無法松との道行き

無法松の一生』という物語がある。

ある年輩以上の方ならばすぐ思い出していただけるだろう。戦争も末期の昭和十八年、伊丹万作脚本、稲垣浩監督、阪東妻三郎主演で映画化され、国民的な人気を獲得したと言われている。

ただし、もとは小説でそれも百枚ちょっとの小品。題も『富島松五郎伝』という。初出は昭和十三年の『九州文学』。二回連続して直木賞候補にあげられながら受賞はしなかったといういわくつきの作品だ。作者の岩下俊作八幡製鉄所に勤務する職工だった。火野葦平の仲間で将来を嘱望された人だったが、結局、筆一本の生活に入ることなく定年まで勤め上げた、言わば二足のわらじを前向きにはき続けた人だ。

もう足かけ四年、この『無法松の一生』をめぐるちょっと大きな仕事を、僕は手がけている。

しかしそれが最後の最後、大詰めの段階にきてまとまらない。それどころか、これまでかろうじて形にしてきた草稿や仮原稿までが全て役立たずの紙屑に思えてくる始末。メモの山、書きかけの草稿の山、プリンターから打ち出した仮原稿の山、コピーも含めた資料の山、そしてかき集めた古本の山。それらいくつかの紙の山が相互になだれ合い、散乱し合い、ただでさえ狭い仕事部屋の床を埋め尽くしてうっすら埃をかぶっていて、その中で大汗流しながらうんうん唸っているような始末。ただでさえ尋常ではない夏が余計に暑い。

いや、実はこういう状態に追い込まれてすでに一年以上になるのだ。その間、身体もこわした。尾篭な話で恐縮だが下血した。あわてて医者にかけつけると即座に尻から内視鏡を突っ込まれた。見立ては潰瘍性大腸炎とか。今すぐ切った貼ったの必要な代物ではないが一生モンのつもりでつきあう覚悟を、と言われた。それだけではない。身辺にさまざまなすったもんだが次々と起こった。心身共に結構タフなつもりだったけれども、三か月足らずの間に体重が15キロ近く落ちてしまった。不審に思ってまたもや医者に尋ねると、潰瘍よりこれはむしろストレスが原因でしょう、とのこと。とは言え、もともと常人の二倍はあった体重のこと、これくらい減ってちょうどいいや、と、まだ多寡をくくっていた。

そうこうしてるうちに担当編集者までが下血した。同じように内視鏡を突っ込まれ、もっともこっちは痔との診断だったのが不幸中の幸いというか、かえって心萎える事態と言うか。それでもさすがに気味が悪くなったらしく、大月さん、こりゃ絶対何かに取り憑かれてますよ、一度きっちりお祓いしてもらった方が、と、ふだん仕事の進み具合を尋ねてくる毅然とした調子はどこへやら、眉根に深刻なたて皺寄せての青息吐息。僕はそういう因縁めいた話に反応する感覚はあきれるほど持ち合わせない人間だが、ここまでいろんな厄介や障害がたて続けに起こるとやはり気になる。ああ、『無法松の一生』ってのは、それほどまでに何かこの国のこれまでにとって重要な“何か”を秘めた物語だったんだろうか。


昭和十八年の映画で広く知られるようになった『無法松の一生』は、戦後、さらに何度も映画化され、舞台に置き換えられ、そしてまた小説や歌謡曲や劇画や、その他さまざまな民衆表現のジャンルに移植され、語りなおされていった。

ただし、最初の映画でバンツマの演じた無法松の印象があまりに鮮烈だったせいか、この物語は、気は優しくて力持ち、無知だけれども純情な硬派キンタマ男一世一代の純愛譚、てな具合にまとめられるのが常だ。本当は好きで好きでたまらなかったのにとうとうその想いを口にすることのできなかった不器用な男の忍ぶ恋――『無法松の一生』はそのように語られてきたし、事実、知らず知らずのうちに僕もそう思い込んでいた。

だが、原作の小説を素直に読み返してみると、どうもそうではない。原作に描かれた無法松、本名富島松五郎は確かに、明治に生きた無学な人力車夫、正義漢で喧嘩に強くてばくち好きの大酒呑みではあるけれども、しかし決してそのようなステレオタイプの「男」というわけでもない。むしろ、うっかりと近代的な“恋愛”に目覚めてしまった自分をもてあまし、そのことに屈託し続けて自閉し、そしてその自閉を抱え込んだまま老いて死んでゆく、そんな独り身で暮らさざるを得なかった単身者の自意識の深刻な葛藤がモティーフであり、そこに覆いかぶさってくる「老い」こそが主題に思える。その意味ではむしろこの国の近代文学の定番“近代的自我の確立に悩む個人の問題”が一風変わった道具立ての中に貫かれている、そんな作品として読んだ方が今となっては自然なようなものだ。

だとしたら、そんな原作から始まって映画や舞台や、その他さまざまな表現のジャンルに置き換えられてゆく過程で、物語の輪郭にどのような改変が加えられ、どのようにそう思い込んでいるような「無法松」像、言わばステレオタイプな「男」像が立ち上がらされていったのか。その変貌をつぶさに検証してゆくことで、戦後この国の人々が無意識のうちに抱いてきた「男」のイメージが明らかになり、ということはそれに見合った「女」のイメージもはっきりするんじゃないだろうか。それらが相互にからみあいながらついこの間までのこの国の“常識”を作ってきた、そのからくりが少しはわかってくるんじゃないだろうか。

そう考えてはいて、事実かなりのところまで目算だって立っているのだけれども、“常識”のからくりってのはそれが当たり前のものになっちまってる分、眼に見えない〈その他おおぜい〉の想いにしがらんじまってるものらしい。さて、そのしがらみを振りほどきながら仕事を形にすることの難儀と、この先どこまでつきあってゆけるか。ええい、こうなりゃ持久戦。どうやらこの国のこれまでにとってそれほどまでに重要な“何か”であったかも知れない“常識”の膨大さの前で、よしよし、悪いようにはしないからな、と懸命にツッパってみせている。