「母子加算」復活是非

――なぜ母子加算の復活に反対か

 「かつて日本人は、どんなに生活が苦しくても?お上(公的機関)の世話?にだけは極力ならない、という感覚があった。身内や仲間、地域で頼れる人がいない身の上を認めるようなものだったから、恥ずかしい、という意識も宿った。ところが最近では、そんな引け目もなくなってきて、むしろ『もらうものをもらって何がいけない』『こんなに頑張って子育てをしている私を、どうして国や公的機関は助けてくれないのか』といった開き直りが普通になっている。今回の政策は、そんな日本人本来の自立心をさらに無くして、ダメにしてゆくものだ。」

――「バラマキ」との批判もある

 「考えなしに母子加算を復活させれば、生活保護を受けずにがんばって働いている母子家庭より収入が増えてしまうケースも出てきて、ある種の逆差別の温床になる。また、こんな制度があるならどんどん子供を産んでお金に換えよう、という動きも出てきかねない。日本も昔は貧乏な家庭が娘を芸者にしたりするようなことが普通に行われていたし、何より今もむしろそっちが「世界標準」なのだ。外国人参政権の問題もからんで、民主党政権はそこまで考えてバラマキをしようとしているのか。そもそも財源をどうするのか。国や自治体の財政が?Y破(は)?Y綻(たん)したらどう責任をとるのか。素朴に考えても問題がありすぎる。」

――自民党政権時代に母子加算がいったん廃止されたとき、「回転ずしが食べられなくなる」「旅行に行けなくなる」などと主張した母子家庭もあったが…

 「社会が豊かになった今では、生活感覚自体変わってきているから、そんな主張自体はある程度仕方ない。かつてなら、貧乏で生活に汲々としている家庭が外食をしたり、旅行に行ったりするなんて考えられなかった。だからこそ、今の「豊かさ」の中で何が『最低限の生活』なのか、もう一度洗い直すところから始めるべき。第一、『母子加算』という名称がひとり歩きして「父子家庭」は議論の外。時代や社会状況が変化しているのにいまだに『がんばっている気の毒な母と子』というイメージありき、で政策を進めていないか。「貧困」や「格差」の内実を、まず現実に即したことばにしてゆくことが第一だろう。」

――最近は『自己責任論』に風当たりが強いが

 「自己責任論なんて、わざわざ言うまでもなく、人として当たり前のこと。自分で立って歩こうという努力すらしない人までいきなり支援するのは、おかしい。それは新自由主義経済の是非うんぬんとは全く別の話だ。『派遣切り』の問題も同じで、正社員より仕事ができる派遣社員になったら会社もおいそれとクビにできないはずだが、今や派遣社員の側にそうしたおのれの立場に見合ったプライドも持ちにくくなっている。それぞれが自分の分際を見失いつつある現状をいたずらに追認して甘やかすだけの政策の乱発は、政治からも国民と国家の未来を見通すだけの器量がなくなっている証拠だ。」*1

*1: 掲載紙面はこちら ⇒ http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091127/plc0911270727008-n1.htm 草稿との違いが微妙にあるのは、まあ、お約束で