2022-01-01から1年間の記事一覧

「団塊の世代」と「全共闘」・余滴②――呉智英かく語りき・断片

● 創価学会 創価学会は危険な組織か、とよく議論されるけど、創価学会に対して自由に批判があり得るうちは、さほど危険ではないと私は思ってる。この場合の批判というのは、何も高尚でお上品なものだけではなくて、野次や嘲笑、罵倒なんかも含めてのことだけ…

「団塊の世代」と「全共闘」・余滴①――呉智英かく語りき・断片

king-biscuit.hatenablog.com 一連のエントリー、上記であらかじめ経緯来歴について説明した通り、2005年から6年にかけての頃、呉智英夫子との対談本というか、インタヴュー本的な企画がお流れになった、その概ね9割方かたちになっていた作業中の草稿データ…

耳の〈リアル〉と「事実」の関係

● 大正12年の秋、というと、あの関東大震災が起きた年の、まさにちょうどその頃、ということになります。ただし、これは被災地東京ではなく大阪でのこと。当時、朝日新聞社企画部にいた高尾楓蔭が、ひとりのアメリカ人を会社に連れてきました。この高尾楓蔭…

作家の音読と朗読、「読む」と「書く」の関係

● いわゆる作家が自分の書いた作品を同人誌の仲間に披露する時、自ら原稿を朗読する習慣が、かつてあたりまえにあり、そしてそれはずいぶん後まであったらしいことは、以前も何度か触れました。それは小説であっても、それこそ流行歌の歌詞においても、それ…

「団塊の世代」と「全共闘」㉝ ――本で人生は変わり得る、か

実は最近、本が読みたくなくてしょうがないんだよ。このところ母親の面倒を見たり、忙しかったりしているから余計にそうなってるんだろうが、でも、そんな中でも特に小説は読みたくない。するすると頭に入って面白いものはないかなと思って、あ、そうだと思…

「団塊の世代」と「全共闘」㉜ ――大江健三郎、高橋和巳

●大江健三郎 ――三島なんかとは格が違うとは思うんですが、未だに朝日新聞以下、後がなくなってるリベラル陣営の守護神というか貧乏神みたいになっている、大江健三郎はどうでしたか? 大江健三郎は、私たちの頃は尊敬の対象ではなかったし、私も大江健三郎を…

「団塊の世代」と「全共闘」㉛ ――三島由紀夫、連合赤軍、「学生」の東と西

●三島由紀夫 ――あと、呉智英さんの世代、いや、もう少し下まで含めていいと思いますが、吉本と共に三島の影響ってのも大きいことに驚くんですよ。あたしらにとっちゃ、少なくとも同時代の印象としては、単に自衛隊に突入して腹切っちゃったヘンな作家、程度…

「団塊の世代」と「全共闘」㉚ ――吉本信者への違和感、草の根の共産党員のこと

――思想なり発言なりに何らかの抵抗値が設定されてないと、その輪郭も自覚できないままってところはありますね。あたしが年来便利に使っている「あと出しジャンケン保守」というもの言いと同じことで。福田恒存や江藤淳がかつて、ああいう論陣を張っていたの…

「団塊の世代」と「全共闘」㉙ ――本音と建前、二分法の前景化

――「国家」ってのがもうあらかじめそんなに大変な争点になってた、ってことなんでしょうね。で、そんなものは崩壊する、死滅する、というのが理想郷である、と。なんというか、ラスボスとしての「国家」を想定してそれを倒すことが正義、というのは、まず想…

「団塊の世代」と「全共闘」㉘ ――鶴見俊輔と吉本隆明、「転向論」の彼我

で、そういう状況に少数派が出てきたわけだ。私は客観的には評価している鶴見俊輔(哲学者/一九二二│)なんかがそうだな。彼ら「思想の科学」系という、毛色の違う、異様な出自のグループがいたわけだ。彼ら鶴見たちは、たとえばジョン・デューイなど、アメ…

「団塊の世代」と「全共闘」㉗ ――吉本隆明ブランドのご威光

第四章 同時代の知の巨人たち、もしくは知のはぐれものたち● 吉本隆明 吉本の影響力は、やっぱり絶大だったね。でも、その理由というのは、ものすごく単純なことで、要するに若者はヒーローを求めていた、そういうことだよ。 ――それはまたわかりやすすぎると…

「団塊の世代」と「全共闘」㉖ ――「大学」の衰退、戦後の終焉の風景

●大学という場の磁力、日本人の退嬰化 ――大学自体、そういう「教養」をわが身に紐付けて形成してゆくような教育を、最近はもうしていませんし。 そう、ただ昔から大学は、そういう教育をしていたとしても、それは一般的な教養教育にすぎないんであって、制度が…

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1 *2●教養願望とオタク的情報量の集積 ――でも今、浅田彰や宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。 それは、教養になり得ていないんだよ。 ――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほん…

「団塊の世代」と「全共闘」㉔ ――オンナの自意識、教養主義の残映

●女の自意識、戦後フェミニズム ――明治、大正、昭和と、女の欲望、自意識も変わってきます。女に自意識どころか性欲がある、なんて当時としてはとんでもない話だったわけですよね。 俺の子供の頃、母親の「主婦の友」の性の悩みコーナーとか見ても、女に性欲…

「団塊の世代」と「全共闘」㉓ ――快適なシングルライフ、の尖兵

●快適なシングルライフ ひとり者=シングルの始まりは団塊世代か、ということについて、友人の山口文憲が『団塊ひとりぼっち』という本で書いていた。これはさっきちょっと触れた七○年以降の社会インフラの整備と関係することだけど、地域の共同体は崩壊して…

「団塊の世代」と「全共闘」㉒ ――オトコとオンナ、自慰の暗闇、処女性の霹靂

◎男と女、自慰の暗闇 処女性の霹靂 ――「婚前交渉」と同じように、当時はオナニーも問題になったでしょ。自慰、マスターベーション、ですが。 もちろん、問題になった。私の世代では、小・中学校の頃、オナニーは変態扱いだったね。 ――うわ……いきなり「変態」…

「団塊の世代」と「全共闘」㉑ ――「愛」と「家庭」の不条理

◎愛の不条理、家庭の不条理 ――これはもう、団塊の世代だけを軸に考えることではないとは思いますが、少なくともそういう下半身というか、セクシュアリティと関係性の領域についてはほんとにめまいするくらいの格差、ってのが、眼前の事実として横たわってま…

「団塊の世代」と「全共闘」⑳ ――「団塊」の異性観、セックス観

◎個の幸福、と、共同体の承認 ――話を同棲から恋愛、といったあたりに少し戻します。 それまで当たり前だったような、所属する共同体によって公認される「恋愛」から離脱した、ある種純化されたモデルとしての恋愛が具体的な形になったら、当時の「同棲」にな…

「団塊の世代」と「全共闘」⑲ ――「同棲」の破壊力、と「うた」

● 悩み深き高校時代の団塊◎ 「同棲」の破壊力 ――話の流れがそういうことになってるんで尋ねちゃいますが、呉智英さんのヰタ・セクスアリスはどんなものだったんでしょうか。 高校は男子校だったからさ、女のことはほとんどわからなかったなあ。全く交流がなか…

「団塊の世代」と「全共闘」⑱ ――団塊的「恋愛」について

●時代の急激な変化の中で――団塊的恋愛論◎愛子出現のトキメキ ――そもそも、「恋愛」ってやつもまた、これまでとまた違う位相で抑圧になってきている経緯がありますよね。最近だと「モテ」「非モテ」みたいな言い方も一部では出始めてて、それは主としてオトコ…

「財界人」と信仰、信心の関係

京セラの稲盛和夫氏が、亡くなりました。享年90とか。いわゆる「財界人」の中でもいまどきの世間一般にまで、その名前をよく知られていた御仁でしょう。 思えば、この 「財界」というもの言いも考えたら妙なものです。検索すると、ざっとこんな定義が出てく…

「団塊の世代」と「全共闘」⑰ ――俗流「世代論」の落とし穴

第二章 団塊の世代が作り出したパラダイム・ターミノロジー●団塊が団塊と呼ばれる理由 ――さて、ここからは「団塊的なるもの」は本当にあるのか、というあたりに絞って、話を深めてみたいと思います。 今までの話では、団塊の世代批判というのは本質的な批判…

「団塊の世代」と「全共闘」⑯ ――個人という「正義」

● 個人と組織、個人と社会、個人と共同体 組織がなくなって、「個=正義」という時代になってゆくと、組織にまつわっている政治も蒸発するみたいになくなってしまった。ただ、それでもあの六○年代後半は、個であることを主張しようとすれば、もちろん大した…

「団塊の世代」と「全共闘」⑮ ――護憲と反米、その戦後的来歴

なんだかなあ、と思うのは、社民党以下、いわゆる野党側、平和勢力が「改憲」に反対するのに、未だに言語道断、お家の一大事、的に肩肘張ってみせているのがかえって滑稽で。憲法くらい変えとかないと現実にもうどうしようもないでしょ、っていう世間の視線…

「団塊の世代」と「全共闘」⑭ ――ベトナム、文革、北朝鮮

●ベトナム、そしてべ平連 ――ベトナム、というのはどうだったんでしょう。一般の学生にとっても、「反米」というより、むしろ素朴な「反戦」モードが大衆化したのは、ベトナム戦争がやはり大きかったと思うんですが。 ベトナムの問題については、日本では在日…

「団塊の世代」と「全共闘」⑬ ――明かされてゆくソ連の非道

●つぎつぎと明かされるソ連の非道 ――でも、その価値の中心だったソ連の無謬神話自体が、どんどん崩れてくるようなできごとが当時、すでに起こり始めてたわけじゃないですか。 そうだよ。ソ連について問題なのは、まず衛星国に対する弾圧。これは当時からとき…

「団塊の世代」と「全共闘」⑫――生活に浸透してきた「アメリカ」

●団塊をめぐる「世界」 ――これまでお話をうかがってきて、呉智英さんの「戦後」認識の基調になっているのは、左翼と言い、社会運動と言っても、それはある時期、六○年代前半までの約二十年とその後とでは相当に違っている、ということだと思います。戦前/戦…

「団塊の世代」と「全共闘」⑪――前衛、ということ

●前衛、ということ ――今だとサヨクとかプロ市民とか、とにかく状況の変化について行けないオヤジ世代の思考回路の典型みたいに言われて、それがまたさっきから出ているように「団塊の世代」と直結されてくるわけですけど、これはまあ、いまの若い衆に特徴的…

「団塊の世代」と「全共闘」⑩――「豊かさ」の中で「反米」を叫ぶ

●「反米」を叫びながらパンを食う、という身体との乖離 ――最初の方でも言いましたけど、呉智英さんって、本質的に歴史家なんじゃないかと、以前から思ってるんですよ。それも民俗学的な、あるいは言葉本来の意味での民衆史でもいいんですが、何にせよ、いわ…

「団塊の世代」と「全共闘」⑨――「反米」と戦後左翼思想の起源

4.戦後左翼思想の起源●「反米」――六○年安保世代と団塊の世代の差異 ――話をまた少し引いたところに、いったん戻します。 「反米/親米」ってのが最近また、クローズアップされてきてるじゃないですか。例の小林よしのりや西部邁のアメリカニズム批判をもと…