馬産地も崩れてゆく

 「詐欺じゃないか、そんなもん!」

 ドスの利いた声が法廷に響きわたりました。管財人の弁護士は困惑したような表情で「詐欺かどうかということはまた別の問題になりますんで……」と苦しそうな答弁。傍聴席に座る債権者たちの中からは、「しょうないなあ」「ゼニとれんわ、こりゃあ」とため息まじりのボヤキ声が漏れます。自己破産申請した当の早田光一郎氏は代理人の陰に隠れるようにして能面のように表情を動かさない。

 さる3月20日、札幌地方裁判所8F5号法廷。昨年暮れに倒産した早田牧場をめぐる第一回の債権者会議での光景です。

 ここでやり玉にあげられている早田牧場というのは、競馬を少しでも知ってる向きなら耳にしたことがあるはずの名門牧場。種牡馬ブライアンズタイムの成功と共に、三冠馬ナリタブライアン、快速馬ビワハヤヒデなどを輩出、一時期は、世界的にも著名なサラブレッド生産牧場、社台グループと並ぶ日本の代表的オーナーブリーダー(生産も行なえば自分自身で競走馬を持って走らせる牧場)でした。

 その早田牧場が去年暮れ、破産申請をして倒産。そのニュースに馬産地日高はもとより、競馬界に激震が走りました。すでに一昨年には生産部門を整理、一部では以前から「危ないのでは」とささやかれていたものの、「まさかあの早田さんのところが……」と大方がタカをくくっていたというのが正直なところでした。

 もともと早田一族というのは福島県の出身。代々早田伝右衛門を名乗っていた名門で、養蚕などを手がけてきた地元では知られた資産家の家柄です。自ら経営するクラブ馬主(競走馬に出資者を募って共同所有する会社)の所有馬に「シルク」の冠名をつけているのもその出自から。所有馬のシルクジャクティスが、ダービー2着に食い込んだこともありました。

 福島県に籍を置く本家と言うべき資生園早田牧場と、種牡馬ビジネスを担当するセントラルブラッドストックサービス(CBサービス)、そしてかつての主力だった新冠早田牧場の三つの会社に関してそれぞれ債権者がぶらさがってます。負債総額は諸説あるものの、早田単体で50億、関連するものが60億あまりと言われ、総額では百億円を超えるはず、とまでささやかれています。その他、現金7億円が消えたと言われる種付け権利のカラ売りや、自己生産馬の二重売り疑惑、オーナーの知らない間に種牡馬のシンジケートを組まれていたという某活躍馬のケースまで飛び出して、ゆくゆくは詐欺や横領、特別背任なども含めて刑事事件にまで発展しそうな気配にもなっています。

 「あれはもう立派な詐欺だね。シンジケートのカネを管理していたCBの事務局長も早々と逃げてるし、早田のカネ集めの窓口だったのがKという男がいるんだけど、そいつも噛んでる。シンジケートのブライアンズタイム会も訴えるだなんだって言ってるけど、被害者ヅラしているまわりの連中もみんなグルみたいなもんさ。知らなかったなんてわけない、最初から知っててやってるよ、あいつらは」(ある牧場関係者)

 競走馬ビジネスで一番儲かるのは、何と言ってもやはり種牡馬の商売。とりわけ、産駒が活躍する種牡馬になると種付け料だけでひと財産になります。去年亡くなった社台グループのドル箱種牡馬サンデーサイレンスは種付け料が公称3000万円。そのサンデーと並ぶ近年の名種牡馬ブライアンズタイムも750万円の種付け料を誇っていました。その成功は早田牧場を一躍、日本を代表する有力牧場に押し上げる原動力になりました。

 全盛時に北海道や福島に七カ所あった牧場を整理して、現在小さな牧場で残った三十数頭の馬たちが管財人によって管理されているいますが、不景気風の中、馬主自体が減少している競馬界のこと、金銭化することもままならないようです。管財人の説明によれば、資産として残っている不動産の評価額が一億六千万。建物その他で1500万で、預金はわずかに800万そこそこ。とても数十億の負債をまかなえる額ではありません。

 ブライアンズタイムの種付け権利を1000万で買ったものの、カラ売りにひっかかったというある馬主さんが、語気を荒らげてこう憤っていました。

 「女房と母親含めて自己破産申請中って言うけど、そんなの信じられないよ。そのうちノコノコセリ場にやってこられたりしたら、われわれ債権者はいいツラの皮、たまったもんじゃないからねえ」

 倒産の大きな要因のひとつと言われ、外厩制度の導入を見越して数年前に巨額を投じて福島県に建設した天栄トレーニングセンターは、倒産前に某大手馬主が経営を肩代わりして別会社にしているのでひとまずお構いなし。先に触れた共有馬主クラブの「シルク」は未だ活動中で、今年も堂々と新規馬主を募集さえしている始末。個人債権は金融機関のものより後回しというのががお定まりとは言え、馬産地を巻き込んだこの大手牧場倒産劇、ひっかかった債権者たちの怒りと不満はおさまりそうにありません。


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 「アラブ」と呼ばれたアングロアラブ種(サラブレッドとアラブの混血)の生産が、競馬場での番組が削減されるに連れて衰退の一途をたどる昨今、日本の競走馬のほとんどは今やサラブレッドで、しかもその生産牧場の大部分が今では北海道に集中しています。青森や千葉など本土の競走馬生産者もまだ残ってはいるものの、馬産地と言えば北海道、それも日高地方に一極集中が進んでいます。他の地方にとっては競馬は単なる自治体の収益事業でも、北海道にとっては地場産業と密接にからんだものになっている。それだけに、その馬産の有力牧場の倒産、その衝撃は深刻でした。

 「早田がつぶれて以来、銀行関係がもう完全に開き直ってるよ。もう馬屋には貸せません、ってはっきり口に出すようになった」(地元の金融関係者)

 競馬の売り上げが下がっているから、主催者としては経費削減の一環で賞金も下がる。賞金が下がれば馬主経済が苦しくなって馬主が減ってゆく。出資者である馬主経済が苦しくなれば馬が売れない。平均価格もどんどん下がってくる。競走馬の生産コストで最も比率が高いのが種付け料ですから、コスト削減の一番の近道はこの種付け料を節約することですが、人気のある高いタネ馬をつけないことにはお客さんである馬主や調教師に見向きもされないのもまた事実。借金してでもいいタネ馬、いい繁殖牝馬を、となるのも無理からぬわけで、無名の「貧しい血」の父親から走る馬を、というのは確かに牧場にとっての見果てぬ夢ですが、それはほんとに宝くじに当たるような確率でしかないらしい。

 「正直、種付け料すら払えない牧場がどんどん増えてきてるね。払えないって言っても何も何百万じゃない、せいぜい何十万、ヘタしたら二十万とか三十万円クラスの安いタネ馬だよ。なのに、馬が生まれても登録しない、牝馬だったり脚曲がってたりしたら種付け料にもならんからそのままつぶしてしまうことも珍しくない。最初から育てる気ないんだよね。で、そうやって投げてた(ほったらかしてた)のがそのうち育って案外よくなってきたらあわてて登録してみたり。もう笑えないよ」(ある牧場関係者)

 九十年代後半から、ニッポン競馬は「強い馬づくり」の一環として、育成過程に集中的に投資をすすめてきました。育成施設の充実に優先的に融資をし、海外の技術を積極的に導入したその成果は、海外のレースで互角以上に戦える日本調教馬の出現を促した――それは確かに事実です。

 浦河町にJRAの肝煎りで作られた欧米流の巨大なトレーニングセンター「BTC」に象徴されるそのような育成ブームは、売れ残った馬を育成過程で付加価値をつけて言わば半完成品として売るトレーニングセールという、新しい形のセリを活気づかせることにもなりました。先日の天皇賞を見事に勝った去年の菊花賞ヒシミラクルにしても、もとはセリで売れ残り、結局そのようなトレーニングセールでわずか六百万円で拾われた馬。値段からすれば、地方競馬のどこにでもいるような〈その他おおぜい〉の馬でした。

 しかし、そのような「育成バブル」もまた、ここにきて一気にしぼみ始めています。苦しいのは生産牧場ばかりじゃない。一時期、そのような育成景気に沸いた育成牧場の中にも倒産したり逃げ出したりするところが増えている。もう馬づくりはムリだと思っても、数千万単位での借金を抱える牧場が当たり前の日高では、おいそれとつぶれることもできない。出産から種付けと一年でいちばんあわただしい季節、馬産地の苦悩はさらに深まっています。


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 「とにかくね、流通の改革をやんないことには、もう馬産地に将来はないよ」

 競走馬を扱うエージェント――いわゆる「馬喰さん」のひとり、西岡達雄さんはこう言います。北海道から南関東などへ素質のある馬を見抜いて持ってくる腕についてはまず全国屈指。その扱った馬は、大井の東京ダービーを四年連続かっさらっていたりします。馬主時代の枡添要一氏の持ち馬だったサプライズパワーを扱ったのも、この人です。とは言え、その仕事ぶりは完全に裏方。馬主や調教師の名前は予想紙などにも出てくるけれども、間に立った馬喰さんの名前が表に出ることはまずありませんし、またその必要もない。生産者である牧場と競馬場、また競馬場と競馬場の間、馬主と馬主の間をさまざまにとりもって、一頭の競走馬という資源の持っている可能性を広げてゆくのが仕事ですから、華やかな表舞台に出ても正直、あまり得にならないと言います。

 「なんかあったら悪く言われるのがこの仕事だからね。まあ、言われてもしょうないようなやつも昔はいっぱいいたんだけど、もうそんないい加減な商人は倒れていなくなったし、いまどき誰も相手しないから。そりゃひどい商売やってたのがいたもんね、バブルの頃は。そんなことやってたら自分で自分の首しめるって、俺はずっと言ってたんだ」

 もともと適正価格なんてあってないような馬の世界。競馬ブームで世がみな浮かれていた時期には、実際の値段の二倍も三倍もふっかけて商売する連中が跋扈していました。トランクいっぱいに詰めた札束を見せて「さあ、負けるな」と、セリ場で取り巻きを煽っていた馬主も実際にいた。ほんとにマンガみたいなめまいのするような世界でした。

 西岡さんが目論んでいるのは、これまでそういうよからぬイメージがついて回っていた馬の売買、取り引きの世界のエージェント業務を軸にした会社。言わば馬喰さんの組織ビジネス化です。牧場にひと口いくらで出資してもらう。額はひと口三十万から百万まで。で、出資してくれた牧場の馬を売ってあげる。成功報酬は、買ってくれた馬主と生産者の牧場からそれぞれ五パーセントずつ。

 「それは俺の見立て料だと思ってもらったらいい。牧場に頼まれても自分が気に入らない馬ならば預からないつもりだから。委託販売の馬でも百万くらいしか経費をかけないで、これは、という馬を一千万くらいで市場に出したいんだわ」

 一千万円というのは、賞金の比較的高い南関東地方競馬で勝負できるレベルの馬の目安だと、西岡さんは言います。それはもちろん、馬主経済としてペイできるギリギリの水準という意味もある。

 「そりゃ中央には高い馬、いい馬がいくらも行くけど、地方の賞金で勝負するにはこのあたりの金額で力のある馬を見つけないと、とても勝負にならないからね。今は馬が売れなくていい馬が売れ残っているから、見る眼さえあればいい馬が手に入ると思うよ」

 また、馬主資格を持った馬主二十人で一頭持てるという、今の地方競馬の共有馬主制度を利用して馬も持つ。そのために個人の出資者も募って支援もする。外厩制の導入も見越して、将来はできれば調教師の力を借りないで各育成牧場で馬を仕上げて、能力試験もそこから受けて競走馬にして、その競走馬になった馬をセリにかけたい。そのかわり全国から馬主がその現役馬のセリに来られるようにする。馬は売り物、売ってなんぼの生き物なんだから。

 「トレーニングセールで走って見せる二ハロン(四百メートル)くらいの時計なんて、あんなもんはごまかしだ、と、俺はずっと言ってたんだ。いくら仕上がり途中の若馬だって、半マイルくらいで時計出さないとほんとの力はわからないよ。しかもトレーニングセールはゲートから出さないじゃないか。あんな時計ならアラブだって出せるって。だったら、地方競馬で必ずやってる能力試験、あれで能力見るのがもっと間違いない」

 ホッカイドウ競馬から他の競馬場へとはばたいていった馬たちの多くは、確かに能力試験の段階でいい時計を出しています。中には、能力試験だけで数千万の値がついた馬もいた。そういう眼利きの馬喰さんたちの腕の、隠れた見せ場が地方競馬でもありました。

 「俺がダメなら誰がやってもダメなはずだから」と、西岡さんは笑います。その背後には、この道四十年というプロの自信がのぞきます。今、生産者がそれぞれでどんなに頑張っても馬は売れない。だったら、こういう会社で人集めしてみんなで売ろう。とは言え、今のところ出資してくれる牧場は予定の半分くらいだとか。

 「馬が売れない売れない、って、どこの牧場もみんなぼやくんだわ。俺がこの会社のプラン持ってっても、われわれのメリットはなんですか、とか言う。何言ってんだ、俺が百万しか上乗せしないでおれだけが儲かると思ってんのか。そんなもん半分は経費で飛ぶよ、でもおれはもう四十年も日高でメシ食わせてもらってるんだから、自分の食い扶持くらいは稼げるから、ここで何とか日高のために役に立ちたいと思ってやってんだ、と言ってやるんだ。そんなこと言うなら自分で馬売ってみろ、って。ほんとはあんたら牧場がこういうことやらなきゃならんのに、俺らがやらんきゃならんようにしとる。おまえら売るための努力をどれだけしてるんだ、って。俺たちが馬預かって馬主を見つけてくるから、まだ何とかなってるところがあるんじゃないのか、って」

 年輩の頑固者ならともかく、四十そこそこのまだ若い牧場主でもそんなことを言う、と西岡さんは苦笑いします。出資者も二百口をメドにしてそれ以上は集めない。そこから馬を集めて納得した馬だけ売る。ならば、牧場が二百軒として、何頭くらいを見てまわってどれくらいの馬を探せばいいんだろうか。

 「俺のお得意さんになってるのは一軒の牧場に四頭や五頭って規模がほとんどだから、繁殖牝馬にしたら千頭から千五百頭かなあ。実際、俺も毎年二千頭は若馬見て回ってるわけだし、また、それくらいの中からいい馬を探せないと商売にならないよね。年に四、五十頭も納得いく馬が集まるようになったらいいんだけどね。それで、何とか軌道に乗ったら会社の方はやる気にある若い衆に譲っていいと思ってる。この会社のことも早くから考えてたんだけど、まだ共有馬主も許可されていない頃だったからね。不景気になったからよけいに考えた。馬を一頭まるまる持てない人でも、ひと口なら持てるだろう、と。そうやって馬主名義を流さずにつながしてやっていたら、そのうちにまた一頭持てる人も出てくるだろうし。このご時世、馬主がひとりいなくなるのは日高にとって大きなマイナスだもんね」

 牧場でも馬喰でも、日高で大きくなるのはもともとよそ者が多い、とよく言われます。そんな中、西岡さんは日高育ちの馬喰としてやってきた。その想いは人一倍です。

 「俺も昔は生産やってたんだから、ただの商人じゃないから生産者の気持ちがよくわかるんだよ。二七年前にやめたんだけど、当時は、あいつ道楽息子で親の財産食っちゃった、とかいろいろ言われんだ。それが今はどうだ、あんたは先見の明があった、なんて言われる。昔はね、それこそ中村和夫さんや渡辺典六さんといった昔の大馬喰さんたちが頑張ってた。いまだと岡田繁幸さんぐらいでしょ、日高で頑張ってるのは。彼らは中央競馬の方を開拓してくれたけど、俺は地方を何とかしたいんだ。こういう信頼できるエージェントの会社が軸になって流通を風通しよくして、競い合ってゆくようにならないと、もう馬産地でござい、でだけで威張って商売していられる時代じゃないんだよね」