本、も具体的なブツであった


 「単独名義としては20年ぶり」という一節を眼にして、一瞬、息を呑んだ。

 送られてきた書店向けの宣材のゲラ。いまどきのこととてメイル添付の電子媒体なのはともかく、いや、ちょっとそれはみっともないのでご勘弁を、にしてもらったんですが、でも、考えなおしてみたら確かにそうだ、まごうかたない事実だったわけで。ああ、そうか、もう20年もの間、おのれの名義で本を出してなかったんだな、と、あらためてしみじみしてしまったような次第。それほどまでに、この本というやつ、少なくとも自分ごとの媒体ではなくなっちまってたんだな、と。

 『掟――folk rule』という題名、編著書ではありますが、確かに自分の名義の書籍、であります。「国会図書館秘伝のレファレンス・チップス」という副題のついた『調べる技術』『もっと調べる技術』(小林昌樹・著)や、*1 総合雑誌など既存の媒体だけでなく地方で刊行された雑誌類までをカバーし、しかも戦前から戦後まで通して横断的に収録、オンラインで提供する雑誌記事索引データベースの「ざっさくプラス」などで、まあ、その筋の書痴、活字マニア、よろずしらべもの系に眼がない好き者などの間ではそれなりに知る人ぞ知る版元、晧星社の「紙礫」というシリーズの19冊目として、去る8月9日を期して刊行されました。


 今回、宣伝めいた話にもなりますが、この「20年ぶりの新刊」のことから少し。

 「シリーズ紙礫(かみつぶて)は、従来のアンソロジーとは異なる切り口で文学作品を蒐集します。例えば、戦中戦後の闇市終戦直後の夜の町で米兵の袖を引いた街娼、被差別部落、人型の性具・ダッチワイフ……。明治から平成まで、書き手の有名無名を問わず、テーマに合う作品を縦横無尽に採録します。30ページにおよぶ重厚な解説は、テーマとする事物の文学小史としても読めます。ちょっと不穏なこのシリーズに、どうぞお付き合いください。」(晧星社ホームページより)

 偉そうに編著とか銘打ってますが、まあ、要はある種オムニバスな小説集。「掟」というお題は先に版元から示されていたもので、白状すれば当初は、収録するその中身についてもあらかじめ指定されていました。版元の晧星社から当初、提示されていたのはこの五本。

  ・ マテオ・ファルコーネ(メリメ、藤沢次郎訳)
  ・ 楢山節考深沢七郎
  ・ ひとり狼(村上元三
  ・ 薪能立原正秋
  ・ 秘密(竹久夢二

 ごていねいにそれぞれの作品のコピーも併せて送られてきていて、つまりこれらの作品を「掟」というお題でくくってみてあるので、ひとつそれに沿って「解説」を書いてもらえないだろうか――まあ、ざっとそういう注文だったのであります、はじめの一歩は。

 そもそも、どうしてそんな仕事をこの自分に? という謎がありました。だって、真正面からの「文学」の、それも「小説」の解説なんざ、かつて東京でジタバタしていた頃の、来たタマはとにかく全部振り抜くつもりで見境なく仕事をしていた後先知らずで若気の至り全開、やくたいもない渡世を臆面なくやらかしていた疾風怒濤の季節ならいざ知らず、ご当地北海道にお神輿据えてすでに20年近く、およそそんな「文学」まわりはもちろん、どんなお題であっても、いまどきの出版界隈からわざわざお声がかりいただけるような立ち廻りはとっくにしておらず、奇しくも縁あって流れついた地方底辺零細私大の教員としてひたすら身を慎み、日々の業務に専心していたつもりの還暦越え老害化石のはずなのに、と、これは決して韜晦でも何でもなく訝りました。

 少し前、同じ版元から出ている『近代出版研究』という雑誌、というかほとんど同人誌に近いような体裁の媒体に古本についての原稿を頼まれて書いた、おそらくはそれが縁だったのでしょう。そこに寄稿していた人がたのほとんどには全く面識なく、せいぜいどこかで、それこそTwitterその他SMSも含めた世間の半径でお名前くらいは見たことがあるかな、という程度のお座敷だったので、申し訳ないことにこちらもそれっきりになっていたのですが、同じ版元からの依頼だったので、まあ、そういうことなのだろう、と。

king-biscuit.hatenablog.com

 とは言うものの、あてがい扶持のように5本の小説、それもどう考えても自分の守備範囲ではない翻訳もの含めた書き手や芸風のものに、しかも「掟」というお題に沿って何か解説を、との注文に、はて、こりゃ困った、になりました。送られたコピーに眼を通してみても、どうにもピンとこない。いや、こういう作品を集めて「掟」とくくりたい、その気持ちや意図は何となくわかるような気はしましたが、でもだからと言って、それをそのまま自分ごととして何か「解説」できるほどの内実をそこに込められるかというと、それはおそらく無理だろう。メイルを介して担当だという編集者と少しやりとりしてみたところ、どうもその編集者ではなく、版元の社長か何か、いずれ上の方の趣味でアドバイスともども選ばれ、決められた企画のような気配でもあり、となると、無碍に断るわけにもゆかないだろうし、というので、このままだととてもじゃないが自分ごときの手に負えないと思う、なのでせっかくのお話ゆえ、そのお題の「掟」の趣旨を活かせる形で、こちらからもよさげな作品をいくつか出してみるから、それも含めて収録する作品のラインナップを考えてもらえないか、という趣旨の話をしつつ、すりあわせをしてゆくことになった。

 けれども、拍子の悪いタイミングというのはあるもので、何しろこちとらその頃まだ例の「懲戒解雇」がらみの裁判沙汰の真っ最中で身辺あれこれごった返してもいて、またそもそもこれまでもあまり触ってこなかった「文学」界隈をあらためて正面から料理せねばならないことへの億劫さも重なり、なんだかんだで当初、依頼の連絡をもらった時から1年近くお手玉してしまうことになったのは、版元には申し訳ないことではありました。

 で、こちらから改めて提示した作品というのが、ひとまずこのようなもの。もともと「文学」「小説」など好き放題な拾い読みしかしていなかった上に、半径これまで何らかの仕事で縁があったものくらいしか「解説」の間尺にあいそうな知識も背景も貯め込んでいない縁無き衆生の身ゆえ、版元はかなり面喰らったのでは。

  ・ 織田作之助「競馬」『世相』 昭和21年刊
  ・ 藤原審爾「安五郎出世」『安五郎出世』 昭和37年刊
  ・ 野坂昭如「骨餓身峠死人葛」『骨餓身峠死人葛』 昭和44年刊
  ・ 富士正晴「童貞」『帝国軍隊に於ける学習・序』 昭和39年刊
  ・ 平山蘆江『つめびき』昭和27年刊……より抜粋「雪の夜」「糸みち」
  ・ 岩下俊作「辰次と由松」昭和15年オール讀物』初出
  ・ 長谷川伸「舶来巾着切」 大正15年初出

 これらから、予定されている全体のページ数や、著作権処理の関係なども含めて取捨検討してもらいつつ、縷々やりとりしていった結果、短編の間尺でとりあげにくい平山蘆江や、ていねいな背景説明の欠かせない内容の岩下俊作を割愛して、その代わり、元の提案にあった村上元三を入れる、という線で何とか企画が固まったような次第。また、「掟」というお題についても、当初版元が考えていたような内実とはもしかしたらズレるものになるかもしれないが、と念押ししながらでしたが、それらも含めてひとまずGOサインを出してくれたことには感謝しています。


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 それにしても、です。

 いまさらながらにこの本という媒体、出版という稼業の本邦における現在というやつ、かつてそれなりに自分名義の本も出し、編著も訳書もつくり、またおっちょこちょいにも他人様の本を出す片棒担ぎのようなことすら何度もやってきた、その程度には出版界隈の事情についての当事者ではあったはずの自分にとって、あまりに違う世界になってしまっていることを思い知らされました。

 本誌の読者がたにとっては失笑ものでしょうが、たとえば初版の部数。嘘でも大学教員、あるいは学者の肩書きで本を出していた分、初版3,000部、うまくいって増刷かかるのも500~1,000部単位、それでもよっぽど売れたものでない限りせいぜい5,000部~6,000部程度、文庫や新書でない、いわゆる単行本の単著で10,000部も売れたものは、自分に関してはまずなかったはずです。まあ、その程度の書き手だったということなのですが、それでも、本を作りましょう、とお声かけてもらえる際に、初版3,000部を考えてもらえるくらいには、市場の商品としても見込みが立ったということではあったのでしょう。

 20年前、自分が単著『全身民俗学者』(夏目書房)を最後に出した頃、同時に北海道で暮らすようになった頃でもありますが、全国の書店数はまだ20,000店近くあったそうです。その頃から比べていまや半分以下、10,000店を切るまでになっているらしい。店の数でなく、一店舗あたりの広さで見れば少しずつ増えているそうなのですが、それは大型店舗に集約されているだけのこと。紙であれ電子書籍であれ、本という商品自体の持つ市場規模は全体として縮小し続けていて、ネットを介した販売網での売り上げがすでに全体の半分近く、その中身には電子書籍も含まれるわけですが、いずれにせよ、それらを端末としてブツとしての本という商品を届ける仕組みが今も変わらないならば、同じ3,000部でも配置できる店舗が半分になっている以上、初版の部数も半減するのは当然。加えて、そもそもかつてのような「人文書」の読者が世代と共に枯渇してきて、自分のような得体の知れない芸風の書き手のニーズ自体が減少しているわけで、「事実上、注文販売に近いもので……」と、初版の部数について言い訳めいた説明をする担当編集者の口吻にも、そりゃ致し方ないよなぁ、という感慨を抱かざるを得ません。

 そう言えば、原稿の発注の際、400字詰め原稿用紙換算で分量を指定されなくなったのは、あれはここ10年くらい、いや、もうちょっと前からだったでしょうか。今や「上限4000字でお願いします」といった依頼の仕方があたりまえになってしまったようで、まごまごしていると、その原稿用紙って何ですか? と問われかねない。ゲラのやりとりを未だに紙とFAXでやっているのは、本誌でももしかしたら自分くらいになっているのでは? そんな疑心暗鬼に駆られるくらい、最終的には紙の本というブツをこさえる古色懐しい製造業のはずなのに、その途中の生産過程に紙が、そしてそれに伴う筆記用具が、いずれ身についた素材と道具として具体的に介在する局面が情け容赦なく失われてきているようです。紙を本にする製本屋という商売自体、成り立たなくなり始めているという話を耳にしたのも少し前。いや、それどころか、その紙のブツの本を書店に配置してまわる物流のカナメであるはずの取次業者からして、すでに本業では赤字で気息奄々とか。納品と返品、行きも帰りも運搬に関わるのみならず、それに伴うカネのやりとりもそこに相乗りしている業界構造。印刷された紙を製本して書籍という具体的なブツにし、それを商品としてまわしてゆく出版とそのまわりも含めたこの稼業の仕組みそのものが、物理的な重さやかたち、どうしようもなく個別具体な存在でしかない現実のありようと切り離せないものだったとしたら、それらをきれいさっぱり忘れ去り、全てを「コンテンツ」に変換して無駄もストレスもできる限り減らしてまわしてゆくのがこれからのやり方、生き残るための定法らしい今様「情報」稼業の仕組みとは、もう本質的に相容れることのできない、やはり静かに滅び行くしかないものなのかも知れません。

 「重金属の活字をA3判に組んだ新聞のゲラは相当に重い。それを二面、自転車に積んで往復した。市街の道路はどこも舗装されていなかったし、とくに池袋付近のデコボコ道はひどかった。重量にハンドルをとられて倒れでもしたら大変だし、ガタガタ道で活字がとびあがっても困る。その活字の音がするだけでもあやしまれる。そこで私たちは運搬用の特別のゲラを作り、版のガタつきをおさえるための薄いふとんを作り、それを紺もめんの一反ぶろしきで包んで運搬した。」

 書籍だけでもない。新聞にしても、そこに織り込まれる広告やチラシなども含めて、常にどうしようもなく紙であり、そこに至るまでの過程の印刷においても、これまたどうしようもなく具体的な重さやかたち、個別具体の現実が否応なく伴ってくる、そういう媒体、そういうブツでありました。まただからこそ、必然的にそれらを支えるだけの生身の身体が、これまた具体的な感覚や意識と共に関わってこざるを得ない、そういう定めの稼業でもありました、是非はともかく。

 「組版所ではこまかな注意が必要だった。たとえば活字の補充だ。もちろん鋳造機なんか備えていない所だから活字は活字屋から買う。活字屋は広い地域に一つぐらいだから、その店の取引先はおよそ限定されている。ところが活字屋の字母(鋳造原板)にはそれぞれ微妙な特徴があるから、その字体から活字屋をつきとめられ、その周辺の印刷屋を洗われるとこちらが危ない。そこで活字はわざわざ遠方の地方から平均に買う必要があった。」(林田茂雄『「赤旗」地下印刷局員の物語』白石書店、1973年)

 製版、印刷、製本、そして運搬……出版という稼業はそれら具体的なブツを扱う生産の過程をとりまとめ、仕切り、安定的に書店を介して市場へと流してゆく、そういう製造業、世の中にあまたあったはずの、そして今でも概ねそんなものであるだろう「ものづくり」(このもの言いも手垢がついて擦り切れていますが)のその他おおぜいのひとつ、でした。

 日々淡々とめくっている手もとの古本雑本の中のこういう記述、こういう手ざわりの反映された個所にこそ、「読む」の意識が先に合焦してしまうのは、文字の文脈とは少し別なところでこれらの個別具体の細部が、その細部であるがゆえに訴えてくるものに、こちらの宿してしまっている「読む」が、元の文字の文脈も時空も越えたところでうっかり感応してしまうからなのでしょう。

 20年もの間、こういう「ものづくり」としての本を、単独の名義として関わる自分ごととして受け止める機会を持てなかったことは、それら出版という稼業の現在について浦島太郎に近い距離感を違和感と共に抱かざるを得ない理由になっていたわけですが、ただ、それは同時に、目先の現実の文脈とは少し別なところに合焦すべき細部、「おりて」立ち止まって考えてみなければならない問いのための、〈いま・ここ〉に埋め込まれた素材に気づいてゆく過程の一環だったと思うようにしています。

 「「なァに、こちとらステッキ一丁ありゃ、どこへ行ったっておてんと様と米の飯はついてまわらァね」――ステッキというのは植字工の持ち道具で、活字を一定の字数で汲み上げるのに使う。ふつうは鉄製だが、中には真鍮製のやつを光らせて自慢にしてる職人もいた。印刷工は文選でも植字でも腕一本の熟練がモノをいうため、近代的な労働者というよりも昔ふうな職人気質のものが多かった。だからステッキ一丁をふところに、気のむくままに渡りあるく、いわゆる渡り職人というのが多かったし、そういう諸君の方がだいたい腕もよかった。」

 ああ、かつて阿部謹也が素敵に語ってみせてくれていたような、中世ヨーロッパの学生や学者たちのような、この渡り職人の気ッ風と共にあるべき〈知〉のありよう。紙の本、持ち重りのする書籍の山のどうしようもない存在感、その〈リアル〉と共にしかあり得ない身についた「わかる」へと向かう見果てぬ夢。大学も図書館も、「コンテンツ」と「情報」にみるみるうちに上書きされつつある現在、回復されるべきそのような〈知〉の本領は、さて、最終的に滅び行くその前に、何らかの輝きをこの世の片隅にでも残しておけるでしょうか。