永田洋子の「おとめチック」、その本質的な問い

 思わず眼をそむけた。絶句すらした。そして次の瞬間、深く嘆息した。そうするしかなかった。なんなんだよ、これは。

 めくっていたのは『マルコポーロ』七月号。文芸春秋社から出ている月刊誌だ。「大キライ全共闘世代・連合赤軍なんて知らないよ」と題された特集記事の中の、とあるページだった。

三十代半ばまでの都市在住ホワイトカラーを主な読者層として設定している雑誌で、その彼らにとって日々さまざまな葛藤を生じさせているはずのいわゆる「団塊の世代」に対する違和感嫌悪感を当て込んだ企画ということになるのだろう。まぁ、どこの出版社でも今一番血眼になって軌道に乗せる努力をしているこういう雑誌の世界観からすればいずれ一度は必ず考えつきそうな企画ではあるし、その狙いは基本的に悪くない。ないが、しかし中味の方はというと正直言って感心しないものだった。活きているのは写真ばかりで、肝心かなめの活字の方がどうにもくすんでしまっているのだ。

理由はいくつか考えられる。だが、総論的に言えるのは、「団塊の世代」なり「全共闘世代」といったもの言いによって好むと好まざるとに関わらず切り取られてくるある独特な気分の領域に対してどれだけ方法的に構えることができるか、より具体的に言えば、その方法的な構え方を武器として共有できるだけの関係と場をどれだけタイトに組み上げ得るか、という点についての編集部側の目算のなさだろう。見世物なら見世物、お勉強ならお勉強と割り切った商売の論理の手さばきもこと「全共闘」が素材になると徹底できず、編集部も書き手も心ならずもついついマジになっちまい、しかもそこらへんが一方で“いかにも文春”のお約束の「立場」を出さねばならないという葛藤と交錯していやな不協和音になっている、そんな印象だった。読まなかった人のために白状すれば、僕もその中の座談会に引っ張り出されていて、現場じゃちっとは頭抱えるような目にもあっていたのだが、そこらへんの事情についてはひとまず棚に上がっておく。この場でとりあげておきたいのはそんなこっちゃない。

 その特集の一部として、連合赤軍永田洋子の獄中日記が掲載されていた。今年の二月、控訴棄却により死刑が確定して、しかもその直後に後藤田法相がそれまで長らくなかった死刑の執行を敢然とやらかしたこともあり、何にせよ死刑執行を逃れたい彼女の弁護団まわりから流された情報の一環なのさ、てなわけ知り顔の論評も耳にしたけれども、その当否を論じるだけの材料は僕にはない。そういうウラの事情ってのも出版の世界にはあるんだろうな、といった程度の感想だし、またそういう事情でもたらされたものがこの企画の目玉商品になっていたとしてもそれはそれだ。

 日記は、死刑判決後の今年三月十七日から四月九日までの抜粋だった。だが、僕が眼をそむけたというのは日記の内容に、というわけではない。その直前、連合赤軍とリンチ事件をめぐる高沢皓司氏の原稿(この原稿はその誠実さにおいて悪くないものだった)に添えられていた永田洋子自身の手によるイラストというか絵というか、何と言えばしっくりくるのかわからないが、とにかくそういう表現に、なのだ。

 掲載されていたのは都合四点。どれも獄中の風景を描いたものだ。その他草花を描いたものも三点あったけれども、これはいわゆるスケッチであってとりたてて眼をそむけるような印象を与えるものではない。画材はボールペン。本当ならここに転載できればいいのだろうがそうもいかないので、関心のある向きは図書館などで『マルコポーロ』七月号をご覧になっていただければありがたい。

 説明によれば、彼女がこの種のイラスト(のようなもの)を描き始めたのは五年ほど前かららし。ということは、それまでこういうイラストめいた内面の描き方をする習慣が彼女にはなかったということになる。それが彼女の世代の女性として標準的なものかどうか、僕にはわからない。ただ、だとしたら彼女はどこの誰のどのような絵やイラストを参考にしてあのようなものを描くことを覚えたのか。何しろそこに描かれている女性たち(当然、囚人か看守)のたたずまいというのはまるで平板な、たとえて言えば昔の中学校の木製の机にナイフや彫刻刀で刻まれていたような、いびつで、しかしその分描き手のある偏った鋭敏さを引き受けたようなものだった。表情はなるほど俗に言う「かわいい」系のもので、それが確かに世間一般の感覚から言えば少女漫画めいた印象も与える。だが、それをひとくくりに「少女漫画」というもの言いでまとめて表現してしまっていいかというと、それはまた別の問題だ。

 だが、誌面上でそれらのイラスト(のようなもの)に付されたキャプションも、その「少女漫画」の印象を当て込んで増幅するようしつらえられていた。

「次々と仲間をリンチした女・永田洋子/[獄中イラスト]は少女チック」

 雑誌の常として、これはおそらく担当編集者の手によるものだろう。しかし、ここには悪い意味でのメディアの見世物主義の性根が背後にのぞいているように思う。

 マス・メディアはその本質として見世物の装置である、ということは今さら言うまでもないことだし、これだけ高密度の情報化を我々の社会がくぐってきた現在、そのことの積極的意味すら僕は認めたいと思っている。たとえば、統一教会がこれまで何十年も彼らを糾弾してきた地道な活動家たちの仕事だけではビクともせず、結局は今のワイドショーを中心とした「低俗」で「無責任」な見世物メディアの舞台に巻き込まれることでひとまず崩壊させられたことの意味などは、もっと静かに考えてみる必要のあることだろう。

 しかし、それにしてもこの「少女チック」というもの言いと「次々と仲間をリンチした女」との組み合わせによって読者の側にどんな「解釈」が立ち上がることを編集部側が当て込んだかを思うと、ここはやはりひとつ腹を据えて「そういう当て込みってやっぱ反動だよなぁ」と言わねばならない。

 思いっきり図式化してほぐせばそれは、「ほらほらこんな幼稚でガキっぽい絵を描いちまうような、そんな程度の奴が、偉そうに革命なんて言って仲間を何人も殺しまったんだぜ」といったもののはずだ。もちろんそれは、あのイラスト(のようなもの)を眼にした世間のかなりの程度常識的な反応ではあるだろう。だが、しかしだからと言って、それだけではこのイラスト(のようなもの)の宿している大きな問いはまた再び闇に葬られてしまう。

 四十代後半の、まさにその全共闘世代の人間にこの永田洋子のイラスト(のようなもの)の話をすると、みな一様に顔をくもらせる。彼らは「“連赤”(そう呼ぶのが作法らしい)で死んだのはみな当時の左翼としても優秀な連中だった」と言う。なるほど、おそらくそうなのだろう。まただからこ
そ、そのように顔くもらせる彼ら同世代の人間たちの共通の感想というのも、「あんな奴に指導されていたなんて、死んでいった“優秀な”連中が浮かばれない」といったものになる。あんな少女漫画めいたイラスト(のようなもの)を臆面もなく描いてしまうような、その程度の「リーダー」の下に身体を張っていたなんて、という想い。それは一歩間違えれば他ならぬ自分の問題になっていたかも知れないと思えば、感情としてはわからないでもない。*1

 ただ、それでは解釈の方向が先のようなキャプションを平然と付してゆく当て込みときれいに同調してゆくしかない。それは、「革命」の「リーダー」があんな少女漫画めいたイラストを描くのはふさわしくない、という立場が前提になっている点で世間と連続している。ここで「少女漫画」という印象を引き出すさまざまなものは、未成熟で不安定で、何にせよ責任ある大人の内面とは縁遠い、それこそ“夢見がちな子供”のもの、ということなのだ。

 しかし、とここは踏ん張らねばならない。あんな少女漫画めいたイラスト(のようなもの)を臆面もなく描いてしまうような内面を彼女が当たり前に抱え込んでいることをどうしてまわりのその“優秀な”連中は気づけないままだったのだろう、という問いだって充分にあったはずだ。

 “夢見がちな子供”を無自覚に抱え込んだまま大文字の「革命」を想う、といういびつさが、さほど珍しいものでもなくそこに存在してしまっていたということ。それこそが全共闘世代、団塊の世代がこの国の歴史の上に提示した大きな問いのひとつだったはずだ。その問いそのものがまだきちんと社会に自覚されていない間は、そのいびつさが穏やかに復員する筋道もまた、社会共通の知恵になってゆくことはない。