北の競馬

 今年のダービーを勝ったウイナーズサークル。彼は、茨城県生まれのサラブレッドだった。

 競走馬の多くは北海道で生まれる。もちろん、青森県や千葉県、あるいは九州の鹿児島県などでも競走馬の生産は行なわれている。だが、競走馬生産は近年ますます北海道にその重心を移し、北海道以外の土地で生まれた競走馬が、中央競馬で華々しく活躍することは難しくなっている。とりわけサラブレッドにはその傾向が強い。そんな中、茨城県の牧場で生まれた彼がダービーを勝ったことは、北海道以外の馬産地にとって大きな希望になった筈だ。

 火山が連なるこの列島。ここで競走馬を作ること自体、ヨーロッパなどに比べると計り知れないハンデを背負っている。だが、その中でいくらかでも条件の良い場所を考えるとなると、やはり本州や九州よりも北海道に軍配をあげざるを得ない。気候、風土、土地のスケール……そして、暮らしの中、馬と接してきた人たちの感覚と知恵。事実、北海道には、かつて馬車宿だったという旅館がまだいくつも残っている。西部劇のようなフロンティアの風景。その中で、馬は確かに暮らしの速度で生きていた。それは、畑仕事や、輸送や、日々の仕事に従事するごくふつうのなんでもない馬たちと、内地とはまた違った親密さでつきあってきた北海道の人たちの、眼に見えない大きな財産だ。

 中山正男の手による浪曲『馬喰一代』には、古き良き時代、そんな北海道の馬喰競馬が描かれている。

 北見の原始林で材木運びを営む馬喰片山米太郎のひとり息子大平は「鳶が鷹を生んだ」と言われるほどの秀才。母の春野を病気で早く亡くし、男手ひとりで育てられた大平だが、悲しいかな上の学校へ行く費用がない。地元の新聞社の社長秋葉と札幌の弁護士岡田のふたりが大平の学費を出してやることになる。大平の札幌一中の受験日と、北見の競馬の三歳戦は奇しくも同じ日。米太郎の愛馬磯千鳥は「勝って東京の馬場で駆けるチャンスをつかむ」ためにレースに赴く。

 午後三時。1,800mに二〇頭が出走。道中八、九番手から三コーナーで一気にまくって出た磯千鳥は、直線ゴボウ抜き。最後は一馬身差をつけ、矢のようにゴールに飛び込む。

 きのうはトップシ原始林/きょうはサロマの峠路と/馬喰一代打ち込んだ/片山流の愛のムチ/育てあげたる根性が/晴れのレースで勝ったのだ

 そこへ大平の首席合格の知らせ。馬主の岩田に頼み込み、競馬場から磯千鳥を借り出した米太郎は、ルベの駅を発つ大平を見送りに、原野を精一杯ムチを当てる。

 北見をあとに常呂川/流れに沿って山間の/間道伝いにそれ走れ/つらいだろうが磯千鳥/おれのからだはどうなろと/かまいはせぬぞ大平が/あっぱれ主席で入学し/おまえはレースで優勝と/二つ重なるしあわせが/花と咲くのだルベの駅/よしやこのまま死んだとて/馬喰一代身の誉れ

 どこまでも広い原野、風を巻いて疾走する磯千鳥が僕には見える。そして、汽車の去った後、疲れきった米太郎を背にゆっくりと歩いて帰る彼――北の人、夢の一瞬。この瞬間、誰もがほぅ、と息をつき、磯千鳥は馬と生きる場の原風景としてなだらかに共有されてゆく。

 千葉県にしても、岩手県にしても、それぞれ、かつては有名な馬産地だった。競走馬だけではない。畑仕事や、輸送や、日々の仕事に従事するごくふつうのなんでもない馬たち。そんな馬をたくさん生み出してきた土地だ。

 競馬はそのような馬産地を背景に成立してきた。例えば、船橋競馬は馬産地千葉県を背景にした競馬だったし、北関東の競馬は今でも栃木や福島の生産牧場を背景にした馬産地競馬の匂いがする。水沢や盛岡の競馬場には、青森や岩手生まれの競走馬たちがたくさん走っている。一頭のウイナーズサークルの向う側に、無数のそんな馬たちが、今もひっそりとそれぞれのレースを生きている。

 そう言えば、皐月賞を勝ったドクタースパート。彼は北海道の道営競馬で走り始めた馬だ。強い馬は、無数の人が無数の馬と生きたとほうもない時間の折りかさねの果てに、ある日ふっと立ち上がる。北の小さな競馬。その小ささに、僕は大きな希望を持っている。