Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……① まえがき

 まずは、例によっての言い訳から。


 翻訳を引き受けたものの、なんだかんだで延々お手玉せざるを得なくなり……あ、いや、正直に言えば、ただただてめえの怠惰ゆえに放置してしまい、結果、そのままになっている翻訳草稿ではある。例によって、HDDやらMDやらのどこぞに埋もれていたのを発掘したもので、これも懺悔と供養、何よりもう先行き短くなってきたおのれの罪滅ぼしだろうと勝手に思いなして、この場を借りて上げてみてゆくことにする。版元、確かいったん切れかかった翻訳権も延長して待ってくれていたはず。ほんとにほんとに申し訳ない。


 このへんの一連のラインナップに加えられる予定、だったのだ。

king-biscuit.hatenablog.com

 これだけでなく、当時まだいくつか未完の翻訳本、もちろん語学音痴の自分でなく、それぞれ適切な訳者をお願いしてのラインナップがあったんだが、そのシリーズの言い出しっぺで勧進元の自分が一冊も手がけないのはあかんだろう、という心意気で引き受けていた一冊。今でもヨコのものをタテにして読みたいもの――主に個別具体でつぶさな民俗/族誌的な、ある意味アメリカンで素朴で武骨で風通しの良いジャーナリスティックな記述でもあるような、それまで思ってもみなかったようなステキな学術本たちが、予定されたラインナップの中には、まだまだ残っていた。いずれ正しい「社会学」の仕事ってのは、正しい民俗学文化人類学なんかと同じ意味で、みろ、やっぱりこういうもんだ、と当時、それなりに興奮して船便仕立てて持ち帰った一群の洋書(これももう死語か)の、これもそんな一冊。つてを頼りに自腹でインディアナ大学に居候しに出かけて、図書館やら古本屋やら手当たり次第に通ってあるいて、貧しい財布の許す限り本やらコピーやらかき集めていた頃のこと。80年代後半のことだから、いまからもう30年以上、40年近く昔のことになってしまった。ああ、すでにもう往時茫々……231003




 この本は、四分の一世紀にわたってその店『オアシス』をやりくりしてきた男の思い出に捧げられる。

「ヤツは全くとんでもなくスカシた野郎だったよ」 ――その居酒屋の常連の弁



まえがき

 この本は、私が出食わし『オアシス』と名付けた居酒屋にたむろする労働者階級(ブルーカラー)の男たち、女たちについて書かれたものである。男たちのほとんどはいろんな建築会社で働いている。学生や、その他の読者に彼らについて理解していただけるように、私はこれらの人々のライフスタイルを記述しようと努めた。

 最初の段階では、私たちはその店の常連たちのナマのことばがそのまま記録されれば、この本の資料もより衝撃的になると決めていた。だが、「 」は使われてはいるものの、これらのことばは後に私が録音したものであることは銘記されたい。会話は録音されていないのだ。いくつかの部分において、男たちのことばはそのスケベで粗野といった感じをはっきりさせるために編集されている。女性がそこにいる場合、男たちはしばしば話すことばに気をつかうし、彼らは彼らのそのような身振りの何もかもが活字になって現われることを望んでいないだろうと私は思う。

 第五章「セックスをめぐる戦い」は、もともと『ウイスコンシン ソシオロジスト』第10号(春・夏号 一九七三年)に掲載されたものである。また、第八章「居酒屋の社会生活」も「労働者階級のたむろする居酒屋における社会生活」というタイトルで『アーバンライフ アンド カルチュア』2号(一九七三年 春)に発表されている。いずれもここに再録するにあたっては、原発表誌編集部の許可を得た。

 私の妻はこの「居酒屋研究」について最初から最後までいかがわしいと思っていたが、彼女は研究期間中比較的寛容でいてくれた。私は彼女のそのような忍耐にたいして感謝したい。

 最後に、この居酒屋『オアシス』の人々が、そのまんなかに飛び込んだ中流階級の人間に五年もの間つきあってくれたことについて、感謝する必要がある。私は彼らがこの本を気に入ってくれることを願っているし、この本が世に出た後もずっと友だちでいることができることを望んでいるのだ。


一九七四年一〇月
ウイスコンシン州マディソンにて