「現場」ということ

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 肩書きに「学者」とある。ああ、本を読むお仕事で、と言われる。 もちろんそうだ。しかしそれだけがすべてでもない。

 情報化社会とひとくくりにされる錯綜した との現実の中では、文字はひとり文字だけで幸せに存在できるわけでもない。それが学聞と呼ばれ 借るようなものであれ何であれ、いずれそのような多少とも知的な営みに携わる以上、確かに文字 ι読むことが日々の作業の中心にあるにしても、その「読むこと」の位相は、世間の人が考えてく れるほど素朴なものでもなくなっている。

 「読む」のはなにも紙の上に書きとめられた文字だけで はない。 先tにかく現場へ足を運べばいい、そうすれば何か発見 一方、そのような「読むこと」より究こ、 するに足るものが必ず存在する、そんな思い込みもさまざまに形を変えながら、文字読む者tiJ 足もとに根を張っている。

 何も「あるく・みる・きく」の現場主義を勝手に専売特許のよう呼号したいわけではない。たとえば、新聞記者は言うに及ばず、ルポライターやノンフィクション 込んできた民俗学者だけでもな、 クシヨン作家なども含めたいわゆる「ジャーナリズム」稼業の人々の聞に相変わらず根深い「現場」信仰は、それらジャーナリズムという表現のジャンルが本来持ち得たはずの、未だ見ぬ現実に 眼を聞いてゆく、その素朴な生身の喜びからさえもどんどん遠ざかる要因になっている。

 難儀なこ とに、今やそのような「現場」信仰こそが知的な営みとしての「読むこと」を痩せさせ、そしてこ とば本来の意味での現場を見失わせている最大の原因だったりするのだ。 だが、そのことを説明するのはものすごく難しい。そしてその難しさの一方で、そうなんだ、現 場はもう無効なんだ、と勝手に欣喜雀躍する軽薄な同時代というのもいたりする。すでにあらゆる現実はあらかじめ経験されてしまっている、といったもの言いだけを取り揃え、それをアリバイに おのれの心弱さや足腰の重さを正当化しようとする手合いの言説と、そのような「現場」信仰批判 のもの言いとは、表層の字づらととばづらではひとまずなだらかに連なって見えたり聞こえたりす るから、ことは厄介だ。

 間違えてはいけない。自ら足を運ぶこと、運んで「読む」こと、顔あげて現場になお赴こうとす ること、それはあらゆる現実に対してあらかじめ既視感の蔓延する状況だからこそ、なお絶対に必 要なことなのだ。 しかし、その足運ぶときに、無条件にこれまであり続けてきた「現場」を神聖化し、その神聖化 した分、自分の内実を聞い直さなくてもいいものになっているさまざまなもの言いの磁場からどれ だけ身を遠ざけようとしておけるか、それが同時に切実な問題になってくる。現場に赴こうとする 確かな意志と、その意志を支えながらなおその意志の確かさを減衰させないような方法的自覚。そ れらがともに、〈いま・ここ〉を十全に生きようとするひとりの生身の内にバランスよく宿ること。 行くな、ではなく、行けばいい、でもない。行くべきではある、しかしその行き方についてきちんとことばにして投げ返し、静かに考えながら行ける速度を目算とともに手放さないようにして行 くべき、なのだ。


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 しかし、今、この国で「現場」というもの言いいは揺らいでいる。これまでになく揺らいでいる。

 たとえば少し前、TBSがオウム真理教がらみの取材でH取材テlプuを事前に彼らに見せたと いう事件があった。折からオウムの事件の取材についてメディアのあり方が問われていた時期だっ たこともあって大騒動になり、そのような世間の批判に耐えきれずにTBSは自身の社内調査を中 心にした数時間にわたる釈明番組を放映した。その番組を見ていて、そのような今のこの固におけ る「現場」の意味について考えさせられることが少なからずあった。

 ことの本質としては、同じテレビというメディアの生産現場にワイドショ!の文法と報道番組の 文法というかなり質の具なる表現の約束ごとが隣り合わせに存在していて、そのことについての方 法的自覚が、日々の仕事の現場はともかく、営利企業としてのテレビ局組織としては乏しかったと いう点がまず問われるべきだと思う。あの番組自体、報道の文法によるワイドショーの文法の糾弾、 という組み立てになっていて、そのどこか自傷行為的な性急さとあいまって、テレビというメディ アの中で歴史的経緯を伴いながら形成されてきたはずのそのようなワイドショーの文法が、しかし 組織の内側では何ら方法的自覚のうえに位置づけられていなかったことが図らずも明らかになって しまった。そして、そのようなワイドショlの文法に対する糾弾の論調は一般的なものとしてもあ った。それがテレビというメディアの特性を無視した、文字の論理、活字の正義に一方的に居直ったものであり、テレビにとっての「報道」をより豊かなものにしてゆこうとする立場にとって逆行 ですらあると僕は思っているし、また、そのことは機会あるごとに言ってきたけれども、この場の 議論には直接関係ないので触れないでおく。

 ともあれ、あのとき、そのような図式の中ではまさにテレビ局のあるべき良識なり正義の側に位 置づけられていたように見えた報道番組側の若いディレクターは、オウム真理教についての取材の 過程を通じて、その取材対象であるオウムの中に「食い込む」という意味ではかなり実直に、深く 食い込んでいたことは間違いない。あえて主観的印象を前に押し出したもの言いとして言えば、テ レビ局の報道畑の人間にありがちな活字メディア出自の「報道」の物語を過剰に体現しようとした たたずまいが、取材対象にそのように「食い込む」ことに対する彼の正義を支え、心駆り立てる原 動力になっていたであろうことが画面のこちら側にまで強く伝わってきた。

 ワイドショーならいざ 知らず、自分はそのような「報道」の一線にいる人間なのだ、だからこそこのような「食い込む」 関係を持とうとしたのだし、そのことは「報道」という仕事の特性からして糾弾されるべきことで はないはずだ、と彼の表情、彼のもの言いは雄弁に語っていた。さらに補足すれば、いわゆる偏差 値世代の勝者としての誇り高さとともに、その雄弁さはどこか今どきの若手官僚のような内実の平 板さを示してもいた。それはきっと、オウムの幹部連中のたたずまいのあの平板さとも決して遠い ものではないと僕は思う。

 彼にとっての現場とは、まさにそのような「食い込む」関係が当然のごとく正義となってゆくこ とのできるようなものだったはずだ。取材対象の抱え込んでいる現実に対して果敢に肉薄しろ。臆することはない。おまえは「報道」の人間だ。テレビ局の人間であっても、新聞記者や活字のジャ ーナリストと同じ「報道」に携わる人間なのだ。 それに対して、ワイドショlの制作現場に携わっていたディレクターのほうはというと、仕事を 通じて自分がつきあっていたオウム真理教に対する距離感にそのような正義の気配はかなり薄かっ た。彼が下請けの制作プロダクションの人間だったということを差し引いても、自分のやっている 仕事がそのような正義としての「報道」とは縁遠いものであり、だからこそ仕事として一段下のも のである、という微妙な抑圧の句いがまつわっていた。

 彼は自分とオウムとの関係について、オウムに「食い込んでいる」というようなもの言いで説明しようとはしてこなかったはずだ。「食い込む」もヘチマもない、ワイドショ!の文法に依拠しながら、対象となる現実をその鋳型にどれだけ効率的に押し込むことができるか、それが彼の仕事の 第一義だったはずだ。その過程でいらぬ抵抗やトラブルが発生しなければ、ひとまずそれが一番。 取材テープを事前に相手に見せる、ということが「報道」の正義からすれば好ましからざるこ とであるのはもちろん理解できるけれども、そのような「報道」の正義の内側に自分の仕事がある という実感はあまり持てない。相手があれだけクレームをつけてきていて、しか、も訴訟などという こともちらつかせている以上、「報道」の正義からすれば若干問題があるとしても、ことはトラブ ルを起こさずにやりすごして、相手とこれから先もうまく仕事でつきあえるようにしておいたほう が得策ではないのか。しかも自分は下請けの人間だ。「報道」の正義でツツパるだけの立場の強さ もない。ツツパって訴訟になったとしても、局が最後まで守ってくれるとは限らない。だとしたら----。

 この「食い込む」というもの言いの響きは、僕の身の回りで言えば、ある種の民俗学者や人類学 者たちが好んで使う「入り込む」というもの言いに親しいものだ。調査地に、フィールドに、ムラ に「入り込む」。自分が関わる対象に対してそのようなもの言いで表現しようとする意識のありよ うや気分の濃度というのは、「報道」の正義を自明のものとしながら取材対象と切り結んでゆこう とするジャーナリストたちのまなじりの決し方や肩肘の張り方、そしてその分棚上げにされがちな 「自分」の「立場」について語るモメントの乏しさともよく似ていて、それに触れるたびにあるや りきれなさを、僕はずっと感じ続けてきたように思う。「現場」信仰に深く帰依している人ほど、 この「入り込む」や「食い込む」という類のもの言いを実に平然と明るく使うのだ。

 この種のやりきれなさや違和感は本当に伝えにくい。そういう違和感をこちらが持っているとい うことは伝えられるにしても、そのことの意味や、その意味を媒介にともに考えてゆかねばならな い土俵などを前向きに構築できる可能性があるのかと問われると、これまでの僕の体験からすると、 少なくとも今のこの国の民俗学の世間ではほとんど不可能と答えざるを得ない。万一、幸いにして こちらのそのような違和感の存在をわかってくれたとしても、そこから先の反応というのはさらに 心萎えるようなものだったりする。

 TBSの番組もそうだった。あれは確か女性アナウンサーだったと思うのだが、内部調査の過程 をビデオで構成してゆくその合間のスタジオで、「取材者と取材対象の関係について教えてくれるいい教科書がないんですよねえ」といった意味の発言をしていた。

 驚いた。およそ浮き世離れ、世間知らずが習い性になってしまった今どきの学問世界の住人なら ばいざ知らず、日々めまぐるしい速度で仕事をしているメディアの現場で働いている人間でさえこんなことを考えているのだろうか、と思った。 仮に百歩譲ってそんな教科書というのがあり得るとして、それは具体的にどういうものになると いうのだろう。「ジャーナリストとしての倫理」とか「取材協力者との信頼関係」とか、そういう 大文字のもの言いが並ぶようなもの以上になりょうがないはず、と僕ならば思う。そういう大文字 のもの言いによってならば、ここで論じようとしている「現場」の問題もすでに十分わかられてい るはずなのだ。試しに、テレビ局であれ新聞社であれ、そのような「報道」の正義が色濃く共有さ れている仕事に携わる人たちに尋ねてみればいい。誰もがそのような大文字のもの言いの水準でな らば、かなりもっともらしく、かつまた穏当で良識的な発言をしてくれるはずと思う。問題は、す でにあるモードとして共有されているらしい「現場」についてのそういう大文字のもの言いと、生 身の自分との聞の距離を埋められない、いや、埋められないどころかその距離を自覚すらできない、 そんな難儀が現実に存在しているということなのだ。



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 たとえば、僕にとってはなけなしの現場のひとつであり、今もそうであり続けている競馬場の厩 舎や牧場といった、馬の仕事の世間における人間関係に置き換えてみよう。

 大学院生の頃からだから、考えればもう十年以上もそのようなつきあいの中に身を置いてきてい ることになる。同じ頃そういう仕事の場に入ってきた同世代の専門紙の記者などは、もう充分に署 名原稿を書くようなキャリアを積んできている。こっちはそういう仕事の速度でつきあってきたわ けではない分、何かそのような確実なキャリアとして積算されてきたようなものが示しにくいにせ よ、それでも具体的なつきあいを続けてきている厩舎や牧場はひとつやふたつではないし、そこに はまた濃淡もある。都合の悪いところまであけっぴろげにしてっきあってくれるところもあるし、 それほどでもないところもある。今や彼らの仕事の速度で日々包囲してくる競馬関係のメディアに 対して身構えるような情報をあえて共有してくれるところもあれば、そのような仕事のうえからは 何のトクもないからなるべく遠ざけておいたほうが無難な面倒くさい奴、といった態度で接してく れるところもある。当たり前のことだが、それは本当にさまざまだ。

 けれども、それらはそのような関係についての水準の違いをすべてひっくるめたところで「そう いうもの」である。つきあいが深いとか浅いとかの問題でもない。こちらにとって心地よい、ある いは役に立つ度合いの大きいつきあいがあるからその分だけ「真実」なり「本当のこと」に近づい ている、というふうには僕は考えないようにしている。

 理由は明快だ。誰であれ、その最も切実な現実の内側にいるわけでもない人聞に対して、本当の ことを「本当のこと」として言ってくれるわけがない。また、その必要もない。急いで補足してお くならば、との「本当のこと」とは彼らが日々の仕事の範囲で確かだと感じ得る限りのリアリティ としておこう。それ、がどのようなものであれ、人がともに生きている場である以上そのようなリア リティは確かにあるのだし、その限りで「本当のこと」はある、と言ってもいい。 しかし、そのような現実に対してこちらはこちらでまた別の立場で、たとえば競馬関係のメディアとはまた別の種類の「仕事」という範囲でつきあっているにすぎないということもある。

 僕が、 これまでのつきあいの経緯の中で獲得し、共有してきたリアリティの水準というのは確かにあるけ れども、しかし、同時にそれは僕が僕であるがゆえにそのような水準になってしまっているという ことを良くも悪くもフィードバックしたうえでのことにしておくべきだろうと思うのだ。でないと、 互いにそのような「仕事」の領分の違いがあり、それに応じて「立場」の違いがある、ということ についての相互の認識がとたんにあやしくなる。どうかすると、たまたまそのような水準であるに すぎないリアリティを過剰に「本当のこと」だと思い込み、その思い込みを野放しにしたままもの を言ったり書いたりするようにもなる。

 たとえば、自他ともに認める本好きの若い世代に、ルポや ノンフィクションつてなんかうっとうしくて、と言われたりすることがよくある。それはそのよう な「報道」の正義に身を寄り添わせた度合いが強い表現のジャンルほど、そのような書き手側の思 い込みをカツコにくくることが手練手管としてさえも乏しい場合が多い、その自意識のうっとうし さの現われにほかならない。

 誰であれ、眼の前の〈いま・ここ〉の現在に関わりながら何かを見、考えようとする人間ならば、 大なり小なりこのような状況の中に巻き込まれるはずだ。そして、このような状況に身を置くこと で必然的に起こってくるさまざまな葛藤や聞いの渦は、「取材の対象と取材者との関係について記 したいい教科書がない」といったそれ自体はナイーヴな、しかし実際には何の役にも立たないよう な大文字の悩み方だけではもはや何も解決しないのは明らかだ。

 悩んでる場合じゃない。簡単だよ。そういう現場に関わるてめえの「立場」をどこまで自覚し、その「立場」を前向きにあきらめながらなおきちんと線引きできているか、ということだ。そして そのてめえの「立場」とは、丸裸の個人としてと同時に、それ以前に仕事として、もっと言えば職 分としての「立場」もあるだろう、ということだ。おめえらの「報道」の正義なんざ知ったことか、 そんな思い込みで勝手につきあってこようとしたって、そんなものは商売上のひとつの「立場」に すぎないじゃないか、そんな取材に応じることが俺にとって一体どういうトクがあるのかよ――取材対象である人聞からそう面と向かって言われたとき、「報道」の正義に寄りかかったままの意識 にどのような動揺が走るのか、想像することはそう難しくない。

 そして、同じことはこの「報道」 を「学問」と置き換えたところで、民俗学や人類学や社会学や、いずれ「現場」を切実なものとし て自身の方法の中に位置づけようとしてきた学問領域に対しても適用できる。「報道」であれ「学問」であれ何であれ、いずれいきなりそういう大文字の正義を背負ったまま俺の眼の前にやってく るおまえは一体何者なんだ、という間いの視線。

 ところが、そのような視線の前でいきなりまた別の大文字の正義を放り出して丸裸の個人になろ うとする病いもある。「人間としての相互理解」とか「心の交流」という類の物語をいきなり持ち 出してことをチャラにしようとする手合いがそれだ。昨今ならば「人権」や「人道」といったもの 言いもご同様。それらもまた無自覚な行為であることがほとんどだが、しかし、「報道」なり「学 問」なりの大文字の正義を背負ったところから一転して「人間」といったまた別の大文字の正義に 寄りかかろうとしていることについて手癖はまったく同じ。何の解決にもならない。

 もちろん、 「報道」なり「学問」なりの正義よりはそのような「人間」や「心」の正義のほうが世間に共有されている度合いが大きいという事情もあるから、その場はそれで丸く収まる可能性はずっと高いだ ろう。あるいは、そのような「人間」や「心」の正義に依拠したまま「書かれたもの」に整えてゆけば、それらの正義に安住する同時代の一瞬の喝采くらいは浴びることができるかもしれない。第 一、最初はぎこちなかった関係がつきあいをしてゆくうちにほぐれてゆき、最後は涙ながらの別れ でめでたしめでたし、という「おはなし」の文法は、ルポやノンフィクションだけでなくそのよう な表現一般にすでに広く共有されている。

 けれどもそれは、生き物の個体同士の関係は一般的にそ のような過程を踏んで形づくられてゆく、といった言わば動物生態学的な真実とはまた別のこと。 もの言いの文法、語られ方の水準が介在したところでの社会的役割を見ておかないことには不充分 なのだ。 丸裸の個人としての「自分」を過剰に一番大切なものにしておく、そんな風潮が当たり前になっ ているから、かえって職分としての自分が軽んじられもする。職分としてやっちゃいけないと思う ことと丸裸の個人としてやっちゃいけないと思うこととの聞に平然と食い違いがあって、しかもそ の食い違いがそのままにされていたりする。だから、職分としての意志決定が丸裸の個人ならば絶 対にやらないようなものになる事態だってそこここで起こる。「ほんとは自分だってこんなことは やりたくないけれども、これは仕事だから仕方ないよな」といった言い訳を百万遍も自分に向かっ てしながら。そして、その言い訳を「わかるよなあ、そういう気持ち」とうっかり共感してしまう 同時代もまた当たり前のものとして眼の前に存在しながら。

 少なくとも、かつてあったかもしれない「現場」の、勘違いも含めた輝かしさや切実さは、現場に赴く自意識のこのような分裂状況、身についた「立場」の解体状況の中では、とてもそのままで 支えられるものではなくなっている。そして、今この状況で「現場」を過剰に言いつのる人たちは、 そのような状況認識について信じられないほど鈍感な人たちである場合が多い。そのこと自体が今、 現場を正面から考えようとするときの大きな問題として横たわっている。

 そのように、もはやそのままでは「現場」が明確になりにくい状況がある。そのことはこれまでもいやになるほど繰り返し指摘し、ことばにしてきた。そして、「現場」がここまであいまいなも のになっていることの背景には、そのような「現場」に赴く、本来はそれぞれに異なるはずのそれ ぞれの「立場」があいまいなままだということが横たわっているのだ。


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 確かに、これまでさまざまなもの言いによって「現場」に赴く「立場」は想定されてきた。それ らを一貫して流れるモティーフがあるとしたら、たとえば「事実」などはまさにその大きなものだ っただろう。研究者の「調査」であれ、ジャーナリストの「取材」であれ、求められるのはそのよ うな「事実」だった。だから、「事実」を語ることでその「事実」を追求するという自分の「立 場」も自動的に明確にできた。 だが、今やそんな幸せな状況ではなくなってきている。「事実」の重みをどんなに誠実に言挙げ しても、もはやそれだけで同時に「自分」の「立場」も保証されるわけではない。だから逆に言え ば、そのような自分の「立場」について深く疑わなくてもすむような状況にある人間にはこの聞い は通じない。どうしてそんなことに思い悩むのだろう、という不思議な顔をされるのが関の山。今の「現場」問題とは、個々の理由は何であれ、自分の「立場」について疑わざるを得ないような状 況にある人間にとっての問題でもあるらしい。 この距離はかなり決定的だ。

 そのように自分の「立場」を疑う契機の薄い者にとっては、このよ うな聞いも常に自分とは関わりないところで展開される平板なエピソードでしかない。結局のとこ ろ、そのように自分の「立場」と関係のないところでハンドリングされる問題としてだけ「現場」 は語られ、どんどん痩せた間いにさせられてゆく。その脈絡からは、「立場」という聞いはもちろ ん、その手前にあるはずの「自分」という聞いについても同じくなかったことにされ、何も状況は 変わらない。 かくて、「現場」が芦高に語られれば語られるほど、何も変わらない「自分」が裏返しに強調さ れる結果になる。ことばへの不信感、そしてそのことばによって語り、論じることへの絶望感が、 同じ現在に身を置いている中では多少は鋭敏なところのあるらしいさまざまな「自分」たちの聞に 広がってゆき、かくて、最もつぶさにことばにしておかねばならない聞いはさらに深く屈託し、沈 黙するしかない。

 はじめにあった聞いは何も難しいことじゃない。「本当のこと」を知りたい、ひとまずそれだけ のことだった。 その「本当のこと」を知るためにどんな手立てがあって、どの手立てが今の自分にとって最も手 に合った切実なものなのか、ということを静かに顧みればいいだけのこと。そして、そのような素朴な営みのうえに「学問」が成り立つということを信じさせてくれたのが民俗学だった。少なくと も、僕にとっての民俗学とはそんなものだった。

 その「本当のこと」を知る手立てはさまざまにあり得る。いきなりM感じるμという荒技だって やっていけないことはない。けれども、穏やかにρ知るHための筋道としては、やはりひとまず文 字を読むことが必要だろう。そして、人の話を聴くこと、その場に足を運んで見ること、さらにそ のようにして自分の内側に宿ったものをもう一度外側に向かって別の形に整えようとすること、な どが求められてくるはずだ。だから、やはり書きとめること。ことばにすること。そうやって伝え ようとすること。そのすべての過程をつむぎ合わせる論理と倫理をひとりの身のうちに宿してゆこ うとすること。その果てに「本当のこと」は初めてゆっくりとその姿を現わしてくること。それら のつながりがひとつの大きな営みとして意識されるようになってきて、そして、それらの中に宿る ものをこそ、初めて「リアル」とつぶやいても構わないらしいこと。

 リアルなこと。確かなこと。信じるに足ること。「本当のこと」。それらを求める営みを人は「芸 術」と呼び、「学問」と言い、ときにはさらに大きく「文化」とくくってもきた。なくても困らな いけれども、あればあったでそれなりに幸せになれるかもしれないささやかな身の大きさの営み。 その営みが許される場所をどのように確保してゆくことができるだろう。それはなにも、たまたま そのような性癖を持ってしまった個人の問題ではない。そのような性癖が人間のひとつの可能性の 中にはらまれていることについての存在証明が、確かに現実の中に書き残されるということ。その 積み重ねの中に初めて許されるしかないこと。そのような許され方だけが「歴史」になり、いつか「伝統」へ連なってゆくらしいこと。

 けれども、そのような過程をゆっくりとくぐったあとに「書かれたもの」になった「本当のこ と」と対抗的な位置に、「現場」というもの言いはいきなり持ち出されできたりする。そこでは 「現場」は文字の速度から分離され、文字に規定された現実からいきなり自由なユートピアとして さえ想定される。書斎と現場、デスクワiクとフィールドワークといった「現場」をめぐる神話を 規定してきたあの不幸な二分法がここからはじまる。だが、そのような二分法の神話は「書かれた もの」の抑圧がこれまであまりに長かったがゆえの、一気の解放をかえって過剰に求める知性の不 自由の現われだと、もうそろそろはっきり言っていいはずだ。

 文字の速度からいきなり逃れるため の粗雑な免罪符として「現場」を振り回す愚かさ。それは「歴史」や「伝統」の迂遠さやもどかし さにじっとつきあおうとする知恵のない者たちが、一発逆転のもの欲しさとともになだれを打つあ さましい姿だ。 書物と現実、書斎と現場、思索と行動、精神と身体:::このような、ある意味では幸福な二分法 が有効であったような情報環境から、われわれの社会はすでに少しずつずれはじめている。書物も また現実に埋め込まれであるのだし、現実もまた書物からの照り返しを受けぬわけがない。情報化 社会とはそういうことだ。だから、その双方を媒介するほかでもない「自分」の位相について考慮 しながら、なお文字を「読む」という営みについて自問すること。もっと言えば、「読む」という 営みに象徴されることばと意味の織りなすあやしい領域について深くあきらめながらなお現場を考 え、考えながら自らそこへ足運ぶこと。それは、メディアの錯綜の中で色あせて陳腐なものになっている「現場」の輝かしさを、もう一度それぞれの手もと足もとにそれぞれの形、それぞれの彩り とともに取り戻すための、大切なエチュードになる。



 たとえば、「現場」をめぐる聞いを語るときによく持ち出されるもの言いのひとつとして、「書かれたもの」の向こう側に行くために現場へ行くのだ、というのがある。

 これは基本的に間違いではない。「書かれたもの」だけを資料としてものを知り、考える作法と いうのはある。そして先回りして言えば、その「書かれたもの」の限界をどのように知り、「書か れたもの」の向こう側に赴こうとし、そのように赴いた体験を踏まえた「自分」を自覚したうえで どのように再び「書かれたもの」に関わってゆくのか、という往復運動こそが現場を問うことの重要な可能性のひとつではある。

 確認しておこう。多くの場合、「事実」とは未だに「書かれたもの」である。もう少していねい にほどいて言えば「ことばによって意味づけられ、解釈された結果のもの」である。そしてそれは、 もとの形はどのようなものであれ、最も信頼される形としては「話されたこと」や「語られたこ と」や「見られたこと」や「思ったこと」や「感じられたこと」などでなく、それらをくぐったあ とにやはり「書かれたもの」という形に整えられたものであったりする。そのような形をめぐる約 束ごとのうえでわれわれの社会は、この近代社会は成り立っている。未だに成り立っている。

 もちろん、「書かれたもの」以前の「もの」そのものを証拠にするという態度もあるし、「書かれ たもの」そのものを「もの」として取り扱う立場もある。だが、いずれにしても「もの」自体をひとつのテキストとして読み取り、解釈し、意味づけるのはやはりことばであり、そのことばを共有 するこちら側の問題だ。ということは、HものHそのものを過剰に大切にするそのような態度は、 次の瞬間には方法意識の薄くなった「もの」信仰へといとも簡単に横転してゆく。それは呪文と化 した「事実」信仰、「ファクト」崇拝、「目撃」カルトなどとも病いとしては共通している。「もの」という表象は「もの」そのものとどのような関係を保って存在しているのか、という聞いをしない まま「もの」を扱う手続きだけをただ堆積してゆく病いは、「もの」を扱うことを胸張って標榜す る民具学や博物館学、ときには書誌学のある部分などに根強く感染している。

 書斎の現場と書斎の外の現場とでは、同じ現場でも主要なスキルが異なってくる。これもまた当 然だ。しかし、それはまったく別のものでもない。こんなご時世のこと、電脳空聞にとっての「現場」とは、といった聞いだって当然立てられねばならないし、それに対する身構え方もすでに求め られはじめている。にしても、その前提となるのは「書かれたもの」に対する基本的なスキルであ るはずだ。難しいことではない。「書かれたもの」を資料として何をどのように明らかにするのか、 ということについての自覚である。そのことに対する感覚の乏しいまま、たとえばビデオテープの、 古文書の、民具の、それぞれを取り扱う技術だけ習熟していたとしても、それは、何をどのように 治療するためにこの手術をとり行なうのかをまったく知らないままメスさばきだけ習熟している外 科医のようなものかもしれない。もちろん、メスも扱えない外科医が高尚な治療論・医学論だけや れる状況も同等に滑稽ではあるけれども、しかし、そのような両者ががっちりチlムを組んで治療 に当たることは医療現場では可能だろうし、理想としてはそのようなものだろう。その両者の問で実りある対話が不可能になっているのが、どうやら今どきの文科系の「現場」での問題なのだ。

 だから、見知らぬ土地、なじみのない現実をやみくもに歩き続ければそれが常に「現場」という わけでもない。と言って、日々の流れの中、皮膚のように身に張りついた日常にだけ「現場」を発 見すればいいというだけでもない。まして、書庫にこもりっきりで「書かれたもの」にのみしがみ ついて得られる「現場」だけが正当なわけでもない。なのに、往々にして「書かれたもの」と「現場」とはいきなり対置され、まるで別のもののようにして語られる。 それは、考えながらさまざまな現場を横断し、歩いてゆくことを妨げる。その結果、ひとりひと りはかなり誠実であるはずの者たちに、ほとんど信じられないような自聞をもたらす。自閉は自閉 で幸せだという真実もあるにせよ、それを全面的に肯定するわけにもいかない。

 ことばのつむぎ出 す意味の現実。その現実の中で、それ自体をひとつの生態系のようなものとして呼吸し、生きてゆ くしかないわれわれの存在。現場を考えることはそのような存在でしかないわれわれに思い至るこ とであり、そんなわれわれを可能にしているメディアを考え、ことばと意味をめぐる同時代の環境 を考えることにつながる。

 だから、現場はある。どこにでもある。未だ「書かれた、もの」になっていない現実を知るために 赴く場所だけが現場ではない。「書かれたもの」に依拠した営みももちろん「現場」だし、そのほ かのどんな場所だって「現場」たり得る。そして、この言い方は、先の「書かれたもの」の向こう 側に行くために現場へ行くのだ、という、もの言いとおそらく同じ程度に正しい。 だが、ならばその一方で、ただ身を置いたというだけでそこ、がそのまま「現場」になるかというと、そういうわけでもない。その程度には、今の僕たちの置かれてしまっている情報環境というの は実に厄介で難儀なものになっている。

 何より、現場をめぐるそのような七転八倒をして求められる「本当のこと」というのも、何もこ の世にたったひとつの宝物、万古不易の真実というわけではない。その場に身を置いた自分にとっ ての真実という程度のことだ。 確かにその程度のことだけれども、でもだからこそ、きちんと自分で引き受けられるようにして おかないといけない。でないと、せっかくつかんだはずの「本当のこと」もいくらでもひからびて、 別のものになってしまうし、それをわざわざことばにし、社会に投げ返し、何か未来に役立つ価値 へとつなげてゆく目算さえも宿らなくなる。ただそうすればいい、というだけで方法的自省もなく ただ延々と続けられる「学問」の営みがここまで信頼を失ってしまっているのも、突き詰めればそ のような「本当のこと」を支える方法的意識の額廃と関わっていると僕は思う。

 それを引き受けられるようにしておくためには、その「本当のこと」が自分以外にとっても納得 できるような現実であることを説明できなければならない。そのためには、その「本当のこと」を 何らかの水準でことばにしてゆくことが必要になる。だから、そのことばとは、どこのどんな人聞 に、どんな境遇にある人たちに伝わってゆくことが求められているのかを、できる限り誠実に想定 しながらつむぎ出されなければならない。


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 ここ十年あまりの問、この国の民俗学文化人類学、社 会学といった領域でことさらに語られるようになってきている民族(俗)誌なりエスノグラフィー なりの議論というのは、その本質として、「本当のこと」を記述し流通させてゆくことの意味を、 このようなメディアと情報環境の問題を介在させたところで問う契機をはらんでいる。

 たとえば、北アメリカの英語圏でのエスノグラフィーをめぐること二十年ばかりの議論を見わた してゆく限り、必ずそのような「書くこと」の問題が自己言及的に強く意識されてきていることが 看て取れる。それはまた、歴史をめぐるテキストの問題などとも通底する同時代的な広がりを持つ 大きな聞いである。だが、それが日本の学聞をめぐる環境に持ち込まれた場合には、なぜか悪い意 味での私小説的な自聞とともに理解され、「本当のこと」とことばの関係、「書くこと」とメディア の関係などが広義の政治や歴史とからんだところで「学問する主体」に自覚される契機がきわめて 乏しいままだ。ことばの最も貧しい意味での「自分探し」のちょっとばかりお高くとまったバリエ ーションとして民族(俗)誌やエスノグラフィーが、あるいは「歴史」とテキストの関係、がうっと りと語られる状況のこの日本的みっともなさというのはそろそろ乗り越えられねばならない。

 もちろん、逆にエスノグラフイーをめぐるこのような現状には、それらこれまで自明のものとな ってきた「本当のこと」をめぐる制度の解体が進行するあまり、それらの蓄積のうえにどのような 達成があり得るのかという目算までも放棄せざるを得ないようなある種の混迷も看て取れなくはな いし、さらにインターネットなどのこれまでにないほどパワフルな情報ツールを媒介にした情報環 境の激変とあいまって、「学問」に名を借りた「二流の文学」の百花糠乱という事態が起こりはじ めていることを示しているように見えなくもない。

 さらにそれが、自ら制御する意識の薄い「個」 の表現を過剰に称揚してゆく八0年代以降のわが日本の状況の中での「学問」の難儀と接触し複合すれば、事態はさらに込み入ったものになってくる。いずれにしても、「文学」を屈折しながらも 逆に特権的なものとしてきたわれわれの知的風土の問題や、ことばを必要以上に物神化してきた歴 史・文化的経緯など、この国の「学問」のありょうをめぐるさまざまな間いがこれらの現状から最 低限引き出せるはずだし、同時に、情報環境が「学問」を規定してゆく、その限りで「学問」と歴 史・文化の関わりといった側面について自覚的になってゆくこともできるはずだ。

 繰り返す。すでに「本当のこと」はひとつではない。「本当のこと」はその程度にその「本当の こと」を支える仕掛けのうえに成り立っている。だが、その仕掛けは往々にして自明のもの、透明 なものになっている。それが自明で透明なものである限り、その「本当のこと」は容易にたったひ とつの、かけがえのないものという色彩を強めてゆくし、それに見合った形でその「本当のこと」 へと向かうためのさまざまな動機づけのもの言い、たとえば「学問」や「研究」や「調査」といっ たもの言いを特権的なものとして立ち上がらせてもゆく。その結果、それらの仕掛けの中に埋め込 まれである「自分」に対する自省の回路が制限され、「立場」がぼやけてゆき、同時にそのような 「自分」が「書くこと」を介して対面すべき他者としての「読者」も漠然とした存在にしかなって ゆかない。

 だから、全力を傾けて「読者」を想定すること。自分が切実だと思った現実を、そんな「本当の こと」を当たり前のこととして知らせてゆくために、その知ってもらいたい読み手の存在を常に意 識すること。意識して、同時に自分とその読み手との聞に横たわっている距離を想像しておくこと。 そして、その距離を埋めてゆくためのことばを研ぎ澄まそうとし続けること。

 それらが自分の手に合った営みとして成り立つのならば、何も「学問」と大上段に振りかぶらずともいい。 たとえば、「調べもの」という言い方でいい。 との「調べもの」という言い方に対応するような知的営みはすべて、まず「書かれたもの」に依 拠する情報集積から必要だと思われる情報をどのように引き出すかについての見通しとそのうえに 立ったスキルを要求されるはずだ。方法意識とはそういうことだ。何を問い、何を知ろうとしているのかについての自覚を持ち、その自覚に立って自分の行なうべき作業を構築してゆく。そこから 先に、人の話を聴き、「もの」を読み、ときに茫漠としたまるごとの現実に身ひとつで対峠する 危うい営みでさえも、「調べもの」のコントロールの下に置いておける平穏が訪れ、そしてその中 で、あやふやだった「立場」もまた輪郭を確かなものにしてゆくことができるはずだ。

 とすれば、現場の問題とは、単にメディアの水準の違いの問題でもなければ、どこまで遠くへ行 ったかというような地理的な距離の問題でもない。まして、自らの判断停止と自聞とを正当化する ための免罪符などではさらにない。そのように自身の「立場」を見出そうと志すところに、常に 「現場」は立ち上がり得る。辺境の貧国探しに埋没してゆく遊歩者の怠慢や、必要以上の正義を背 負ったジャーナリズムの自意識過剰や、自ら情報環境を狭く狭く制限したあとの専門性に居直った 学者の硬直などから遠く自らの歩みを置こうとする者すべてに、その可能性は等しく聞かれている。 その意味で、あえて「往け」と僕は命令形で言わせてもらうことにする。

 誰に、って尋ねられれ ば、そりゃ何よりまず自分自身に向けてだ、と言う。そして、そのような自分自身の向こう側にあ る程度はいるはずの、同時代の未だ見ぬ複数の自分に向けてだ、と言い添える。ここまで面倒なことを考えつめてしまい、それでもなお腰上げようとする心意気を持たないことにはこの先「自分」 が立ってゆけない、そんな種類の人聞はまだもう少し世の中にいるはずだ、ということをひとまず 野放しに信じないことにはこのような営みは続かない。あえて気恥ずかしいもの言いを持ち出そう。 それが「希望」だ。

*1: 青弓社刊の『顔あげて現場へ往け』のための、書き下ろし原稿だったはず。「まえがき」みたいなものだったかと。