永沢光雄、死す

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 永沢光雄が亡くなりました。

 それって誰? という向きには、『AV女優』の著者、とだけ言っておきましょう。いや、言っておきましょう、ったって、正味のハナシがほんとにそれだけ、としか言いようのないようなもの、なんですが。

 『AV女優』というのは、『ビデオザワールド』誌その他に連載されていた、AV女優のインタヴューをまとめた一冊。版元の白夜書房も、それが単なるエロ出版社であり、そしてその「エロ」とは今みたいにお手軽なシロモノでもなく、それ自体がある種のサブカルチュア、言葉本来の意味でのブンカ創造の触媒になり得た状況での、誇りあるろくでなしたちの梁山泊だったりもした時期の、象徴的な仕事ではありました。

 『AV女優』は、今じゃ文春文庫だかにおさめられているバージョンしか入手できないようですが、もとはビレッジセンター出版局から単行本として出したもの。

http://www.villagecenter.co.jp/book/av.html

 ビレッジセンターってのは、これまた今はなき『噂の真相』の裏表紙全面広告をずっと出し続けていたソフトハウス

http://www.villagecenter.co.jp/

 社長の酔狂で、一時は平岡正明だの筒井康隆だのアラーキーだのと、サヨクサブカルチュア路線の出版物を奇特に出してたりしたんですが、考えてみりゃ、そういう会社でしか引き受けようのない企画だったんですな、その『AV女優』ってのも。

http://www.villagecenter.co.jp/book/

 言い出しっぺが他でもない、あたしでした。

 そのへんの事情は単行本版のものを古本屋ででも拾ってもらって、そのあとがきなどを見ていただくければいいんですが、以前からあたしの本の編集を担当してくれていたフリーの編集者の向井徹というオトコがいて、彼がたまたま「これ、おもしろいんですよねえ」と言いながら連載のコピーを見せてくれたのがことの始まり。一読、こりゃ絶対まとめて本にすべきだ、やっちまえ、というわけで、彼と組んであちこちの出版社をまわったんですが、どこもそっぽを向くばかり。まあ、おのれの本じゃなく縁もゆかりもない他人の本をこさえようと東奔西走するあたしもバカ丸出しだったわけですが、それはそれとして、いわゆる表看板掲げた出版社に勤めている編集社のカンの鈍さ、オモシロそうなことに前のめりになる性分が失われちまっていることに、当時すでに愕然としたのを覚えています。持ち込んだのは講談社文藝春秋筑摩書房……ちょっとでもつながりのある版元には大抵話をしたはずでしたが、結局、ビレッジセンターの社長が半ば慈善事業のような形で引き受けてくれた、ようやく陽の目を見たような次第。

 その本の解説というか、あとがきがわりのインタビューをすることになったのが、永沢光雄と実際にあいまみえた最初でした。当初は彼自身が解説を書いてくれるはずで原稿ももらったのですが、これがなんというか、自意識過剰というか、ブンガク幻想丸出しのジブンがナイーヴにもみっともなくさらけ出されているだけのシロモノで、こんなもの載せたらせっかくのあのスバラシい本編原稿がちゃんと読んでもらえなくなるんじゃないか、という判断で、向井徹とふたりで鳩首協議、永沢氏自身とも相談してインタビューという形になったのですが、それはともかく。

 大阪芸術大学の出身。話をしているうちに、きむ・むいとも同級生で、それなりに行き会っていたことなどを知って、懐かしく話をしたのを覚えています。

 きむ・むい、というのは同じくライター。ネット環境で検索すれば、今だと朝鮮学校チマチョゴリ切り裂き事件が実は総連の自作自演だった、といった暴露取材を先駆的にやらかしていたライターだった、ってことが出てくるでしょう。また、そのことでくたばって後に「評価」されてたりするようなんですが、そりゃあ確かに当時そういう取材をやってたのは確かだとしても、当人は何もそんな反サヨクの闘士、みたいな語られ方するようなブツじゃない。ありていに言って、単なるアル中ヤク中のろくでなし在日三世野郎。中野の四畳半ひと間の安アパートでしょうもないプライドだけを頼りに「ルポライター」幻想に身を焦がして自滅した大バカ野郎だったんですから。

http://www.google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E3%81%8D%E3%82%80%E3%82%80%E3%81%84&num=50

 そういう意味じゃ、永沢光雄、ってのも同じようなもんです。「ルポライター」幻想の代わりに、こっちは「ブンガク」幻想が重症で、それは先のボツになった解説原稿でもうかがえたんですが、いざ『AV女優』が多少は評価され、いや、多少どころかあの立花隆やら藤原新也やら、そこらの有名ブンカ人ヒョーロン家その他にほめられたりするくらいの予想外の反響があったことで、それまでいくら頼み込んでも原稿すら読まずに企画を突っ返してくる出版社のオヤジ連中が手のひら返して猫なで声で群がってきて、ああ、あろうことか、そんな永沢に小説を書かそうとかし始めた。それでやっこさん、うっかり舞い上がっちまった、って次第。

 どう考えたってブンガクってガラじゃねえだろうがなあ、と、あたしゃ編集実務を担当してくれた向井徹とふたりして、情けない思いをしたもんですが、百歩譲ってそれはそれ、人の渡世はさまざまなわけで、妄想も勘違いもさまざま、しょせんそれがもの書きの業ってもんだ、という程度に前向きにあきらめていたりもしました。まあ、いいや、小説家だか作家だかになって、それでまたいい仕事してくれたらそれでいいんでないの、と。

 けれども、結局その後、永沢光雄はあたしと向井が期待していたようなものは書かずじまいのまま、病を得て、そして結局こういう形でくたばっちまいました。

 マイナーであること、とるに足らない存在であること、不遇であること、そんな境遇に「一発逆転」の物語が宿ることは理解できるにせよ、舞い上がった瞬間にその最もかけがえのない輝きもまた、永遠に失われたりもする。どっちをとるか、どう均衡をもくろむか、そのへんひっくるめて「それはそれ」、なのでありますが、しかしながら、です。

 はっきり言いましょう。筑摩書房の松田、文藝春秋の今村、少なくともあたしの知る限りこのふたりのギョーカイオヤジに、永沢光雄はメチャクチャにされた。当人が好んでメチャクチャにされるような方向に歩んでいった、ということも含めて、ここはもう誰もが絶対にこんなことは言わないでしょうからあたしがきっちり言っておきます。

 永沢光雄を殺したのはこいつらだ。こいつらに象徴される「ブンガク」「ルポ」「ノンフィクション」界隈のどうしようもない幻想、ってやつが、間違いなくあったはずの永沢光雄の才能と可能性とをメチャクチャにした。文春の今村については、おそらく幻想の質がうっかり共有されちまったのでしょう、永沢自身が今村が亡くなった時にベタベタのオマージュを捧げてたりして、それはそれで悪くない文章ではあるのですが、それでも、そのような磁場に足とられてしまうような彼の自意識が結局のところ、彼をこのような形で早逝させることになっちまった、ということには変わりありません。永沢さんさあ、あんた、なんであんなオヤジに転がされるような「弱さ」をいつまでも野放しにしちまってたんだよ、と。

 一時、ほんとにみっともないくらいに媚態丸出しですり寄っていた松田なんざ、結局その後、何の面倒も見ていない。筑摩の広報誌の『ちくま』の片隅に連載していた原稿ですら、何のフォローもしていない。結局彼、永沢光雄にとって逝く直前の仕事の場所は産経新聞の連載コラムでした。担当のK氏が、ガンになって以降の彼の文章を見込んで原稿依頼に行き、例によって商談そっちのけで酒かっくらっての筆談で何時間も過ごし、それが縁で連載を確保した、それだけが永沢光雄の最後の「場所」になりました。あれだけ彼のブンガク幻想をいたずらに刺激し、身にあわぬ場所に引っ張り出した松田や今村や、その他のギョーカイ編集乞食たちは、喉頭ガンにかかり声帯を失った彼に同情あるつきあい方をしたとは思えない。

 
 ブンガクやノンフィクションなんざ、今やその程度の不人情がデフォルトになっている。そのことを、逝った永沢光雄というもの書きについての心覚えにしておこう、と思っています。

●編集後記

永沢光雄の話ですかあ、マイナー過ぎますねえ……と、雷太がしぶい顔をしたので、実は今回の原稿、彼の逝去直後に書きかけてほったらかしになっていたんですが、でも、やっぱり言っておかなきゃ、と思うので、思い直して再度、書き上げてみました。

なんだかんだでもの書き稼業で20年以上食ってきてると、くたばった知り合いってのもそれなりに出てきています。永沢光雄やきむ・むい、だけでなく、田口ランディニフティサーブ時代からかみついていた塚原尚人もそう。間違いなくひとり立ちできるだけの才能を持っていて、それなりに芽も出始めていた矢先に病いや事故や、時には自裁といった形でいなくなっちまう。とっととくたばっちまえばいいのに、と思うバカやキチガイほど、しぶとく生き伸びちまうってのはどんな世界でも同じ、のようです。