「歴史」の蒸発

 「歴史」が蒸発し始めている。

 いきなりこんなことを言い出しても大方の読者にはピンとこないだろうが、しかし、曲がりなりにも「歴史」に関わる領域に足つけて仕事をせざるを得ない身にしてみれば、この危機感というか焦燥感は最近ますます切実なものになってきている。

 たとえば、「歴史」と名のついた雑誌の売れ行きがここ十年の間でゆっくりと、しかし確実に下降線をたどっている。新たに創刊される雑誌でも、「歴史」と名がつけば取り次ぎがいい顔をしないと聞く。地方史や郷土史、あるいはそれらと重なってきたはずの民衆史や民俗学といった領域も含めて、「歴史」が良くも悪くも一般的な読書人の一般教養として想定されていた時代からすでに遠く、また、それらを支えるべき地方の研究会や学会といった組織自体、新たな会員を引き込めなくなりどこも高齢化が著しい。

 それは、少し焦点を広げて考えれば、いわゆる総合雑誌の読者層が高齢化してゆき、新たな若い世代の読者をうまく組織できないまま、実体としては“老年雑誌”となりつつある現実ともどこかでクロスする現象だと思う。活字メディアのこのような現象については、先月号のこの欄で福田和也も『マルコポーロ』廃刊の問題とからめて指摘していたが、これから先、この国の「言論」や「思想」のあり方を考える時にまず考慮しなければならない重要な問題になってきていることは間違いない。

 同じ構造が「歴史」をめぐる関係にも見られる。活字というメディアへの重心のかかり具合が軽減されてきた分、時間を越えて連続する「歴史」という場への信心も薄れてゆく。それはある面では間違いなく「歴史」をめぐる風通しが良くなることでもあるのだが、しかし「歴史」意識そのものが蒸発してしまう動きが加速されることでもあるわけで、ブツ切りの薄っぺらな「現在」がただ重なってゆくだけでその間に何もかがり合わせる論理や仕掛けが設定できないまま、という状態が恒常化しているのだ。

 だが、ここが肝心なところなのだが、そのような状況でもなお、言葉本来の意味での歴史への関心が衰えているわけでもない。たとえば、身近な“もの”や“こと”から微細に語りなおす歴史には、いわゆる「歴史」の前にふてくされる若い世代も眼を輝かせることが少なくないし、横浜ラーメン博物館江戸東京博物館といった博物館メディアへの世間の関心の高さは、決して立地条件の良さやテーマパーク形式といったところにだけ理由を求めていいものでもないだろう。問題は、歴史を語る、その語り方がこれまでのルーティンのままでは何も身にしみないものになっている、そのことだ。それは、ひとまず若い世代に限って言えば、本来最も切実にそれぞれの生活経験に引きつけて考えてゆくことができるはずの、近・現代史の領域が、最低限の学校的教養としてさえも欠落していることが決定的だと思う。

 何を言うか、近・現代史についての地道な研究はたくさん蓄積されているじゃないか、と歴史学方面からの異論はいくらでも出るだろうが、ちょいと待った。たとえば、『ウルトラマン研究序説』に始まる同工異曲の企画本がどうしてあれだけの市場を獲得したのか、あるいは、『サライ』に代表されるようなカタログ仕立ての雑誌のある部分がますます濃厚なノスタルジアを込めた誌面構成になっていて、それが新たな若い読者を獲得し始めているのはなぜか、歴史学者は本当に自分たちの引き受けるべき問題として静かに考えて直してみたことはあるのだろうか。自分たちのつむぎ出す言葉が、そのような次の時代を担うべき若い世代のリアリティにとってどれだけ縁遠いものになってしまっているのか、真剣に自省してみたことは一度でもあるのだろうか。

 専門家としての地道な作業を否定するのではない。その作業を世間のリアリティとの間にうまく翻訳してつないでゆく、その仕掛けについての考慮があまりにない、その状況が問題なのだ。それは、広い意味でのメディアと情報環境との関係で「学問」のありようを考えてゆく視点の欠落に他ならない。初めにイデオロギーありき、で歴史を語る、その作法が当たり前であった期間が長すぎたのかも知れないが、それにしても、その不自由をきちんと内側から引き受ける責任ある立場は、人間と社会にまつわる学問の大黒柱たるべき歴史学においてさえもう宿らないのか。ひと足先におのれの棲むべき母屋に火をかけて“親殺し”をしてしまった民俗学者としては、本家のぼんぼんたちのこのおそらくは育ちの良さゆえのやんごとなさが実に頼りなく、またはがゆい。