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坪内祐三はお笑いタレントの江頭2:50に似ている。もの書きとして名誉だと思う。
実際に顔会わせたのはこれまで二回きりだけれども、そのたびに、あの江頭ばりのどこか困ったむく犬のような眼で正面から口ごもられて、何かとても悪いことをしたような気になる。昔、校庭にまぎれこんだ犬にマジックで落書きした時の気持ちに似ている。
初めて会ったのは、朝倉喬司さんの出版記念パーティーだった。場所は確か私学会館。いずれ顔見知りに毛の生えたくらいの範囲の気のおけない集まりだったから、あれが坪内祐三だよ、と聞かされてこっちから近づいてゆき、握手でも、と柄にもなく手まで出してみせたのだけれども、あの困ったような顔を返されるだけでろくに言葉も交わしてもらえなかった。まあ、こっちも世間の評判は決して芳しくない身の上でありますからして、そんな凶状持ちと身近になるのは剣呑なんだろうと思い、それ以上気にもしていなかった。
二度目はつい先日、文春の玄関ロビーで、共通の知り合いの編集者であるHさんと一緒のところをたまたまばったり出会った。近く文春から本が出るというので話しかけたら、やっぱり同じ困ったような顔で敬遠された。うーむ、こりゃやっぱり嫌われているらしい。
思い出した。彼がまだ『東京人』の編集者をやっている時に、書評を頼まれたことがある。当時流行りの東京論をいくつか並べて料理してくれ、てな注文だったと記憶するが、それきり二度と仕事を頼まれなかったのは、こちとらの芸風が彼の口にあわなかったのだろう。その後、編集長と大喧嘩してケツをめくり、山口昌男さんのそばで古本道楽の梁山伯みたいなことをやっている、ということを耳にした時は、山口御大の行状を多少なりとも見知る身としては大いに同情し、かつまた心配もしたのだが、「東京外骨語大学」なんていかにも山口好みのイナタい(ダサくてシブいってことです)酔狂にまで律儀につきあっているあたり、やはりただのむく犬ではない。ちゃんと仲間を見分けてやがるのだ。
処女作『ストリートワイズ』(晶文社)もおおむね好評だった。だが、はっきり言わせてもらう。あのタイトルが僕は気に入らなかった。「ストリート」だって? そんな今どきの若い衆に媚びるようなもの言いは似合わねえ。もっと質実剛健、学食のカツ丼のような武骨な明朗さこそが、独立独歩のむく犬の命。それに比べりゃ今回の『シブい本』はずっといい。まず装丁がいい。のらくろだもんね。特に裏表紙の“見返りのらくろ”のこの感じこそが坪内祐三だ。あ、嫌がってもダメよ。あのむく犬の口ごもりの背後にこんなねちっこい本読みの心意気が隠されていたことが、これでようやく世間にもちゃんとわかってもらえる。それはあんただけでなく、このとんでもないご時世になおひとり歩きでいっぱしの知性を志す者たち全てにとって、とてもめでたいことなのだから。
以前から松崎天民の評伝をやりたがってるという話を人づてに聞いている。次はもちろんそれを読みたい。マジックで落書きした責任はちゃんととらせてもらう。