書評・『三島由紀夫VS.東大全共闘 1969-2000』

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 存分に笑わせていただきました。いや、ほんとに。

 表紙の惹句からしてすごい。「伝説の激論会“三島VS.全共闘”(1969)、そして三島の自決(1970)から三十年。『左右対立』の図式を超えて両者が共有した根源的な問いは、なにゆえこの三十年閑却されてきたか?」。でもって、赤い太明朝体で「左右対立の彼岸に立つ。近代の超克。」ときた。

 ひと昔前のタテカンみてえ。で、中をめくると、まず当時の討論会で学生側にいた方々が顔写真入りで回顧の座談会をなさっていて、何よりこれが中身のほとんどであり、かつ最大のウリだ。いずれもう50代。木村修、芥正彦、浅利誠、小阪修平といった面々だが、いや、その顔写真がみんなすごいのなんの。良くも悪くもこの三十年、このニッポンを支えてきたそこらのフツーのオヤジのツラ、じゃあない。聞き手には橋爪大三郎小松美彦を配し、民俗資料として貴重な発言も随所にあって、読み手の器量によっちゃ実に豊かなテキストになり得る内容になってはいる。でも、このシトたち、う~ン、当時の東大生って、やっぱいろんな意味ですごかったんだなぁ。

 マジメなハナシ、「三島」を自明のものとして未だこういう言葉、こういう身構えで未だこういう風にうっかり熱っぽく語れていまう、あんたたちのそのカルチュア自体って何? という問いが今、最も必要なのだ。それなくして、真の意味での「歴史」の側にこのオヤジたちの体験は投げ返されることはないし、彼らが幻視する「若者」に理解されることもない。だからひとまず笑う。笑い飛ばしてネタにする。それが今、おそらく一番健康な読者としての態度だ。

*1:産経新聞』掲載原稿。