「ストーカー」にも歴史あり

 「ストーカー」というもの言いが、最近流行りのようです。テレビドラマにも取り上げられたり、例によってそういう手合いに悩まされている女性の相談窓口みたいなものもできている様子。

 でも、男であれ女であれ、自分勝手に思い込んだ相手をつけ回したりするのは別に今始まったことでもない。現に、今から八〇年ほど前、ある女性がこんなことを書いている。

 「知らぬ男にノソノソと後を尾けられる位ゐ嫌やな事はない。田舎では先づそんな事はないかもしれないが、都会に住んでいる若い女で、殊に外を歩く事の多い人で、そんな経験のない人は少ないだらうと私は思ひます。私共が学校に通ってゐる時分から、友達の間で、後を尾けられて困ると云ふ話は、よくありました。『変な奴が後をついて来るやうだったら決して家に真直ぐはいっちゃいけないよ。何処の姉さんの処でも叔母さんの処でもいいから寄って、何んとか解らないやうにして送ってでも貰うやうにするんですよ。若し何だったら知らないお宅だっていいよ。斯う斯うだと云へば何処だって、少し位の間はおいて下さるに違ひない。』私の友達の一人は常々家でさう云って注意されてゐると話してゐました。」*1

 まあ、いくら変な男につきまとわれてるからと言って、いきなり見知らぬ家に飛び込んだら、そっちの方が危ない奴扱いされかねないのが今どきだけれども、でも、八十年前の日本では、少なくとも女の人はそういう理由でそこらの家に飛び込んでも何とかかくまってもらえたものらしい。 とは言え、それも若いうちのこと。三十や四十にもなってそうやって他人をつけ回すなんてのはビョーキ以外の何物でもない。だったら、ちゃんと「変態」と言ってやればいいんですよね。それを「ストーカー」なんて言うとカッコいいものみたいで、変態としてきっちり恥じ入らせるという感じがなさすぎる。

 今話題の酒鬼薔薇クンにしても同じこと。あんまりみんなして相手にしてやるから逆に喜んじまってるわけで、これだけいろんな人がコメンテーターとか称してテレビや雑誌で好き勝手な能書き言い倒してるのに、どうして「おめえのやってることなんか面白くも何ともねえよ、このバ~カ」ぐらいの挑発をやらかす人っていないんだろう。あるいは、「おもしれえ、この上まだやれるもんならやってみやがれ」とか。単なる落書き程度のことにまで「何かメッセージが込められているかも知れない」なんて考えてみせる、そういう必要以上に相手の立場に立ちたがる態度こそがこういう変態をつけあがらせる原因だと思うんですけど。 ちなみに、先の女の人はアナーキスト伊藤野枝。「男につかれるの記」という一文であります。ほんと、こういう「歴史」からゆっくりほぐしてゆくことをしないと、眼の前で起こるできごとはいつも見知らぬ新しいことばかりで、世の中はどんどん悪くなっているとだけ思い続ける、そんな不自由がはびこるばかりだもんね。

*1:伊藤野枝、であります、為念。