解説・富士正晴「童貞」

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 書き手としての富士正晴というのも、これまた、なかなかに好もしい。いや、それどころではない、すさまじく、かつ手に負えない。それでいながら、なお好もしい。そういう書き手は、いや、ほんとうに稀有なのだ。

 男の側から性欲というものを言語化して記述することの困難、そしてそこから発して、性的存在としての人間存在そのものについてのあるどうしようもない本質、個別の個体としてだけでなく類として通底してしまう現実の水準まで含めて規定されているらしい領域までも一瀉千里、一気通貫の見通しよさで視線を届かせ、それをなお眼前の挿話のたてつけにあっさり組み込んでしまう。まして、ありがちな一般論や抽象論ではなく、どこまでも読み手をも含めたその他おおぜいに開いた「自分ごと」として、ということまでを実際にやってのけているというのは、こと日本語を母語とする間尺に限ってみても、その間、実に気が遠くなるような難儀や面倒がその「書く」という作業にこってりとまつわっていることが見てとれて、たとえ思いついたとしても、おいそれと手がけて問題にしたくもないというのが普通だろう。

 だが、それをわれらが富士正晴ここでさらっとやってのけている。しかも、それを旧帝国陸軍の日常、あの内務班ベースの人間関係と場という書き割りにおいて。そしてさらに、それを「おはなし」(だろう、やっぱこれも)のたてつけに盛りつけながら、いずれ多種多様、文字通り何でもありにとりとめないこの現実のひとりひとり、個別具体の生身をはらんだ読み手の茫漠の側にとにかく有無を言わせず腑に落とし、骨身にしみさせて、結局のところは日々生きてゆくべき滋養にさせてしまう。こんな凄い丹精の結実は、すさまじく、かつ手に負えない好ましさ、まずはそう言い棄てておくしかないじゃないか。

 思えば、「戦争文学」というもの言いも、戦後の過程で一時期、さまざまに使い回され、あれこれ言及されていた。いまもなお性懲りもなくそのままお題にしている向きも何らかの思惑と共に、まあ、あるらしい。だが、少なくともそれら言及の枠組み自体がすでに歴史の過程に織り込まれつつある時期にさしかかっていることに正面から対峙し、その上でなお、その事実を穏当に留保しつつ、自ら手にあう方法をなお誠実に編みだそうと格闘しているものには、寡聞にして未だそれほどお目にかかったことがない。それは、本邦いまどきの「文学」というものが、すでにそのようなものでしかなくなっているからだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。こと自分自身にとっての「戦争文学」というものが、単に戦争を、戦闘を、戦場を描いた表現や作物といったくくりとは別の水準、ある種の切実さと共にわれら人間存在の本質に交錯すると感得させられる、そんな〈リアル〉の触媒としてあり得るのだとしたら、たとえば、この「童貞」などは真っ先にあげておきたい、言葉本来の意味での本邦のすぐれた文学作品のひとつである。


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 昭和期の旧陸軍で初手から純粋培養されたかのような若い「気合いのかかった」伍長に、敗色覆いがたい戦争末期、何かの間違いで動員されてきてしまった、いずれものの役に立ちそうにもない老兵たち。つまり、当時の世間で普通に暮らしているおとなたちなわけだが、そのような世間と軍隊との対立が、まずは皮肉な形であらわになる設定。その若い伍長が戦地での経験に加えて、日々下士官と兵隊という関係の中で、いずれ内地の世間ずれした部下の老兵たちの普通のおとなの実存を介して、性的存在としての自分にうっかりと気づいてしまう。その予期せぬ煩悶が、結果としてどのような行動に彼を導いていったのか、それをその場の余計もの、つまり老兵でなおかつ役立たずな兵隊しての立場から淡々と、しかし自分も含めた内地の世間にあたりまえにある「掟」にも親しい種類のどうしようもなさを共に自覚し、おのが身の裡に抱えながらなお、じっと凝視してゆく。

 世間においては世慣れたおとなであり、その限りでいくらでもそこらにいた世間一般その他おおぜい、まさに庶民であり常民の最大公約数でもあったような無名の兵隊たちが、戦地で実戦に際して垣間見せてくる、そのあたりまえな世間並みのおとなとしての所業の裡に、掠奪や戦地強姦など、普段使いとは別の語彙、異なる響きの言葉でくくられ隔離されているはずの現実もごく地続きの自然として平然と立ち現れる。

 軍隊という空間で純粋培養されてきた伍長は、そのような地続きにあらわれてくる現実の見慣れぬありようを目の当たりにしてゆくうちに、異性としてのおんながわからなくなる。結果、そういうものという「掟」をなぞってみるかのようなぎこちなさで、おとなの老兵たちに唆されるように戦時強姦を行ない、しかし事後、その女を衝動的に刺殺、それを契機にそれまで連れて歩くようになっていた戦地で拾った中国人の小童をも打ち棄ててゆくようなある種の荒み方、異なる性を持つ女の存在をはじめて自分ごとの客体として発見させられることで、人が本来「ひとり」であることへの目覚めをようやく見せ始め、懊悩するようになったたあたりで、平手打ちのように終わりが訪れる。

 「軍公路から右手に少し上ったところの民家から一筋煙が上った。中国兵二、三人が山へ走り上るのが見えた。中隊がその前を通りかかると、激しい砲声がした。迫撃砲だと思って、公路の左手の土堤に伏せた。公路の表面が急に暗くなった。砲声はつづいた。空を仰いだものは絶望で青ざめた。空一面にまるで鳶が舞うように手つき手榴弾が浮んでいた。やがてそれらは次から次から爆発しながら落下してきた。はらわたをひきずりながら馬が走った。一時間も時間がたったかと思った。増原伍長は鳩色のオーヴァのまま横倒れになっていた。軍帽をつらぬいた爆こんから血が少しにじみだしているだけであった。」

 そして、この終幕の静謐の刹那に、「そういうもの」としての世間のはらむ情け容赦のなさが、慈悲の一撃のように、はたまた路傍の花をたむける供養のように、くっきりと刻まれる。ほら、なんとまあすさまじく、手に負えず、でもやはり好もしい、ではないか、世間は、そしてそのおとなというやつは。

 「つまりあれはやはり童貞の魂しか持っていなかったのだなとわたしは思った。」

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 もちろん、これは戦争を、その現場を描いた作品である。その限りで「戦争文学」とみなされてきたし、そのことはひとまず間違いでもない。
 初出は昭和27年の同人誌『VIKING』だが、12年後の昭和39年、未來社から『帝国軍隊における学習・序』という表題の単行本収められ、これがまるごと直木賞候補に。しかし、当時の選評を見ると、一定の評価はあれど、「直木賞とは無縁の作品」(源氏鶏太)「直木賞の世界のものと考えるのに難渋する」(大佛次郎)「こういう傾向の作品はもう沢山だという気がする」(村上元三)と、かなりの外道扱いで選に漏れるのだが、それでも折りからの高度成長期で「戦争文学」というくくりでの戦争体験の語り直し、無意識裡も含めての再話と見直しの流れが、当時拡大を続けていた「おはなし」読みもの文芸系の出版市場に受け入れられたこともあり、「戦争」「戦後」「証言」といったくくりでのアンソロジーなどに再録されてゆく。もっとも、いわゆる文学作品というよりはある種の記録、ドキュメンタリー的な意味づけをされていったようであり、まただからこそ、旧来の文学作品とは少し別の読み手たちと邂逅する機会も多かったかもしれないのだが、それはともかく。


 「わたしは一兵卒として野戦に送られることになった。」

 この一文以降、書き手とおぼしき老兵「原」の、送られた先の戦地での見聞を素材にした部分が、この作品の「おはなし」としての本体になる。形式的な筋立てとそれを骨とした「おはなし」の組立てにおいては、なるほどそういう見られ方にもなるだろう。
 ただ、そこに至るまでの問いの提示の仕方、まあ、ひとまず「主題」と言ってもいいだろうが、そういうものを読み手の眼前にそれとわかるように整えてゆく段取りにおいて、実はなかなかの心づくしとあざとい仕掛けがないまぜに準備されている。このあたりが、この書き手富士正晴のなにげない本領、「おはなし」の皿に盛り方に関する、語り手としてもまた厄介な手練れであるところなのだ。

 よろしい、説明してみよう。
 作品自体は全体で12章、いや、章というほど意図的で明快なものでもないのだが、まあ、そういう区切りが番号で振られていて、そのうち最初の3までがいわば前菜、オードブルで、ここですでに全体の「おはなし」の味わい方がきれいに方向づけられる。つまり、読み手という客はこの段階でもう、おのが食欲だけでなく、そもそもその「食べる」ということについての身構え方からそうすることの気分に至るまで、そうと意識せぬうちにしっかりとこの亭主、書き手の思惑に沿ってきれいに整えられてしまうのだ。

  1 知り合いの医者と、ダンサーの話。
  2 宇品港での出征兵士たちと、分宿の宿舎を提供した家の未亡人の話。
  3 革命家のハウスキーパー、そして彼らにアジトを提供した指導者の女房の話。

 いずれもそれぞれ書き手とおぼしき「原」の一人称の視線で語られる独立した挿話ではある。細部はそれぞれ確かめていただきたいが、それらの挿話の間をつなぎとめている何ものかが、その後の読み手の意識を着実にある方向に整えてゆく、その道行きを先導してゆく語り口からしてすでにもう、何ともすさまじいのだ。

 たとえば、こんな具合に。

「週末に近づくと僕の腰は重く充実してきてどうにもやり切れなくなってくる。ひたすらその腰の重味を放射して身を軽くする穴をさがしたくなってくる。だから、看護婦の腰ばかりに眼が行ってしまう。眼をそらしていたって、こころが電気の放射のようにそこへ集中してゆくから向うには判るし、お互に照れくさい話みたいなもんだ。ところが僕はその腰しかいらないんだが、悪いことに腰には手も足も胴も頭も、尚悪いことには心までくっついていて切りはなすわけには行かないんでしょう。だから、僕はそこを辛抱しておしきって了う。」

「一体婦人というものが若い男性の、しかも軍人特有のあの質朴らしく男性的にきっぱりとよそおわれた言葉によってあしらわれるのは、戦時中ならずとも、こびられていることになるように思われるが、これは戦時中のことであるから言わずものこと、真正面きってづけづけと彼女の胸のあたりか腰のあたりに眩し気に(と、若い兵卒達のはげしい情慾と悪知恵の中に残されていたかもしれぬいささかの純情のためにこう言ってやりたいのだが)からんでゆく視線がいささかは彼女を得意にさせはしなかったか(ほんのいささか、そしてほんの少しの意識に残る程度で)とわたしは想像する。」

「わたしは、人の心の信じ難さを言っているわけではない。そのようなことは珍しくも悲しくもない事柄である。ただわたしは性慾そのものにからみあって、とてもときほぐせないあのいささかは血なまぐさくある悲しさが悲しいというよりは怖ろしいもののように当時感じられた。(…)女を襲いそれを犯すということは男にとって寧ろ手柄話の気味を帯びるものであることがわたしにはこわかった。そのくせ、わたしは女を襲いそれを犯すということをしなかったわけではない。ただわたしはそれによって手柄話の一つを加え得るような心理にならず、むしろはかなさを切実に感じた。犯した自分も犯された相手もはかないものに見えた。」

 このような、挿話の随所に差し挟まれる加速装置のような一節、語りものなら引きごと、浪花節ならおそらくタンカにあたるようなアクセントを伴う道行きの果てに、読み手は「おはなし」の本体へと初めていざなわれる。え、まだ先があるのか、つまり「まくら」だったのか、これらのすさまじくも、しかしどうにも手に負えない好もしさの散文表現は。

「戦時強姦をしないという決心は1より3迄の話の後の私の結論ではあるが、決して倫理ではない。むしろ好みと言ったものだろう。わたしはこの自分の決心と規定を或る程度守った。そうして今、一九五〇年の今、日本に生きて、小説を書いているわけだ。」

 そう、そうなのだ。ここまで周到に下ごしらえをした上で、ようやくここで初めて、戦時強姦というむくつけで他人ごとなもの言いが、身の丈にあった内実を伴う要石としてわかりやすく置かれ、そして、満を持してこう白す。

「わたしには戦争中からこころにこびりついて離れない一人の下士官の姿がある。その姿をわたしは書きあぐんで現在に至った。それはここまでの前書を書いてはじめて書けるのだという気がするが、他の才子ならばあっさりと次の章より書き得るかも知れない。」

 以下、紙幅にも限りがあるゆえ、その下士官、増原伍長を主人公にした「おはなし」の本体はそれぞれ味わっていただくしかないのだが、大事な補助線となると思われる要点を走り書きながらあげておくので、参考にしていただければ幸い。

 増原伍長は「美少年」だったこと。「わたしは必ずしも美少年趣味を解さぬのではない。わたしは昔或る天才的な少年の顔を愛した。そしてまた増原伍長の鄙っぽい紅顔を愛すべき美しさと感じなかったのでもない」と言い、その歴然とした類似として「鄙っぽい美しい症状のもつようなのびのびした眉毛と澄んだ瞳といくらか眼の付近に雀斑がちらばってありはせぬかという感じ、きゅっとしまりのある小さな唇、柔かみを帯びた紅い頬、そうしたなかに何か期するところのあるような自恃と積極性が照りかがやいていた」と描写してみせ、さらに「二人の肉づきがいくらか女性的な線をもっていた」こと、「柔かい尻をしていた」こと、「どちらも煙草を好まず、どちらも異常に純潔な感じがある。それは処女のような純潔さとも言えようが、増原伍長の場合、アマゾヌの娘の純潔さと言った方が良いような、殺気めいたものがともすればただよった」ことなどにも至る筆致は、眼前の事実としての造形描写の細部への合焦度がずば抜けて精緻であること。そしてその精緻さは同時に、のちに野戦で拾った中国人の小童をフミと名づけて連れて歩くようになる段においても平等に発揮されることている。

「次の日からフミは増原分隊で自分の家庭にいるものように振舞っていた。衣裳はすべて変えられていたし、手首と足首には鈴のついた金色の輪を何筋もはめて、裸足で勢よく歩くにつれて涼しい音で鳴った。それらのものを増原伍長は見つけて来てフミに負わせていたのだ。昨日のあの泣き顔はぬぐったようになくなり、負けん気の強い聡明らしい口調で、早、同国人の軍夫たちに指図をさえしているのだった。」

「その時わたしはフミのその態度から、容貌や体付また性格まで増原伍長といわば相似形のように相似していることを感じたのだった。怖らく伍長自身はそれに気付いてはおるまいとわたしは思った。増原伍長がそれをさとった瞬間にはただちにフミを自分の目の届かぬところに捨てるであろうと思えた。或いはフミをこの世から消滅させるであろうと思った。」

 性欲、あるいは性的衝動と暴力の関係、男の性的衝動が個体としての個人の輪郭の裡だけにとどまらず、ある関係性が変数として一定の作用をすれば、その場にまで浸透、共有され増幅すらされた上で荒れ狂うに至る、というおそらくは性的存在でもある人間存在のある本質と、それゆえに、戦地の最前線で部下としての老兵たちの抱える半身、軍隊と合わせ鏡のような銃後の世間に棲むおとなの「そういうもの」からじわじわ苛まれ、浸食されながら、その少年性をどんどん尖鋭化させられてゆくしかなかった増原伍長をめぐる「おはなし」は、戦時強姦や徴発、掠奪といった「戦争文学」の当時の定型の「主題」とみなされるようになっていった水準での通俗的理解のさらにずっと向こう側、あたりまえの世間にも共あるそれら性と暴力、性的存在としての領域も否応なしに伴わざるを得ないわれわれ人間存在の本質についてまで、文学本来の器量によって作品として形象化し、見事に届かせ得ることの稀有な証左になっている。

*1:分量多いので手直しを、との指示で、以下、薄墨部分を削除、その他いくつかの個所を修正などして整えた。……240411