「ホームセンター」という名前の店が、最近結構目につきます。
例によっての和製英語、翻訳してみたところで何の意味もないようなものですが、それにしてもこのネーミング、日常生活まわりの「もの」ならば何でも飲み込んでしまうような、何か不思議なとりとめのなさがあります。
場所はもちろん郊外のバイパスその他、街道沿い。クルマでアクセスできて大型駐車場があって、というのも、すでに何度も触れたようないまどきの消費拠点としての定番ですが、中でもこの種の店の場合はとにかく広さが最大の条件らしくて、たいていはファミレスなどの数倍、大型パチンコ店でも数軒分といった気前の良さ。農家ならば、田んぼ一枚単位で換算しての「○反歩」というリアリティが即座に出てきそうな面積であります。ということは、地価の高い街なかには出現しにくいわけで、いきおいそういう気前の良い広さが確保しやすい地域に立ち並ぶことになる。物流の結節点である各種倉庫から資材置き場、中古車センターにどうかすると産廃処理場といった、これら「郊外」の風景が作られてゆくその最初に出現する施設たちのその次の段階、それらロードサイドに確保されただだっ広い敷地を具体的な「消費」の側に一歩近づけてゆく時に、たとえばこの「ホームセンター」などはひとつ、重要な役割を果たしているようであります。
この「ホームセンター」、時には「DIYセンター」などと呼ばれていることもある。Do it yourself――つまり自分の手でこさえよう、というわけで、これまでなら「日曜大工」と言い換えられていた素人工作のことなわけですが、これは少し前、80年代アタマあたりから輸入・翻訳されて、当初は確か、文字通りに椅子や机などのちょっとした家具、室内の釣り戸棚といった類をトンテンカンとやらかす「マイホーム」(これも当時出てきた新しいもの言いでした)のお父さんのためのものでした。
ご多分に洩れず、この「DIY」は海の向こうからの輸入もの。自分の家の壁は自分で塗り替え、ガレージくらいは自分でおっ建て、とにかく自分たちの住みやすいようにさまざまに手を加えてゆくというアメリカ流の「暮らし」の制御思想が、建て売り幻想が高度成長の「豊かさ」と手を結んである程度「自分の家」が実現するようになってきたこの時期に、わがニッポンでも受けいれられるようになっていたということなのでしょう。
とは言え、身の回りを自分の手で何とかする、という発想は、当たり前ですがそれまでもあった。たとえば、昭和三〇年代あたり、初期の『暮らしの手帖』などを眺めていると、後に有名になった商品テストよりもずっと前に、着るもの(あくまで洋服ですが)からちょっとした家具調度に至るまで、まさにこの「DIY」のプロパガンダをやらかしているのに気づきます。何より、創刊当初の『暮らしの手帖』は、正しくは『美しい暮らしの手帖』という名前でした。その「美しい」という部分にはこの「DIY」の思想、自分の手で自分の身の回りの暮らしを制御してゆく、という考え方が、間違いなく込められていたはずです。日常に「美」を発見する、というのは、戦前の柳宗悦の「民芸」運動などにもはらまれていたモメントですが、しかし、それはまだ審美的で、その分抽象的ななものでしかなかった。それを自分の手で具体的に「もの」を造り、関わってゆくことで新たな価値を生み出してゆこうとする方向は、良くも悪くもこの戦後ならではの産物だと言っていいでしょう。
「暮らし」は変えてゆける、メシを食い、寝、そのように生きてゆくためのただくすんだ流れでしかなかった「日常」は、しかし関わり方によってもっと違うものに、ミもフタもなく言えば「美しい」ものにも化けさせてゆき得る――こういう方向での「暮らし」の発見とその意味の改変というのは、正しく「豊かさ」がもたらしたものでした。しちめんどくさく言えば、即自的で「ただそのようなもの」でしかなかった「日常」が、改めて客体として、関わってゆく対象物として見られるようになってくる。そしてそれは同時に、それまでになかった広大で新たな消費市場の開拓でもありました。このあたりの経緯は、実はまだそれほどきちんと語られていません。
そのような「暮らし」の客体化と市場化の流れは、今や「ホームセンター」にまで間口が広げられている。初期の「DIY」にあったはずの「自分の手で実際に」という要素は、いつしかすでにある消費アイテムを選択する、という形で簡素化され、その分誰でも「DIY」のうわずみを感じることができるようになっています。80年代後半あたりからこっちの「アウトドア」ブームなどが、その流れを加速させてもきました。
ある程度にまで整えられた木材その他の工作材料から、それらをさばくさまざまな工具類、いまどきのこととて「ガーデニング」関係の素材はもちろんとして、その他、肥料や農薬、農作業用の各種資材などまで並べられているあたりは、一般消費者向けの小売店というよりももっと絞られた専門家相手、たとえば農協の売店か倉庫といった趣きがあります。これがもう少し広がると、地下足袋からドカジャン、安全靴に軍手その他、まさに「ガテン」系職業と不即不離な作業用衣類を売る店のたたずまいなどにも重なってくる。「アウトドア」というカタカナ書きのもの言いが「消費」オンリー、「レジャー」偏重の使い回され方をしてきたその背後で、文字通りの「野外」作業、農作業から道路工事、ちょっとした庭いじりに至る、いわゆる「アウトドア」イメージから排除された部分が、こういう「ホームセンター」で「日常」や「暮らし」とインターフェイスしている、てな印象があります。その分、「ホームセンター」は不思議な空間です。
一方では今や、スナック菓子やインスタント食品、缶詰などの食べ物から、電池その他の家電系消費財に文房具や衣類、どうかするとティッシュペーパーから家庭常備薬といったものまでが並べられるようになっている。その意味じゃ、コンビニをさらにおおざっぱにしたような商品世界だったりもするわけですが、でも、文房具といってもせいぜいが子どものための学用品から筆記用具程度、家具といっても事前に綿密に検討して気合いを入れて買うようなものでもなく、カラーボックスやすき間戸棚、回転座椅子などに代表されるような、ちょっと思いつきで手を出せてしまえる価格と機能のものばかり。衣類ったって、ジャージにババシャツにステテコにモンスラです。あ、最近だとフリースもそろそろこの並びに出始めてますが、とにかくそこには「DIY」に本来宿っていたはずの「美」という要素はどこかに抜け落ちてしまっています。「ホームセンター」が、それこそ百円ショップのような安っぽさと共に認知されているのは、このあたりの事情がからんでいます。
ならば、その「美」はどこに行ったのか。「美」というのがおこがましければ、「オシャレ」くらいにしときまょう。そうなると、これは東急ハンズになるわけです。
「ホームセンター」と東急ハンズの間の距離というのは、そこに置かれている「もの」自体を見れば、ほぼ地続き、それほどの違いはありません。違いがあるとすれば、それら「もの」が全て「オシャレ」というコーティングを施されてそこにある、その一点ではないか。もう少しほどけばそれは「個性」であり「自分らしさ」であり「ユニークさ」だったりするわけで、まさにそれこそがいまどきのニッポン人にとっての「暮らし」の「美」の中核だったりする。
けれども、です。「ホームセンター」の「もの」で構築された身の回りと、東急ハンズの商品で「オシャレ」に彩られた「暮らし」との間に、しかしどれほどの違いがあるのでしょうか。自分の手で実際に造る、ということを、東急ハンズもまたプロパガンダしていて、そのための教室なども開いていますが、しかし、そうやって造られるものの多くは「暮らし」の中で具体的な「用」からどこか遊離した、その分容易に「オシャレ」に舞い上がれる「もの」たち――それこそ「日用雑貨」と総称されるようなブツたちだったりします。「ホームセンター」の「もの」たちの中から立ち上がるべき「美」が、ではなぜ未だに発見されず、大きく言えばひとつの文化として成熟する気配すら見せていないのか、ということは、高度成長以来の「豊かさ」を「暮らし」の局面におろしてゆく際のその手つきについての、あたしたちニッポン人が忘れてはいけない宿題だと思っています。