世に「職人幻想」というのがある。おのれの腕1本に賭けて生きる頑固者、とかって、あれだ。もちろん、そういう職人イメージってのは、最大公約数として間違いでもないけど、でも、理科系のエンジニアから叩き大工の親方、果ては脱サラのそば屋のオヤジに至るまで、ひとしなみに同じこの幻想に侵されてたりするのはなんだかなあ。だって、そんな「職人」のひとくくりは「サラリーマン」と同じくらい大雑把だもん。
それは本でも同じこと。「職人」を扱った本は最近増えているが、油断してると評者とその幻想との距離が無惨に露呈する。
まっとうなのは前者。「(町工場)3Ķ論の責任の一端はマスコミにある」とまず明言し、「コストダウンや人材不足など、どの会社でも悩みはたくさんあるにして『だから、それでどうする……』というのが、現実の経営の出発点になっている。たとえば、どう工夫するとか、どう克服したかとかいった話が現場の話の実際なのである。本書にはそれが満載されている」という一節で、書評としては及第。町工場の現在と対峙しつつ、おそらく同じように現場の強靭な具体性とつきあってきた評者の確信が見えて、気持ちいい。
逆に後者は幻想にズブズブ。宮大工である著者が自身の仕事について語った本だが、「読み進むうちに、日本の『木の文化』の良さがわかり、1000年以上も前の大工の技術・センスの高さに驚き、今まで漫然と見ていた、社寺・仏閣を見て歩く上でのポイントがつかめる、というお得な仕掛けになっている」てな紹介からして平板で陳腐だ。そりゃ、内容紹介は書評の役回りのひとつだけどさ、世間の抱く幻想にただおもねるだけで、しかもそのことに無自覚ときたんじゃ、書評屋以前に活字の知性として論外。「世界に誇る木の文化が消えてしまうことになりかねない」と良識派ぶっても、その背景や理由は考えない横着はどうだ。剥製でも残ればよし、という、その文化財行政みてえな発想は文化を腐らせるぞ。

