「美術」「芸術」から「コンテンツ」へ至る道行き



 期せずして無職隠居渡世に突然なってしまったことで、それまで気になっていてもなかなかあらたまって読むこともできなかったような分野の本――もちろん古書雑書ですが、これもまあ、ある種の怪我の功名というのか、日々の仕事にまぎれて敷居の高かったそれらの本たちも、それなりにまとめて読むことができるようになりました。

 それから4年近く、そのような閑居無沙汰まかせの読書遍歴に、いわゆる「美術」「芸術」系のものが入ってきたのも、かつてどうにも億劫だったそれらの世間に、ようやく臆せず韜晦せず素直に向かい合えるようになってきたのかな、と思ったり。というのも、その「美術」「芸術」といった方面についての言説に正面切ってつきあってみることが、これまではいつもどこかよそごとになっていた、いや、させられていたと言うべきなのか、何にせよ敬して遠ざけるものになっていたのですから。

 逃げも隠れもしない、偏差値教育全盛時代の天下御免、私大文系三教科純粋培養の身の上、本来ならそういう「美術」「芸術」方面にもそれなりのオーソドックスな知識なり見識なりを、たとえ嘘でも持ち合わせていなければ普通は恰好もつかなかったはず。なのに、いま振り返って考えてみても、素朴に苦手という以上に、どうにも気後れする感じがいつもありました。

 いまやもう半世紀近く前のことになってしまうのだから、立派に往時茫々の類でしょうが、これはかつて大学に入る際、文学部を志望しながら、結局そこには受からず、半ば親の手前、半ば世渡り方便に阿って受けるだけ受けてみていた法学部なんて場所にうっかり紛れこんでしまったことも、どこかで影響しているのかも。いや、考えてみれば何も「美術」や「芸術」だけではない、そもそも志望していたはずの文学部のその「文学」なんてのにも、似たような気後れ感、うしろめたさみたいなものはずっと持っていたような。いやあ、「文学」だの「芸術」だの、そんなのとてもじゃないがこっぱずかしくて、といった、ありがちな若気の至りの自意識過剰と裏返しの衒いゆえ、はもちろんですが、ただ、もはや立派な老害になりつつあるいま、あらためて振り返ってみると、どうもそれだけでもなかったような気もする。

 とは言え、間違って紛れ込んだその「法学部」での勉強について、当時、正面から真面目に取り組んだのかというと、すまぬ、全くそんなことはない。法律関係に拘わらず、経済であれ何であれ、時間割にずらりと詰め込まれていたあれこれの社会科学一般の科目に対しても、「美術」「芸術」「文学」とはまた違う意味でのアウェイ感、「ああ、これは自分なんかには、全くお呼びじゃない世界だな」という決定的な疎外感を、コントラストの強いモノクロ写真のような明確さ、抗いようのない鮮明さで、くっきりと抱かされるようなものでした。それならばいっそ全く縁のない自然科学系の教養科目の方が、初手から「お客さん」でいられた分、素直につきあえて、科学史だの工業技術史などは、当時の新書やブルーバックスの類もそれなりに手にとって読んでいたのだから、このへん自分ごとながらわけがわからない。

 何がいけなかったのか。そう、大学で指定される教科書や入門書の類の文章、あの文体含めたよそよそしさが、まずダメだった。社会評論社有斐閣といった版元の、それぞれ持っていた特有のスタイル、その頃はまだ多くは函入り、でなくともグラシン紙のかかったようなハードカバー、多少くだけたソフトカバー版であっても見るからに大学の教科書なりの行儀良さがありありで、いかにも社会「科学」でござい、という恰好のつけ方に見えました。大学のまわりにある、それら教科書や入門書を主に並べているような書店の棚に、そういう本たちがずらり一個連隊単位で整列しているのを見るとさらにげんなり。それまで好き放題、何の目算も特にないまま気の向くままに手にとってきた活字とのつきあい方からすれば、まずほとんど接したことのない、まるで知らない世間のなじみのない顔また顔、といった感じで、まずそこから拒否感が先に立ってしまったようです。それは、きっちり身体にあった背広をスーツで着こなす正しい会社員、本当の意味での「オトナの勤め人」の様子とも重なって見え、そのイメージはさらに、数年後にはそういう世間に身を置くのであろうおのが行く先に疑いを持っていない風であるばかりか、そのことに頬をてらてらと輝かせてさえいるかのような、まわりのその頃の法学部学生たち(ほとんどがオトコで浪人あがりの年上でした)の屈託なさげな様子に引き写されて、さらに心の距離が遠ざかる――まあ、何のことない、要は山出しの田舎者、おのぼりさんの、初めて見る広い世間にびっくり仰天、というだけのことだったんでしょうが、でも、だからこそ、です。

 好きに本を選び、読み、そしてまた次の興味関心に誘われるままに別の本へと移ってゆく。その道行きの中で、自分のやくたいもない考えや了見が日々移り変わりながら、それでもそれなりに何か輪郭めいたものを獲得してゆく――当時の大学、殊に私立文科系で与えられていた教育の多くは、決められたカリキュラムや教育課程が想定しているような内実とはものの見事に関係なく、それぞれが好き勝手に半径身の裡で、時にサークルやその部室、あるいはたまり場の喫茶店や呑み屋、スナックなども介して無手勝流にできあがってゆく「関係」と、その上に宿る「場」の相関において、それこそ星雲状の人文的混沌といった状態の裡から、そのように個別に具体的に生まれ出るものなら生まれ出ていたようなものでした。もちろん、それらはほとんどの場合、確かな何ものも生まず、世間の眼に立つ成果として示されることもなく、ただその中で過ごした日々と時間とがそれぞれの身の裡に、その後の世渡り上の役に立つこともまずない雑多な知識の集積を膨大なヴァリエーションとして残して行っただけのことだったのかもしれませんが、それでも、それこそがある時期「もうひとつの教養」として働いてもいた、だからこその「豊かさ」の意味づけというのもあったのだろう、と、これは割と本気で思っています。たとえ、少なくともある時期までは、と留保つきにせねばならなくなりつつある現在においても、なお。

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 「うた」もまた、時と場合によっては、そのような「美術」「芸術」由来と言ってもいい、何らかの知的な語彙やたてつけと共に語られるものでもありました。

 創作物として、つまり「作品」としてブツにされたものを対象としてまず考えるのが、ある時期までのそれら知的な営みの通例だったようです。なので、音楽ならばまずは楽譜として、作者個人と紐付けられて残される「作品」として、その他絵画なら絵画、彫刻なら彫刻、小説なら小説、何でもいいですが、いずれそれら「創作」は何らかのアウトプットを具体的なブツとしてかたちにするもので、それぞれ「作者」と基本的に一対一で紐付けて考えられるようなもの、でもありました。独自の個性を持っていると認められるひとつの存在、それが持続的に時間を越えて確かにある、それこそ近代的な「個人」の実存と鏡映しに想定されるものが「芸術」「美術」として認められる何ものか――概ね「美」であったり、そのような抽象的で超越的な価値として意味づけられるもので、それこそが創作物として対象化される条件になっていました。

「文化的業績を正しく判定する唯一の標識は、いうまでもなく、それらがどの程度永続性をもっているかであり、更にはそれらの究極的な不滅性ということでさえある。ここで問題なのは、過去の不滅の業績が「上品さ」を示す対象となり、それに伴う地位を確保するや否や、そうした業績は、何世紀にもわたって読者や観衆をとらえ、また彼らを動かすべき筈のその最も重要で基本的な性質を失ってしまったということである。(H.アーレント「社会と文化」、N.ジェイコブス・編『千万人の文化』日本放送出版協会、1961年)

 翻訳文ならではの屈託をほどきながら解釈すると、これは「美」なり「上品さ」なり、何らかの抽象的・超越的・普遍的価値があると認められる創作物が、その価値が認められ、その結果持続性を獲得してゆくことで、その初発の地点、つまりそれが創られ、同時代の人々の眼や耳を介して生身の五感の裡に立ち上がらせたであろう〈いま・ここ〉の値打ちは失われてしまう、といったことでしょう。複製技術時代の芸術、というのは、言うまでもない、あのベンヤミンの金看板ですが、あれもまた、19世紀末から20世紀初頭あたりに急激に進行した大衆社会化に伴い可視化されてきた大衆文化のありようが、それまで語られてきたような意味での「芸術」「美術」とはどうやら異なるものになりつつあるらしいことを、当時の新しい表現媒体だった映画を足場に考察していったもの、ではありました。このあたり、近代がまたひとつ別の位相に踏み込んでゆく過程であらわになってきた大衆社会状況が、その裡に宿る創作のありようも変えてゆきつつある――そのような〈いま・ここ〉に根ざした問題意識の産物だったことは、いまどきの「芸術」「美術」系の概論書や入門書でも、まあ、普通に説かれるようになっていることではあります。

 「われわれの関心は社会ではなく文化であり――あるいはむしろ「社会」と大衆社会という異なった条件のもとにおいて文化に何が起こるかということである。」

 ここで「社会」とカッコつきで訳されているのは、大衆社会以前の社会、労働からある程度解放され「余暇」を獲得するように先行的になった特権的な「市民」によって形成されるsociety――「よき社会」「教養ある社会」といった文脈によっているゆえ、らしいのですが……

  「「社会」においては、文化は他の現実より以上に、初めて当時「価値」と呼ばれ始めたもの、即ち、社会的身分を獲得するための社会的貨幣として流通され、利用され得る社会財となった。(…)従って、文化的価値は価値がこれまでも常にそうだったようなもの、つまり交換価値になった。それらは凡ての文化的存在に本来固有であるところの能力、つまりわれわれの注意をとらえ、われわれを突き動かすという能力を失った。(…)「社会」は文化を求め、文化的存在を評価して社会的財価にしてしまい、それらをそれ自身の利己的な目的に使用したり乱用したりしたが、文化的存在を「消費」はしなかった。最もひどくすり切れた場合でさえも、これら文化的存在は、物としてとどまり、「消費され」たり、呑み込まれたりすることはなく、その社会的な客観性は保持していた。」

 それとは対照的に、大衆社会においては「求めるものは文化ではなくて娯楽であり、娯楽産業によって提供される製品は、他の凡ての消費物資と同じように、まさに社会によって消費され(…)社会の生命過程に奉仕する。」 「芸術」「美術」と「娯楽」の間の不連続に合焦することで、彼我の社会のあり方の違いを逆照射しようとする力わざ。その後おおよそ60年、ベンヤミンの金看板からは100年以上たった今日、しかし、そこでグリップしようとされていた大衆社会状況下での「美術」や「芸術」、「創作」のありようは、さらにまた一段と別の位相へと、そのあり方を変えてゆきつつあるらしい。

 それらは昨今ひとしなみに「コンテンツ」というカタカナのもの言いでひっくくられてしまうことが多くなっているようです。音楽も、彫刻も、小説も、マンガも、とにかく何でも「コンテンツ」。辞書的な意味あい通りに解釈すれば「中身」「内容」といった感じになるんでしょうが、ただ、そのもの言いが昨今やたらと使い回されるようになっているのにはまた別の、本邦いまどきの情報環境ならではの理由や事情というのもあるような。

 具体的なブツとして何であれ、全ては「コンテンツ」として理解され得る、という認識。その内実とはどういうものか、というと、これもなかなか説明しにくいわけですが、だからこそまたそれを「世界観」などとひとくくりに言い換えたりする。「作品」の「世界観」が内実であり、それを盛りつける「コンテンツ」といったつながり方。これも言葉本来の「世界観」の意味あいよりもずっと融通無碍で漠然としたくくりになっています。本来ならばその「作品」の「作者」の表現した作品世界その他含めた「世界観」といった意味のはずで、だからそれは「個」としての「作者」に紐付けられて考えられるはずのものでもあったのでしょうが、しかしいまどきの使い回され方としては、その「世界観」もまた「作者」と個別に対応しない、より漠然とした、輪郭のぼやけた抽象的なものといった意味あいが強くなっている。そのような意味で「コンテンツ」のとりとめなさとも、基本的に同じようなものに思えます。

 創作物としての「作品」と、具体的に手を動かし、時間をかけ、それなりの技術や知恵、アイデアなども介しつつ具体的なブツとしてそれを仕上げてゆく「個」ないしはそれらの集合体としての「作者」との関係は、それがどのようなジャンルの創作であれ、基本的に最前提に置かれるものであり、また「そういうもの」としてあり続けてきました。作品の内容、表現されている意味や思想、それらもまた作者との関係で、そして作者が生きている状況や社会環境などとの関数も含めて「解釈」され、そのような過程がさまざまに輻輳しつつ積み重ねられながら、その上に「美」だの何だのといった普遍、本質の類もまた構想されてゆくようなものではありました。「芸術」なり「アート」なり、いや、そのようなもの言いを弄されることのない分野の何でもない使い捨て、気ままに楽しまれ、娯楽商品として消費されるだけの無名のブツに対してさえも、地続きの「美」を発見してゆくようなことも、人間はうっかりやらかしてもしまうわけで、いずれ人の営み、この世の所業のひとつとしてそれら創作というのは、その配置された場所がどのようなものであれ、その置かれた場所で何らかの意味を常に放散し続けるようなものでもありました。

 文学には文学の、詩には詩の、演劇には演劇の、それぞれの領分、ジャンルに応じた「解釈」の筋道があり、それらの果てにまずはそれぞれの「美」なり普遍的価値なりも構想されてきていて、でも、それらは互いにいきなり結びつくことがいきなり考えられるようなものではなかった。それぞれの領分に応じた世間があり、その文脈に応じた価値なり評価なりがあり、それらは言葉によって媒介され、その限りでは広い社会一般に共有されるものになってはいましたが、でもだからと言って、それをさらに普遍的で抽象的な何らかの価値にまで蒸留してゆくような営みはまたごく一部の、限られた別の世間においてのみ実践されるようなものでした。「美術」「芸術」といった領域の、知的な語彙とたてつけによる解釈や意味づけの言説群も、そのような全体、〈まるごと〉の現実の裡に宙吊りになっているもので、それだけが「創作」という対象に特権的に対峙するものだったわけでもない。人間と社会、そして文化といったたてつけでものを見、考えようとする本来の「教養」の文脈においては、それもまたひとつの枠組み、同じ対象を異なる道具だてで眺め、解釈してみようという営みの一部に過ぎなかったはずです。

 それぞれの領分、ジャンルに従い、「市場」がそれぞれに成り立っていて、それらをいきなり全部束ねてしまうような一般的で大きな市場がいきなり成り立つことはそう簡単にはあり得なかった。けれども、昨今のデジタル環境の浸透と整備によって、それが知らぬ間にうっかり可能になってきているらしい。だからこそ、あらゆる創作物はそのもともとの出自や来歴、文脈や背景の類をすっ飛ばして「コンテンツ」という普遍にいきなり乱暴に、おおざっぱに変換されてしまう、それが最も「合理的」で「生産的」だから、といった説明ごかしな事態の大転換が近年、粛々と進行しているように、自分などの「おりた」立ち位置からは見えています。もちろん、そのことの是非は、また別の〈いま・ここ〉の問いになります。