陳述書 2022.7.5 (抜粋)

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 私は、原告の大月隆寛です。2020年8月28日に本件訴訟を提起いたしました。すでに、陳述書は提出しておりますが、仮処分の審理のために作成したものですので、本件の訴訟における大学側の主張も踏まえて、下記の通り陳述いたします。

 私の懲戒解雇理由は、懲戒処分告知書(甲14号証)によりますと、①城後豊前学長が実施した記者会見に同行したこと、②ツイッターの書き込み、③「教授会一同」「教授会教員一同」名の文書を城後豊前学長が手交する場に立ち会ったこと、④平成27年4月1日~令和2年3月31日までの期間に65回開催された教授会に8回しか出席していないこととされております。

 しかし、いずれも懲戒解雇となる理由ではありませんので、以下のとおり説明します。


■ 城後前学長の記者会見に同行したこと

 まず、この城後前学長の記者会見について述べておきたいことは、この記者会見は教育者として正当なものであり、違法であると評価する余地がないということです。

 城後先生は、2019年4月入学の外国人留学生について、日本語能力を欠如した外国人が多数入学してしまったことについて、現場の教員たちから報告を受けて、心を痛めておりました。その現場の状態がどれだけひどかったかというのは、現場で実際に教えていた佐々木清美氏の陳述書に具体的に記載されているとおりです。観光学部を自ら志望して入学してきた外国人留学生に、観光に関する本を図書館で借りるように伝えて、サッカーの教則本を持ってこられたりしたら、現場の教員としてはもうどうしていいのかわからないでしょう。 

 これは、留学生の学ぶ意欲の有無、教員の熱意や教え方に問題があるといった次元の話ではなく、そもそも大学における教育を日本語で受けるだけの日本語能力が決定的に備わっていない学生が大量に入学していたこと、そして大学側が定員充足率をあげて補助金を獲得することを目的として、留学生の募集のやり方からその入学試験のありかたなども含めて、経営上の方針として意図的にそのような状態を作り出していたということに他なりません。

 まともな感覚に立った常識と良識ある教員であれば、日本語の講義がわからない程度の日本語能力しかないのなら、まず日本語学校で大学での講義についてこられる程度の日本語を身に着けてから大学に来るようにするべきであるし、何よりもそれが文部科学省が規定する大学における外国人留学生の正しい入学経路である、と考えるのは当たり前ではないでしょうか。

 にもかかわらず、大学はそのような日本語能力のない外国人留学生を入学させる行動をとってきました。大学側は、あれこれわけのわからない、論理的にも破綻しているようなことを訴訟でも主張しています。私は、それら大学側の主張が全く納得できませんでしたし、どうしてそこまで破綻した論理を駆使してまで自分たちのやったことについて正当化しようとするのかも、素朴に理解できませんでした。日本語で講義をする大学に日本語の全く理解できない外国人留学生が多数入学してしまっているという状態を認識したのにも関わらず、問題意識を持たない者というのは、大学という高等教育機関に責任のある経営者として、果してどういう人なのでしょうか。

 大学側は、とりあえず日本語がわかってもわからなくても、数さえ入ればいいんだと、そういう意識でいたことは明らかですし、事実、そのような意味のことを折に触れて公言していました。

 この事実上の「全入」という方針は、このような形で留学生を入学させるようになる以前から、一般の日本人学生に対しても大学側の考えとして行われてきていました。なので、外国人留学生を本格的に入れようとした時も、それまでの日本人学生に対するのと同じように、安易に考えていたとしか思えませんでした。

 それを城後先生は、当時の学長として、問題の発覚以降、真摯に改善しようとされていました。

 文部科学省ガイドラインで指示しているN2相当という、留学生の日本語能力についての極めて合理的な基準をもって、外国人留学生の入試を運営するように大学側に改善させるよう、われわれ現場の教員たちと共に努力したのです。

 理事会でも、この外国人留学生の問題について何度も訴えられたとのことでしたし、また、学内でも事態を何とか改善し、次年度からの留学生入試のあり方を適正なものにして、大学として正しいあり方に戻して何とか事態を改善、是正しようと努力されていました。

 そうすると、大学側は城後先生を2020年3月末の任期満了という形で退職させ、最後の理事会では突然の動議を提出して退職慰労金まで支払わないという決議までして、あたかも見せしめのようにして、大学から事実上追放したのです。自分はこれは事実上の解任に等しいと感じましたし、それは当時大学にいてその間の学内での経緯を見聞きしていた教職員の多くも理解し、感じていたことだと思います。

 平成20年3月31日の、北海道庁記者クラブで開かれた城後先生の記者会見は、そのような状況の下、もはやこれ以上、大学内だけでは事態を改善し、適正化する余地がないと思われた結果、それでやむを得ず、任期最後の日の夕方を期して開かれたものです。

 このような経緯からは、城後先生の記者会見が違法と評価される余地など全くないと思います。

 そして、私はその記者会見の場におり、会見場の隅で城後先生の話を聞いておりました。城後先生は、それまで学内で指示をして集めた留学生に関するデータに基づいて、前年春から学内で起こっていたことについて、その経緯と問題について正しい、説得力のあるお話を淡々とされておりました。会見は2時間ほどにわたる長いものになりましたが、全国紙も含めた新聞各社やテレビ局なども含めて詰めかけた報道陣もその間ほとんど退席することもなく、初等教育から含めて教育を専門とする教員生活半世紀にわたるキャリアに裏づけられた熱弁に、誠実に耳を傾けておりました。城後先生は、その際も言葉を選んで、いたずらに強い表現でなく、コンプライアンス違反、ガバナンスの問題、という柔らかい表現をされておりましたし、この間、この留学生をめぐる問題について自分のやってきたことが果して本当に間違ったことなのかどうか、広く世の中の基準に照らして判断していただきたい、という趣旨のことを、何度も強くおっしゃっていたのをよく覚えています。

 しかし、仮にこの時の城後先生の記者会見を大学が気に入らなかったとしても、なぜその場にいたということを理由として、その記者会見の主体でもなかった私が懲戒解雇されなければならないのでしょうか。記者会見の主体として自分はその場にいたわけではなく、城後先生に付き添って会場に赴いただけです。そのように当日、会見会場の隅に座っていたのがたまたま取材のテレビカメラに捉えられ、その映像がニュース番組の中で編集されて一瞬、使われたというだけのことで、それをあたかも鬼の首を取ったようにあげつらい、懲戒解雇の主な理由に繋げる大学側の態度には、正直驚き、呆れましたし、城後先生を追い出したばかりでは飽き足らず、さらにここまで無理無体なことを平然とやってくるものなのか、と、それまでの大学側の理不尽な対応などとあわせて、強い義憤を感じました。

 要するに、それがどんなにデータとエビデンスに基づいた適切な提言や意見であっても、「大学の方針に異を唱えるようなやつは、その理由が何であれ気に入らない、そんなやつは懲戒解雇にするんだ」という大学側の明確な意思ありきの処分であり、後述する通り、この留学生をめぐる問題について城後先生に同調する者は、みんなこういう目に会うんだぞ、という学内に対する見せしめの意味があったのだと思います。


■ Twitterの書き込み

 今回、大学は、私のツイッターでの書き込みも懲戒解雇の理由になるとしております。

 確かにking-biscuitSIUというのは、2011年10月以来、ツイッターにおける私のアカウントです。元はと言えば、大学側が広報の一環としてSNSツイッターを使うようになり始めた頃、当時の所属長だった※※学科長に言われて始めたもので、その際に取得したアカウントになります。

 大学側は、私が書き込みをしたというツイッターにおける書き込みを答弁書や一覧表に記載し、ツイートを乙4号証の1や乙16号証の証拠として出してきています。

 しかし、SNSというメディアの特性として、日々頻繁に書き込みをし、それらに対してフィードバックをもらうことで、そのような双方向のやりとり往復を増やし、組織しながら広く共通理解を広めてゆくものでもありますので、私はツイートやリツイートを一日に何十、何百とすることがあります。すでにツイッターに関わって10年以上にわたるので、私の書き込みもこの7月の始めの時点で、もう600000件以上になっていますし、自分のこのアカウントに対する言わばおつきあいのあるアカウントにあたるフォロワーも18000人近くになっています。今回、大学が証拠として提出したツイートも、それらのツイート群の中にわずかにまぎれているだけです。たとえば、乙16号証の5のツイートの下の方には、「最近の学芸会の演劇」についてのツイートに「ちょっと観たい」とツイートしているものがありますが、このように、いろいろな断片的な話題や素材に対するツイートや、それに関連するリツイートや「いいね」やコメントといった膨大な反応の群れの中にばらばらに入っているだけです。何より、今回それら証拠として大学から提出されたツイートにしても、城後先生が任期満了という形で事実上解任され、明らかに自分に対する懲戒解雇を目的とした賞罰委員会が立ち上げられた2019年4月以降のわずかに間に集められたとおぼしいものの一部に過ぎません。加えて、自分としても、大学が主張するような誹謗中傷や名誉毀損にあたりかねないような内容や表現については、自覚的に制御していたつもりです。それは、この留学生をめぐる問題が学内で表面化した2019年4月以降、城後先生が事実上解任されるまでの間のツイート群を見てもらえば明らかにわかることだと思います。

 そもそも、どのツイートにも札幌国際大学だとか、理事長の具体的な名前なども記載されておらず、これを見て札幌国際大学のことだとか、上野八郎理事長のことだと認識する人がいるのでしょうか。

 懲戒処分告知書には、「本学教員と認識できるTwitterアカウントにより」(甲14号証2頁)と記載され、また、大学は、SIUは札幌国際大学の略称として周知されていると主張していますが、これらの部分は私のアカウントのking-biscuitという単語と連なって末尾に加えられているだけで、全体で一体のアカウント名称となっております。

 またSIUという文字は、北海道、いや札幌においても札幌国際大学の略称として一般的に広まっておらず、そもそも大学の略称という認識すらないでしょう。札幌圏在住の人々でも、「国際大」といって初めて札幌国際大学のことだと認識するくらいだと思います。事実、一定の年輩の方は国際大の以前の名称、静修短大の方がむしろ強い印象を持っていて、大学のことを説明するのにいろいろ言ってもなかなか理解してもらえず、「むかしの静修ですよ」と言って初めて「ああ、あそこですか」とわかってもらえるような場合が普通でした。

 ですから、ことさらに情報漏洩だとか、誹謗中傷だとか大学側は主張していますが、ここであげられたツイート群を普通に読んでも、具体的にどこの、何についての話題なのか、特定できないでしょう。 

 しかも、大学が情報漏洩だとか主張している点については、内容的にも取るに足りない、ことさらに内部情報だと言う必要のないものばかりです。そもそも、これらの内容が札幌国際大学のことだとさえ、認識できないでしょうし、どのような理由であれ、SNSであるツイッターに書き込んではならないような性質のものでもないことは明らかでしょう。どれもこれも、大学が主張するような理由で責められなければならないような情報などありませんし、まして、それを理由にいきなり懲戒解雇にされることもないはずです。




 改めて、問題を確認させていただきます。札幌国際大学は、日本語による講義が成立するかどうかも顧みず、全く日本語を読み、聞き、書き、話すことができない外国人留学生をほぼ全入に等しい条件でどんどん入れ、それによって定員充足率を上げて、文部科学省から補助金の交付を受けておりました。

 これを愚かと言わずして、何を愚かというのでしょう。すでに全国でも似たような経営方針をとって社会的問題を引き起こした大学の例がいくつも明らかになり、直近でも東京福祉大学の問題が2019年の春に改めて明るみに出て全国的に報道され、文科省から問題視されていたにも関わらず、基本的に同じような不適切な手法で留学生を入れることを経営方針として行っていたのは、高等教育機関としてのみならず、公益法人としての大学経営のあり方としても、とても社会に対して責任ある態度と言えないものです。

 驚くべきことに、大学はどのような学生を入学させるかは大学の自由であって、「大学の自治」とか「学問の自由」などと主張しております。しかし、もうそれらの主張も、自分たちの行ってきた不適切な大学経営を糊塗する、空虚で愚かなものであるとしか思えません。これまで、まともな、真面目な大学が必死に築き上げてきた「大学の自治」「学問の自由」を一挙に葬り去ってしまいかねない、まさにこれはわが国の近代このかた、数限りない先人の大学人らが国民の理解を得ながら築き上げてきた「学問の自由」という価値に対する、この上ない冒とくではないでしょうか。

 このようなことを平気でやってきている大学が、「アホな私大」とツイッターで書かれて言われて怒るのは筋違いではないでしょうか。敢えて加えさせていただくならば、この「アホな」という修飾部分は、法人としての大学経営陣に対するものであり、大学に在籍し、学ぶ学生諸君に対するものでも、またこれまでこの大学を卒業してきたOBやOGに対するものでないこと、改めて言うまでもありません。これをしもいたずらに誹謗中傷だ、名誉毀損だ、と本気で主張するのなら、逆に、ならばわが国の「表現の自由」というのはどのようなものなのか、それらについての見解も改めて争点にしなければならないと考えています。

 しかし、このような世間的な常識、良識に照らして当たり前のことも、大学という閉鎖的な空間で、まして私立大学という限られた条件の下、一部の者が強い権力を持ち、城後先生や私を見せしめのように大学から恣意的に放逐することに成功すると、中にいる大学教員や職員は、眼前で起こっていることに疑問や不信を抱いても、悲しいかな、心ならずも口をつぐんでしまうものです。私学経営における「ガバナンスの強化」は文科省の新たな方針だ、などと内外に向けてことさらに言っているようですが、それは自分に都合のいいように「ガバナンス」を曲解、拡大解釈して、大学としての経営側の暴走、独裁を許容する言い方に他なりません。

 このようなやり口が、被告の主張する「大学の自治」なのでしょうか。


■ 賞罰委員会とその経過について

 そして、令和2年5月15日付で賞罰委員会の通知が送付されましたが(甲10号証)、私のいかなる行為について懲戒の対象となるのか、具体的に全く知らされませんでした。

 そのために、一体何の行為について賞罰委員会を開くのか具体的に明確にするようにもとめると、令和2年5月20日付で「賞罰委員会における審査対象事項」(甲11号証)が出てきました。

 しかし、その内容は、そもそもなぜ懲戒処分の対象になるのか全く分からないものばかりで、しかも、このツイッターについては「大月先生のTwitterに学内の出来事等を書き込んだ事実」としか記載されておりませんでした。

 私は、賞罰委員会の座長でもあった増田事務局長に対し、2020年5月26日付のメール(甲22号証の3)で、「いつのどのような『行動』が、就業規則の具体的条項に該当するため、いかなる『賞罰』審査対象になるのかについて、いずれも具体的に示していただけないと、『弁明』であれ何であれ、誠実な対応ができません。」と通知しました。

 しかしながら、増田事務局長から送られた2020年5月27日付メール(甲21号証の5)においても、全く具体的事実が明示・特定されませんでした。

 その後、行われた賞罰委員会においても、問題とされた具体的なツイートの内容については一切知らされていません。結局、大学が具体的に示してきたのはこの訴訟になってからであり、それまではどのツイッターのどの書き込みが、どの就業規則に抵触するものか、いずれも全く具体的に示されないままだったのです。

 懲戒処分告知書にも問題とされたツイートが具体的にいつの、どれにあたるのかも具体的に明示や特定もされておらず、賞罰委員会の場でも明示特定もされず、結局、私は、どのツイッターのどの記載の件が懲戒解雇理由になったのか、具体的に全くわからないままでした。
今回、訴訟になって、2回に分けて証拠が出されていますが、2020年6月の懲戒処分時において、真実、どのツイートが賞罰委員会において具体的な懲戒解雇理由となったのかは分かりませんでした。

 さらによくわからないのは、ツイッターの書き込みを懲戒解雇の理由としてきたのに、後にこの訴訟で出されてきた証拠によって初めてわかったそれらツイートをしていたとする当時の時点において、大学は全く注意も何も自分に対してしてなかったことです。乙16号証の、私の各ツイートの右横に「3時間」とか「13時間」といった記載があります。これは、ツイッターの画面が印刷される3時間前、13時間前にツイートがなされた、すなわち、ツイートがなされて3時間後、13時間後などに、これらのツイートについて大学側は確認して、紙媒体にプリントアウトしているということを意味します。

 もしも、大学側が主張するように、それらを根拠に懲戒解雇をしなければならないほどの、重大な情報漏洩だとか、重大な誹謗中傷だというのであれば、それらのツイートを認識した時点で、すぐに所属長である学部長なり、あるいは教学の責任者である学長から注意を受けていなければならないはずです。

 それを大学側がしなかったのは、私のそれらのツイートが、ツイートの文面から具体的に何のことを指しているのか、札幌国際大学のことを具体的に指していると特定できるような内容でもないことから、通常想定されるそのような内部での注意すらしなかったということだと思います。あるいは、すでに自分の懲戒解雇という処分を早急に行うことが規定の方針だったので、そのような本来あるべき手続きをとること自体、まだるっこしいということだったのでしょう。いずれにしても、結論ありき、の拙速な手続きであったと言わざるを得ません。

 大学は、懲戒処分告知書(甲14号証)で、城後先生の記者会見に同行したこと、城後先生が書面を交付した場所にいた事をわざわざ抽出して「本学の組織運営の健全性を損なう性質の違法行為である」と書いており、明らかにツイート以外のこの2点の理由が重大で、大学側においてすら懲戒解雇の理由としてツイートに重きを置いていないことは明らかです。

 それにしても、このようなツイートを理由として、その前の段階として一般的に想定される注意も戒告も何もなく、問答無用で即座に懲戒解雇が認められるのだとすれば、それは「ガバナンスの強化」でも何でもない、経営側による単なる横暴な独裁を許すことになり、労働の現場における労働者の権利のあり方にも関わってくる由々しき事態です。このようなことがまかり通るようならば、ほんとうにもう世も末だと思います。

 最大の謎は、城後先生の記者会見の同行と同じく、その場にいたことだけで、それを理由として即座に懲戒解雇とされることです。城後先生の行動したその場に同席していたから懲戒解雇、大学側はこのやり方を意図的にしていると思います。大学側の方針に逆らうもの、城後先生の意見に賛同する者は許さない、たとえその場に同席していただけでも懲戒解雇してやるぞという脅しであり、学内の教職員に対する見せしめのようなものだと思っています。


■ 私の受けた精神的苦痛

 令和2年6月29日、私は懲戒解雇を通知されました(甲14号証)。あの日からもう、丸二年が過ぎました。

 会議室で、上野理事長から懲戒処分告知書を渡されました。おそらくそのような処分がくだされるだろうことは、賞罰委員会の有無を言わさぬ雰囲気やそれまでの経緯からうすうす察知していましたが、それでも、当時のその会議室には、申し渡す上野理事長だけでなく、普段そのような場にはいないはずの事務方のいかつい身体をした若い職員が複数、まるでガードマンのように威圧的に控えていて、ものものしい雰囲気だったのを異様に感じました。

 それまで賞罰委員会の呼び出しに応じたのは、前述したような理由から2回だけで、委員会自体どのような議論の結果、懲戒解雇という結論に達したのか、その後も含めて全くわからないままでしたが、理事長の指示で賞罰委員会が立ち上げられ、その結論を受けて理事長が最終的な判断をするというたてつけになっていたので、最終的な告知書の手交は上野理事長自ら行うということでした。その間の経緯で、自分の眼前に理事長が自ら姿を現わしたのはその時が初めてでした。

 「懲戒解雇に処す」。そう言い渡す時、上野理事長の顔は、気持ちゆるんで、軽くせせら笑っているように見えました。
 目の前が真っ暗になる思いでした。月々の給料がなくなる、これからの生活をどうしてゆけばいいのか、そんな自分ごと以上に、自分の講義を聞きたいと思い、熱心に受講してくれていた学生たちに対して、この事態をどのように説明し、また彼ら彼女らのその後をどのようにフォローすればいいのか、懸命に頭の中で考えようとしました。

 読み上げられた告知書を受け取ろうと、上野理事長に近づこうとして立ち上がった時、ガードマンのように控えていたいかつい職員たちが一気にそばに駆け寄ってきました。増田事務局長があわてふためいた顔で、まるで理事長を守るように身構えました。ああ、そうか、自分が理事長に殴りかかったり、何か暴れたりするかもしれないといったことを想定していたんだな、それくらいのことをされるかもしれない、そういう常識はずれのうしろめたいことをやっているという自覚くらいはあるんだな、そう思ってなんだかおかしくなりました。

 6月の末ということは、当時2020年度前期の授業が4月に始まり、15回の授業日程はまだ半分しか消化していない段階でしたから、その時点で何の予告もなくいきなり懲戒解雇されるということは、その残りの半分の講義などが即座に宙に浮き、受講していた学生たちはほったらかされることになりました。大学教員を解雇をするくらいならば通例はその前、一定期間をおいて予告をし、残りの業務、この場合は学生に対する講義などの後始末をどうするか、後任の手当や引き継ぎなども十全に考えた上のことでなければならないはずで、それが大学としての学生に対する責任だと思うのですが、どうやら大学側はそのような常識的な配慮や考えすらどこかへやったまま、とにかく前期の半ばであれ、どれだけ常識外れのむちゃくちゃなやり方をしてでも、とにかく自分を追い出すことだけを第一に考えて動いていたとしか思えません。

 大学法人側は、自分が2020年度前期に担当していた科目が、その後、講義の引き継ぎなどもちゃんと行われて問題がなかった、と主張していましたが、全く事実に反しています。

 受講していた学生たちにとっては、前期半ばで何の予告もなく担当教員がいなくなり、その経緯の説明も満足に行われず、それぞれの講義の後始末やフォローアップについても連続性や整合性を考慮されないままでした。さらに、前期途中で講義を打ち切らねばならなくなったことについて学生たちに対して説明する機会も自分には与えてもらえず、責任として提案したフォローアップについても拒否されました。

 まず、自分の担当講義科目であった「現代文化論」「マンガ学」「ポップカルチャー論」の3科目については、6月末に「懲戒解雇」処分がくだされたあと、7月上旬から中旬にかけての2週間から3週間の間、それぞれの科目の次の担当教員が決まらないまま、学生たちはほっとかれていました。その際も、それまで自分がどのような講義を行ってきていたのか、事前に学生に示してあったシラバスの内容と引き比べ、その後別の講師がどのように引き継いで講義を展開してゆくことが教育課程上妥当なのか、などといった打診や相談、打ち合わせなども一切されないままでした。さらに、その後も含めて、どの科目がどのような教員にその後引き継がれ、以後の講義がどのように展開されたのかなどについても、自分に対しては一切、説明も報告もされないままでした。大学設置基準に示されているそれらの科目のカリキュラムポリシーにおける位置づけも、シラバスで事前に学生たちに示した講義内容についての継続性も、全く考慮されないままでした。また、演習科目である「応用演習Ⅰ」(3年生ゼミナール)と「テーマ研究Ⅰ」(4年生ゼミナール)についても、大月は「個人的な事情で」辞めたので違う指導教員を選ぶようにとゼミ生たちに大学から一方的な指示がされただけでした。

 当時、私の担当していた4年のゼミナールには、留学生2人を含む5人のゼミ生が在籍しており、うち2人が卒業論文を書くことを希望し、その他の者も学内規定通りにゼミ論を書かねばならなかったので、それらも全て自分の責任で指導してきていました。それは、従前提出した甲28号証の陳述書に詳しく書いた通りです。また、3年のゼミナールもメンバーが決まってようやく動き始めたばかりで、こちらは当時の3年次で一番希望者が多く、10人以上が在籍していましたが、個々の興味関心などを聞きながらやりとりして、それぞれ研究テーマを決めてゆかねばならず、それらの作業についてもまだ着手したばかりの段階でした。学生ひとりひとりのそれまでの研究テーマやそれに応じての指導内容など、いわば医師ならば個別のカルテにあたる内容を引き継ぎにあたって参照されるべきところ、これまた何ひとつ打診や相談、打ち合わせをされないままでした。

 当時、自分は初年次教育の全学共通科目を含めて複数担当しており、科目によっては留学生も含めて百名近く受講生のいるそれらの科目の後始末について、できることを考えました。

 そこでまず、前期に担当していた講義科目のうち、他学部学生や留学生なども履修しており人数も多く、また内容的にも専門性が高く代替教員も容易に準備できないだろう「現代文化論」「マンガ学」「ポップカルチャー論」を履修していた学生に対し、残された前期分の予定回数は、自分がオンラインで講義を継続するので、希望者は遠慮なく申し出て欲しいということを伝えました。

 ところが、そうすると驚いたことに、増田事務局長名で、抗議文が私の代理人弁護士の下に届きました(甲24号証)。

 自分は、学生たちに対する責任感もあり、このような提案をすることは当然のことだと思っていましたので、代理人を通じて、これは私の負担で自発的に講義を継続するものであることを伝え、受講を希望する学生に対して講義を継続して受講できるよう配慮をしてほしいと求めました(甲25号証)。もちろん、それらの労力や費用は全て私の負担であっても、「学問」を学びたいと希望する学生には、教育者としてその機会を最後まで与えるのが自分の責任だと思ったからです。

 そうすると、再び「応じることはできない」という回答が来ました(甲26号証)。加えて、今後それらの学生たちと接触することは、メールも含めて禁じるという、常識的にはちょっと考えられない内容も含まれていました。

 自分が懲戒解雇に処されたことは、学生たちにとって全く関係ない大学側の事情です。それによって、履修登録をして受講していた教員の講義が一方的に、いきなり受けられなくなったわけです。彼らは途方に暮れるしかありませんでした。しかし、在学生である以上、何か疑問を呈したり発言したりして大学側に悪い印象を持たれてにらまれたら、単位取得や今後の就職などにまで影響があるかもしれないと考えるのも、その間の大学側の態度を見れば無理もなく、それぞれ不満や不信感を抱きながらも、学生たちは概ね大学側の言うことに従って、事態に対応していったようです。

 このように、大学側の態度はまず自分に対する懲戒解雇ありきで、その後に起こることは必要な学生対応は全部事後に考えるという、教育機関としてちょっと考えられないくらいのずさんなものでした。事実、それぞれの科目の引き継ぎの相談なども一切こちらになされないまま、一方的に代替の教員を半月以上遅れてばらばらに指名して恰好をつけたようで、自分の担当していた科目がどこの何という教員に引き継がれ、どのように後始末がつけられたのかも全く知らされないままでした。

 在学生だけでなく、かつて自分のゼミ生だった者や学科や学部の卒業生たちの中には、自分のこの不当で理不尽な突然の懲戒解雇を知って、仲間たちに呼びかけて保護者も含めて署名を募って、それと共に大学側に公開質問書を送ってこの間の事態に対する説明を求めた者たちもいましたが、大学側はそれに対しても誠実な回答を未だにしないまま、事実上無視したままです。彼らも当然、この大学側の態度については今もとても憤っていて、とても自分たちの卒業した母校とは思えない、社会に対しても恥ずかしいし、絶対に許せないと言っています。

 在学する学生たちに対しても同じです。君達に責任のないことで混乱に巻き込んでしまって申し訳ない、でも、早いうちに必ず戻ってきて、ちゃんと君達の面倒を見るから、と約束したゼミ生や受講生たちに対する約束を、結局果すことができないまま、当時の4年生はもとより3年生も卒業してゆき、留学生も帰国したり、それぞれの進路に散ってゆきました。受講生に混じって一定数いた社会人学生の人たちもまた、その後全く音信が途絶えてしまいました。

 それどころか、当時自分が所属していた人文学部現代文化学科という学科自体、その後学科名が変えられ別の学科になり、カリキュラムや設置科目なども含めて事実上全く解体されました。当時の学科の同僚たちも、その新たな学科には関与をさせてもらえず、旧学科の在籍学生が卒業するまでの言わば事後処理業務にだけ従事させられるようになっています。これもまた明らかに自分が大学に戻る場所をなくしておこうという意図もあって、行われたことだと思います。

 自分は過去、国立大学にも、国立の共同利用機関(研究所)にも常勤職の教員・研究者として勤めてきた経験がありますし、非常勤の教員として私立大学や女子大学なども含めたさまざまな大学で、留学生も含めたさまざまな学生たちに教えてきたキャリアを持っています。正規の大学教員としての自分のキャリアが、外国人留学生が半分在籍する国立の外国語大学の日本語学科から始まっていたことさえ、札幌国際大学の人たちはおそらく知らないままだったのではないでしょうか。

 専門分野も含めて、自分はいわゆる大学の研究者としてはかなり変わった経歴を歩んできたことは自覚していますが、しかし同時にその分、普通の大学教員や研究者の知らない現実も見てくることができて、また、さまざまな学生たちと共に学んでくることができたのは、自分の人生にとってありがたいことだったと思っています。大学の教員は研究と共に教育も大切な本分であり、特に自分のようなタイプの教員は学生たちとの日々の具体的な関係やつきあいから常に刺戟を受け、さまざまなヒントをもらったりしながら、研究生活を続けてくることができたと思っています。その上で、そもそも「大学」という場所がどのようなもので、そこで学生と共に共有される「学問」がどのようにあるべきかということについて、それなりの認識も持っていました。なので、その前10年ほど大学と疎遠になっていた後、2007年に縁あって北海道のこの大学に呼ばれることになった時も、もう一度「大学」の現場に関われることについて、ささやかな希望を抱いていたものです。

 けれども、最終的に突然の懲戒解雇に至った札幌国際大学での留学生をめぐる問題とそれに伴うさまざまな体験や見聞は、そのような自分の築いてきた「大学」と「学問」についての認識を根本的に崩壊させ、深く絶望させてくれるものでした。

 この訴訟で、札幌国際大学は、「学問の自由」「大学の自治」という言葉をよく使ってきました。しかし一体その、札幌国際大学のいう「学問の自由」というのは何を指しているのでしょうか。日本語のわからない外国人をどんどん入学させ、定員充足率を上げて補助金をもらう自由のことでしょうか。公益を目的とする法人として社会から付与されている高等教育機関の信頼を自ら毀損して、わからなければ、表沙汰にならなければ、あるいは監督官庁からお目こぼしをしてもらえる限りは基本的に何をしてもいい、という意味での放埒がその「自治」の内実なのでしょうか。

 ある法人幹部の一人が、「全国に数百も私立大学があるんですから、こんな書類、財務省ならともかく、文部科学省がいちいちちゃんと眼を通すわけないですよ」と言い放った時の顔つきと口調を、自分はおそらく一生忘れないでしょう。「大学」とは、そして「学校」とはどのような場所か。何を使命として、何に対して責任を持たねばならない仕事を社会から、国民から付託されているのか。そのようなごく基本的な理解と認識とが、上野八郎理事長をはじめとする、この大学の経営側には残念ながらまともに宿っていないままだったように思えます。「学問とは何か」「大学は何をすべきか」「学生をどのように育てていくか」という大学として最も基本的な理解も、公益を目的とする法人として高等教育を担当する組織を経営する当事者としての責任感も、欠落しているのだと思います。

 私は、この2年間、全く学生に接することができませんでした。それは若い世代の体験や見聞に肌身で接し、大学という場で共に学ぶことでこちらもなお成長してゆく、そういう機会を全く失った、言わば一本だけの孤立した老いた植物のような日々を期せずして送ることになったということでした。長年手もとに集めてきた資料や蔵書の類も、大学に置いたまま利用することもできず、研究上の不便、不自由は言うまでもありません。この間の精神的苦痛は、失われてしまった貴重な時間と共に、金銭で測ることは容易ではありません。

 しかし、仮に金銭で計算するのだとすれば、本当はこの2年間の給与・期末手当額、および在職していたら当然支給されていたはずの個人研究費や事務費なども含めた総額を下るものではないと思っています。

 また、この間の損害賠償についても訴状で※※※※円を請求していますが、これもまた、その金額を下回るものではないと考えています。

 定年についても63歳とされておりますが、札幌国際大学ではこれまで原則として65歳までは再雇用契約がなされてきています。これらのことから、現在の自分が大学に教員として戻ることに、正当な理由があるはずです。

 城後前学長や自分たち教員が異を唱え、事態の改善と適正化を求めていたことで、城後先生の事実上の追放や自分の不当な懲戒解雇まで導きだすことになった、札幌国際大学の外国人留学生に関するさまざまなコンプライアンス違反やガバナンスの不適切については、大学の主張していたような「思い込み」などではない事実であることは、すでに明らかであると思います。どうか裁判所には、その点を正しく判断していただきたいと思います。そして、自分が大学教員として学生たちのいる場に早く戻れること、講義や演習などを介して自由に闊達に、大学本来のあり方にふさわしい「学ぶこと」の愉しさを共にわかちあえるようになることを強く望んでいます。

 あらためて、裁判所には私のこのような無念、そして学ぶ機会をいきなり奪われた学生たちの無念をよく汲んでいただいて、ぜひとも常識と良識に基づいた判決を頂きたいと思います。

 どうかよろしくお願いいたします。

*1:札幌地裁における、2022年7月13日の裁判期日に向けて提出した陳述書。抜粋である、為念。