書評・板橋雅弘『裏本時代』(幻冬舎)

「上質の小説や映画のような体験がどんな人間にも生きているうちに一度や二度はふりかかるものだ。/僕にとって一九八二年から八三年にかけてのあの個人的体験はまさにその一度や二度の貴重なものだった。/そして金ピカの八〇年代を予感させるあの時期を描くことは消されかけていたサブカルチャー・シーンのひとコマを書き残すことになるだろう。/はかなく消えていくそれらの運命をこの本で僕はできる限り正確に物語っていく。/目撃者の誠実に誓って――」

この口上に嘘はない。なにしろ「立花隆竹中労に憧れてフリーの物書き稼業に入った」と、いきなり無防備に言っちまう、それくらいこの著者は誠実でまっ正直なのだ。

消費され闇に葬られるだけの存在でしかない裏社会の文化を記録しておくのは、当事者のひとりとしていつかやらなければならないことだと思っていた。」

草野博美、後のクリスタル映像社長村西とおるが出資者だった隔週刊の写真雑誌『スクランブル』の編集長として著者が疾風怒涛の日々を送っていた、その当時の回想録である。ビニ本が登場し、エロをめぐる情報環境が激変し始めた八〇年代始め、草野は日本最大の裏本制作販売グループの頭目だった。裏社会の流通をおさえるその彼が、まだ二十代半ばの著者を編集長に据えた写真雑誌を創刊する。頽廃した新左翼気分とヒッピー系ミーイズムに染まった七〇年代サブカルチュアの残党たちと、それらに対するうしろめたさと違和感とを等量に抱えた著者も含めた後発の八〇年代世代が交錯してゆくサブカルチュアの過渡期。登場人物は全て実名と断ってある通り、テリー伊藤から中森明夫までが著者の軌跡をよぎってゆく。小説でもルポでもない、どこかたよりなげな文体は最初はちょっとなじみにくいかも知れないが、ご心配なく、いよいよ雑誌を立ち上げてゆくあたりからがっちりハミがかかる。雑務に追われる日々。他人の人生を左右する編集長という職責になじめぬ若さ。あやしい出資者の横暴。それでも“俺たちの雑誌”という幻想が形になってゆく興奮。『東京おとなクラブ』でも『写真時代』でも『一橋マーキュリー』でも『平凡パンチ』でも、当時その気分は共通していたはずだ。雑誌が間違いなく輝かしい場所になり得た時代。わずか十五年ばかり前のことだけれども、しかしそれはもう確実に「歴史」の層へとすべり落ち始めている。今、『クイックジャパン』にこの興奮はあるのだろうか。

終章近く、資金繰りの悪化で破綻の見えた編集部に、著者にとっては「神様」の竹中労がいきなり訪ねてくる。「神様」は含羞と共にこう言う。

おれは君たちを百パーセント支持する、君たちはすべて正しい、臆するな、良心面したやつらの背後から襲いかかれ、ひるむことなくスキャンダルを追いつづけなさい。(…)自信をもっておやりなさいよ。おれはこんな雑誌が大好きなんだから


無責任である。しかし、こういう無責任なアジひとつで身体張って何かを作ろうとする若い衆がいた。そして、同じ無責任さで裏の稼業を駆け抜け、作った資金でその若い衆を鼓舞して表舞台へ成り上がろうとする男もいた。小林信彦の『夢の砦』や野坂昭如の『水虫魂』、片岡義男の『十セントの意識革命』などに匹敵する、同時代サブカルチュアの現場を生きた誠実な証言。安西水丸の手による昭和初年の古本めいた装丁もいい味だ。