「国際化」と「グローバル化」の裏腹

 「国際化」というもの言いが無条件に通りの良い、誰もが逆らえないような響きを持つようになったのはさて、いつ頃からだったでしょうか。

 昨今だと「グローバル化」などとカタカナ表記に置き換えられたりしてますが、でも、ざっくり同じような脈絡で使われているわけで、いずれにせよ「小さな」「島国」このニッポンという認識を前提にそれを否定的に引っ繰り返してゆく足場のようなもの言いとして、日々使われることばに加えられてきたらしいのは間違いない。

 振り返ってみると、たとえばあれは高度成長期でしょうか、当時のレジャーブームの一環でゴルフ場がそこここにできていった、その看板に「●●国際」ゴルフ場なりカントリークラブなり、そういう表記が眼につくようになっていた記憶があります。あるいは、同じくその頃街なかに増えていったパチンコやスナックなど、いわゆる水商売系の稼業から宅地造成や開発関連の仕事の事務所や会社などの名前にも「国際」という冠がつけられるようになっていたような。その後、年月を経て90年代の私大バブルの頃には、大学や学部の表記にもこの「国際」が大安売りになったりしてました。他でもない今いる職場なんかまさにそう。

 海の向こう、ふだん意識もしないような現実をあらわすことばは、それまで「世界」や「海外」「外国」程度で概ね間に合っていました。そこに「国際」(化)という新たなもの言いが割り込んでいったのにはそれなりの理由があるはずです。敢えて理屈を言えば、それまでの語彙が指し示す海の向こうは当たり前に人ごとであったのに対して、「国際」(化)は何かどうしても自分ごとにしなければならない、そう考えることが必要だと思わせるような押しつけがましさのようなものがまつわっています。

 昨今、日本人が内向きになった、特に若い衆たちが海外旅行にも留学にも眼を向けなくなった、などと言われます。単なる印象だけでなく、統計などもそれを裏打ちしている。なのに、なぜかこの「国際化」「グローバル化」というかけ声、スローガンだけは相も変わらず、いやもしかしたらここにきてまた一段と、その押しつけがましさを増してきているように感じます。

 かつて、多くの人がたにとってまだ国という意識もおぼろげだった時代には、平然と海の向こうに出かける同胞がたくさんいた。明治維新間もない頃でもすでに、南方でも大陸でもシベリアでさえも、身ひとつで稼ぎに出かけていた日本人の姿は当たり前に見られたことは、記録に山ほど残されています。いま、「国際化」「グローバル化」というもの言いをそんなに金科玉条にしたいのなら、どうしてそのかつての同胞、われらのご先祖たちがそこまでうっかり「世界」「海外」へ出かけてゆけたのか、そのうっかり加減も含めてどのように失われていったのか、そういう「歴史」をちゃんともう一度、〈いま・ここ〉の自分ごととして振り返ってみることこそが必要なようです。