僕たちの失敗――あるいは、違和感から価値を創る、ということ

 

 何につけもっともらしい顔するのが商売の評論家オヤジたちの言によれば、「最近、若い世代の総保守化が顕著」だそうである。

 誰が言い出したのか「新・保守主義」てな看板もそのような場合、便利に使い回される。どだい「保守」だの「革新」だのというもの言いを今どき無邪気に持ち出すこと自体、ちと大雑把過ぎると思うのだが、それでも、みるみるやせ細って今や見る影もない「論壇」方面の通行手形という程度ならば、未だそういう大雑把も通用するものらしい。

 とは言え、その「若い世代」に属するらしいひとりとして、いわゆる「新・保守主義」とどこか通じるかのように見えるある“気”が、とりわけメディアの舞台を媒介に現実と対峙する段において、暗黙のうちに何か共通の了解事項になっていることはよくわかる。それは輪郭のくっきりした思想とか信条といったものではない。ないが、しかしそれでも「うんうん、それってわかるわかる」といううなずき方を誰もが素直に心の内でするような、眼の前をうつろい流れる現実との対峙の仕方の最大公約数として、言わば民話的な広がりと茫洋さとを伴った、ある「常識」になってはいる。

 それはどこかの誰かが作ったものでもなければ、最近になって突然できたものでもない。ただ、少なくとも今から十年ほど前、すでに八〇年代初めには、ごくささやかな形ながら一部の若い衆の間に“気分”として共有されていた。

 今からすればもはや笑い話なのだが、当時は右とか左とか、保守とか革新とか、そういう図式をあたりまえの前提にしてしか、社会のこと、現実に起こっていることについて語ってはいけないような雰囲気がまだあった。仲間うちの馬鹿話くらいならともかく、学校の試験答案とか新聞の投書とか、何か正面切ってマジメなふりしてもの言わねばならない局面ではおおむねそうだった。けれども、そのように語られる「社会」や「現実」は他でもない自分たち自身の生身の感覚からはとんでもなく遠いものだったから、自覚的には「なんか違うよなぁ」という違和感程度だったにせよ、その窮屈さにはまず敏感に反応した。

 もちろん、それは自分たちがまだ未熟なものだからそのようにしか感じられない、という解釈だってありだったはずだし、またそのことを勘定に入れる程度には彼らも自己相対化の技術には長けていたから、幸か不幸かそれ以前の世代のように機動隊相手に棒きれ振り回すまでの野蛮な勘違いはできなかったけれども、しかし、と同時にその自分たちの「未熟」であるということは、「なんか違うよなぁ」という違和感を抱えながらなおそのような窮屈な図式に無条件にひざまづくことを意味するものでもない、という一点についてはより具体的に忠実で、かつ情熱的だった。

 当時、まだ今よりもずっともっともらしい顔をしていた評論家オヤジたちは、彼らを「新人類」と呼んだ。呼ばれた彼らはうっかり舞い上がり、彼ら自身の言葉をつむぎ出す手立てまで放り出し、世間の中での自分たちの位置を見失った。同時に、オヤジたちの側もその先、彼らの「なんか違うよなぁ」を他でもない自分たち自身の問いとして織り込んでゆくことができなくなった。

 かくて、違和感はただ違和感のまま生きながら葬られ、双方にとって不幸な十年が過ぎていった。その間、昭和天皇が死んだ。美空ひばりも死んだ。ベルリンの壁が崩れ、ソ連がなくなり、そして自民党が政権を追われた。ハナ肇も逝き、田中角栄までがあの世に旅立ち、あまりの見通しのつかなさにもっともらしい顔もしにくくなったオヤジたちがまわりを見回すと、知らない間にあの違和感はもう無視できないほどの広がりを獲得していた。

 思えば去年秋、『毎日新聞』を舞台に本多勝一氏との間に立ち上がったなんとも心萎えるいざこざも、自分に対して「なんか違うよなぁ」と思ってしまう人間がすでに眼の前に存在してしまっていることに気づけないままその図式の中から一歩も出られず、出ようともせず、ただその怠惰を「誠実」だの「良心的」だのと勘違いさせ甘やかす装置ばかりを肥大させた、そんなオヤジの知性の気色悪さと直面することだった。べろべろのでろでろのぐじゃぐじゃの、もはや自分でも何が何だかわからなくなってるものが、なぜか「自分はかつて間違いなく知性だった」ということだけは記憶していて、その記憶に従って一生懸命うごめいている、眼の前の本多勝一とはただそんな奇怪で無惨な代物だった。

 腐る、というのは別に有機体そのものに限ったことでなく、本当に自然界の摂理としてあるんだなぁ、と思う。

 価値を創る、というのは日本語にするとどこか翻訳調のもの言いになるけれども、これから先、まさに新しい価値を創ってゆかねばならない責任ある位置に、その違和感の側も立たされているのだと感じる。ほら、おまえらの番だ、と眼の前にきたバトンならば、違和感に甘えていじけたままでなく、もうきっちり受け取ってみるのがスジだろう。ただし、そのバトンを扱うルールはこっちの器量と裁量次第。となれば、抱え込んだ違和感を言葉にし、すでにある広がりを獲得した「常識」を輪郭確かな思想に結晶させてゆくしかない。十年前、若気の至りで舞い上がり、手ひどい失敗をした僕たちの、それこそが失われた世代の環をつなぎ、もう一度世間に復員してゆく道すじだと思う。