書評・Y・ラズ/森泉弘治・訳『ヤクザの文化人類学』(岩波書店)

 今から十年ばかり前、こちとらがまだ三流大学院生だった頃、イスラエルからやってきた文化人類学者だというひょろっと背の高いガイジンに紹介された。どこかのスパイかといぶかるほど日本語が達者で、白人の自由人特有の不遜なところもあったけれども、冗談を言いながら笑った笑顔にはどこか育ちの良さがあった。

 このけったいなガイジンのフィールドワークの下働きとして半年あまり、新宿歌舞伎町のヤクザの事務所を一緒に訪れたり、関係資料をあさったりした日々のことを今、なつかしく思い出している。事務所の応接間のサイドボードに並べられていた本をまるごと全部借りたいと言い張ってヤクザを困らせたりしていた。とりわけテキヤ関係の機関誌にご執心だった。こちらをあまりにアゴで使う態度にある日ムカッ腹を立ててそれっきりになったけれども、いつかその仕事がまとまるならばぜひ読んでみたいとはずっと思っていた。

 いい仕事だ。ガイジンの日本研究特有の臭みはあるが、しかし気にはならない。近年紹介されたこの種のフィールドワークベースの日本研究、たとえば同じく邦訳されたライザ・ダルビーの『芸者』などよりは、ナマな現場のノリと共に見聞や体験を紙の資料とつきあわせながら統合してゆこうとする知性の腕力が感じられて、そのバランス感覚にまず好感が持てる。いまどき「文化人類学」などという腐れ看板に頼る日本語タイトルの凡庸さが珠に傷だが、それを抜きにしても、ひとつの読み物として十分に日本の一般読者の厳しいめがねにかなう一冊と思う。訳文も堅実だ。

 そう言えば、彼に貸していた猪野健二の『戦後闇市興亡史』その他の資料はそのまま戻ってこなかったのを思い出した。しかし、テルアビブの空の下、この仕事をまとめる際に少しは役に立ったらしいことがわかったからそれはそれ、以て冥すべし、だろう。