2021-01-01から1年間の記事一覧

さまざまな「いなか」が――石原苑子『祖母から聞いた不思議な話』

twitter.com*1● 主人公というか主な語り手、主な素材供給元であるおばあちゃんは、昭和7年の生まれ。主な舞台は、岡山県北西部とおぼしき土地、おそらくは今の新見市に編入されたムラでしょうが、そういう具体的な地名もまた、まず意味がない。というか、関…

「宣伝・広告」と「放送」媒体の必然

● ラジオが「ナマ放送」であることの「臨場感」を大事にしていたこと。そしてそのような初期のラジオの媒体としての自覚が、すでに巷に出回っていたレコードを放送に乗せることをどうやら忌避していたらしいこと。 その一方で、ラジオは「家庭」というたてつ…

「古本」の記憶

● 古本とのつきあいは、それなりにある。致し方ない、それだけ無駄に長い間生きてきちまった、ということだろう、今となっては。とは言え、偉そうに言えるほどのことは何もない。 初めて古本を買ったのは――ということは古本屋に自覚的に出入りしたということ…

ラジオと臨場性、そして「家庭」

● 初期のラジオはレコードを使って放送することを避けていたらしい、それはなぜか、という話からもう少し続けてみます。 ラジオ(当時は「ラヂヲ」という表記だった)という新しいメディア――いや、ここは敢えて「媒体」と漢字にしておきましょう、なんでもかん…

街に流れるうた、の転変

● 「世相」というのはいつも眼前を通り過ぎてゆくものであり、だからよほど意識しておかないことにはそれと気がつかないし、だから書き留められ「記録」になることもない――〈いま・ここ〉というのは常にそんなもの、です。 だからこそ、日々の暮しは必ずそれ…

自民党総裁選タウンミーティング雑感

自民党の総裁選挙が決着しました。地方の一般党員票も含めた1回目の投票で決着がつかず、国会議員(と地方県連)による決選投票の結果、岸田文雄前政調会長が新たに自民党総裁に選出された、というのはご案内の通りです。 総裁選が単に一政党のものだけではな…

ラジオドラマのモダニズム&アメリカニズム

● 改めて言うまでもない、「うた」が生身に宿る、それは人間にとって自然な感情表現のひとつのかたちでした。おそらくそれは、時代の違いや文化、民族の差などを超えた人間本来、天然の本質といったところがあったはずです。 ただ、それが人の耳と口を介して…

【改稿分】TOKYO2020の見せた「希望」

*1 *2 *3 ● 「老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他お…

TOKYO2020の見せた「希望」

*1 *2 *3 ● 「老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他お…

「わたしにもできる」ということ

www.youtube.com● 「わたしにも写せます」というフレーズを、おぼろげながらも自分ごとの見聞として覚えている向きは、ゆるく見積ったとしてもいまやもう50代も後半以上、まずは還暦超えた年寄り世代ということになるのでしょう。いまどきの若い衆世代の語彙…

五輪の「教訓」

*1 sports.nhk.or.jp sports.nhk.or.jp おい、マリオやドラえもんどころか、ポケモンもニンジャもアキラのバイクも出てこんかったじゃないか!――終わったばかりのオリンピックのまずは私的な印象です。 個々の競技や選手の手柄は全部措いておきます。開催す…

広告・童謡・歌謡曲

● 流行歌の歌詞を作るということが、世間一般その他おおぜいにとってのわかりやすい「一発当てる」という夢の依代になっていたこと。特に稽古をしたり、師匠や先生について修行を積んだりすることをしなくても、またそのための特別な道具をそろえたりするこ…

「作詞家」になりたい

● 敗戦直後、『夢とおもかげ』所収の論考において、南博が正当にも言及していた「大衆娯楽」の「産業構造」の部分への視線は、その後の彼ら思想の科学研究会の進路はもとより、「戦後」の過程における本邦日本語環境での人文社会系自体の脈絡においても、それほ…

対談・朝倉喬司・頌

*1 現代書館から『朝倉喬司芸能論集成』が刊行された。ルポライター・朝倉喬司氏(1943~2010)の芸能関係の文章を集めた968頁の大著である。刊行を機に、編集委員会のメンバーである、株式会社出版人代表の今井照容氏、民俗学者の大月隆寛氏に対談してもら…

『夢とおもかげ』の時代

敗戦後、流行歌は世相と結びつけられ、語られるようになりました、それまで以上にあたりまえに。「歌は世につれ、世は歌につれ」というあの有名なもの言いも、玉置宏が自分の番組で使い始めたのが、一説には昭和33年とか。この「世相」と「流行歌」の関係があた…

馬の頭を蹴った、から始まること

馬の頭を蹴った、という些細なできことから、ちょっと騒動が出来しています。北海道は帯広、ばんえい競馬の競馬場でのことです。 ばんえい競馬というのは、普通の競馬と異なり、サラブレッドの倍ほどある体重1トンにもなる重種馬たちが鉄製のそりを「輓曳」…

本邦いまどきの「ポリコレ」・考

● 明らかに何かがおかしい。いや、前からおかしくなってきているのは確かでしたが、ここにきてまたそれが一段と加速、もはや何か取り返しのつかないところにまで事態の底が抜けて、見渡す限り何やら煮崩れ始めたような印象です。 他でもない、昨今「ポリコレ…

「作詞家」と「作詞」の今昔

● 「作詞家」という肩書きも、もうあまり見かけなくなった。 いや、商売としては現存しているのだろうが、それが仕事の肩書きとして眼に触れる機会が少なくなったというだけのことなのか。web検索を叩いてみると、それら「作詞家」志望をあてこんだとおぼしきサ…

「歌謡」と「曲」の来歴

● 戦前、ざっと大正末期から昭和初期にかけて、「童謡」と「民謡」はうっかり隣り合わせになり始めていた。そこでは「童」と「民」、つまり「子ども」と「民衆」≒普通の人々が、共に「謡」≒「うた」を媒介としながら、文字・活字ベースの情報環境で編制された〈知…

雨情は必ず「うた」にした

詩が「うた」であり、「うた」である以上、それは実際に声に出し「うたわれるもの」であったということは、今のように活字・文字を介して詩を「よむ」のがあたりまえだという認識になっていると、すでに気にかけることすらないままに忘れられている。同じく…

「憲法違反」と留学生問題、他

① 学問の自由の侵害と言われたことについて 1月の3回目の裁判の準備書面において札幌国際大学側は、なんと留学生に日本語能力を問うことが「学問の自由」「大学の自治」に抵触するおそれがある、と主張してきました。学ぶ意志のある者の自由を阻害する、という理…

「外国人留学生ビジネス」利権の背後にある文科省

*1 *2 ● ごぶさたです。大月隆寛です。かつて、「つくる会」2代目事務局長をつとめさせていただいていたこともある、あの大月です。 とは言え、いまやもう四半世紀も前のこと、今の会員には、何のことやら、という感想が大方でしょう。今回、何かのご縁でま…

「読者の集い」にお招きを

*1 『宗教問題』読者の集い、という催しにお招きを受け、出席しました。 昨年暮れ、押し詰まった東京は池袋。コロナ禍はすでに日常化していたものの、例のGO-TO政策もあってご当地北海道から東京へ行くのは、飛行機代と宿泊費コミで申し訳ないくらいの値段に…

意見陳述書 2021.1.19

*1 大学法人側は、自分が2020年度前期に担当していた科目が、その後、講義の引き継ぎなどもちゃんと行われて問題がなかった、と主張していますが、全く事実に反しています。 また、受講していた学生たちにとっては、前期半ばで何の予告もなく担当教員がいな…

「小唄」ということ

小唄、というもの言いがある。 学術的な定義その他についてはあれこれ沙汰あれど、とりあえず自分ひとりにとってなじみがあるとすれば、いわゆる流行歌の中の「●●小唄」。やはり大正末年から昭和初期、震災後に流行ったと言われる新たな小唄、改めて「小唄」…