ハナマル書評通信簿 赤瀬川原平

朝日新聞 2000.10.15 評者・赤瀬川原平
 仲畑貴志『この骨董が、アナタです』(講談社)

   

 何度か言ってきたように、内輪ぼめは書評芸の基本であります。ありますが、しかしそこにはおのずと品性というか、慎みが必要なわけで、それがないのはただの恥知らずってだけのこって。赤瀬川原平仲畑貴志の本をヨイショさせる――世間が聞いたら即座に卒倒するような高給むさぼりながらこんなベタな仕事やってやがると、マジに革命起こすぞ、こら朝日。

 赤瀬川センセは、お隣の南伸坊サンや渡辺和博、川崎徹や糸井重里あたりまで含めて、広告界隈が意味なくオシャレだった時代に満腹なさったおひとり。かつて路上観察を説き、トマソンを布教し、「面白主義」の旗手として80年代には一躍カルチャーヒーローにおなりあそばした。最近は「老人力」でまだ商いしつつ、いまどきまだ残っているバブリー系広報誌にまでつるんでしっかり食いついてるのも見かけます。なんつーか、五木寛之みてえなしぶとさですな。

 で、このご一統の古色蒼然たる「軽チャー」(笑)路線に、一部メディアは未だにヨワい。朝日や筑摩書房、岩波あたりまでの「リベラル」とされる界隈がなぜか軒並みズブズブ。面白主義の無責任は馬齢を重ねりゃただの老醜、既得権にしがみつく意地汚い連中でしかないのに、てめえらも同じ土俵で食ってるからひとつ穴のムジナでその道理がわからないんですな。

 ただ、さすがに書評としての芸はある。いきなり「ゆっくりと眺めているだけでいい。これから書評のためにわざわざ読む必要はないから、読書が苦手な、読書障害のあるものとしてはじつにありがたい」とナメた口説きで始めながら、「とにかく面白かった。一話一話、この通りにオムニバス映画にしたのを見たいと思ったりする」「骨董をめぐるハナシで、いろいろと悩んだり失敗する自分の馬鹿がおかしい」と、この本の勘どころをさらっと読み手の意識の刷りこむあたりの呼吸は、やはりただものではない。

 だからね、余計に思うのよね。必要以上に薄汚い内輪ぼめやらせて、紙面を汚すなって。