてそれを支える意識や感覚、身体的な持続力が求められます。

 なるほど、目は複数の対象を同時に「見る」こともできる。そもそも視覚というのはある一点なり限られた部分なりに意識的に合焦させることもできるものですが、生身の器官の本質としては、まず全体的な景観としてゆるく大きく広くとらえるものでしょう。それゆえ、一点をじっと見つめ続けるような凝視の視線には、その背後に生身の意志が鋭角的に込められざるを得ない、その限りではかなり不自然なものにもなっているわけですが、それはそこからまた新たな問いが繁ってゆかざるを得ない別の話。

「眼の欲望を放恣に発露することが、現代人の条件であるかのような、消費・情報社会の成り行き。しかし、そのような世の中に、受苦の体験にせかされて「見つづけねばならない」、視線の強迫の道筋があることに、いったいどれほどの人が気づくのだろう。この道筋にある人は、世の凡百の消費者たちのように、視線の欲望をほしいままにして、ちょっと疲れたから今度はグルメを気取って舌の欲望を、それにも飽きたからもうひと眠りなどという太平楽は、しようにもできないのである。」(桑迫昭夫・朝倉喬司『凝視録――為五郎覗き・除き人生』現代書館、1993年)*1

 耳はどうか。基本的に目と同じく全体的に音を広く捉えることのできる器官ではあるものの、ただ、そこにいったん言葉が介在するとなると、その部分だけを選択的に「聞く」ことになります。漠然とその場の音を聞いているだけでは、何となく全体的な景観としてその場を見ているのと同じく、いや、それ以上に混然とした音の全体しか感知されていないのが通例のはず。このあたりは、映像情報と音声情報の組み合わせでより立体的に、「あたかもその場にいるように」感じられるものになる、と考えられがちな〈リアル〉の内実というのも、ただそれだけでは単に自然環境と選ぶところはなく、そう考えれば「つくりもの」と〈リアル〉の関係という意味で、昨今のAIによって生成される動画のなりたちについての議論などにも関係してきます。実際、「聞く」と「聴く」の語感的な違いというのも、そのような耳を介して取り入れる音の選択度の違いに規定されているところはありそうです。

 音に対する「聞く」だけでもない、たとえば、そこらをぶらぶら歩いていても、文字の書かれてある看板や貼り紙にまず意識が合焦してしまい、意識せずとも「読む」が身の裡に起動される、という経験は誰しも普通にあることでしょう。

 それは雑踏の中での話し言葉も同じこと。それこそ外国に行った時にいきなり日本語が耳に飛び込んできた時の感覚を思えばわかりやすい。あるいは同様に、見慣れぬ記号や意匠にしか見えない異国の文字ばかりが建ち並ぶ異国の街頭の看板やビルボード、貼り紙などの中に、なぜかぽつんと日本語の落書きでも混じっていた時の衝撃と、その意味の水準へ向けて身の裡の「読む」が急速に起動させられ、稼動し始める際のちょっとした興奮とか。

 最近のカメラはもちろん廉価版のスマホにまであたりまえに実装されるようになっているオートフォーカス機能の如く、おのが母語の言語にまず合焦して「意味」を「解釈する」機能が瞬時に起動してしまう、何かそういう機能が、単体のアプリとして以上に、われらの生身の働き全体を背後で統制する基本OSみたいに刷り込まれてゆく過程が誰にも等しくあるらしい。まあ、まさにそれがあの「パンツをはいたサル」になってゆく過程という意味での「社会化」であり、意味を介して編制されるもうひとつの現実――「文化」の裡に生まれてゆく過程ではあるのでしょう。ただ、そうやってしたり顔してやりすごしてしまうことでわかったつもりになる、そういう「意味」の水準へと一見合理的に、円満に回収してゆく手続き自体、いまどき眼前でめまぐるしく転変し続けるこの情報環境においては、決して「わかる」へと開いてゆく道すじのものにはならないどころか、むしろ逆に、予定調和的な表面上の理解の壁の内側でだけ言葉と「意味」を自閉的に浪費してゆくループに気づかぬうちに入り込まされてもしまうようです。

 昨今のAI生成の画像や動画で「日本」をお題にしたものに、おそらく漢字やひらがなをうまくそれっぽく描いたつもりだろう、でも日本語としては意味不明で不気味な記号や図形が混じり込んでいることがありますが、考えてみればあの現象も、そもそもAIというやつは「意味」と書き言葉とを紐付けて認識することが未だそれほどうまくできず、書き言葉の文字であっても彼にとって処理可能なかたちに変換されたそれ以外の視覚情報と同じように、本来そこに同時に宿っているはずの意味の水準を考慮できずに一律にフラットな画像や映像構成の素材として認識しているからこそ、ああいうバグの混じった出力になってくるのではないか。

 海外の日本料理店の屋号が、われわれ日本語を母語とする意味の水準に生きている側の感覚からすると、どうにも的外れな文脈で使われていたりするのと同じ、言葉を単なる表層の記号として意味の水準と切り離してとらえてしまうがゆえの場違いですが、あのAIというのもそれと同じような現実認識をいまの彼らの能力なりの「読み」を介して懸命にやりながら、いずれ「パンツをはいたサル」ならぬ「パンツをはいた人工知能」を健気にめざしている最中なのかもしれません。一方、翻って考えれば、「意味」との関係を断ち切られた言葉というのは、それが書き言葉の文字であれ、あるいは話し言葉の音声であれ、あのような現前化をしてしまうもので、それはわれわれの生身の五官に取り入れられる情報自体はおそらくそのようなAIが感知するものと物理的には変わらないのかも、ということに思い至らされる話でもあります。


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 大学で教えていた頃、提出されたレポートにいわゆるコピー&ペーストで、web上のサイトから引っ張ってきたものを複数切り貼りしたものがありました。当人にそのことを問い詰めたところ、苦し紛れの言い訳という感じでもなく、ごくあっさりとこうのたまった。

「でもセンセ、自分みたいなアタマ悪いのがいくら頑張って考えてもまともな答えなんか出てくるわけないと思うし、だったらそれより世の中のもっとアタマの良い人たちがちゃんと考えてくれたことがいくらでもネットに転がっているんだから、それを使った方が間違いないし、何より早いじゃないすか。」

 これ、図書館その他で必要な資料を自分で探して、「引用」として正当な手続きを踏んで処理してレポートにまとめることとの違いが果してどこにあるのか、そしてそれをいまどき若い衆に納得してもらえるように説明するには、さてどうしたらいいのか、といった問題提起的な文脈で、割とひとつ話として紹介してきた挿話なのですが、昨今のAIの蔓延の仕方を鑑みると、なお新たな教訓を引き出せるものにもなり始めているような。

 切り貼りどころではない、すでにAIをあたりまえに屈託なく活用、出力されたものに手を入れるくらいならまだしも、本当にそのまま臆面なく「自分」のレポートとして提出してくる学生は堂々、すでに出現しているらしい。切り貼りならまだそれをやった自分という主体意識も宿り得たのかもですが、これがAIを使ったとなると、その間の作業がデバイスを介したとは言え、一応「対話」の形式で言葉のやりとりをしながら出力させたものである分、そしてまたその引っ張ってきた情報の出処がこちらからよく見えないままであることなども含めて、全てをまるで自分がAIという便利な仮想人格的な道具を意識的に操って完結させた作業過程のように思い込んでしまえるのか、切り貼りよりもやったことに対する罪悪感やうしろめたさがずっと希薄になるもののようです。どうかすると、そもそも罪悪感の類が宿る余地からなくなっているような印象すらあるらしい。行為の主体という意識が薄いから、責任の所在もまた紐つけようがありません。

 これは、AI生成感のある文章、つまりいかにもAIに作らせたのがありありとわかるような、ということですが、そういう文章の内容が、自分などにはなぜかほとんど頭にうまく入ってこないところがあってしまうこととも通じているように感じます。

 なんというか、意識的に「読む」を起動して走らせる必要のないものであり、どうやらこちらの身の裡にすら日々本邦いまどきの情報環境を生きて呼吸しているうちにいつの間にか埋め込まれてしまっているらしい自覚なき気分や生活感覚といった部分に直結している末梢神経的な水準をいきなり直撃することに特化された文字列、それこそ広告コピーや宣伝キャプションの類のその属性だけを極限化された文章ならざる文章になっているような印象なのであります。「ざっと目を通す」どころか「ざっと見ておく」くらいにしておくのが相当な、その程度の平板で表面的な、「読む」以前の対応で処理することが妥当であり、また合理的でもあるような文章。

 AI が生成した文章が「使える」として承認され、すんなり抵抗なく利用される分野や領域というのも、文章をそういうある目的に特化したところでだけ「使う」ような場面、局面においてらしい。とにかく単線的で表層的な意味においてのみ「使う/使える」を「実用」の「合理性」で、即断即決的に判断し続けることが求められるような場。自分などがなじまされてきたような意味での「文章」とは違う、最も限定的な意味での「論文」とか「プレゼン」とか「企画書」とか、言葉本来の意味での「多様な読み」「重層的な解釈」などを初手から必要としない、そういう類。

 思えば、「読む」ということは、集中することと必ずセットの行為でした。そしてそれは内向的な意識のあり方を必然的に作ってゆくようなものでもあった。そういう自意識が〈知〉の宿る前提であり、そのような生身の個体こそがあり得べき「個人」であるとされていて、だから、「暗記」というのも、そのような集中と内向によって縛られる自意識との関係で、何かものを考えようとし始めた際には、「読む」ことと相まって、そのかなり最初の段階で強要されてくる作業でした。

 そのような「暗記」にまつわる伝説としては、コンサイスの辞書を一ページずつ食べてしまう、というのがあった。覚えたページから破いて口に放り込んでしまうという、その異様さでまず誰もがある世代までなら記憶にある「おはなし」であり、また実際そのようなことをやる豪傑も現実に存在したのですが、しかし、考えてみたら「暗記」を目的としてどうしてそのような辞書を食べることがつながっていたのか、わかるようでいまひとつよくわからない。おそらく 「知識」「情報」を「詰め込む」そして「蓄積」することの比喩が、そのように「おはなし」化して流布されていったものだったのでしょう。

 理屈や能書きでなく、ただとにかく「覚える」ことを第一義にしてひたすらそのための作業を繰り返す。それは、英語ならば単語帳をこさえて、それをただ念仏のように繰り返してゆくことであり、歴史ならば年表と対峙しながら手もとにノートを作り、それをまた繰り返し巻き返し眺めては口の中でぶつぶつと年号や年代とできごとの関係をつぶやいて身の裡にしまいこんでゆこうとする、いずれそういう「単純作業」の退屈でつまらない過程ではありました。
 
 けれども、そのように「暗記」によって自分の内側に「蓄積」された「知識」「情報」は、何か私有財産のような感覚で抱え込まれ、ことあるごとに参照できるリソースになる。そういう使われ方が、それら「蓄積」された「知識」の役割でした、とりあえずの「試験」なり「勉強」なりの局面における、至極実用的な対処としてではあっても。

 翻って昨今、情報環境の変貌に伴い「知識」「情報」の「蓄積」がさまざまに外化され、その参照や引用もまた手もとのデバイスを介して自由にできるようになると、「暗記」と「詰め込む」ことで成り立っていた「知識」の「蓄積」に最適化されていた頭脳のあり方はもとより、それらを前提に編制されてゆくべきものだったはずの自意識も「個」も、そしてそれらと紐ついていると信じられていた〈知〉のありようまでも含めて、好むと好まざるとに関わらず、これまでとは異なる様相を示すようになっています。

 講義の場で、記者会見やレクチュアの場で、ノートパソコンを当たり前に開き、スマホやタブレットを手もとに置き、生身はその場に臨みながら話を聞きながらそれらデバイスを操作し、その場にいない他の誰かと情報交換をし、モニタを介して会話もし、同時に録音や録画もデバイスを介して行なう。外化された「知識」「情報」の「蓄積」を手もとで操りながら、同時に本も読み、紙の資料も参照し、各種デバイスを介して時々刻々更新される新たな「情報」も取り入れながら、それら多方向に意識が拡散させられる過程でものを考える――そのような〈知〉へと収斂してゆく営みが当たり前になってきている近年の情報環境。わざわざ「暗記」して「蓄積」することに常に生身を緊張させ、頭脳をそちらへ集中的に稼動するように意識することから解放された分、集中と内向によって規定されていた自意識もまた一気に散漫に、拡散したものになってゆかざるを得ない。AIに深く関連しているらしいCPUからGPUへ、という電脳チップのたてつけの大変動が起こりつつあるらしいこととも、何やら二重写しになってくるのは、さて、ボケの前触れか、それともいよいよお迎えのやってくる兆しなのか。

 老化に抗えなくなっている自分ごとだけでもなく、どうやら本邦世間に共通する昨今の現象として、集中力が減退している、ということも言われています。いまどきの子どもたちなどにはすでに顕著にあらわれ始めていて、それはスマホを介したショート動画の連続視聴が麻薬的なドーピング効果をもたらしてやめられなくなっていることなどとも関係しているのでは、とか、例によっていろいろ原因追及もされているようですが、既存のメディアによってざっと足かけ一世紀以上にわたり営々と構築されてきたたてつけの上にSNSが走る情報環境の日常化は、巷間感じられているよりもずっとシャレにならないレベルにまで、〈いま・ここ〉を生きるわれわれの現実認識のありようを素早く、静かに変えてゆきつつあるらしい。少し前までのような集中と内向によって一方向に鍛錬されてきた自意識など、このままではこのような情報環境に対応も追随もできぬまま、文字通り「置いてゆかれる」しかないらしい。

 ああ、是非もない、良し悪しもまたない、「そういうもの」になりつつある〈いま・ここ〉の現実にさて、ならば〈知〉は、これまでそのように名づけられてきたような情報の蓄積とその参照や引用の体系は、この先どのような新たなありようを、穏当に手にあう自分ごとの間尺にもう一度、宿し返してゆけるのでしょうか。
 



 

「話術」の射程


 「話術」というもの言いで、実はそれまで世間でさまざまに分節され認識されてもいたらしい「上演」の現前性を伴う多様な口頭の表現がひとくくりにされていったことについて。

 それまでの生身を介した話し言葉の上演に際する身体的な技術が、個々の表現のジャンル、概ね芸能という認識の下でのそれぞれの区分けごとにではなく、それとは文脈の違うひとつの大きなまとまりとしてあらためて意識されるようになってきて、それをあらわすのに、その「話術」が使われるようになっていったらしいのであります。

 「話術と云ふ言葉は、どうして起つたのか。是は恐らく、私の唱へたのが、最初のやうに考へます。明治三十七、八年の頃でありましたが、それ迄に、話術󠄂として、相當に發達して來た講談落語と云ふものが、やうやく衰退の兆を、現して來た。そこで、之を研究して、新しい人にその繼續方を、頼まなければならぬ。(…) 講談、落語、情話、演説、講演、講話、講義、坐談、是等のものを概括して、何と名附けたら良からうかと、段々考へた末に、私は是を話術と云ふのが、一番適當であると斯う云ふ風に考へたのであります。然し當時は、それらの總てを、取扱つたのでなく、講談、落語を中心として、兎に角、話術の研究と云ふ意味に於て、志を同じにするものを集めた。」(伊藤痴遊「話術に関する解説」『痴遊雑誌』創刊号、1935年)

 この痴遊の言う「最初」の信憑性はひとまず措いておくとしても、まず、話し言葉を「上演」として披露してゆく生身の技術をくくって認識する必要が生じてきた、それには落語や講談といったそれまであった口頭の表現を介した芸能が人気を失い衰退してきたという状況が前提にあって、だからその根幹である話し言葉での「上演」という部分、生身がその場で現前化する表現であるということがあらためて対象化して認識されるようになり、そのために「話術」という言い方が新たに付与されるようになったことは、ひとまず認めておいていいのでしょう。

 「話術」だから「はなし」であります。「話す」という意味では確かに口頭の、話し言葉による表現ですが、でも「語る」とはまたちょっと違う。福沢諭吉により英語から翻訳されたという「演説」がそうだったように、概ねテーブル・スピーチに対応するような半径身の丈程度を相手にした「上演」を主に想定していたもの、とここでは推測しておきます。つまり、不特定多数の群衆に対して直接語りかけるようなものではない、ある限られた範囲の、それこそ「顔の見える」「肉声の届く」半径での聴き手を想定した「話す」の技術。当時はまだ音声の増幅装置、つまりPA的な機械が本格的に現れる前のことですから、発声し発音する際の細かな技術はもとより、その話す生身の主体の身ぶりや態度までも含めて、それらの条件に沿って一定の制限がかかってくる。


 一方、落語はともかく講談は、浪曲や浄瑠璃、節談説教などと同じく「はなし」ではなく「語りもの」という認識がその頃はまだ一般的だったはずなのですが、それらも含めてここで痴遊は「話術」というくくりに敢えてまとめてしまっているように見えます。はて、なぜだろう。

 ひとつ考えられるのは、ひとくくりに「はなし」にしておくことで音声としての要素――声の調子や高低、テンポやリズム、発声の仕方といった部分を上演に引き寄せて強調せず、あくまで「話す」ことの技術として一律にとらえられるようにしたのではないかということです。そしてそれは、そのことによって「はなし」についてのイメージを文字の側へ、つまりそれまでのような上演を前提とした不定形で動態的なものから固定的で静態的なものとしてとらえる視点を、結果的にせよもたらしたらしい。

 言うまでもなく、この明治末年頃にはすでにあの言文一致、話し言葉を書き言葉へと変換して定着してゆく作法が、速記を介して曲がりなりにも成立しつつあったわけで、「はなし」もまた文字や活字というかたちで記録され、対象化されるものになり始めていました。なので、この「話術」というくくり方によって、それらは耳で聴くだけでなく目で読み、そして落ち着いて距離を置いて、対象化して考えることのできるものにもなっていった。

 ただ、そのような事情は逆に、「はなし」本来の生身を介した「上演」としての性格、どこまでも〈いま・ここ〉における現前性がいのちであった〈まるごと〉のダイナミズムを後景化させてゆく後押しにもなりました。つまり、そのような「話術」というくくり方が新たに現れたことによって、「はなし」はそれまであった「語りもの」との違いもなしくずしに後景化され見えにくいものにさせられてゆき、と同時に、口頭の「上演」としての現前性、〈いま・ここ〉の〈リアル〉という部分を捨象されてしまうことにもなっていった。「上演」とそれに伴う〈いま・ここ〉の現前性が表現の〈まるごと〉として必然だった口頭での話し言葉の表現が、書き言葉の文字の側からだけ静態的に解釈されてゆく素地はこのような経緯でも準備されてゆきました。

 時空の限定された〈いま・ここ〉での〈まるごと〉としての上演、それはそのような条件において宿る〈リアル〉も含めて芸能のある本質であり、かつまた生身を介したとりとめなくもなまめかしい流動的な動態を必然とする現前でもあるという意味において「うた」の本質にも関わってくるものだったはずが、それを言語化して対象化しようとすることでかえってその本質が書き言葉の側から疎外されるものになってしまった。それは、言語と認識の関係についてのわれら人間の業のようなものでもあり、歴史と文化、大きく言えば文明についての考察沙汰に常にまつわってくる避けられぬ宿命ではあります。

 とは言うものの、速記術によって文字に変換できるようになった話し言葉による「はなし」は、必ずしも「上演」そのままを文字化したわけでもなかった。なぜなら、前に少し触れたように、当時ようやく実用化され始めた本邦の速記術󠄂においては、たとえ流儀を同じくする速記者であっても、直接その上演の場で速記して書きとめた速記はその当人によってしかうまく反訳できないものだったらしい。それは同じ話し言葉の上演を文字にしてゆく過程においても、速記者の体験を介して解釈されながら反訳する段階がまずあり、しかしその反訳されたそのままでは読むに耐える文章にはなっていないので、その次になお、読む上で違和感のないような書き言葉の文章にするよう手を加えて整える、言わば「校閲」的な段階が必ず介在したということでもありました。

「「音の書き取り方」は、講習会で覚えた「筆記のための記号」だけでは実際の運用の役に立たない。だから、それを「なまの会話」、つまり現場で流れる融通無碍な話し言葉の〈いま・ここ〉のやりとりをその「筆記のための記号」を使って手もとに書き取ることができるようになるのが、まず第一。その上で、さらにそれを自ら読みとって文字へと反訳、変換し、その場に臨場していた現場の当事者によっても妥当な内容であると評価し、承認される過程をくぐった後に初めて、速記原稿として実用に供される。」

 つまり、話し言葉を目に見える文字にして、距離を置いて対象化できるものにし、それによって「はなし」も「語りもの」も、いずれ話し言葉で生身で発されるその音声は等しく同じ文字として眼に映じるものへと姿を変えるのですが、そこでは実際の上演としての「はなし」と「語りもの」の声の調子やリズム、発声する者自身の意識のありようの違いなど、現場ならではの上演に必ず伴ってくる〈いま・ここ〉で〈まるごと〉の要素はひとまず反映されていません。

 その文字化されたものをひとつの流れのある文章として「よむ」に供するとなると、その「よむ」側の生身の主体の裡に当時は日常化してあったはずの「はなし」と「語りもの」の上演としての違い、現場においてそれぞれの特性を感受する意識や感覚などを介して元の上演の〈いま・ここ〉の〈まるごと〉に宿っていた〈リアル〉を喚起し得るだけの、そんな書き言葉の文章へとあらためて微調整して整えてゆくことが求められるようになる。その過程においては、やはりその〈まるごと〉の現場に身を置いていた当事者の生身の裡の臨場感や現場感覚を補助線にしながら、反訳された文字を相対的に「よむ」ことで、その場に臨場していた自分以外の第三者にとってもよりなめらかでリニアーな流れとして「よむ」ことが可能な形に文章を手直してゆくことになります。これはつまり、〈いま・ここ〉の〈まるごと〉に臨場した当事者である速記者自身が耳にした話し言葉の体験を、速記術󠄂という手続きを介して、より開かれた普遍的な方向へと導き得るだけの整った書き言葉の文章に変換してゆく、ということでもあります。

 その結果、速記術󠄂が介在することで一旦は後景化していたはずの現場における上演の現前性は、そのような〈いま・ここ〉で〈まるごと〉のダイナミズムとはひとつ異なる「よむ」を介して新たに喚起され得る〈リアル〉を、その場に臨場しなかった速記本という文字のテキストに関わる不特定多数の「よむ」を介して広く擬似的に体験させてゆくことになりました。〈いま・ここ〉で〈まるごと〉の現前性ありきだったはずの上演の場に宿る〈リアル〉が、このようないささかめんどくさい手続きによって、それでもなお広く時空の制限を越えて共有され得るようになる。これをしもベンヤミン流の「複製」技術と言うのはさすがに語弊があるでしょうが、でもそれはある意味、現前性を伴う〈リアル〉が〈いま・ここ〉の縛りから離脱して、時空を問わぬ「複製」の方へと近寄ってゆくひとつのステップではあったはずではあります。そしてそれもまた、話し言葉から書き言葉への速記術󠄂を助けとして期せずして機能した、本邦同胞の歴史文化的な背景も含めた「ことば」にまつわるある習い性があって、初めて可能になったことなのかもしれません。

 「西洋の聲樂は、人間的音聲の藝術的構成であるが、日本の聲曲は、言語の意味内容を語る、言語の藝術即ち話し言葉の藝術である。だから西洋の聲樂にはセリフがないが、日本の聲曲には、その最も聲樂的の、常磐津とか長唄とか清元とかいふものでも、皆セリフがある。音聲の藝術でもあるが、より以上の「言葉の藝術」である。(…)西洋の聲樂は、人間の聲の藝術だから、聲そのものの働きを藝術的に發展させてゐることは、日本の聲曲の比ではない。反之、日本の言語藝術は、言語の藝術だから、その臺本も、文學や歴史の形で發展してゐて、西洋の聲樂の臺本の詩のやうに、たゞ音感󠄀を示唆する媒介といふやうな意味のものではない。(…)西洋では聲樂は「唄ふ」といふが、日本の聲曲は「語る」といふ、そこに兩者の區別があるところが知られる。」(長谷川如是閑「話し言葉の文化」 昭和15年・國民學術󠄂協會公開講座に於ての講演、『言葉の文化』所収、中央公論社、1943年)

 そのようにして「よむ」ものになった文字化された「はなし」は、目に見えるかたちであらためて読み手それぞれが身を置いた時空において現前化する。話し言葉の「はなし」の流れをその場で耳で追うことと、文字化された文章としての文脈を紙の上でリニアーにたどることとは、同じようでいて、しかしやはり身体感覚としてまた別の感覚を身の裡に、かつその場で連続的に引き起こすものでしょう。

 しかも、音読がまだあたりまえだった頃の生身にすれば、そのような段階を踏んで文章として整えられた書き言葉の「はなし」を自ら声に出しながら読むことで、その文章化された「はなし」のリズムや調子があらためて生身の側へとフィードバックされてゆく。そのような「あたかもその場で聴いているような」話し言葉の現前化感覚というのは、その文章自体が実際の上演の場における「はなし」と一言一句違うものではなかったとしても、その「あたかもその場で聴いているような」という現前化感覚の〈リアル〉は、上演の現場におけるそれとはまた少し違う意味での鮮烈さを伴いながら、「よむ」主体の生身の裡に上書き的に、重層的に刷り込まれていったのでしょう。


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 とは言え、その音読の習慣というのも、実は明治期の書生ならではの習い性ありきのものだった面もあるのかもしれない。

 というのも、明治以前の人がた、それこそ江戸期の町人たちが、たとえば絵双紙や句集といった当時の通俗的な書きもの、読みものの類にどのように「よむ」を発動していたのか。このあたり、ただでさえ偏った知識しか貯め込んでこなかった身ながら、前々からごく素朴に謎なのであります。

 たとえば、かな書きでのべたらに記述されていたとされる絵双紙などは、それぞれひとりひとりが読むのでなく、かな程度の読めるリテラシーを持つ者が音読するのをまわりで耳傾けていたりとか、いわゆる会読や輪読などにも通じるような、音読が介在し得ていたがゆえの「よむ」の共同性が生成されていたところもあったのではないか、とか、またいらぬ補助線をあれこれ引いて思い悩んでみたり。

 そもそも、音読をする、つまり生身で声を出しての「よむ」というのは、まわりに明らかに音声として聞こえる/聞こえさせることを前提とする行為です。それに対して、黙読というのはどうやってもまわりには聞こえない。ということは、音読する際にはそのまま自分以外の聞き手の存在を意識せざるを得ないわけで、その延長線上にはおおげさに言えば何らかの「公」ないしは「社会」という形象を意識せざるを得なくなりますし、また、その発声する「よむ」を「きく」相手との関係や場もまた具体的に想定し、上演に織り込んでゆかざるを得ない。

 対して黙読の場合、それらはひとまず考慮しなくていいわけで、そういう意味でも「内面」的で「自閉」的な「よむ」にならざるを得ない。その「よむ」を受けとる先にあるのはもう一人の自分でしかなく、「よむ」その自分とそれを「きく」受けとる自分との分裂が黙読には必然的に伴ってくるし、その双方共に包摂する主体のありようが、あの「内面」とも呼ばれ得るような鋭くもめんどくさい個的な心理の客体化、単体として独立した形象化にもつながってくるでしょう。

 とは言え、音読の場合にも、声に出して読みながらそれを同時に聞く自分というのもあるはずで、そういう意味では黙読と同様な「内面」の生成過程が伴わないわけでもないのですが、ただ、それ以上に、眼前にそれを聞く存在が具体的に「ある」限りはそちらに「きく」対象をまず直接的に想定せざるを得ない分、黙読のような「よむ」自分と「きく」自分の、目に見えない水準での相互性といったサイクルは意識されにくくはなっているかもしれません。

 テープレコーダーに録音された自分の声をあらためて聞いた時に誰しも抱く、あの「自分」という意識の輪郭にいきなり相撲取りの張り手を喰うような何とも居心地の悪い、まさに平手打ちな違和感に象徴されるように、音読で発声される「よむ」は、黙読におけるそれのようには即時的に自分で「きく」こととは重ならない。ということは、つまり音読では、いわゆる「内面」をうっかり伴ってしまいやすいあの無駄に太書きでめんどくさい自分という意識の輪郭は黙読に比べると生成されにくいのではないか。それが証拠に、音読は他人と共に声を合わせた朗読として実践することもできるし、それによってまた別の共同性を宿すよすがにもなり得るけれども、黙読ときたら、たとえ何十人何百人でやろうともそこからどんな生身の連帯も生まれようがない。声の伴わない「よむ」というのは、それ自体はその程度に無力です。

 そのように考えてくれば、文字の読み書きをある程度刷り込まれてしまった生身というやつは、その程度や質の違いはあれど、目に一丁字ない話し言葉「だけ」のリテラシーを実装した生身とは、言語的表現に対する構え方がすでに異なる存在になっていたのでしょう。たとえば、同じ話し言葉を耳にしても、どこか書き言葉に対するのと地続きの「よみ」を先手を取って発動してしまったり。そのように言わば書かれた文字のように聞いてしまう話し言葉は、話し言葉しか身についていない生身が聞くそれとはまた違うものに、良くも悪くもなっていたのでしょう。

 「落語、講談などでは勿論、われわれが日常の會話でも、他人同士の會話を傳へる場合に、一々誰々が「云つた」とか「答へた」とかいふ語は入れずに、その口調によつて甲乙の言葉たることがそれぞれ分かるやうに話すが、日本文學における、主辭を省いたり、云つたとか「答へた」とかいふ句を省いたりする文章の形式は、その談話の形式を、文章に移したのである。(…)文字文學も元来「言語の文學」なので、讀む人は、それを音聲言語に直して讀んでゐるが、昔の日本の讀者は、全體を、即ち地の文をも、音聲言語に直して讀んだのである。丁度音樂家が樂譜を讀むやうな工合である。」(長谷川如是閑「「文字の文學」と「言葉の文學」」、『言葉の文化』所収、中央公論社、1943年)

 そう言えば、「うたう」と「語る」の違いについて、義太夫と文楽の違いに重ねて説明した話もありました。義太夫だと「演じる」形象が伴っていないのに対して、文楽は人形を使うことで全体的に「演じる」形象が伴う音楽になり、だから「語る」になるということなのでしょうか。そこでは「うたう」よりも「語る」の方を評価した文脈になっていたのですが、このあたりの解釈もまた、未だうまく腑に落ちるようになってこないのは、なかなかもどかしいところではあります。

 「話す」は「おしゃべり」に近く、そういう意味での制御はゆるいのに対して、「語る」は「おしゃべり」のような野放図で融通無碍なものではなく、何らか形式というか縛りがあってのものになる。これが動詞でなく名詞として、それこそ落語を「咄」とも呼ぶような意味での「はなし」という言い方に見合う何らかの形式はその中間あたり、動詞としての「話す」と「語る」の双方にまたがっている領域になるように思えます。最もゆるい「おしゃべり」に対応する動詞の「しゃべる」も、一定の条件において「はなし」に接続してゆき、そしてそこからさらに輪郭が整えられる程度に制御がかかると「語る」はなし、つまり「語りもの」にもなってゆく。「語る」はなしと「話す」はなしの違いとはそのようなたてつけの上に現われるものだとして、ならばその先、「うたう」との関係は果してどのようになっていたのか。

 「語る」は一人称的にその語り手から一点透視のように放散されてもゆく、ある種の突破力をはらんだ印象があるのに対して、「話す」はダイアローグ的というか散文的というか、少なくともリニアーで単線的なストーリーの流れを伴うようなニュアンスにはなってきません。カバーする聞き手の範囲も、前者はかなりの拡がりを想定し得るのに対して、後者は基本的に等身大、それこそ「顔の見える」サシの関係において、という感じになってきます。と同時に、発されるものにかけられる定型的な縛りの度合いはかなり違っていて、「話す」は「聞く」との間の相互性、上演されるその「関係」や「場」に応じて変わってゆける部分が許容されているのに対して、「語り」の方はというと、定型としての枠が強めにはまってくる分、「聞く」との間の相互性についても「話す」に比べるとある一定の限度が設定されるように思えます。

 このへんはまた、本邦日本語間尺ではいまひとつ内実のはっきりしないままゆるゆるに使い回されてきてしまっている、これまたもとは外国語の翻訳から始まっていたはずのあの「叙事」と「叙情」の違いなどにもどこかつながるのかもしれません。

 「叙事」は「語る」、「叙情」は「話す」に対応する。それはまた別の位相からは、「公」と「私」にも対応させ得る。共に同じ生身の肉声、音声を伴った発声という行為によって現前する話し言葉の表現であり、その意味では初発の地点ではごくゆるく「おしゃべり」でもあるようなものですが、しかしその間には、同じ話し言葉の発声、生身の表現であっても、その形式や表現のありよう、そしてその受け止められ方までも含めて、いろいろな違いが約束ごととしてはらまれていたものらしい。

 「語る」に見合った内実を伴う表現には、形式その他それなりの縛りが求められ、それはゆるい意味で「おはなし」と言ってもいいようなもので、その限りにおいて「おしゃべり」に近い半径身の丈プラスα程度の間尺の「私」的な射程距離での表現においても何らか共有してもらえるに足るものにしてゆくための条件でもありました。

 「そんなことを言ったら、話にならない」という切り捨て方や、あるいは「これは話なんだが……」という前置きで相談ごとその他具体的な話に入ってゆく作法など、このような意味での「おはなし」というのは、社会的な地位や関係などとはひとまず別に、何らか他人と理解を共有してゆく、そのような必要のある場合に提示される表現の形式としての意味あいがあったようです。「おはなし」にする、あるいはなる、というのは、「話す」であれ「語る」であれ、否応なく自分以外の他人との関係や場において響いて届いてゆかざるを得ない音声としての話し言葉の表現において、端的に何かを伝え共有してゆくためのフォーマットを作り、まさに「共通の土台を共有してゆく」――communicateするための必須条件だったのだと思います。

 それがより「公」に近づくような関係や場においてだと、「話す」でなく、むしろ「語り」に近づいてゆく。「おはなし」の型や縛りもより明確に整えられ、さらには発声する際の声の調子や抑揚、テンポその他の「上演」にも、またそれに応じてそれなりの規定が可視化されてゆく。それこそ講談がかつては「御記録読み」と呼ばれていたように、声に出して「よむ」ことは、何らか「公」的な脈絡で「表明する」「宣言する」といった意味合いにおいて、ある「関係」と「場」が想定されて要求されるもの、だったりしたようではあります。ということは、必然的に何らかの形式が枠組みとして付随してくるわけで、「叙事」が「詩」という意味での「うた」になってゆく。「叙事詩」というのも、しちめんどくさく微分して説明してゆくなら、およそこんな過程の上に出現するものなのでしょう。

 ならば、「叙情」はどうか。「語る」「話す」と「おしゃべり」「おはなし」という二軸のたてつけを交叉させた図式に沿って考えるなら、一人称に紐つけられた「情」を表明する話し言葉の表現というのは、本質的に半径身の丈の間尺、つまり「私」に近い範囲での関係と場に規定されざるを得ないものになるのでしょう。「公」に包摂されるような関係と場においての「叙情」とは、表現としてあり得るのだとしても、どこかで枠組みの明確ではっきりした「おはなし」の縛りの下においてしか、うまく現前するものにはならない。一方、「叙事」における「情」的な領域というのは、表現の形式に規定されるというよりも、むしろ聴き手の側、受け取り方のリテラシーにおいて響いてゆくようなものではないか。だとすれば、それは「叙情」をこととする表現における「情」の伝わり方とはまた違うありようになってくるもののようではありました。

AI、ってやっぱり胡散臭くね?


 「AI」という言葉を最近、あちこちでやたら目にするようになっています。

 例によっていろんな説明は各所でされていますが、いまひとつその中身はよくわからない。わからないのはおまえがすでに老害化石脳、時代遅れのポンコツになっているからだ、と言われるのはごもっとも、その通りではありますが、しかし、何やら次の時代を切り開き、新たな未来をさししめす素敵な呪文のように取り沙汰され、メディアの舞台で賑やかに使い回され始めているのを眺めていると、こちとらすでに無駄に長生きしてしまい始めている身の上、その分こういう事態にはこれまでも遭遇してきたような気がして、何とも既視感が拭えません。

 それに伴い、「エンジニア」というもの言いもくっついてきて、そこに「若者」「あたらしい世代」といった属性が相乗りしてきたら、なぜか政治の局面でもあれよあれよと頭角を現わし、それなりの議席も獲得してしまうような事態も出来。メディアの後押し、既存の政党や政治的勢力の思惑もからんでの底上げまでも、何やら同じ波乗りに浮かれているように見えるのは、いまどきの本邦の情報環境、特に世間一般その他おおぜいを相手取って動かそうとする際のからくりというのが、すでにしてそのような「気分」の上に浮遊するのが常態になった「広告・宣伝」ベクトルの資金によって駆動されていることのあらわれではあるのでしょう。

 要するに、世間一般その他おおぜい的にはよくわからないけれども、でも何か新しい素晴らしい技術がすでに出現していて、それは若い世代の専門家の新しい頭脳や感覚によって先導されていて、その彼ら彼女らはキラキラした目と自信に満ちた口調とで自分たちから見たそれら来るべきわれわれの社会の明日のイメージを語ってくれているらしい、と。そんな彼ら彼女らが、何をめざしてわざわざ政治の世界に、しかも立法府の当事者として首を突っ込んできているのか、そこは胡乱に感じるところなのですが、でもまあ、メディアの舞台でもすみやかに許容されて好意的に扱われているようだし、だったらまあ、当面お手並み拝見、要継続観察案件にしておくか、とまあ、ざっとそんな印象ではありました、とりあえずのところは。
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 ただ、年寄りゆえの既視感というのも、あまり馬鹿にしたものでもない。たとえば、かつての「インターネット」も、いまの「AI」と世間からの受け取られ方は同じようなものでした。すでにある通信手段の電話や無線などとどう違うのか、「ネットワーク」というけれどもそれはそんなに目新しい考え方なのか、など、「新しい技術」で「素晴らしい明日」を招来するということは喧伝されていても、それがいったいどういう点で「新しい」「素晴らしい」なのか、当時の感覚ではうまく理解できなかったものです。

 パソコン同士をつないで世界中を「ネットワーク」にする、というあたりまでは何となくイメージできても、そもそもそのパソコン自体がその頃はまだなじみの薄い普及段階の黎明期、ワープロや表計算などの事務的な作業に使う実務的な機械というよりも、まだちょっと高級なゲーム機みたいなイメージがせいぜいで、その限りでは仕事でなく「趣味」「娯楽」に寄せた道具という印象でしたから、それをわざわざ相互につなげてゆくことで何がどう新しい、素晴らしい明日を招来するものか、世間一般その他おおぜいレベルに凡庸でボンクラな門外漢にとっては腑に落ちないままでした。


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 だから、「どこか胡散臭い」「騙されているのではないか」といった疑心暗鬼が、どうしてもつきまとっていた。だって、記憶の底をさらってみれば、たとえばこんなことを、実に滔々と語ったりしていたのですから。思えばいまどき跋扈する日焼けツーブロックの証券屋のセールスマンか茶髪ピアスの情報商材屋、はたまた聞き慣れぬカタカナ遣いを多用する何が本業なのかわからないwebコンサルのように、実に見事なまでになめらかな口調で身ぶり手ぶりも取り混ぜて。

「今のパソコン市場の伸び方ではインターネット市場の伸び方はフォローできないから、テレビとかゲーム機とか携帯電話とかカーナビとか、いろんなデバイスとインターネットをつないでゆく。炊飯器やエアコンとか……」

 今から30年前、当時すでに一部界隈で売り出し中だった、それら「インターネット」に関連する輝かしい未来を標榜していたその頃の「若い世代」のひとりの言。雑誌での取材インタヴュー記事の一端で、聞き手は他でもない自分だったのですが、この時開陳されていた、当時としてはSFにしか思えなかったその「インターネット」のもたらしてくれるという未来像に対して、「あの、炊飯器とインターネットをつないだら何かいいことあるんですか?」と真顔で返しちまっていたあたり、「どこか胡散臭い」と感じていた証拠ありあり。ところが、なんのこの御仁、その程度で動じるようなタマではなかった。

 「だって、会社から炊飯器のスイッチを入れられるし、エアコンと連動して部屋の温度調整もできる。みんな気がつかないだけで、家の中の電気製品はインターネットとつなげば実はものすごく便利になるんですよ。」


「ヒゲソリだけじゃなくて風呂場や洗面所にあるものって医療関係とつながると、たとえば一日のヒゲの伸び具合で健康状態を教えてくれたり、血圧や体重を測ってくれて主治医のコンピューターにデータを入れてくれたりする。いや、もちろんプライバシーの問題とかあるけれども、でも、生活の中で自分の情報がどんどんコンピューターに蓄積されていって医者に行かなくても健康管理ができて便利でしょ。」(『EYE-COM』 1996年)

 昨今、世界中を巻き込んでの騒動になりつつあるらしい、かのエプスタイン・ファイルに関連してにわかに注目を浴びることになっている伊藤穣一、その若き日のひとコマ、ではありました。
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 いまから振り返ると、なるほどこの時、得々と語りながら大風呂敷広げられていたその未来予想図は、その後30年の間でそれなりに現実のものになってはいる。

 リモート操作で自分の部屋、住んでいる家の中の照明やエアコンその他の家電製品を動かすことが可能になっているし、体重計や血圧計といった個々の道具を「つなぐ」どころか、そもそも腕時計のようなデバイスひとつ身に装着すれば、それが血圧でも脈拍でも何でも24時間途切れなく生身のバイタル情報を記録し、何なら外部へリアルタイムで送信までしてくれる。映像も音声も、今やどこでも望む場所にカメラを設置することで自由自在、その場を24時間監視することもごく安価にできるようになっている。それらを相互につなぐ「ネットワーク」はわれわれの日常生活のあらゆる局面、さまざまな水準において「もうひとつの現実」「並行世界的なヴァーチャルのリアル」を下支えするからくりになっているらしい――そう考えてみれば確かに、かつてのSF的想像力は見事に現実化した、と言いたくなりますし、またその未来予想図は「正しかった」とうっかり褒めそやす気分に傾くのもわからなくもない。

 ただ、その大風呂敷がもたらすであろう現実について、30年前のご本人はというと、ただ「便利になる」としか言っていませんでした。その「便利」の内実、具体的にわれらの暮らしをどのように変えて、それによってどう「素晴らしい明日」になるのか、その点についてわかりやすく説明してくれることはないままだったし、そんなものなくても構わない、あるいはそこまでほぐして説明しなくてもわかるだろう、とでも言わんばかりに、全てはただひとつ「便利になる」という言葉だけ。そう、「便利」になるのだからいいじゃないか、だってその「便利」は世の中が良くなること、前へ進んでゆくことなのだから誰も文句はないはずじゃないのか、と。

 これに対して自分は、「それって大きなお世話ですよ。医者ぐらいてめえで行きますって」とやり返していました。単細胞丸出しな反応でお恥ずかしい限りですが、ただ、そう自嘲したものでもなかったのかな、と思うフシもあるのは、その「便利」一辺倒の、それこそいまどきAIの自動生成のような何の衒いも戸惑いも感じられない「素晴らしい明日」の遠近法なき青写真に対して、どこまでも「自分」という、いつの時代どんな立場の人間であれ、生身を抱えてこの世に生きてある限りは逃げられないはずの足場を期せずして反射的に突きつけていたこと、かもしれません。


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 「AI」という新しい技術と、それを介してもたらされつつあるらしいこれまで見たことのないような目新しい現実、それがもうすぐにでもわれわれの社会を大きく変えてゆく力になる――「AI」を「インターネット」に、あるいは何でもいい、新たに開発されている最先端の技術なり機器なりに置き換えても、悲しいかな、これはこれまでも結構普遍的に成りたってきている「まだ見ぬ明日」や「未来」についての話法であり、同時にまた、世間に対して有無を言わせぬある説得的な意図を伴った「おはなし」の語り口になってきました。そして、それは今でも基本的に変わっていないらしい。

 新しい技術というのは常にブラックボックス、世間一般その他おおぜいの感覚や日常生活を送る意識にとっては概ねよくわからない、だからうかうかと信用できない、胡散臭いものととらえられるのが常で、それは洋の東西を問わず「そういうもの」ではありました。

 産業革命が始まった頃、工場に導入された機械を打ち壊してまわったというラッダイト運動のように、新しい技術とそれがもたらす現実は、どうやら「そういうもの」という持続と安定によって支えられていたあたりまえの日常を無碍に無体に破壊してゆくようなものとしてわれらの眼前にいきなり立ち現れる邪悪なものでしかありませんでした。「便利」というもの言いで高圧的に見せつけられる未だ正体のよくわからない夢物語としての実利と、それに伴い変容させられ具体的な「不便」を強いられてゆく日々の現実の局面と、その双方を共に穏当に言語化し、比較衡量しながら身の丈の日常でのよりよいつきあい方を手間はかかるけれども模索してゆくということは、残念ながら多くの場合、できない相談でしかなかった。その結果、むしろ「便利」は夢物語の先物買いの担保も兼ねて新しい技術を問答無用で呑み込まされてしまうための呪文としてだけ使いまわされるようになってゆき、その一方、「不便」はなしくずしになかったことにされ、捌け口も失われたままのうしろ向きのルサンチマンにまみれて時代の推移に埋もれてゆくのが宿命になりました。

 「AI」に関連してなら、「Web3.0」なんてことも言われ始めている。これはどうやらあの「仮想通貨」というやつにまつわって発想されてきた能書きらしいのですが、その根幹にある「ブロックチェーン」という考え方も含めて、頑張って理解しようとするよりも先に、そもそもきわめつけに胡散臭く信用ならぬものと感じてしまって、ああ、あわれ老害化石脳は、またも脳内ラッダイトを勇躍、開始してしまうのであります。

「現実の通貨をやりとりするには、銀行という寡占的な取引機関を経由するしかありません。お金のやり取りを把握しているのは金融機関だけといえます。しかし、仮想通貨がこれと大きく違うのは、ブロックチェーン技術が利用されていることです。この世界では、コミュニティー内の全員が、誰が誰にいつ、いくら送金したかという台帳を全員で共有しており、個人間のお金の流れをいつでも知ることができます。そしてこの台帳を改ざん不可能なものにしているのがブロックチェーンの技術です。第三者のお墨付きという形ではなく、コミュニティー全員が改ざん不可能な情報を共有することで信頼性を担保しているのです。」

 「改竄不可能」な「信頼性の高い」情報を安全に担保できる仕組み。それは、その情報を「コミュニティー全員」が「共有」することで可能になる。これまでのインターネットのように、サービスのためのプラットフォームを提供する巨大企業にキンタマを握られることなく、誰もがそれぞれ個人のまま、信頼を互いに担保しあった安全な取引ができるようになる――あれ、これってかつて「インターネット」が当初ふりまいていた「ネットワーク」の夢物語と、「おはなし」のたてつけとしては何も変わっていないのでは?

「Web2.0の世界では、SNSの世界は自由なように見えて、プラットフォームはGAFAMといった巨大テックの寡占状態にあります。個人同士の情報の共有に見えても、そこにはGAFAMといった外部の存在があり、かつ、個人情報の収集もこれらのテック企業によって寡占的に行われています。しかし、このような巨大テック企業だけに頼るのではなく、プラットフォームそのものを個人が作り出すことが可能になる、というのがWeb3.0の概念です。」 (「新しいインターネットの形「Web3.0」の世界とは? キーワードは「ブロックチェーン」」https://www.nttbizsol.jp/knowledge/expansion/202303271100000839.html


 技術的なことやその真偽、本当に実現可能か否か、などについては全く無知だしわからない。けれどもそんな無知蒙昧な世間一般その他おおぜいの一部でしかない老害化石脳を抱えるこの身であっても、これが24時間リアルタイムでの「記録」が自動的におこなわれるような情報環境が現実のものになってきたことで、ここまで言語化され理論化された考え方なのではないか、ということくらいには思い至れます。干涸らびたもの言いを敢えて持ち出すなら、そのようないまどきの情報環境を「下部構造」として構築され、現前するようになった「上部構造」のあらわれの一端、とか。

 われらの生きているこの現実は絶え間なく「記録」されている。映像でも音声でも、あるいはそれらから引き起こして文字化したテキストとしてでも、望む形式で「情報」として必ずどこかに「記録」され続けている。必要があればそれらにアクセスして引き出すことはできるし、それはひとまず「便利」だけれども、あのAIが社会に実装されていったあかつきには、それらの「記録」を読み込んで新たな現実を編み上げてゆくこともまた自動的に、勝手にしてゆけるようにもなるらしい。「生産」や「製作」「創造」などでなく「生成」という、主語との結びつきが希薄になる動詞が使われる局面が静かに増えているのも、こういう情報環境の変貌とどこかで関わっているのでしょう。生身の側は具体的な作業としてそれら「記録」を触ることもしなくていい、「記録」が新たに「情報」をつむいでゆき、それら「情報」の水準で並行世界な現実の〈リアル〉が、常にヴァーチャルに紡ぎ出され続けている、そんな近未来。

 それは、どこで誰が何のために、という主体との関係がどこにも見えないまま「記録」だけが「情報」として淡々と蓄積されてゆき得る情報環境でもあります。身の回りの現実が即座に「情報」に変換、分解され、そこに生きて動いている生身の生体の「情報」なども含めて、ほぼ自動的に「記録」されてゆく。これまでのように記録する者と記録されたものとが紐付けられて初めて「使える」ものとして存在する、というあたりまえから外れた「記録」のありようが、すでに静かに淡々とあたりまえに存在し続けるようになっているらしい。社会とは、われわれが日々生きているこの現実とは、少なくとも文明の位相においては、何らかの「記録」とそれらを一定の約束ごとの上に維持、管理し運用する仕組みを前提に成り立つものである、という認識が良くも悪くもうまく共有されてこないままのところがある本邦においてはなおのこと。文字の読み書きが早くから普及していた分、何らかの「記録」――書きつけ、書きものが身の回りにあたりまえに存在してきたところがあるらしかったから、それらを特別なものとして取り扱う感覚も鋭角的に宿ってゆきにくかったのかも知れません。


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 大方があたりまえだと思ったり感じたりしているようなことは、わざわざ「記録」されないものです。それどころか、わざわざ意識されたり見られたりすらされなかったりする。「記録」するということは、そのような記録する者、何らかの主体が必ず関わって初めて成り立つようなもの、だったはずで、他でもない、文字ないしは文字に準ずるような媒体を介した記録はそんなものでしたが、これが音声や映像、画像の「記録」が可能になって、生身の人間が主体として直接関わっての作業でなく何らかの「機械」「装置」が介在して初めて成り立ち得るようになって以来、主体なき「記録」もまた淡々と行なわれるようになってきました。

 たとえば、街頭の監視カメラの、あるいはクルマに搭載されているドライブレコーダーの「記録」の主体とは、という問い。録画や録音をする機器は24時間、淡々と動いているけれども、それはどこの誰と、どんな主体と紐付けられている「記録」であり「情報」なのか。何か事件や事故が起きて、必要になった場合に初めてそれらは引き出されて「便利」に使われるのでしょうし、またそういう「何かあった時」のために「記録」を続けているのでしょう。でも、その「記録」をおこなった主体とは? それは時間と空間の座標軸に支えられるわれわれの〈いま・ここ〉の裡に、どのように存在し得るものなのか。それとも、もうすでにそのようなわれわれの生きる現実とは別の、それこそ並行世界的な別次元の空間に位置するようなものなのか。だとしたら、あの「仮想通貨」という胡散臭くもあやしげな発想を支える根幹らしい「ブロックチェーン」に支えられる「web3.0」の「ネットワーク」とは、われら限りある生を生きる生身の生きものとしての人間が存在するこの現実とは別の現実を手ざわりあるもののようにまことしやかに「生成」してゆく究極のフェイクを現出する仕掛けに過ぎないのではないか。

 それら「記録」の意味、同時代の情報環境における位相の変遷と、そこに当然関わってくるはずのいわゆる「歴史」なり「社会」なりの認識のされ方の否応なき変貌。どこかで何かが――そう、誰かが、ではなくてもすでに構わない、何か得体の知れないものが〈いま・ここ〉のこの現実をどこかで勝手に「記録」しているものらしい、そんな感覚の静かな日常化。意識しないから「そういうもの」としてそれ以上意識的に自覚的に関わることも薄くなるわけで、かつてのテレビ番組を録画したビデオの集積のように、録画=記録されているということだけに安心して、それらを再度観る、反復して関わるということを忘れてゆくことが、日常生活のあらゆる局面であたりまえになってく。言わば「記録」の自然環境化なわけで、そのように「記録」の存在を意識しないようになった結果は、「人間」や「個人」、そしてそこに宿るべきものとされてきた「自由」や「主体」、あるいは「信頼」や「義務」、「契約」や「責任」といった派生的なたてつけなども全部ひっくるめて情報環境の裡に溶け込まされた「分散管理」に「安全」かつ「改竄不可能」な形で任されるようになり、それこそルネッサンスこのかた無邪気に信じられてきたようなこれまでの西欧文脈由来な「人間」像の約束ごとは、良くも悪くもそのフレームだけでなく、そこに長年込められ蓄積されてきた内実も含めてなしくずしに煮崩れてゆく。

 それは、かつて言われたような「個人の解体」などと地続きのようでありながら、しかしまた少し違う難儀をはらんだ過程になります。「個人」という単位での「自分」という個体のまとまりが自明に前提にならなくなっていて、時間軸に沿った連続性や持続性をもとに維持されるべき「個」としての「自分」というたてつけにおける、その連続や持続そのものが保証されず、またそれでも別に不都合を感じないような状況。集中する、持続する、その連続性の裡に「個人」の内面もまた輪郭を確かめながら制御され、安定したものになってゆく、そういう一連の系が保証できなくなってきています。

 昨今、文脈や背景を考慮しない、あるいはできない、だからその場その場に最適化した行動や言動を反射的にしてゆくことが最も合理的で生産的であり、時間軸に沿った整合性などに配慮することはない、といったルールに従って動く個体が増えてきているように見えるのも、そしてそれを「個人」の「信頼」といったこれまでのものさしで評価しようとしていともたやすく裏切られる不毛さも、同じ生身の生きもの、同じ母語のたてつけの裡に生きている個体であってもすでに並行世界の現実の側にうっかり転生してしまっている存在と、隣り合わせに日々暮らさざるを得なくなりつつあることの反映なのだと思い始めています。