文学

「高歌放吟」と「蛮声」の共同性

● 「さうだ。私達は、酒を呑むといふと、肩を怒らせものをぶッ叩きつゝ放歌高吟した高等學校時分の習慣を、再び完全に取りもどした。左翼思想に熱中すると共に、私どもの間には飲酒高吟の風が廢れ、そのかはり、眼にものを言はせたり耳語したりすることが流…

紀田純一郎について・アンケート

① 紀田先生の本で好きなものは何ですか(タイトル、ジャンルなど複数回答可)。できれば理由や感想もお答えください。 ② 紀田先生に注目したのは何からでしたか。思い出などあれば、お聞かせください。 ③ 卒寿を迎える紀田先生へ寄せて何かありましたら、お…

電子書籍の「眺める」と「読む」

● 具体的なブツとしての「本」、という話になっていたので、そのあたりからもう少し。 昨今、「本」もまた、これまでとはまたひとつ異なる形のブツになっています。いまどき流行りのもの言いで言えば「転生」でしょうか。そう、あの電子書籍というのが、すでに…

本、も具体的なブツであった

● 「単独名義としては20年ぶり」という一節を眼にして、一瞬、息を呑んだ。 送られてきた書店向けの宣材のゲラ。いまどきのこととてメイル添付の電子媒体なのはともかく、いや、ちょっとそれはみっともないのでご勘弁を、にしてもらったんですが、でも、考え…

アクチュアリティとリアリティ、そして〈リアル〉

● 読み手であり書き手でもあるような主体、それが行なう実践としての「読む」も「書く」も、同じ生身の個体によって行なわれる営みであるがゆえに、「私」の個的なものであると同時に、「公」の社会的なものとしてもある。そして、そのような実践に際して彼なり彼…

そして「読み書き」も「上演」をはらむ

● 「うた」は、ことば抜きに成り立ち得るものか――ああ、こういう問いはいつも、おいそれとすぐに片づけて始末してしまえるものではない分、どんなに脇の見えないところに取り置いて忘れたつもりにしていても、何かの拍子にひょい、と眼の前に転がり出てきて…

「上演」であること、その来歴

● 「書く」と「読む」、その同時進行の過程においてこの生身の裡に宿るものは、この場で縷々執着してきているような「うた」の本質および本願、言葉本来の意味での人間的な、生身を生きねばならぬ存在ゆえの営みにうっかり根をおろしているものでもある。「読む」…

「読む」がなければ「書く」もない、主体もない

● 使うべき言葉やもの言い、道具としてのそれらをひとつひとつ丁寧に意味と紐付けて「定義」してゆき、その上であたかも煉瓦やブロック、機械の部品を手順に沿って組み立ててゆく、そんな言葉の作法、少なくとも書き言葉において文章としてつむいでゆくことが…

解説・村上元三「ひとり狼」

*1 *2 長谷川伸のまわりからは、戦後の中間小説から歴史小説などの新たな読みもの文芸の市場が拡がってゆく中、何人もの書き手が巣立ち、羽ばたいていった。巷間「長谷川部屋」などとも呼ばれていたという彼のまわりの勉強会だが、のちの新鷹会、もともとは…

解説・織田作之助「競馬」

*1 *2 競馬を題材にした創作は、何も小説の類に限らずそれぞれの創作・表現ジャンルにすでにそれなりにあるけれども、ギャンブルとしての競馬に合焦したものが多く、また多いがゆえに定番でそれだけ陳腐な定型になってしまっているところがある。織田作のこ…

解説・野坂昭如「骨餓身峠死人葛」

*1 *2● およそ「文学」と正面切って掲げられているものやこと、いや、はっきり言えばそのあたりに好んでへばりついているとしか思えないような人がたそのものもだが、いずれ、そういう界隈に縁のないまま生きてきた自分にとって、それでもなお、いいよなぁ、と…

解説・富士正晴「童貞」

*1 *2● 書き手としての富士正晴というのも、これまた、なかなかに好もしい。いや、それどころではない、すさまじく、かつ手に負えない。それでいながら、なお好もしい。そういう書き手は、いや、ほんとうに稀有なのだ。 男の側から性欲というものを言語化し…

解説・藤原審爾「安五郎出世」

*1 *2● 小説家が儲かった時代、というのがある。いや、あった、と過去形にした方が、すでによくなっているのかもしれないのだが。 売文渡世として書きものを換金できるようになる。それが持続して「食えるようになる」というだけでなく、まさに一攫千金、常…

解説・中山正男「豚を把んだ男」

*1 *2● 中山正男といっても、覚えている向きはこの令和の御代、まずないのだろう。ましてや「文学」の世間では、さらに輪をかけて見事になかったことにされているはず。事実、今回この企画で採る作品の版権処理をしてもらう過程で、この中山正男だけは著作権…

解説・長谷川伸「舶来巾着切」

*1 *2 伸コ、である。長谷川伸、である。 文明開化間もない頃の横浜で、若い頃をはいずりまわって過ごした見聞を肥やしにして、その後、本邦世間一般その他おおぜいの心の銀幕にいくつもの「おはなし」を、共に見る夢として描き出す作家として大成したのは長…

「掟」ということ

*1 *2 ● 「掟」というと、なぜか耳もとで必ず再生される一節がある。 「光あるところに影がある…まこと、栄光の陰に数知れぬ忍者に姿があった…命を掛けて歴史を作った影の男たち…だが人よ、名を問うなかれ…闇に生まれ闇に消える…それが忍者の定めなのだ…」 む…

「国際情勢」を語る話法、その静かな変貌

一時期、やたら取り沙汰され、とにかく理屈抜きにいいもの、正しい方向として喧伝されてきていた、あの「国際化」とか「グローバル化」といったもの言い、スローガンも、さすがにもう胡散臭いものというイメージがつきまとうようになってきたかも知れません。…

読み書きと「わかる」の転変

● 最近、おそらくは老化がらみでもあるだろう事案ですが、あれ、これはひょっとしたらヤバいかも、と思っていることのひとつに、「横書き」の日本語文章が読みにくくなっているかもしれないこと、があります。 いや、読むのは読めるんだけれども、腰を据えて…

「詩」とは、あたりまえに「うた」であった

● 前回、「美術」「芸術」に対して、ずっと抱いていた敷居の高さのようなものについて、少し触れました。せっかくなので、そのへんからもう少し、身近な問いをほどきながら続けてみます。 あらためて思い返してみれば、同じような敷居の高さ、距離感といったも…

「美術」「芸術」から「コンテンツ」へ至る道行き

● 期せずして無職隠居渡世に突然なってしまったことで、それまで気になっていてもなかなかあらたまって読むこともできなかったような分野の本――もちろん古書雑書ですが、これもまあ、ある種の怪我の功名というのか、日々の仕事にまぎれて敷居の高かったそれ…

「音楽」の転生・転変、その現在―「NOT OK」からの不思議

● 同時代のうた、眼前の〈いま・ここ〉に流れている最新の、いや、そうでなくても、ある程度いま、商業音楽として市場に流通しているいまどき流行りの楽曲に、おのれの耳もココロも反応しにくくなってしまうことは、加齢の必然と半ばあきらめてしまっていま…

Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……④ 仕事の世界

仕事の世界 「俺たちが組合を持ってるってのは、クソみてェにいいことさ」 ――『オアシス』に来る大工の弁 ● はじめに 歴史的に言って、西欧社会においては人生の中心は仕事であった。その自己イメージと、その地域での地位双方は、どれだけ稼ぐかにかかって…

Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……③ 居酒屋と街とセンセイ

居酒屋と街とセンセイ 「『オアシス』であんたはいつだって楽しい時を過ごせるってわけだ」 ――『オアシス』の常連の弁 ● 居酒屋 『オアシス』はご近所のための居酒屋ではない。その客たちは歩いてではなくクルマでやってくる。彼らのうちの何人かは数マイル…

鼻歌、ということ

● 鼻歌をうたう、という身ぶり、あるいは日常生活上のちょっとした癖みたいなものでしょうか、いずれにせよ、そういうしぐさもまた、昨今見かけなくなったもののひとつかも知れません。 たとえば、『あたしンち』という、けらえいこのマンガに出てくるおかあ…

文字/活字の〈リアル〉視聴覚系の〈リアル〉

● そう言えば、 「盛り場」という言い方も、最近はあまりされなくなったようです。 飲み食いから夜は酒やオンナなども、そしてそれに伴いさまざまな興行もの、その時その場所での「上演」を属性とするような「消費」が、場合によっては24時間体制ですら準備され…

「娯楽」と「ジャーナリズム」の関係、その他

● かつて――と、もう言ってしまっていいのでしょう、「アカデミズムとジャーナリズム」という対比で語られるのがあたりまえに「そういうもの」だった、そんな言語空間と情報環境が本邦の〈いま・ここ〉にありました。 それがもう「かつて」と呼んで構わない程…

「視聴覚文化論」、その未発の可能性

● 視覚と聴覚、という話から、もう少し続けてみます。情報環境の遷移とその裡に宿っていった生身の意識や感覚について、情報化社会と視聴覚文化、といった補助線から、例によっての千鳥足でゆるゆると。 情報化社会を語ることは、映像情報の大量化を語ること…

「視覚の優越」と「耳の快楽」

● とある体育系の某教員談。授業で身体動かすBGMに嵐のオルゴール曲を流してたら、学生が「センセ、嵐の声聞きた~い」と言ってきた由。 歌詞を、ではなく、だから「ことば」ではない。あくまでも「声」、音響としての音声を聴かせて欲しい、という意味らし…

「無法松の一生」のこと

*1 先日、三浦小太郎さんが、かつて自分の書いた「無法松の影」という本をとりあげて、えらくほめてくださっていたんですが、それを受ける形で、今日はその素材になった「無法松の一生」の話をしろ、ということなので、少しお話しさせていただきます。 というの…

記録する情熱と「おはなし」の関係

● わだかまっていた厄介事に、とりあえずの決着がつきました。 とは言えその間、2年9ヶ月という時間が、それもおのれの還暦60代という人生終盤、予期せぬめぐりあわせの裡に過ぎ去っていました。 大学という日々の勤めの場が、たとえ北辺のやくたいもない…