「大学」という場所のいまどき(往復書簡)⑤

拝復

 誠実な答えをありがとう。一読させてもらってこういうことを考えました。

 以前、小生が事例としてあげた『無法松の一生』の敏雄の“その後”には、こんなエピソードが連なっています。

 『無法松の一生』では、引っ込み思案の敏雄が松五郎とのつきあいの中で「男らしい」性格を植えつけられていった、という解釈が一般的にされていますが、それは基本的に間違っています。原著を読めばすぐにわかることですが、松五郎は敏雄に対して外部から関わる擬似的な父親として賢明につきあおうとし、事実またつきあってもいたにせよ、現実に敏雄が松五郎やあるいは母である吉岡良子の期待するような「男らしい」性格に多少なりとも変わっていったのは、松五郎との関係の中ではなく、皮肉にもむしろ「学校」という制度の中においてでした。

 それは、もう少していねいに言い換えれば、敏雄のような自意識過剰の、ある種の鋭敏さをかなり早くから持ってしまったような資質の子供であっても「学校」という制度の中、選良としての自覚、選ばれてある“群を抜いた者”としての自意識をうまく育んでもらえるような関係性が保証されるならば、ということです。小学校の時点では、学芸会で人前で歌ひとつ満足に歌えなかった敏雄が、小倉中学に進み、まさに選良としての教育を「学校」の中で与えられるようになって以降、みるみる自我の輪郭を整えてゆく。その距離感を岩下俊作は、意識的にか無意識にか、かなり冷静に描きとめています。

 当時の小倉中学は新設校です。後には高校野球(当時は「全国中等学校野球大会」ですか)で有名になりますが、霜降りの学ランが名物になったこの学校は、その頃は八幡や若松や門司を中心に工業化の波をかぶり急激に膨れ上がる北九州地区を支える新たな中等教育機関として、期待されたものだったようです。それが証拠に、全国進学校ランキングのようなものにわずか開校数年で上位に食い込む躍進ぶり。そのかわり、地元では「小倉中に行くと死ぬまで勉強させられる」といった語られ方もされたようです。事実、小生の調べたところでは、第一回の入学生のうちかなりの部分が卒業できなかったという数字が残されていて、これはその当時の中学校の平均からしても多かったようです。留年が珍しくない当時のこととは言え、実際に身体をこわした生徒も少なくなかったはずで、何にせよある過剰な情熱が小倉中学をめぐる環境に宿っていたということは言っていいでしょう。

 何にせよそこまで「教育」に熱心になった理由は、当時の北九州が土地や血縁から引き剥がされた人々の、仮住まいの街だったことが大きかったようです。何も子供に与える財産がない、その分「教育」にカネをかける――これは他でもない、それから半世紀ばかりの後、高度経済成長期をくぐって、この国の全域を覆い尽くすまでになった「学校」幻想のプロトタイプのように、僕には思えます。

 おそらく、そういう小倉中学に進むことで、敏雄はそれまでと違った「話の合う」仲間と出会ったはずです。だから、青島陥落の提灯行列の夜には、まだロクに声変わりもしていない仲間も混じるようなくちばしの黄色いままに、年上の師範学校の生徒に喧嘩を仕掛けるようにすらなる。さんざんに叩きのめされたところを松五郎に助けられ、しかしその松五郎の荒れ狂うさまを目の当たりにして「こわいおいさん」と改めて思い、その頃からまた「小学校の頃の温順な」性格に戻ってゆく、というプロセスは、何気ない記述ながら、自意識過剰で早熟な子供が「学校」を介してある自我の輪郭を獲得してゆく道筋として興味深いものです。事実、その後熊本の高等学校に進んでからの敏雄は、ゆったりと構えたすでに大人びた風貌の青年になってゆき、松五郎に対する葛藤も一応自分の内側で整理したつきあいをするようにもなってゆくのですから。


 そのように、「学校」はある種の人間にとっての“癒し”の場にもなり得た。そのことについて、小生などはもう少しゆっくり考えてみたいと思っています。もちろん、貴兄の言うような「過保護と学校が育んだ」「我が選択に怯える心性」のありようを思えば、一律に「学校」とくくることはあまりに粗雑でしょう。ならば、たとえば、敏雄のような子供が内実はともかくそれなりに「大人」になってゆくことのできた時期の「学校」と、貴兄の言うような、「漕ぎ出さずにただ鳥瞰するだけならば、あれもこれも失うことなく全てを我が手に保ち続けられる――もちろん観念的にでしかありませんが――という狡知」を身につけるようになってゆく者たちがそれまでより多くなっていった時期の「学校」と、それはどのように同じでどのように異なっているのか、そういう問いの立て方をしてゆく必要があるように思います。

 首都圏私立進学校出身のツラ、というのがある、と小生つねづね思っています。学者業界をうまく泳ぐ小生などと同年代の人間たちの多くなどは、ほぼ例外なくこういうツラ構えをしています。小生は以前から、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の最終ラウンドにうっかり残っちまう連中のツラ、と言っているのですが、小生にせよ貴兄にせよ、とてもそういうツラにはなじめない、その程度には、何でもない公立高校という「学校」の場で育てられてきたことの屈託や葛藤が自分自身でもわからない間に意識や感覚に痕跡を与えられているかも知れない、と思うことがあります。

 お互い、もう三十五歳です。一層のご自愛を。