そして「読み書き」も「上演」をはらむ


 「うた」は、ことば抜きに成り立ち得るものか――ああ、こういう問いはいつも、おいそれとすぐに片づけて始末してしまえるものではない分、どんなに脇の見えないところに取り置いて忘れたつもりにしていても、何かの拍子にひょい、と眼の前に転がり出てきて、まだそこにあったことに気づかされてしまう、その程度にとりとめなく、扱いも厄介な代物です。

 とは言え、学術研究的なお墨付き大文字の概念やそれに見合う整った理屈で説明してゆくことは、そもそもそうするためのお作法やお行儀からしてとうに忘れてしまった身ゆえ、いつも無駄にしちめんどくさい道行きにならざるを得ない。われながら情けなく、かつ忸怩たるところではありますが、えい、仕方ない、ここは踏ん張ってもう少し、ほどいてみる努力を続けてみましょう。

 たとえば、です。

 スキャットであったりハミングであったり、あるいはあのモンゴルのホーミーであったり、ことばならざる音声を介した音楽的表現というのも現実にある。それこそラップなどにしても、上演される詩歌の一種といった意味での韻律などに通じる本質的な属性と形式の上に成り立ってきた経緯を背景に持つ表現ということになるのでしょう。しかしそれらは、記述され書きとめられ何らかの媒体によって記録されることが文明史的にあたりまえになって以降を、すでにずいぶん長い時代を生きながらえてしまっている今のわれわれの感覚や意識からすると、あれ、こういうのも「うた」と考えていいのかな、といった程度のかなり漠然とした、いまどきのもの言いでいうところの「解像度の低い」イメージでしかとらえられなくなっているところがあります。

 仮に、ふだんの生活の中で、何の前提もなく、ただ「うた」とだけ言った場合、聞いた側は、音楽としての楽曲、歌曲としてのそれを思い浮かべるのが、まず普通でしょう。そしてその場合、脳裏に思い浮かべられるイメージには、行為としての「うた(う)」を伴っている場合がかなりの比率を占めているのではないでしょうか。

 もう半世紀以上も前のこと、まだ半ばタマゴの殻をケツにくっつけた中学生だった頃、あれはカーペンターズでしたか、当時かなり流行った“Sing”という楽曲の歌詞の中、sing a song という一節に遭遇した時、ようやく習い始めた学校英語の間尺では、「うたをうたいましょう」という、何ともすわりの良くない重ね餅のような訳し方にしかならなかったことを思い出します。


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 なるほど、そういう意味で、われら日本語を母語とする拡がりの裡に生きる身にとっては、名詞としての「うた」と、動詞としての「うた(う)」とは混然一体、同じ「うた」というもの言いにひっくくって片づけられているところがあるらしい。歌詞と楽曲、という形で分割されて認識されるようになり、またそれぞれ紙の上に記録されることでひとまず別の対象物として扱えるようにもなり、だからそれぞれ異なる過程で「読む」や「書く」や「考える」といったやくたいもない作業に好き放題供せるようになっても、それでもなお、最終的には「うたう」という動詞的な現前化、つまり生身を介した「上演」に収斂させることが「うた」本来の本籍であり本領発揮の場所である、という認識自体は、どうやら未だ忘れられてはいないようです。

 とは言え、それが単なる音響、ことばを抜きにした旋律という意味での楽曲であり音楽というだけなら、「うた」と素直には呼ばれなかったでしょう。少なくとも、それがことばを伴う表現ではあること、そしてそのことばとは実際に生身を介して発される声、つまり肉声として現前化されること、「うた」というからにはそういう条件が必ず伴うものと感じられていたらしい。それは、あの黙読という習慣が新たに浸透していった、明治このかたの本邦のその他おおぜいのリテラシーに関する、未だうまく共通認識になってもいないらしい歴史・文化的転変の過程においても、おそらくは。

 内的な黙読から音読へ、それも吟じるものから誦するものへと連続的に連なってゆき、朗読の方へと開かれてゆく。それはある地点から語ることにも重なってゆき得るし、また詠じるという要素も入り混じってくるかもしれない。

 そうして、表現を届かせることのできる相手、聴き手の側の姿も「読む」意識の裡に織り込まれてくれば、それらの相手との関係や場も具体的に立ち上がってこざるを得ない。そうなれば、聴き手をあしらったり煽ったり、あるいは揺さぶったりといった、上演にまつわる手練手管もまた必要とされてくるし、そこにさらに何らかの利益や損得、金銭を介したやりとりもからんでくるなら、市場というまた別の肌合いの要素もホリゾント的に加えられてゆくのでしょう。

 内的な黙読、個的な営みとして手もとで制御できるようになった「読む」ではあっても、そうなる以前にあたりまえにあった発声や発音を伴う音読の共同性が、未だ世間の大方には確かに記憶されていて、のみならず同時代の「公」を編制する仕組みとしてもあっぱれ稼動しているような状況においては、たとえ黙読によってようやく構築され始めた、陰翳くっきり確かな個による新たな「私」の共同性であっても、同じ生身を伴う「読む」という営みである以上、それが音読の側にもうっかり開かれてゆく契機は日々の生活、日常空間のそこここにあたりまえに埋め込まれてあったことでしょう。

 何も大層な話ではない。そもそもこの世に生きる、世間を渡ってゆくというのは誰であれ、またいつの時代であっても本質的にそういうもの。得手勝手なひとりよがりでわがまま放題にこさえた安普請の個や自分というたてつけだけで、そのまま無事に泳いでゆけるものでもないらしい。

 だとすれば、そのような過程で「読む」主体が自然にフィードバックし、内面化もしてゆくであろう、自分も含めてその裡にある世間との距離感などもまた、「読む」のそのそれぞれの位相に応じて変わってこざるを得ないはず。つまり、いかに個的で内的な営みである黙読を実装してしまった「栄華の巷を低くみる」的な、独自で隔絶した孤高な自意識の主体であっても、世間という生活世界の最も基底のところに横たわる音読の共同性とそれを下支えする生身の身体性から全く切断されてあるわけではなかったでしょう。

 黙読的な「読み」を実践することで、「私」という主体をそれまでと異なる輪郭確かなものにどれだけしてゆけたとしても、その「私」を宿した個体としての自分は、世間を編制する音読的共同性にもまた必ず足をつけ、身を置いている。置かざるを得ないのは、それが意図的に選択できるようなものではないから。そのように自覚していようがいまいが、人は等しくこの生身で生きているのだから。

 だからこそ、この世に生きるという体験は、個的なものでありながら、同時に「公」の方へもまた開かれたものになっている。黙読であれ音読であれ、いずれ生身の主体の営みでしかあり得ない以上、その「読む」という実践は必ずそのように社会の側へ、「公」の方へと表現を開かれてゆく一連の過程を、生の必然として共に伴ってゆくものらしい。

 黙読は音読と二者択一ではない。「読む」という営みにおいて表裏一体、日常生活の微細で個別具体の局面では常に入れ子のように絡み合いつつ混然一体、ひとりの個の身の裡に実装されています。そして、そのような「読む」の実践をしている主体は同じように「書く」も行なう。朗読もすれば演説もする。時には談論風発、かりそめの高揚感や多幸感に何らかの理想や夢を共に見る仲間と肩を組み高歌放吟もすれば、別の瞬間には同じその仲間同士で酩酊、酔眼朦朧で大いに暴れてみたりもする。いずれそれら〈まるごと〉の現実、途切れることのない過程を身すがらくぐり抜けながら。

 かくて、生身の個に実装されている「読む」という営みは、その実践において、社会的な表現の方へも等しく開かれているようなものでした。その意味で、「読む」は「うた」にも身構えることなく近寄ってゆく契機を、どこかで必ずはらんでもいる。「うた」というもの言いが、名詞的にも動詞的にも使い回されていることの背後には、そのように「うた」は必ずことばと寄り添って現前化する表現なのだ、という認識が、われら同胞の心の習慣としてしぶとくも共有され、失われずあったから、ということのようです。

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 同じことばであっても、文字による書きことばと違い、ふだん使われている話しことばは基本的にそ発話者、生身を伴った声の主に紐つけられて現前します。その限りにおいてそれは一期一会、「関係」に規定された「場」を背景にした、常に〈いま・ここ〉の表現になる。それに対して、書きことばは「書く」を介して現前するもので、それゆえ必然的に「記録」という性質を伴っているわけですが、同時にその分、時間も空間も越えて持ち回られることの可能な表現、つまり〈いま・ここ〉から乖離することのできるものにもなっています。

 記述され「記録」された以上、紙の上であれそれ以外の媒体によってであれ、そこでことばはすでに外在的に「ある」ものになる。それは持ち運び可能になるし、また時間の経過にもさらされることになるし、そのように時空を越えてゆく「記録」という相においては、もともとそれを記述した主体からもまた、切り離されて存在することができるようにもなる。

 そのように「記録」された書きことばを介した意味のやりとりにおいては、話しことばによる意思疎通のように、主体がそれを発する「場」に臨場し、その声の届く範囲に身を置いて「聞く」ことは、不可欠の条件にはなりません。ということは、文字による書きことばの表現に必ずつきまとってくるあの作者と作品、つまり書き手という主体と表現された作品の間の不可分とさえ思える紐つけられ方にしても、実は話しことばと発話の主体の関係ほどには密接なものでもないことになります、書きことばにおいては。

 もちろん、話しことばもまた「書きとめる」ことは可能です。でもそれは上演の場を介した声を伴わない形に変換されたもので、書きとめられ「記録」された時点からすでに書きことばとしてしか存在し得ないものになって、そのまま時空を越えてゆける形態に変換されている。上演の場、それを編制する多様な関係、それらを〈まるごと〉としてあらしめている〈いま・ここ〉という、話しことばにおける必然のとりとめなくも豊穣な枠組みは、すでにそこにはありません。

 そう、だから、話しことばとは常に〈いま・ここ〉と不即不離で、ことばを発する生身の主体と紐つけられて初めて十全に〈リアル〉を宿してゆくことも可能になる。「上演」というのはそのような現前性をたちあらわす営みであり、話しことばの言語空間に生きる生身にとっては、日々の暮らしの裡で特にそうと意識することもなく不断に稽古してきている感覚と共にあたりまえに実装されてあるものでした。書きことばのように「記録」として、「もの」として時空を越えてゆくことはできなくても、それをことばとして担保する身体性の水準において、話しことばもまた社会的であり、時空のマトリクスに律されるのとはまた違う想像力の共同性において、その世界を拡げてゆく、つまりそのように「公」に向かって開かれているものでした。そして、そのような開かれた感覚としての「上演」が身の裡にある生身が普通に生き、それぞれ勝手にうごめいているのが、「ままならぬ」と言いならわされてきたような意味での、われわれが前向きにあきらめながら認め、そして長年ずっと「そういうもの」としてそこで生きてきた、「世間」の〈リアル〉でした。

 たまさか何らか書きことばの読み書きのできるようになった個体が出てきたとしても、それらもまたそういう「上演」の感覚は最低限持っているものだったし、だからこそ、「読む」というのは単に書きことばに対してだけでなく、話しことばの言語空間という意味での日常性において常に起動され走らされている、この世を生き、世間を渡ってゆく上での公的なプロトコルでもありました。たとえ書きことばを操って「書く」段においても、そのように「読む」が稼動している生身の主体を介してそれは行われる営みなのだし、まただからこそ、そこでつづられてゆく書きことばの向こうに想定される読み手もまた、おのが身の裡に走るその「読む」を透かしてこそ初めてうまく合焦し得る――行儀作法の整った文芸批評などで言われるような、書き手の身の裡に内在化されている読み手というのも、ただ静態的にそこに「ある」ものでもなく、ざっとそのようなたてつけにおいて「書く」過程に宿ってゆく、常に動態的で闊達なものだったはずなのです。

 「われわれの文学の歴史で、散文というジャンルが、詩、戯曲、小説、などと並列的なジャンルを主張しうるものとして、明確な区別をあたえられたことは、今日までおそらく一度もなかった。それと同時に、詩と小説の境界、小説とエッセイの区別、戯曲と小説の区別すら、いっぱんにあいまいきわまりないものだったといえる。このことは、換言すれば、小説の中に浸透している詩的な発想、小説とエッセイを区別するもの、詩のなかに混入している散文の度合、あるいは劇のなかにある非劇的な、抒情的なムードの存在などについて、われわれがいままでいちじるしく意識的でなかったことを意味している。」(江藤淳「近代散文の形成と挫折」『文学』1958年7月号) *1

 かくて、求められていたのは、〈リアル〉でした。

 いつの時代も、どんな社会においても、ことばと意味の錯綜する仮構的な現実の裡に「脱ぐことのできなくなったパンツ」(栗本慎一郎)をはいたまま生きて死んでゆくのが人の宿命である限り、洋の東西、時代の遠近を問わず、おそらく「そういうもの」だったのでしょう。ことばを介した表現というのは、最も焦点距離を大きくしたところでの現われとしては、そんなものであるらしい。

 文字によって表現される〈リアル〉もまた、それが散文によるものであれ韻文を介するものであれ、それ自体確たるものとして外在的に存在するものでもなく、それをそのように「読む」こと、そしてそれを感知することが可能になるような読み手の側のなりたちも含めて、初めて十全に宿るようなものでした。

 「ロマン」や「感傷」、「抒情」などが、とりあえずの標識になったようです。そしてそれは、「読む」の相手が現前化してゆく過程に、海外の作物の翻訳という回路が併走して接続されることによって、またもうひとつの増幅や歪曲、美化も加速されていったらしい。もとの言語がフランス語であれ、英語であれ、ドイツ語であれ、ロシア語であれ、そしてまた、もとのかたちが散文であれ、詩歌であれ、戯曲であれ、評論であれ、とにかくあたるを幸い、貪欲にやみくもに翻訳されて「読む」が可能になってゆきました。そうなった以上、それはもう同じ前のめりの気分によって等しく獰猛にフラットに受容されてゆき、そうやっていずれ同時代の「読む」によって喚起されたさまざまな〈リアル〉が、いわば二次創作的にまた別のことばに文字に、そして活字に変換されてあらためて流通してゆく。その結果、それらがもともと根づいていたもとの文脈からひきはがされた、いわば仮構的でヴァーチャルな独自の「文学」「芸術」以下、いずれ人文系間尺の言語空間を編制してゆくことになりました。「文明開化」とざっくりくくられて理解されている19世紀後半から20世紀前半にかけての本邦の歴史的過去、その当時の〈いま・ここ〉にさまざまに宿り得ていた「うた」というのも、どうやらそういう背景と切り離しては考えることのできない、その程度に「歴史」の側に織り込まれているもののようです。