ラジオドラマのモダニズム&アメリカニズム

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 改めて言うまでもない、「うた」が生身に宿る、それは人間にとって自然な感情表現のひとつのかたちでした。おそらくそれは、時代の違いや文化、民族の差などを超えた人間本来、天然の本質といったところがあったはずです。

 ただ、それが人の耳と口を介して広まってゆく間には、その「うた」とそれに伴う気分や感覚などと共に、どこかで市場が包摂してゆく過程も介在してくる。特に近代このかた、それまでになかった飛び道具のような複製技術が現われるようになると、その過程もそれまでと違う様相を呈してきます。例によっておおざっぱ極まりない話ではありますが、この場でずっとこだわってきているお題のひとつに、そういう近代の飛び道具の介在するようになった市場に包摂されてゆく過程で「うた」がどのように変わってきたのか、ということがあります。

 たとえば、それで生身の声、生きてそこにある身によって「うたわれる」ものだったのが、文字を介して「詩」になり「短歌」「俳句」になり、さらに紙媒体に印刷されて商品として市場に流通してゆくようになる。あるいはまた、音声として記録する技術が開発されるとレコードという商品にもなれば、それを再生する機器である蓄音器の普及に伴って、それらもまた新たな市場の広がりを獲得してゆく。さらに、ラジオのような電波を介した放送媒体が出現すれば、音声そのものがリアルタイムに、それまでと異なる内実を伴う「うた」として流れてもゆき得るようにもなる。

 「うた」を商品として流通させてゆくことになるレコード産業が、20世紀の新しいメディアと技術に支えられていた限りにおいて、本質的にモダニズムに規定されていたのと同じように、ラジオもまた、新世紀の新たなマス媒体として同じ構造の裡にありました。共に「音声」と「耳」のメディアであること、そしてそれは同じく20世紀の新しいメディアとしての映画が「視角」と「眼」の媒体であったことと併せて、われわれの五感の拡張がそれまでと違う規模、異なる間尺でうっかりなされてゆく過程を、世界的な規模で同時代体験として準備してゆくことになりました。

 とは言え、このあたりのことは、単に「うた」が商品となって市場に出回るようになる、というひとことで片づけてしまっては取り落とす部分があまりに大きいでしょう。言葉本来の意味での情報環境と市場的拡がりとの関係、さらにそこに含み込まれる媒体(メディア)とそれを社会的な物量として現実化する技術的背景から、それらを享受する個々の生身の読み手や聴き手、「うた」を受容する関係や場の問題に至るまで、まさにその時代の〈いま・ここ〉まるごとのありようとその転変の来歴に関わってくる、ゆるやかで焦点深度の大きい、しかしある程度まで繊細な解像度も共に求められる知的視野が必要になってきます。

 「うた」は身の丈の身体を離れて、生身の人と人とがつむぎあう「関係」と、それらが重層し複合する「場」の裡に自在に流れ出てゆく。そこで共有されてゆく眼に見えない何ものかはしかし、その流れ出てゆくことで獲得される拡がりのどこかで、「市場」と邂逅する。それは単に「うた」が何らかのかたちでモノになり、商品になってゆくということだけでもなく、流れ出る「うた」そのもののあり方をまたひとつ別の位相、等身大の間尺の限界を越えた異なる次元の「場」になじむように変えてゆくこと、でもあるはずです。


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 話の続きは、そう、ラジオドラマのことでした。

「(「新しき劇」とは)耳ばかりを対象とする劇である。左様なものは世界中探しても四、五年前までは皆無でありました。そしてこの新しい劇は、構成・表現――補助としての音楽・擬音も含めて――既成のアートを拝借したのでは全然効果がないといってよろしい。すべて新しい頭脳から生まれてこなければならないものであります。聞く人の頭にハッキリと印象の残る工夫をいたさねばなりません。」(『無線と実験』大正15年10月)

 NHK――当時はまだ東京放送局JOAKだった仮放送中の黎明期、伊東胡蝶園の宣伝部長から縁あって初代放送部長に起用されたという服部愿夫の談。この御仁、またの名を服部普白という明治から大正期の劇評界隈の大物でもあったようですが、それはまた別の話。ラジオという新しいメディアを実際に運用するにあたり、音声の飛び道具であることから、音声そのものだけを抽出して考えるのではなく、それら音声を介して〈いま・ここ〉の「場」を想定させる「劇」というたてつけをまず構想したということに、ここは注意しておきましょう。

 音声だけが飛び道具として伝わるようになる、それによって聴き手は「あたかもその場にいるように」感じるようになる、つまり「臨場感」というものがラジオという新しいメディアにはあたりまえに附随していたらしいこと。そしてそれはおそらくレコードと蓄音器という当時の同時代の新たなメディアにとっても同じだっただろうこと。音は、音声は、ただ物理的な音波としてでなく、それを耳にして受けとる聴き手にとっては、「臨場感」が具体的な場所や時間に規定されることなく、言わば仮想的な〈いま・ここ〉としてうっかり体感されてしまう仕掛けになっていった面がどうやらあるらしい。

 いまのわれわれの感覚からは、映画やビデオといった映像メディア、昨今のもの言いからすると「ビジュアル」媒体がそのような「臨場感」を仮想的に体感させる装置になったと考えがちですし、もちろんそれは間違いでもないのでしょうが、ただ、少し立ち止まって考えてみると、初期の映画はサイレントで音声は伴っていなかったわけで、当時の人たちの感覚にとっての純粋に動く映像としての衝撃というのは、いまのわれわれの感覚からはすでに異なる体験、それこそ「逝きし世の面影」に繰り込まれつつある部分は否めないように思えます。

 「眼」を介した純粋映像は、しかし生身の感覚器官としては必ず「耳」も伴ってくる以上、音声と併せ技で体感されざるを得ないのですから、それら音声抜きのサイレント映像に、よりその「臨場感」の衝撃を衝撃として増幅しようとすれば音声を同時に加えようとするのもまた、人としての天然の欲望でしょう。サイレント映画に「伴奏」や「効果音」、さらには弁士による「説明」までも伴ってゆく過程で、それら「臨場感」の衝撃がどのように新たな再編制されてゆくようになっていったのか。昨今はもう「声優」という呼び方があたりまえになっていて、若い衆世代にとってはあこがれの職業の上位のひとつであり、また世間からの認知も少し前までとは比べものにならないくらいあがっているあの「音声を介して演じる」仕事にしても、そのような新たな飛び道具としてのメディアの出現によって否応なく現出されるようになった情報環境の変貌の中で、われわれの「臨場感」というやつがどのようにうかうかと再編制されるようになったのか、についての問いを補助線にしながら初めて「歴史」の過程として浮び上がってくる。


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 そして、「歴史」にはまた別の、予期せぬ衝撃も加わってきます。ラジオが「劇」の「臨場感」とあたりまえのように結びつけられ、ラジオドラマという創作形態が出現していった過程は、新たな飛び道具としての近代メディアの技術的普遍性によって、これまたあたりまえのように国境を越えた現象でもあったようです。

 昭和20年8月下旬、トラック島守備隊にいたある陸軍中尉が、敗戦後の武装解除に関する米軍との間の連絡将校の任を受けた。大学の法学部を出ていて多少英語ができそうだという程度の理由だったようですが、ここでひとりの米兵と出会う。名前はボブ・イーガン、アメリ海兵隊第三師団司令部付の伍長。彼がたまたま尻ポケットに突っ込んでいたソフトカバーの本、おそらくはペーパーバックだったのでしょうが、『戦時版ノーマンカウエン――ラジオドラマ集』という一冊に目がとまり、活字に飢えていた時のこと、何気なく借り受けることを申し出てみたら、このイーガン伍長が気軽に応じたことからこの中尉殿、それまでの本邦ラジオ放送で模索されてきたものとはまるで違うラジオドラマのあり方に、まずは紙と文字を介して眼を開かれることになります。

「その頃、日本放送協会が取り上げて名作としていたラジオドラマはといえば、スローテンポの間遠の、ムーディー心理芝居、情緒劇で、描かれた対立といっても、春の朧、でなければ秋の時雨、あわあわ、しっとりがもてはやされていた。だから、ラジオドラマというものはそういうものなのだ、その手のものは、やはり、久保田万太郎とか岡本綺堂とかの名匠の手を経ないと様をなさぬものなのだ、と私なんぞも決め込んでいた。が、それは時に、至極退屈でひねくれてさえいて、まるで難解な俳句をつきつけられでもしたような気分になる――そういうものでもあった。ところが、これはどうだ!このカウエン・ドラマは――どれを採ってみても文句なく解り易い。それに上品で知的でさえある。」

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 ノーマンカウエン、とは何者か。インターネット環境とはありがたいもので、この御仁の素姓や来歴もいまや少し手間暇かければアウトラインくらいはわかってくる次第。これはこの陸軍中尉殿の表記のカウエンならぬコーウィン(Norman Corwin)、ユダヤ系の放送作家であり脚本家であり劇作家でありプロデューサーであり、いずれそういう界隈で一世を風靡する仕事を成した御仁だったようです。スタッズ・ターケルレイ・ブラッドベリロビン・ウィリアムズなども大きな影響を受けたといった挿話もあれこれ散見されたりしますし、本邦のそれよりは信頼度も格式も維持されているらしい英語版wikipediaにもほれ、この通り。

Norman Lewis Corwin (May 3, 1910 – October 18, 2011) was an American writer, screenwriter, producer, essayist and teacher of journalism and writing. His earliest and biggest successes were in the writing and directing of radio drama during the 1930s and 1940s.

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www.nytimes.com

 読み物としてのこのラジオドラマに接したこの中尉殿、英文とは言え、いやだからこそだったのかも知れませんが、とにかくいたく感じ入ったようです。

「こうした質の良いフィクション――文芸ドラマを戦陣の読み物として官給し、またそれを受けて生死の境にポケットしているGI。これは凄いことなのだ。大学出の幹部候補生が戦車の中に飯田蛇笏句集を蔵しているのとは根底から別世界のことなのだ。(…)米海兵第三師団貸与の黒色天幕の中で、つくづくと納得した。敗けた原因は、これだ。」(西澤実『ラジオドラマの黄金時代』 2002年)

 たまたま出征前からラジオ放送の現場に首を突っ込んでいたこともあり、この西澤中尉殿、復員後も勇躍ラジオドラマに人生を賭け、戦後の高度成長期にかけての本邦ラジオドラマの黄金時代を縦横無尽、いわゆる放送作家のさきがけとして駆け抜けることになります。

 「戦争に敗けた原因」として「物量≒工業技術」をあげるようになった戦後の通俗的理解と共に、「文化」もまたもうひとつの敗戦の理由として伏流水のようにわれら日本人の意識の底に流れるようになっていった。その場合、戦前に上海で接収されたという映画『風と共に去りぬ』をたまたま観た、という衝撃が例証としてあげられるなど、アメリカ由来の新たな大衆文化的表現に圧倒的な「違い」を思い知らされた、という「おはなし」になっているわけですが、その流れの中にラジオドラマもまた、大衆文化的表現を介した「違い」の衝撃を表現する足場になっていたようです。
www.news.ucsb.edu

【改稿分】TOKYO2020の見せた「希望」

*1
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老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」

 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他おおぜい名無しの集合的無意識な眼力とは、実にこういうことであります。

 コロナ禍が国内的にどうにもうまく制御しきれないまま、かつ、開催をめぐる問題やトラブルが事前からあれこれ立て続きに起こって紛糾続きの中、半ば見切り発車のむりやりのような形で開催強行に踏み切ったTOKYO2020オリンピック、もれなくついてくる近年イチ推し抱き合わせ販売のパラリンピックがまだ控えているとは言え、ひとまず何とか閉会式を迎えることはできた。

 そんな中ただひとつ、確実にわれら国民同胞その他おおぜいの眼とココロとに映り、焼きついたことがあったとしたら、それは個々の種目それぞれの競技において、与えられた機会に応じて全力で自らの可能性を限界まで確かめようとする競技者ひとりひとりの生身のカラダの躍動が引き出すある種の〈リアル〉、眼前の〈いま・ここ〉に現前している同時代のまごうかたない生の確かさ、であったでしょう。

 いずれ分厚くこってりと取り巻くメディアの重囲を介してしか、われらの手もと足もとにはやってはこない、そういういまどきのマス・イベント「コンテンツ」としてのオリンピックではあれど、しかし、そのように「現場」に「臨場」することから引き離され、ナマで体感するはずのまるごとの感動から遠ざけられているかのように思える情報環境においてだからこそ、むしろかえってうっかり濾過され精製されて伝わってしまう何ものか、というのもどうやらあるらしい。

 無観客開催という条件が、むしろ奏功したという面もあるのかも知れません。観客席やスタンドにいるのは関係者と限られた報道陣だけ。世界各国から観戦に訪れる観光客はもとより、通常ならば地元開催、物見高さにおいては人後に落ちないわれらが同胞のこと、なんだかんだ言いながら競技場に押し寄せていたはずのいつもの光景、プロ野球から大相撲、サッカーや競馬などの競技を介した本邦「ショウ」「エンターテインメント」的な見世物興行の場の醸し出す日常と地続きの雑踏っぽさや盛り場的なごった煮感が、こと今回のオリンピックに関してはきれいに取り除かれていたことは、さて、どれくらい国民間に自覚的に意識されていたでしょうか。

 たとえば、あれはどういう素姓の人だったのか、どこか地方の実業家だったと記憶しますが、オリンピックとなればどの国の開催であれ必ず出没、日の丸入りの派手な陣羽織や扇を手に満艦飾、種目不問で代表選手を応援していた「オリンピックおじさん」。ああいう巷の篤志家めいた「お祭り好き」も含めたわれら本邦国民同胞その他おおぜいのある一面、良くも悪くも「大衆」であり「通俗」であるようなあり方実存含めたマス・イベントの姿を「オリンピック」として見せられ、意識させられる局面がほとんどなかったわけで、これぞまさに無観客開催ゆえの現象。そしてそれが、今回のオリンピックの「コンテンツ」としての流通、消費において、期せずしてある本質を露呈させることになったらしい。

 「分断」が言われ、同じ国民同胞としての意識をどこかで集約してゆくための足場を探しあぐねているわれわれの現在に、果して何がそうさせているのか共に腑に落ちるためのヒントを「ほら、要はこういうことだったんでね?」とわかりやすく眼前に差し出してくれることになった。今回のTOKYO2020が期せずして示してくれた教訓とは、どうやらそのあたりのようです。


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 冒頭あげた「老害おじさん炙り出し」というもの言いには、なんでもないように見えて、実は結構いろんな意味が含まれています。

 まず総論として、それはIOC主導の巨大規模なマス・イベントと化して久しい現代のオリンピックを21世紀の本邦に引き込んで舞台裏含めて開催を万事取り仕切り、粗相のないよう実際にまわしてゆくはずの、言わば「興行」の担当者としてのさまざまな組織や携わる関係各方面の、今回のオリンピックに至る過程も含めて露わになった、そのありかたについての評言であることは間違いない。まあ、世の「エラいさん」(これも死語ですか)一般に対して世間が常に抱く「ああ、結局はそういうことなんだよなぁ、ああいう連中のやり口は」という昔ながらの気分を裏打ちしてくれるもの、ではあります。

 確かに、今回のTOKYO2020は2013年に正式に開催が決定し、そのためのプランがあれこれ具体的になり始めた当初からトラブル連続、何かに呪われているかのような経緯をたどりました。

 まず、旧国立競技場をとりこわして新たに作る新国立競技場の設計案が二転三転、招致段階から織り込まれていた国際的な建築家ザハ・ハディドの手がけたプランが、建設費が増大したことを理由に着工直前の2015年に白紙撤回、内外建築家や国内建設業界界隈から公費を注ぎ込む政府以下関係団体の思惑もからんで事態は紛糾、再度コンペの結果、結局は隈研吾案が採用されたものの、予算圧縮に加え工期短縮など新たな縛りもかかり、果してわざわざザハ案を白紙撤回する必要があったのか否か、あれこれいらぬ憶測を引き出すダシになりました。

 そこから7月には公式エンブレムに模倣・盗作疑惑が勃発、デザイナーの佐野研二郎は否定したものの、海外ベルギーのデザイン事務所からフェイスブックを介して発された疑義が端緒だったこともあり、いまどきの情報環境のこと、webも含めた世論ぐるみの炎上が止まらず、結局「取り下げ」という形でキャンセルになり再度公募に。

 2019年には、JOC竹田恒和会長が誘致活動の際、シンガポールコンサルタント会社に200万ドル払っていたことが贈賄疑惑としてフランス司法当局の捜査対象となっていたことを受けて辞任。さらに、開催予定だった去年2020年にコロナ禍が出来し、開会式4ヶ月前の3月末になって開催の1年延期を決定。追加予算2900億あまりの目算も立たぬままの措置で、これまた絶好の叩きどころに。暮れには「コロナ禍による社会状況の変化や簡素化などの観点から再構築を進める」という理由で、前年選出されていた開会式・閉会式の演出チームの解散が発表され、前回リオ五輪の閉会式の「アベ・マリオ」演出含めて好評で世間的にも期待されていたチームのこの降板は、思えば本格的なケチのつき始めだったような。

 明けて今年2月には、JOCの臨時評議員会での組織委員会会長の森喜朗の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかる」という発言が拾われ、海外メディアのニューヨークタイムズなどを介して報じられたことから例によって国内報道も連鎖的に炎上、「女性への差別発言」という昨今ポリコレ的正義に依拠した魔女狩り的総攻撃の前には、「誰かが老害老害と言いましたけども年寄りは下がれというのは、どうもいい言葉ではないので、子どもたちに対する、何と言うんですか、いろんな言葉がございますけども、老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきているんですが、老人が悪いかのような表現をされることも極めて不愉快な話であります。」と、さすがにそこは元首相、懸命の抵抗をしたものの、「しかし、そんな愚痴を言ってもしょうがないことでございます。」「私がいる限り、ご迷惑をかけるということになったので、これまでの努力が全く無になってしまいます」(以上、2月12日会見)と潔く辞任を表明せねばならぬ事態に。

 追い討ちをかけるように3月には、開会式・閉会式の演出の統括責任者の佐々木宏(電通)が1年前に内輪のLINEに投稿した思いつきが、なぜかこのタイミングでweb媒体の文春オンラインを介して流出、お笑い芸人渡辺直美の容姿を揶揄する内容だったことからこれまた問題化、当人は謝罪したものの世論に抗しきれず辞任。ここからはもう怒濤のがぶり寄りで、7月の開幕に向けて開会式・閉会式のコンセプトや演出その他に関わるメンバーが発表されると、まるで仕込んだかのような「キャンセルカルチャー」沙汰が立て続けに勃発。まずは元コーネリアスのミュージシャン小山田圭吾が過去の雑誌に表明していた高校時代のいじめ沙汰が論われ炎上して辞任、引き続き絵本作家ののぶみも同様の事案がほじくり出されて早々に遁走し、さらに開会式直前、まさに前日の22日にもショーディレクターが予定されていたお笑い芸人「ラーメンズ」の小林賢太郎が、ホロコーストをネタにしたコントをやっていた過去を論われて速攻で降板のダメ押し、とまあ、ざっと経緯をおさらいしただけでも、よくもこれだけワヤが立て続けにバレる運びになったものと、改めてしみじみします。


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 世間の風向き、その他おおぜいの気分や空気の方向性みたいなものを察知するのは、古今東西政治家の必須の能力のはずです。

 いまどき本邦政治家は小選挙区制ともあいまって「地元」≒選挙区を喪失したような環境に棲息させられている分、その能力に深刻なバグが仕込まれるのが党派不問で共通の症状のようですが、それは「広告」「広報宣伝」を稼業としている界隈とて同じこと。大衆社会化の位相がひとつそれまでと異なる次元に移行していった結果、それらの裡に棲息する意識や気分の動態を最前線で測候する稼業ゆえ罹患するバグが広汎に共有されるようになっているらしい。それはいわゆる「電通」(とひとくくりにされているがとりあえず)的なワヤ、近年誰の眼にもあらわになってきている彼ら広告代理店とそれに否応なく随伴せざるを得ない生態系でエサを拾うメディア関連情報産業界隈の全面的煮崩れ症状とも必然的に関連しているはずです。

 TOKYO2020開幕直前まで、いや、それどころじゃない、開会式が終わって翌日、実際に競技が始まるその朝まで、われら本邦同胞国民の世間一般その他おおぜいは、すでに存分にシラけていました。そのことは間違いない。むろんコロナ禍で1年延期された上、肝心のコロナ禍への対応もまた紆余曲折、悪戦苦闘の連続で疲弊していたのもあるにせよ、なんの、そうは言っても本来お祭り好きの軽佻浮薄で付和雷同が骨がらみな国民気質だから、なんだかんだ言ってもいざ始まっちまえば「ニッポン頑張れ!」で盛り上がってくれるはず、てな感じで半分多寡をくくり、残り半分おそらくは片手拝みな気分でやり過してきていたそれら大会関係「老害おじさん」界隈の、ああ栄光のあの1964年は東京五輪以来の習い性まかせの「パンとサーカス原理主義な思惑がいっそ根こそぎ無惨に裏切られるくらいには、今回のオリンピックへのいわゆる「国民的期待」はほぼ底をついていたと思います、少なくとも7月24日の朝までは。

 それは冒頭の「老害おじさん炙り出し」という評言に含まれていた、オリンピックという国民的規模での、かつ世界的な市場価値の裡で催行されるような「興行」を責任もって取り仕切るべき立場にある人がたの、その実務能力についての本質的な疑念や不信感でした。そしてそれは、彼ら彼女らが実際に年寄りであるかどうかではなく、それらの実務をまわしてゆくからくりの中に安住したまま〈それ以外〉が見えなくなってしまった人がた一般に対する「ああ、やっぱりそうなんだ」という、少なくとも平成このかた「失われた30年」をこの国で生きてきたその他おおぜいの、それぞれ半径身の丈での既視感に下支えされた理解でもあったはずですし、さらに敢えて言えば、いまどき本邦同胞国民の間に広く、根深く共有されている政治や公共団体や企業その他、いわゆる「公共」への疑念や不信感ともしっかり地続きだったはずです

 けれども、であります。その「老害おじさん炙り出し」はその後、希望も見せてくれた。いや、何も日本選手団の空前のメダルラッシュや好成績といったことではなく、開会式・閉会式に代表されるオリンピックの「興行」としての仕切りの側のワヤてんこもりとは全く別に、その中身を支える競技とそこに躍動する選手たち、そしてそれらを現場で支えるさまざまなスタッフやボランティアや、いずれそういう「縁の下の力持ち」の役回りにあった名もない同胞らのありかたが、「ああ、いろいろあったけど、やっぱ開催してよかったじゃん」とひとまず思えるような何ものかを示してくれていた、そのことです。

 野球やソフトボール、卓球や体操や柔道といったこれまで日本のお家芸的に知られていた種目だけでなく、自転車やボクシングにフェンシングなど、本邦「スポーツ」の従来からすれば正直日陰にあった種目から、さらにスケートボードやサーフィンやスポーツクライミングといった、とても「スポーツ」として意識されてこなかったような種目まで、いずれいまどきの同胞アスリートたち、殊にこの「失われた30年」に生まれた新たな若い衆世代ど真ん中なコたちの無心な躍動が、「観客」という夾雑物のない無観客開催の環境で、テレビや新聞・雑誌など旧来のマスメディアだけではないwebを介した実況や動画サイトなどをも縦横に介することで余計にくっきりと、身近に切実に「見えた」。競技におけるパフォーマンスだけでなく、その後のインタヴューへの対応などまで含めて、これまでの本邦「スポーツ」の習い性になっていた定型の縛りから解き放たれたかのような良い意味での自然体で、それこそ「自分の身についたことば」で語ろうとしていた。競技や種目で濃淡はあれ、これもまた開会式・閉会式だけが別世界、異なる論理で行われていたかのような「分断」がうっかり露わになったこととおそらく関連する、広告資本にドライヴされた組織・団体やメディアの濃厚な閉鎖的環境による仕切りで展開される「興行」汚染から自然体で身をよじって逃れ得る世代感覚の予兆なのだとしたら、それは確かにひとつの「希望」と言って構わないものでした。

「スケボーでメダルを取れたというのは、よく街中で滑って遊んでて、怒られてばかり居たようなコが、なんか知らない間にオリンピックに出ちゃってメダルを取っちゃった、ってことだよね」(あるtweetより)

「お国柄が出ている。日本は凄いなと思ったのは選手が伸び伸びしてる。日本がいかに自由でやりたいことができる国だということ。楽しそうに伸び伸びと明るい若者は日本という雰囲気の中でないと、そういう選手は育たない。他アジア選手と違う」(YouTube「李相哲TV」での同氏の発言)

 思えば、「甲子園」の高校野球もかつてはそんなものだったはず。本邦の「運動」――「スポーツ」というカタカナ表記だけがあたりまえになってゆく過程のある時期までのそれらもまた、そういう身近にある若い衆の力、社会に世の中に活力をうっかり与える役回りでもあるようなそういう存在のまぶしいまでの生命力を、凝縮した形で見せてくれるものだったはずです。

 開会式以上にほとんど何の印象も残すことのなかった閉会式の後、海外メディアの中に「今回、コロナ禍の中、日本はよくやった」的な挿話を伝えるものが散見されました。その多くは無名のボランティアや、「バブル」方式と称した選手村と選手たちを隔絶する環境の中でそれでもわずかに垣間見えた本邦同胞その他おおぜいの断片を、印象的に伝えるものでした。それもまた、もしかしたら無観客開催という、いまどきの情報環境からすれば全く相反する方向での縛りのかかった中での、予期せぬ果実として世界に向けて示すことになった「日本の〈いま・ここ〉」だったはず。

 なんだかんだあるけど、どうやらこの日本と日本人ってのはそう悪いものでもないらしい。少なくとも海外の大方からはそういう風に思ってもらえているらしい――それもまた、今回五輪で本邦同胞世間一般その他おおぜいに「見えた」ことのひとつでしょう。

 「老害おじさん」とひとくくりにされてしまうような生きものたちが良くも悪くも作り、まわしてきた戦後76年、そのうち4割近くをすでに「失われた30年」と自嘲的に言わざるを得ないような停滞としてくぐり抜けてきて、さて、この先どのような「日本」にしてゆかねばならないのか。習い性まかせのやみくもな「統合」「一致団結」でもなく、考えなしの赤毛氈毛布で「分断」「格差」を助長する緊縮ネオリベグローバリズムでもなく、すでに眼前に否応なくはらまれてあるズレや違いをまず素直に認識しながら、その上でこれまでと違う文法、異なるありようの「公共」の「まとまり」をどう編み上げてゆけるのか。そのためのささやかな教訓、開かれた教材としてのオリンピックという意味では、もしかしたら今回のTOKYO2020、予期せぬところでうっかりと意外な徳を積んだのかも知れません。

*1:約1200W強ほど削るオーダーに従って改稿して入稿したもの

*2:ゲラ段階での微修正の痕跡もせっかくなのでご参考までに。消し線赤字が削除個所、太ゴチが追加個所であります、為念……210817

TOKYO2020の見せた「希望」

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老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」

 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他おおぜい名無しの集合的無意識な眼力とは、実にこういうことであります。

 開催の1年延期を余儀なくされた元凶のコロナ禍が国内的にどうにもうまく制御しきれないまま、かつ、開催をめぐる問題やトラブルが事前からあれこれ立て続きに起こって紛糾続きの中、半ば見切り発車のむりやりのような形で開催強行に踏み切ったTOKYO2020オリンピック、もれなくついてくる近年イチ推し抱き合わせ販売のパラリンピックがまだ控えているとは言え、ひとまず何とか閉会式を迎えることはできました。

 莫大な金額に膨れあがったと言われる予算規模からスポーツとカネの問題、国威発揚のマス・イベントの是非、IOCという勧進元のさらに元締めの無理無体な横ぶりから、本邦ならではの「学校」と結びついて定着してきたスポーツのあり方とそこに根ざした指導体質の文化的背景……などなど、オリンピックにからんで必ずあげつらわれるお題群で例によっての百家争鳴、まして今回はコロナ禍下での興行という異例の条件で無観客開催に踏み切ったこともあり、いつもの開催以上にあれこれ物議を醸したのも、これはまあ、致し方ないところではあったでしょう。

 成功か失敗か、相も変わらぬ単純な二分法で採点しようとする手合いが跋扈するのも本邦メディアのいつもの風景。そもそも「成功」はともかく、「失敗」というのは具体的にどのような状態をイメージしてのことなのか、前々から謎ではあります。かつてのミュンヘンの如くテロリスト集団が襲撃して死傷者が山ほど出るような異常事態が起こることを想定しているのか、今回ならばコロナ禍が猖獗を極めて選手間にも蔓延、観客はバタバタ倒れて競技続行できないような光景を創造していたのか、何にせよ雑な図式まかせの後出しジャンケン合戦の風景ですが、それでもそんな中ただひとつ、確実にわれら国民同胞その他おおぜいの眼とココロとに映り、焼きついたであろうことがあったとしたら、それは個々の種目それぞれの競技において、与えられた機会に応じて全身全霊全力で自らの可能性を限界まで確かめようとする、競技者ひとりひとりの生身のカラダの躍動が引き出すある種の〈リアル〉、眼前の〈いま・ここ〉に現前している同時代のまごうかたない生の確かさ、であったでしょう。

 いずれ分厚くこってりと取り巻くメディアの重囲を介してしか、われらの手もと足もとにはやってはこない、そういういまどきのマス・イベント「コンテンツ」としてのオリンピックではあれど、しかし、そのように「現場」に「臨場」することから引き離され、ナマで体感するはずのまるごとの感動から遠ざけられているかのように思える情報環境においてだからこそ、むしろかえってうっかり濾過され精製されて伝わってしまう何ものか、というのもどうやらあるらしい。

 無観客開催という条件が、期せずしてむしろ奏功したという面もあるのかも知れません。観客席やスタンドにいるのは基本的に関係者と限られた報道陣だけ。世界各国から観戦に訪れる観光客はもとより、通常ならば地元開催、それこそ物見高さにおいては人後に落ちないわれらが同胞のこと、なんだかんだ言いながら競技場に押し寄せていたはずのいつもの光景、プロ野球から大相撲、サッカーや競馬などの競技を介した本邦「ショウ」「エンターテインメント」的な見世物興行の場の否応なしに醸し出す日常と地続きの雑踏っぽさ、良くも悪くも盛り場的なごった煮感みたいなものが、こと今回のオリンピックに関してはきれいに取り除かれていたことは、さて、どれくらい国民間に自覚的に意識されていたでしょうか。

 たとえば、あれはどういう素姓の人だったのか、確かどこか地方の実業家だったと記憶しますが、オリンピックとなればどの国の開催であれ必ず出没、日の丸入りの派手な陣羽織や扇を手にシルクハットなどで満艦飾、種目不問で代表選手を応援していた「オリンピックおじさん」。ああいう巷の篤志家めいた「お祭り好き」も含めたわれら本邦国民同胞その他おおぜいのある一面、良くも悪くも「大衆」であり「通俗」であるようなあり方も含めたマス・イベントの姿を「オリンピック」として見せられ、意識させられる局面がほとんどなかったわけで、これぞまさに無観客開催ゆえの現象。そしてそれが、今回のオリンピックの「コンテンツ」としての流通、消費において、期せずしてある本質を露呈させることになったように感じています。

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 それはもちろんある程度普遍的なものであるだろうと共に、しかしまた確実に本邦特有の文脈における普段意識されず、うまく自覚もできないままな、われわれの裡にある〈いま・ここ〉を生きる意識のあるわだかまった部分を漉し出してくれたようです。「分断」が言われ、同じ国民同胞としての意識をどこかで集約してゆくための足場を探しあぐねているわれわれの現在に、果して何がそうさせているのか共に腑に落ちるためのヒントを「ほら、要はこういうことだったんでね?」とひとつ、わかりやすく眼前に差し出してくれることになった。今回のTOKYO2020が期せずして示してくれた教訓とは、どうやらそのあたりのようです。


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 冒頭あげた「老害おじさん炙り出し」というもの言い。ある名無しのweb上の集合的無意識がうっかり表現したその「老害おじさん」には、なんでもないように見えて、実は結構いろんな意味が含まれています。

 まず総論として、それはIOC主導の巨大規模なマス・イベントと化して久しい現代のオリンピックを21世紀の本邦に引き込んで舞台裏含めて開催を万事取り仕切り、粗相のないよう実際にまわしてゆくはずの、言わば「興行」の担当者としてのさまざまな組織や携わる関係各方面の、今回のオリンピックに至る過程も含めて露わになった、そのありかたについての評言であることは間違いない。まあ、世の「エラいさん」(これも死語ですか)一般に対して世間が常に抱く「ああ、結局はそういうことなんだよなぁ、ああいう連中のやり口は」という昔ながらの気分を裏打ちしてくれるもの、ではあります。

 確かに、すでに報道などでも知られているように、今回のTOKYO2020は2013年に正式に開催が決定し、そのためのプランがあれこれ具体的になり始めた当初からトラブル連続、何かに呪われているかのような経緯をたどりました。

 まず、旧国立競技場をとりこわして新たに作るメイン・スタジアム新国立競技場の設計案が二転三転、招致の段階から織り込まれていた国際的にも著名で実績のある建築家ザハ・ハディドの手がけたプランが、建設費が増大したことを主な理由に着工直前の2015年に白紙撤回、内外の建築家や国内建設業界とそれにからむ界隈から、公費を注ぎ込む政府以下パブリック・セクターの思惑もからんで事態は紛糾、再度コンペの結果、結局は隈研吾設計案が採用されたものの、予算の圧縮に加えて工期の短縮など新たな縛りもかかり、果してわざわざザハ案を白紙撤回する必要があったのか否か、例によってあれこれいらぬ憶測を引き出すダシにもなりました。

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 そこから7月には公式エンブレムに模倣・盗作疑惑が勃発、デザイナーの佐野研二郎は否定したものの、海外ベルギーのデザイン事務所からフェイスブックを介して発された疑義が端緒だったこともあり、いまどきの情報環境のこと、webも含めた世論ぐるみの炎上が止まらず、結局「取り下げ」という形でキャンセルになり再度公募に。

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 2019年には、JOC竹田恒和会長が、東京への誘致活動の際、シンガポールコンサルタント会社に200万ドル払っていたことが贈賄疑惑としてフランス司法当局の捜査対象となっていたことを受けて辞任。さらに、開催予定だった去年2020年、コロナ禍が出来。7月の開催予定の3ヶ月前の3月になって開催の1年延期を決定。追加予算2900億あまりが必要となりましたが、その目算もはっきりしないままの措置で、これまたただでさえ金権主義だカネまみれだとの批判が手ぐすね引いている中、絶好の叩きどころに。さらに暮れには「コロナ禍による社会状況の変化や簡素化などの観点から再構築を進め、迅速かつ効率的に準備を進めるため」という理由で、前年に選出されていた開会式・閉会式の演出企画チームの解散が発表され、前回リオ五輪の閉会式の「アベ・マリオ」演出含めて好評で、世間的にも期待されていたチームのこの降板は、思えば本格的なケチのつき始めだったような。


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 明けて今年2月には、JOCの臨時評議員会での組織委員会会長の森喜朗の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかる」という発言が拾われ、海外メディアのニューヨークタイムズやAFP通信などを介して報じられたことから例によって国内報道も連鎖的に炎上、Twitterでは「森喜朗は辞任してください」というハッシュタグまでつけられての「女性への差別発言」という昨今ポリコレ的正義に依拠した総攻撃の前には、「誰かが老害老害と言いましたけども年寄りは下がれというのは、どうもいい言葉ではないので、子どもたちに対する、何と言うんですか、いろんな言葉がございますけども、老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきているんですが、老人が悪いかのような表現をされることも極めて不愉快な話であります。」と懸命の抵抗をしたものの、「しかし、そんな愚痴を言ってもしょうがないことでございます。」「このあと、ぜひ忌憚のないように、この(オリンピックの)運営をしていかなければならんと思いました。私がいる限り、ご迷惑をかけるということになったので、これまでの努力が全く無になってしまいます。」(以上、2月12日会見)と潔く辞任を表明せねばならぬ事態に。

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 追い討ちをかけるように3月には、開会式・閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクターの佐々木宏が、1年前の3月に内輪のLINEに投稿したアイデアが、web媒体の文春オンラインを介して流出、出演構想に入っていたらしいお笑い芸人渡辺直美の容姿を揶揄する内容だったことからこれまた問題化、当人は謝罪したもののこれまた世論に抗しきれず辞任。ここからはもう怒濤のがぶり寄りで、7月の開幕に向けて開会式・閉会式のコンセプトや演出その他に関わるメンバーが発表されると、その中のメンバーにまるで仕込んだかのような「キャンセルカルチャー」沙汰が立て続けに発覚。まずは元コーネリアスのミュージシャン小山田圭吾が過去の雑誌に表明していたいじめが論われ炎上して辞任、引き続き絵本作家ののぶみも過去の同様の事案がほじくり出されて早々に降板し、さらに開会式直前、まさに前日の22日にもショーディレクターが予定されていたお笑い芸人「ラーメンズ」の小林賢太郎が、ホロコーストをネタにしたコントをやっていたことを論われて速攻で降板のダメ押し、とまあ、ざっと経緯をおさらいしてみただけでも、よくもこれだけワヤな綻び具合が立て続けにバレる運びになったものだと、改めてしみじみします。

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 世間の風向き、その他おおぜいの気分や空気の方向性みたいなものを察知するのは、古今東西政治家/屋の必須の能力のはずです。

 いまどき本邦政治家は中選挙区制ともあいまって「地元」≒選挙区を喪失したような環境に棲息させられている分、その能力に深刻なバグが仕込まれるのが党派不問で共通の症状になっているようですが、それは「広告」「広報宣伝」を稼業としとる界隈にも同じように罹患して久しいようで、大衆社会化の位相がひとつある時期までと異なる次元に移行していった結果、それらの裡に棲息する意識や気分の動態を最前線で測候するのが稼業の界隈において、共通するバグがそれなりに広汎に共有されるようになっていったらしい。それはいわゆる「電通」(とひとくくりにされているけれどもとりあえず)的なワヤ、近年誰の眼にもあらわになってきている彼ら広告代理店稼業とそれに否応なく随伴せざるを得ない生態系でエサを拾わざるを得ないメディア関連情報産業界隈の全面的煮崩れ症状とも、それらは必然的に関連しているはずです。

 TOKYO2020開幕直前まで、いや、それどころじゃない、開会式が終わって翌日、実際に競技が始まる日のその朝までは、本邦同胞国民の世間一般その他おおぜいの気分としては、すでにかなりの程度シラけていました。そのことは間違いない。むろんコロナ禍で1年延期された上、肝心のコロナ禍への対応もまた悪戦苦闘の連続で疲弊していたのもあるにせよ、なんの、そうは言っても本来お祭り好きの軽佻浮薄で付和雷同が骨がらみな国民気質だから、なんだかんだ言ってもいざ始まっちまえば「ニッポン頑張れ!」で盛り上がってくれるはず、といった感じで半分多寡をくくり、残り半分おそらくは片手拝みな気分でやり過してきていたそれら大会関係者「老害おじさん」界隈の、前回1964年は東京五輪以来の習い性まかせの「パンとサーカス原理主義な思惑が根こそぎ無惨に裏切られるくらい、今回のオリンピックへのいわゆる「国民的期待」はほぼ底をついていたと思います、少なくとも7月24日の朝までは。

 それは冒頭の「老害おじさん炙り出し」という評言に含まれていた、まさにオリンピックという国民的規模での、かつ世界的な市場価値の裡で催行されるような「興行」を責任もって取り仕切るべき立場にある人がたの、その実務能力についての本質的な疑念や不信感でした。そしてそれは、彼ら彼女らが実際に生物的な年寄りであるかどうかでもなく、それ以上にそれらのたてつけ、実務をまわしてゆくからくりの中に安住したまま〈それ以外〉が見えなくなってしまった人がた一般に対する「ああ、やっぱりそうなんだ」という、少なくと平成このかた、「失われた30年」をこの国で生きてきたその他おおぜいのそれぞれ半径身の丈での既視感に下支えされた理解でもあったはずですし、さらに敢えて言えば、いまどきの本邦同胞国民の間に広く根深く共有されている政治や公共団体や企業その他、いわゆる「公共」への疑念や不信感ともしっかり地続きなはずです。

 けれども、であります。その「老害おじさん炙り出し」はその後、希望も見せてくれた。何も日本選手団の空前のメダルラッシュや好成績といったことではなく、開会式・閉会式に代表されるオリンピックの「興行」としての仕切りの側の現われとは全く別に、その中身内実を支える競技とそこに躍動する選手たち、そしてそれらを現場で支えるさまざまなスタッフやボランティアや、いずれそういう「縁の下の力持ち」の役回りにあった同胞らのありかたが、「ああ、いろいろあったけど、やっぱり開催してよかったじゃん」とひとまず思えるような何ものか、を示してくれていた、そのことです。

 野球やソフトボール、卓球や体操や柔道といったこれまで日本のお家芸的に知られていた種目だけでなく、自転車やボクシングにフェンシングなど、これまでの本邦「スポーツ」のたてつけからすればどちらかと言えば日陰にあった種目から、さらにスケートボードやサーフィンやスポーツクライミングといった、これまでとても「スポーツ」として意識されてはこなかったような種目まで、いまどきの同胞アスリートたち、殊にこの「失われた30年」に生まれた新たな若い衆世代ど真ん中なコたちの躍動が、「観客」という夾雑物のない無観客開催の環境で、テレビや新聞・雑誌など旧来のマスメディアだけではないwebを介した実況や動画サイトなどをも縦横に介することで余計にくっきりと、身近に切実に「見えた」。競技におけるパフォーマンスだけでなく、その後の取材やインタヴューへの対応などまで含めて、これまでの本邦「スポーツ」の習い性になっていた定型の縛りから解き放たれたかのような良い意味での自然体で、それこそ「自分の身についたことば」で語ろうとしていた。競技や種目で濃淡はあれ、これもまた開会式・閉会式だけが別の世界で行われていたかのような「格差」がうっかり露わになったこととおそらく関連する、広告資本にドライヴされた組織・団体やメディアの濃厚な閉鎖的環境による仕切りで展開される「興行」汚染から自然体で身をよじって逃れ得る世代感覚の予兆なのだとしたら、それは確かにひとつの「希望」だったと思います。

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「スケボーでメダルを取れたというのは、よく街中で滑って遊んでて、怒られてばかり居たようなコが、なんか知らない間にオリンピックに出ちゃってメダルを取っちゃった、ってことだよね」(あるtweetより)

「お国柄が出ている。日本は凄いなと思ったのは選手が伸び伸びしてる。日本がいかに自由でやりたいことができる国だということ。楽しそうに伸び伸びと明るい若者は日本という雰囲気の中でないと、そういう選手は育たない。他アジア選手と違う」(YouTube「李相哲TV」での同氏の発言)

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 思えば、「甲子園」の高校野球もかつてはそんなものだったはず。本邦の「運動」――「スポーツ」というカタカナ表記だけがあたりまえになってゆく過程のある時期までのそれらもまた、そういう身近にある若い衆の力、社会に世の中に活力をうっかり与える役回りでもあるようなそういう存在のまぶしいまでの生命力を、凝縮した形で見せてくれるものだったはずです。

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 開会式以上にほとんど何の印象も残すことのなかった閉会式の後、海外メディアの中に「今回、コロナ禍の中、日本はよくやった」的な挿話を伝えるものが散見されました。その多くは無名のボランティアや、「バブル」方式と称した選手村と選手たちを隔絶する環境の中でそれでもわずかに垣間見えた本邦同胞その他おおぜいの断片を、印象的に伝えるものでした。それもまた、もしかしたら無観客開催という、いまどきの情報環境からすれば全く相反する方向での縛りのかかった中での、予期せぬ果実として世界に向けて示すことになった「日本の〈いま・ここ〉」だったはず。

 なんだかんだあるけど、どうやらこの日本と日本人ってのはそう悪いものでもないらしい。少なくとも海外の大方からはそういう風に思ってもらえているらしい――それもまた、今回五輪で本邦同胞世間一般その他おおぜいに「見えた」ことのひとつでしょう。


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 「老害おじさん」とひとくくりにされてしまうような存在が良くも悪くも作り、支えてきた戦後76年、そのうち4割近くをすでに「失われた30年」と自嘲的に言わざるを得ないような停滞としてくぐり抜けてきて、さて、この先どのような「日本」にしてゆかねばならないのか。習い性まかせのやみくもな「統合」「一致団結」でもなく、考えなしの赤毛氈で「分断」「格差」を助長する緊縮ネオリベグローバリズムでもなく、すでに眼前に否応なくはらまれてあるズレや違いをまず素直に認識しながら、その上でこれまでと違う文法、異なるありようの「公共」の「まとまり」をどう編み上げてゆけるのか。そのためのささやかな教訓、開かれた教材としてのオリンピックという意味では、もしかしたら今回のTOKYO2020、予期せぬところで意外な徳を積んだのかも知れません。
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*1:例によっての草稿段階。ゆえに掲載稿は手入るかもだがとりあえず……210816

*2:さっそく削れとご指示が飛来……( ノД`)

「わたしにもできる」ということ


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 「わたしにも写せます」というフレーズを、おぼろげながらも自分ごとの見聞として覚えている向きは、ゆるく見積ったとしてもいまやもう50代も後半以上、まずは還暦超えた年寄り世代ということになるのでしょう。いまどきの若い衆世代の語彙で言うなら、まさに「昭和」の人がた、すでに「老害」呼ばわりされて陰口叩かれる存在になっている世代の記憶ということに。

 1965年、昭和40年のテレビCMのキャッチフレーズ。ブツは「フジカシングル8」。これもまたもはや説明が必要な過去の遺物、忘れられた「動画」記録デバイスになってしまった「8ミリカメラ」の宣伝広告で、のちに堂々参議院議員にまでなった元ヅカガール(これも死語に近いかも)で、当時NHKは朝の連ドラなどでお茶の間(ああ、これもまた「昭和」の死語っぽい)人気沸騰中の扇千景が自ら手にしてにっこり微笑みカメラ目線で訴えるひとこと。記録によればわずか15秒の「尺」で、「見るからにキカイに弱そうな扇千景にそれを言わせ、操作しやすい8ミリカメラというセリングポイントを端的に表現して水際立っていた」などと評される、まずは戦後本邦広告史でもひとこと言及される程度には有名な代物。当時、テレビのスポットCMの単位が30秒から15秒に短縮され、さらに5秒のCMカード――今でも地方のテレビ広告でたまにある「絵の動かない」フリップのことだが、これ一発の広告も解禁されて、「5秒スポット」と呼ばれる一瞬のCM形式が一気に主流になった時期だそうで、「比較的小予算で手軽に周知効果が狙えるとあって新製品や季節商品の発売キャンペーンなどに繁く利用され、1965年に中止されるまでの前後3年間、お茶の間を掃射した」由。この流れを受けて、とにかく視聴者の耳目を集める「見出しことば」、つまりキャッチフレーズの良し悪しがテレビCMの眼目になっていた中、生み出されていた秀作のひとつということになります。


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 まあ、今ならポリコレ基準、フェミニズムだのジェンダーなんちゃらの方面から、女性差別だ蔑視だと速攻で非難中傷雨あられ、たちまち放送中止になるような内容のCMではあるでしょう。実際、これより10年ばかり後、1975年には「わたし作る人、ぼく食べる人」というキヤッチフレーズを擁したハウス食品のインスタントラーメンのテレビCMが「男女の役割分担を固定化するもの」として物議を醸し、すったもんだの末に結局、放送中止に追い込まれていますから、そのデンでゆけば、この「わたしにも写せます」も、少し時期がずれていたら同じような俎板に乗せられ、糾弾されていて不思議はなかったかも知れません。

 ここでのこの「わたし」という主語、直接的には先に触れたような「キカイに弱そうな」「女性・ご婦人方」を表わしているのは明らかです。つまり、そんな「わたし」にでもラクに簡単に操作して、8ミリ映画(当時は「動画」というもの言いはまだ一般的には使われておらず、家庭向け民生用フォーマットの8ミリもまた正しく「映画」の範疇でした)を撮影することができる、というのがそのココロだった。何より、その「わたしにも写せます」の直前には「マガジン、ポン!」という、これも黄色い声(これも要解説な慣用表現になっているかも)によるかけ声が入り、後のカセットテープのようにパッケージ化されたフィルムの「マガジン」を本体に装着するだけで準備完了と、当時すでに爆発的に普及していた家庭向け銀塩カメラの操作でひとつの敷居の高さになっていたフィルムの装填という作業を簡略化するポイントもしっかり強調されていたわけで、何にせよそういう「わたし」という主体であってもなお、それら面倒で厄介な手続きを経ないとちゃんと動いてくれない「機械」を「簡単に」動かせるんだ、という強いメッセージを実にわかりやすく、単純明快に表現していた一編ではありました。


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 「わたし」にも「簡単に」、特別な知識や訓練、稽古を必要とせずに、今すぐこの場で「できる」――思えばこのメッセージは、「戦後」のわれら同胞、いずれ世間一般その他おおぜいの最大公約数的な気分、怠惰で横着で受け身でできる限り上げ膳据え膳、自分自身が汗をかき、手を動かし、手間も暇もかけて何かをするということからできれば身を遠ざけておきたい、というある意味人間本来の隠された欲望にダイレクトに突き刺さるものでした。

 それはさらに「便利」というひとことにも凝縮され、単に仕事や家事の断片的な場面だけでなく、およそ日常のあらゆる局面で時間も労力もできる限り省略する/できるようになってゆくことがとにかく無条件で素晴らしいことであり、それこそが「進歩」であり「新しい生活」のかたちなのだ、といった方向でのコンセンサスを、それこそ家電製品から何から、いずれ市場に大量に出回り売られてゆくようになる商品群のもたらす具体的で否応ない説得力とあいまって、誰もが特にそうと疑うことのなくなる「そういうもの」になるまで作り上げ、あまねく浸透させてゆくことになりました。

 そのような「わたし」とは、単に女性であるだけではなかった。時に子どもでもあり若者でもあり、つまりそれまで〈おんな・こども〉と称されひとくくりにされてきたような、社会的には一人前の主体として正面からとらえられてこなかった存在を、折りから伸長してゆく経済市場がはっきり自覚的にその射程に主体として捕捉し始めたことの表現でありました。同時にそれはまた、ようやく「消費者」という新たなもの言いと共にわれわれの意識に合焦し始めた新たな「われわれ」像、大衆社会化の過程の裡に宿っていったそれまでとは違う「われわれ」の自意識の現われでもありました。

 そのような新たな「われわれ」という自意識は、ひとりの個人である自分という意識の拡張もそれまでとまた違う規模でもたらしたようです。

 有名になりたい、他人に注目されたい、その結果がどのようなものであり、自分自身をどのように変えてゆくことになるのかなど、先行き一般に思い馳せることもなく、ただそうなりたいという欲望だけが一方的に、野放図にふくらんでゆく。そんな「わたし」が「簡単に」できる/なれること、という方向での「夢」や「あこがれ」がひとりひとりの身の裡にうっかりと宿り始めるようになる。流行歌の「歌詞」を作りたい、ということも、それならばこの「わたし」にも「簡単に」できるかも知れない、とその他おおぜいのわれわれがかなりの割合でそう思えるようになったからこそ、戦後の作詞家ブームは支えられていたはずですし、それと同じ時期、 やはりブームになったと言われる社交ダンスや英会話といった新たな「習い事」の類も同じこと。それらは、それまでのような生活上の実利と直線的・単線的に結びついたものではない、まさに「わたし」の「楽しみ」のために選択された営みであり、仮にその結果何らかの実利があるとしても単なる賃金稼ぎ目的の労働ではないという新たな意味が付与されるものになっていました。

 「趣味」というもの言いが、新たに自在な意味をまとうようになっていったのも、おそらく同じ過程です。それは、履歴書の書式に「趣味」という欄が平然と並ぶようになってゆき、そこに書き込むべき事項として「読書」や「音楽鑑賞」「映画鑑賞」などといった語句を「そういうもの」として書き込むことに誰もが立ち止まらなくなっていった過程でもあるはずです。それまではある限られた条件で成り立った「個人」の、まさに「余暇」「余技」のたてつけとしてあり得る営みが「趣味」であり、それは誰もがおいそれと獲得できるようなものでもなかったはずなのですが、ただ、戦後に解き放たれていった新たな「われわれ」は、そのような「趣味」もまた、朗らかにその手の裡に入れていってしまったようです。

 それまでなら「道楽」であり、生きてゆく上での実利に関わらず、何の得にもならないやくたいもない営みとして忌避されるようなものが、それら新たな「われわれ」にとっては当然、開放されるべき「余暇」の充足の仕方として認識されるようになりました。時に応じて好きに唄われるものであった「うた」も、「趣味」のたてつけの中に溶け込まされるようになり、日常のそこここに平然と姿を現わすようになってゆきます。「うた」に必ず伴っていたはずの「芸能」本来の時間と空間の縛りの中に初めて宿り得たような何ものかもまた、そのような道行きの裡に希釈され、その味わいを変えてゆくことになりますが、それもまた少し別の話。話題は具体的なのが一番、なのでまた手にあったところへ戻してゆきましょう。

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 「わたし」にもできるかもしれない――そう思ってうっかりとどこかへ一歩踏み出してしまう契機は、何も流行歌の作詞に限らず、戦後のこの時期、それまでよりずっと身近に手もと足もとに準備されるようになっていたようです。そしてそれは、「広告」という表現がわれわれの日常に、それまでと違う規模と量とで、しかも音や声を介してずかずかと入り込むようになっていった経緯が、どうやら関わっていたらしい。放送媒体としてのラジオ、それも民間放送の開始が大きなきっかけになって、そのような「広告」が日々の日常空間、いわゆる「家庭」の中に流れ込むようになった衝撃は、それまで本邦同胞が育んできた「うた」と「ことば」の作法にも想像する以上に少なからぬ影響を与えた痕跡は、前回触れたラジオCMとある意味隣り合わせ、共に同時代の新たな情報環境を謳歌する立場にあったラジオドラマという表現においても確認できるものです。

 ラジオ放送自体は戦前、大正14年7月から行われていて、後のラジオドラマにあたるような劇形式の表現は放送初期から試みられていました。とは言え、それは歌舞伎の舞台にマイクロフォンを持ち込んだ「劇場中継」のようなもので、後のラジオドラマのようにあらかじめそのために書き下ろされた台本・脚本によって、ラジオ独自の特性を生かした新しい形式の劇(ドラマ)というわけではなかったのですが、ただ、当時からラジオはそれに合った「新しき国民音楽」と「新しき劇」の必要を意識していたようです。音と劇、生身を介した上演の「場」を音声を中心に再編制してゆくという初志。この「新しき劇」が放送劇であり、後のラジオドラマにつながってゆくというのが一応の概史とされています。

「聴覚の世界を以て一つの劇を創造するということは、大きく言えば、全く今までになかった一つの新しい芸術を創造することに他ならない。映画がようやく新しい芸術としての地歩を占めてきたのに同じ区、何等かの形を以て「ラヂオ劇」なるものは、必ず生まれなくてはならない。それには、真にラヂオを理解し、ラヂオを愛し、同時に芸術に愛着と憧憬を持つ人の手によって研究されるべきである。」(大正14年8月11日『日刊ラヂオ新聞』)

 ただ、当時「放送劇」という理解は概ねあっても、呼び方は未統一だったようで、ここに使われている「ラヂオ劇」という表記以外にも、「放送舞台劇」「映画せりふ劇」「ラヂオ風景」「ラヂオ叙情曲」「舞台劇」「ラヂオプレイ」「ラヂオコメディー」「ラヂオドラマ」など実に多様というかバラバラで、このあたり新しい媒体に何をどう盛りつけるべきか、草創期ならではの手探りな感じがなかなか微笑ましくもあります。

 もちろん、この時代はNHK一択、民間放送はまだありませんし、だからラジオの「広告」も存在していない。戦後、昭和20年代に全盛を迎えたと言われるラジオドラマという表現形式が、敗戦をはさんだ環境の推移の中、徐々に整えられてゆく過程で、「うた」がどのような立ち位置を占めるようになっていったのか、そして生身の音と声がラジオという放送媒体を介してどのように新たな表現の形式を獲得していったのか、というあたりの問いなども、この先また少しずつほぐしてゆければと思います。

五輪の「教訓」

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sports.nhk.or.jp
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 おい、マリオやドラえもんどころか、ポケモンもニンジャもアキラのバイクも出てこんかったじゃないか!――終わったばかりのオリンピックのまずは私的な印象です。

 個々の競技や選手の手柄は全部措いておきます。開催する側の仕切りの悪さ、つまり「祭り」なり「興行」なりを取り仕切る勧進元としての器量のなさだけが強烈に印象づけられ、世間一般その他おおぜいの眼にもあらわになったあの開会式と閉会式。つまり、それら勧進元の意図が直接反映される部分と、興行の本体である各種種目や競技、それらに参加する個々の選手たちの見せてくれた上演・パフォーマンスの質との間の、いやはや、もうまるで別のシロモノ、異空間で行われたとしか思えないほどの絶望的な距離感こそが、今回の五輪のある本質だったとしか思えなかったのであります。

 さすがに棚落ち著しい本邦報道界隈も見過ごせなかったらしく酷評含めて取り沙汰花盛りで、「サブカル」偏重といったもの言いが批判的な意味で擁されていましたが、これは正直、的外れ。というのも、そもそも前回リオ五輪の閉会式の東京への橋渡しの段で、当時の安倍首相がマリオに扮してドラえもんの用意したどこでもドアならぬ土管の仕掛けを使って地球の裏側、リオのスタジアムまでまでやってくる、というたてつけで、世界はもとより口うるさい本邦メディア桟敷のわれらその他おおぜいをいたく興奮させ、かつ、ああ、これなら東京でもこの延長線上に相当いいものこさえてくれるんだろうなぁ、という期待を素直に抱かせてくれていた。それこそそれらマンガやアニメ、ゲームなどこれまで「サブカル」と称され、日陰者扱いされてきたものたちこそが本邦21世紀の世界に向けて発信すべき価値あるコンテンツであることを全力で示してくれるに足る仕上がりだったわけですから、問題なのは「サブカル」ではない。批判されるべきはその「サブカル」をリオの延長線上、きちんと〈いま・ここ〉のわれらニッポンのありかたとして本腰入れて自分ごととして扱う器量を、本邦国家規模での興行を取り仕切る現場がこの4年プラス1年で見事に失っていたらしい、そのことです。*2

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 それら「サブカル」と称されてきたものは、戦後の「豊かさ」まかせにうっかりはびこらせてしまったものでした。それらの価値を、われわれ自身がちゃんと認識しようとしてこなかったことのツケは、そのはびこらせたことの功罪含めて何でもかんでも「サブカル」というレッテルを貼ってわかったつもりになる悪弊としていま、露わになった。それは、その「豊かさ」自体についても同じだったでしょう。なぜわれわれは「豊か」になれたのか、それを自前の身についた言葉にすることを怠ってきたのと同じように、「サブカル」もちゃんと語られてこなかった。そもそも「サブ」に対する「メイン」カルチュアは昨今どうなっているのか、そもそもそんなものあり得るのか、殊に西欧の文明から遠い極東の島国においては……などなど、国民国家として世界に存在証明をし続けるのならばあり得べき問いを全部なかったことにしたまま、それこそノリと勢いだけで突っ走ってきただけだったことを、この令和の世になって改めていまさらながらに思い知らされたというお粗末。

 あのリオの閉会式のアベ&マリオの演出が、戦後の高度成長から平成の「失われた30年」を経てなおかろうじて輪郭を保っていた「戦後の生まれ変わった日本」という自意識による最後の、かろうじてまとめてみせたなけなしの自己表現だったとしたら、今回の開会式・閉会式に見られたようなバラバラの、国として国民として統合する気配を何ひとつ感じさせることもできなくなった索漠とした空しさは、「戦後」そのものがもう本当に過去のものになったことの明確この上ない表現であり、だからこれから先はどのように「日本」の輪郭を世界に向けてもう一度、自分たちの手で描き直してゆかねばならなくなっているのかを期せずして国民同胞の眼前に突きつけてくれました。マスの規模でのイベント、興行ごとというのは昔も今も、その程度には教訓的で、残酷なできごとをうっかりと引き出してくれるもののようです。

*1:紙幅の都合で思いっきり舌足らずで概略だけだけれども、とりあえず。詳細は別の機会にもう少していねいに、と……210810

*2:例の演出だのプロデュースの側の現場のgdgdなどもこのへんと関連して改めて考察しておかにゃならんお題だとは思う、いやほんとにかなりマジメに。