お立ち会い、田口ランディ、という「盗作=万引き」猿を、ご存じか?

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 田口ランディ、という稀代のバカが一匹、ネットの居留地からうっかりとさまよい出て、ところかまわず臭い糞を垂れ流しては、世間サマに多大なご迷惑をかけております。

 そりゃ何者かい、と問われれば、ひとまず「作家」「ルポライター」、と言っておきましょう。みんな「自称」なんですが。

 ブンガクのみならず、もの書き一般に対する世間サマの幻想が徹底的に破壊された昨今、そんなもの書き一匹のことなんざ知ったことかい、と言われるかも知れません。が、しかし、こやつときたらすでに何冊も本を出し、そのうちのひとつふたつは何の間違いか十万部規模での売り上げを記録、さらに今年の春先、わずかふた月ばかりの間に「盗作」疑惑がふたつも連発で表沙汰になり、テレビから新聞その他に至る表舞台のメディアで報道されるという、まずはけたたましい時の人、うさん臭さもコミでの「有名人」ぶりでしたから、こういう案件に全く興味のない向きでも、その名前くらいは見たり聞いたりしたことがおありでしょう。

 第一、「田口ランディ」なんて、日本人だかガイジンだか、男だか女だかよくわからない名前自体、不必要に印象に残るでしょうし、また、一時期ほんの一瞬(まさに一瞬、でしたなあ)にせよ、テレビも含めたメディアに結構とりあげられたり、厚かましくもツラさらしたりもして持ち回られてましたから、ああ、なんか最近出てきたっていうオンナの作家ね、くらいの認識は持たれていても不思議はない。その頃は、山田詠美吉本ばななといったいまどき系女性作家のカテゴリーにひとくくりにされるレールの上に乗りかかっていたのは、ひとまず事実なのでありますからして。



 実はこれらの「盗作」案件、もう一年以上も前から、インターネット界隈では取り沙汰されてきていたものであります。

 何より、今回この本に寄稿してくれた書き手のほとんどが、そういうネットでの田口の「盗作」を追及してきた人たち。いわゆる「無名草子」たちなのであります。彼ら彼女らを中心としたあくなき粘着……あ、いや、正義の追及の努力によって、それが一年かかってようやく表に出てきた。ネットと表の「報道」との距離感というのは良くも悪くもそれくらいはあるわけで、まあ、それはそれである種健全なことでありますが、しかし、です。こやつの「盗作」疑惑というのはこれだけではなくて、まだまだ水面下で語られていながら世間に知られていない部分が膨大にあるのであります。本人からすればむしろ、あの二発だけでことがおさまっちまえばラッキー♪ くらいに思ってやがるかも知れないくらいのもんで、あやつの書き散らしてきたものをちょっとほじくり返せばそこら中に「盗作」「剽窃」「切り貼り」「なぞり書き」「カンニング」……といった、ありとあらゆる種類の地雷が埋まっていると言っても過言ではない。ほとんどもう紙のブービートラップ、小説やエッセイの皮をかぶった福笑いか間違い探し状態。あああああ、じゃあ何がいったいほんとに間違いなくこいつの書いたもんなのよっ、とアタマかきむしりたくなるくらいのシロモノなのであります。

 さらに、そういった「盗作」「剽窃」といった犯行手口だけではない、こやつの世渡りのやり口そのものの悪辣さ、卑しさ、とんでもなさについては、その「盗作」以上に未だ世間の大方にしっかりとは認知されていません。
 こやつの書いたものを敏感な人がちょっと読めば、ああ、こりゃ典型的な虚言癖、嘘つきの書き散らしたもんだわ、と、ピンとくるはずですし、そこまででなくても、表現に対するあまりのいい加減さ、ゆるさ、ナメ加減、といったものが、夏場の夜明けの歌舞伎町の生ゴミのようにプゥ〜ンと鼻についてくる向きは少なくないはず。多少なりとも本を読み、活字のテキストを愛するような人ならば、なんでこんなもんが読まれるのよ、くらいに思って、二度と手に取らないということはあるでしょう。文は人なり、というのは、この高度情報社会の何でもありにおいてもなお、なるほど真実のようです。

 とは言え、「インターネットの女王」(しかし、なんなんだ、それ)の煽り文句と共に、おそらくは結構な規模のゼニカネづくで広告宣伝までしてもらったおかげでしょう、映画にまでなった『コンセント』などは嘘でも十万部くらいは世に出回ったと言いますし、それ以外でも、この構造的な出版不況のご時世に小説(自称)だけでなく、これまでパソコン通信やネットで書き散らしてきたその場の思いつきだけの駄文(エッセイ、とかぬかしてますが)までも、いっさいがっさい底引き網かけるようにしてかっさらって一冊に突っ込んだような粗製濫造、およそ良心のかけらもないひでえつくりの本までもが、そこそこ勢いで読まれちまったりしたようですから、世の中ってのはほんとに眼開き千人めくら千人。夜店のぼったくりでももう少し品位ってもんがあるだろうに、と眉ひそめるような商売を、こやつのまわりの連中は臆面もなくやってのけてきたのであります。

 こういうことを言うと、いまさら何おぼこいこと言ってんだ、いまどきの出版ってのはそういうもんだよ、と、したり顔する向きもいやがるのは百も承知、確かにそれは一面の真実ではありますが、しかし、だからってあなた、シノギにもタマの善し悪しってのはありますわな。字さえ書けたら何でもいい、ってわけでもないだろうに、こんなお粗末なブツまで持ち回って商売する、それもこれまで嘘でも「良心的」でブンカを担ってきたと思われてきた版元などが平然とそういう真似をしてやがる、と。メディアの現場のそういう棚落ち具合というのは、何も出版に限ったことではなくて、テレビや新聞なども含めて広汎に起こっていることではあるにせよ、この田口案件というのはそんな中でも、いくらなんでも度を越し過ぎています。

 にも関わらず、この田口というバカの本尊もさることながら、それ以上に、こういうバカをうっかりと世に出してしまった勧進元たる出版社や、その版元の商売に乗っかって無責任な煽り文句で提灯つけて歩いた評論家、文化人その他の責任についても、未だほとんど追及されていないのであります。メディアにも製造物責任が問われるべきだ、というのは近年言われ始めていることで、あたしなんぞもまさにそのへんをもの申してきている。こんな非道が許されていいのか? いや、断固いいわきゃない!――というわけで、不肖大月、この三月から、ココロある方面からは蛇蝎のごとく忌み嫌われている蛆虫メルマガ【サイバッチ!】インデプスの編集長に担ぎ出されたこともあって、本腰入れてこの田口ランディというバカ、厚かましくも「作家」その他を僣称する、万引き常習犯を追い込むことに決めたのであります。



 この田口の何がそんなに悪辣なのか。よろしい、事情を知らない方にも、ひとつここはわかりやすくお教えしましょう。

 まずこやつ、偉そうに「作家」だ「ルポライター」だと名乗りながら、他人の書いたもの、しゃべったことを、さも自分が考えて書いたりしゃべったりしたことのようにして垂れ流すのであります。「盗作」とか「無断使用」とか言われていますが、ほんとはそんな偉そうなもんでもない、その犯行ぶりをつぶさに見てゆくと、こりゃもうただの「万引き」、そこにあるものを「あ、これいい」と思ったら何も考えずにパッと手を出しかっぱらってしまう、そんなアタマの悪い「万引き」程度の代物だということがよくわかります。この田口の犯行周辺をずっと観察してきたネット上の無名子たちから「万引き猿」と呼ばれるのもゆえあってのこと、なのであります。

 そして、それだけじゃない。こやつ、あからさまな「万引き」に至るまでにも、自分の身近な関係にある編集者や書き手その他に対して、いったん何か気に入らないとなると非常に陰湿な心理攻撃を繰り返してつぶしにかかる、というのも常習犯。しかも、自分よりも明らかに才能がある、あるいは自分にない長所を持っている人間だったりしたらなおのこと。たとえば、自分が連載していたネット上の同じページで連載していたライターの原稿から、いくつかの要素をかっぱらっては組み立て直し、しつこく粘着し続けて精神的にプレッシャーをかけて、あげくの果ては取り巻きの編集者を介して呼び出しまでかけ、「あなたは精神的に問題がある」などと言って自分に服従することをネチネチと要求――と、まあ、ほとんど立派なキチガイ人格障害丸出しの挙動、言動を繰り返してきているのでありますよ。このあたりの行状についても、その被害にあった当事者たちの証言がすでに出始めていますし、そういう人たちが今回この本でもそのあたりを全面展開してくれていますので、なおのこと、「田口ってほんとにろくでもねえなあ」という認識は少しずつ広まりつつある、と。

 要するにこんな粗大ゴミ、ただの手癖の悪い作家ワナビーのバカが、いけしゃあしゃあと「作家」の看板を掲げてやがるばかりか、いつの間にやら「インターネットの女王」とかいう煽り文句を身にまとい、さらには何の間違いか、中央公論文芸賞とやらを獲得、そしてあろうことか、直木賞候補にまでなっていたのでありますから、ああああ、こりゃもう、ニッポンのブンガクってやつの地盤沈下、ものを書くという営みの前提の液状化現象を、この上なく端的に象徴する物件になっているのでありますよ。



 「劣化コピー」という実に的確なもの言いが、これらネット上で田口を追い込みにかかっている無名子たちの間からいつしか出てきています。

 ほんとに元の作品を容赦なく切り刻んでメチャクチャにし、そして粗悪なパチもんに変化させてしまうという、つくづく品性下劣でココロ賤しいバカの仕事なのであります。そして、そんなバカの手によるバカの仕事でさえも、もしかしたらこれは新しいのかも、と勘違いをしてうっかりと世に流通させてしまう、さらにそれが商売になったなら最後、そのバカに対する批評精神すらなくしてしまう、そんないまどきの出版まわりのある雰囲気に、田口のようなバカはどっぷりとなじんでいるわけです。

 こういうことを言うと、たとえバカでも売れているから別にいいんじゃない、という意見が必ず出てきます。そのバカの書いたものでも喜んで買うバカな読者もいるんだから何が問題なのよ、と開き直る手合いさえ珍しくない。何も出版関係に限らず、いまどきのメディアまわり、「マスコミ」とひとくくりにされる現場で一定量共有されている気分とは、まさにこんなもの。ほら、テレビ屋なんかによくいるでしょ? 確かにテレビはくだらないけど、そのくだらないのを喜んで見る視聴者がいるから作ってるんだよ、とか、したり顔でぬかすバカ。
くだらないものでもニーズがあれば作るし流通もさせる、というのは、確かにひとつの立場ではあります。ありますが、しかしその場合でも、くだらないものを責任持ってこさえてゆく、という 玄人の倫理までが見失われていいってわけじゃない。くだらないものでも市場のニーズがある、ということに対してどこまで誠実に向かい合えるか、それがテレビであれ雑誌であれ、「仕事」ってのはそういうものだと、あたしゃずっと思ってるんですが、このテの「売れるからしょうがない」論者って、その「売れる」ってことで全て思考停止、おのれの責任ってやつを全部なしにしようとするんですよね。ああ、けったくそ悪い。

 なるほど、資本主義社会のこと、どんな粗悪品であれ市場に受け入れられるならば商品として流通してしまう、そんなものでしょう。文化産業だの何だのと鼻ふくらませてみせる出版とて同じことで、そういう資本の論理から逃れられるわけではない、と。それは創価学会だの幸福の科学だのの宗教がらみで数十万部単位のベストセラーが生み出されてしまうのとひとまず同じこと、ではあります。

 しかし、粗悪品でも確信犯で売りつける商売人が常に存在してしまうのは事実でも、いやしくも文化産業を自認してきた出版業の、それも嘘でも「ブンガク」を商売の柱にしている出版社が、こんな粗悪な商品を世に出回らせちまった責任ってやつはやっぱりあるんじゃないか、とあたしゃ思います。別に難しい話じゃない。いわゆる製造物責任、ってことなんですけど。でも、その製造物責任について、当の出版社も、そしてそこに関わった評論家や文化人のセンセイ方も、未だにはっきり自覚されていないようなのでありますよ。

 え〜、田口ランディ、一応は直木賞候補作家にして、婦人公論文芸賞受賞作家(笑)でもあらせられます。あらせられますが、しかし、これほど昨今、書いたもの自体はもとより、書き手そのものの世渡りの身じまいまでがまるごと物議を醸し倒してる作家ってのも珍しい。しかも、それだけ物議を醸していながら、その物議ってやつが活字の表舞台ではものの見事になかったことにされている(少なくとも今のところは)、というのも、実にいまどきのプチ芸能界化した活字商売の構造をきれいに反映していて二度おいしいな、と。
 だって、「インターネットの女王」なんて煽り文句と共に出てきて、当初はご祝儀相場ってことだったのか、千成り瓢箪ならぬ千成り提灯つけまくるヨイショ書評がこれでもかと並んでましたもん。それも村上龍を始めとして、中条省平だの安原顕だの芹沢俊介だの川本三郎だの、ブンガク系書評界隈のお歴々がみんなバンバンほめてるもんで、あたしなんかも最初は「へえ、そんなにすごいんかいな」と素直に思ってましたがな。
 ところがあなた、いざ手に取って読んだみたらこれが実に……な代物。読み手の好き好きとかそういうモンダイじゃない。こんなあなた、どこからどう読んでも粗製濫造、八〇年代ニューサイエンス系自意識肥大全開垂れ流しな、超特大勘違いジャンク物件を、なんでそんなに右ならえで持ち上げられるのよ、という世にもフシギな現象面コミでのオドロキでありました。案の定、その後は水面下で、それはそれは、なハナシ(オモシロ過ぎるんで詳細略)が山ほど噴き出して、提灯つけた書評界隈のエラいさんたちはほぼ全員即死状態。なのに、誰もケツ拭こうとしないんだもん。いやあ、名のあるシトたちってやっぱりすごいわ。」
――拙稿「書評スイカ割り/ランディ被害の一年」『本の雑誌』1月号

 いい機会ですんで、その提灯つけてまわったエラいさんたちの実例もあげときましょう。たとえば、こんな調子でっせえ。

 村上 龍 「僕がこの10年で読んだ中で最も上質で面白かった小説のひとつだ」

 
 安原 顯 「村上龍が『コンセント』の帯で『この十年で最高の一作』とかなんとか賞めちぎってるけど嘘じゃねえな。少なくともこの何年かの龍の小説よりはずっといいよ」


 中条 省平 「なんとなく読者に媚びているような気がして抵抗があったのだが、実際の中身は硬派中の硬派、生の意味と人間の倫理を問いつめることがテーマだった。ひどく感心させられたので、さかのぼって小説第一作の『コンセント』も読んでみた。こちらもきわめてすぐれた作品で、田口ランディは二〇〇〇年に出現した日本文学最高の新人との感を強くした」


 北上 次郎  「すごい新人が出てきたものだと感服の一語」

 まだまだあるんですが、ほんとにどうして結構名のあるセンセイ方がこんなバカな物件にきれいに騙されたりしたのか、それ自体がもうひとつの考察対象であります。さらに言えば、糸井重里はかの悪名高い「インパク」にこの田口を「編集長」として迎えるキーマンになってましたし、佐野眞一鶴見俊輔などは「対談」という仕掛けでこのバカにつきあってコロッと騙されちまってますし、それ以外に、ちょっとした書評程度でゆるいヨイショつづり方を垂れ流した方々となると、もうほんとに山ほどいらっしゃる、と。

 版元の方も、きっちりさらしておきましょう。

 幻冬舎筑摩書房晶文社、マガジンハウス、角川書店、PHP、サンマーク出版メディアファクトリーリクルート小学館洋泉社……てなところが、その田口のバカに騙された、あるいは、商売になりそうだから、と、バカを承知で神輿に担いだ版元の、主だったところであります。「万引き」発覚報道が二発も続いた後は、さすがにこのバカから手を引くようなそぶりを見せる版元が続出しているようですが、それでもまだ筑摩書房はネット上で田口の日記連載をさせているばかりか、すでにほぼ耄碌しまくって「晩年の志ん生状態」と言われる鶴見俊輔との対談などをセッティングして、まだこやつを売りにかかっていますし、何より、最大の勧進元だった幻冬舎自体、はっきりとこやつの悪行について、版元としての責任の所在を明らかにした上での反省、謝罪の態度を示していません。

 新聞などの「報道」方面は、どうか。

 政治家や芸能人、経済関係の案件ならば、「そこまでやるかよ」というくらいえげつない実名報道、プライバシー侵害を確信犯でやってのけるいまどきの「報道」でも、こと文化・学芸方面については、こういう実名がらみ、はっきりとある立場で「叩く」ということに対して、どうやら腰が引けてしまうようです。それだけ文化・学芸方面というのは世の大勢に影響なし、ということなんでしょうが、訴訟など「事件」になった時にだけかろうじて取り上げ、それも「インターネット時代の著作権の問題として」とか前置きしながら、価値判断を極力避けながら記事にするのが関の山。「客観的」というのがそういう「報道」の葵の印籠になっているようですが、しかし、この田口のようなブツは、まさにその「客観的」が乗っかっている土台そのもののスキをついてくるようなものですから、この「報道」のスタンスでは、まず話になりません。



 どうしてこういう情けない事態が起こってしまっていたのか。田口をめぐるこの状況は、広告資本でがんじがらめになっているいまどきの出版業界の構造があからさまに反映しています。

 例の「インターネットの女王」というキャッチフレーズは、どうやらそのメールマガジンが五万部も出ている、というところからつけられたもので、そうか、タダで五万人も読者がいるのならあらかじめそれだけの市場が見込める、ぐらいのつもりで出版社がダホハゼのように食いついたらしいのですが、ネットでの読者のありよう、フリーのメルマガの「読む」とはどういうことか、などの目算がついていながゆえの勘違いとしか言いようがない。その後、田口のメルマガは公称十万部と言いふらすようになりましたが、しかしその部数が確実に市場を反映したものかどうかもよくわからない。たとえば、携帯の出会いサイトのヒット数が一日数万件、といっても、それがそのまま出版市場に投影されるわけではないのと同じこと、なのですが、そういう冷静な判断すらなくなってしまうような雰囲気が、いまどきの出版界のある部分には、すでに濃厚に漂っているようです。

 だからね、あたしゃ言ってたじゃないのよ。みんなあのCDジャケみたいなゆるい表紙やらこじゃれた装丁やらにちょろまかされて、このシトってなんかスリムでカッコいいハーフのおねえちゃんじゃないか、なあんてあらぬ妄想まで膨らませてた童貞野郎までいたらしいけど、なんのあなた、どだいこの田口ランディなんて、御本尊はどこからどう見てもイナカもんで業つく張りな出世欲丸出し、キーボードは叩けてもその手前、書くべきものも伝えるべきこともな〜んにも持ち合わせていない、ただただ無知無教養で品性下劣で、そのくせ人を踏み台にして成り上がろうって欲望だけは人一倍の意地汚いキチガイ。なのに、そんなシロモノをやたら神輿にのっけて担ぎ回り、いずれ世にひしめくアタマのヨワい常民騙して商売しようというとんでもない版元もあったりして、あああ、こんな極悪非道、縁日のヒヨコ釣り以下のぼったくりな悪巧みなんざ、いずれきっとお天道サマの前ですべて明らかになる日がくる、ってもんです。あ〜、愉快愉快。

 田口ランディは「パクリ」をやった。「パクリ」まくって直木賞候補になった。「無断引用」とかなんとかきれいごとぬかしてやがるが、ごまかしてんじゃねえ、こりゃ正しく「パクリ」だ。盗み? リスペクトぉ? オマージュぅ? バカこくな、こりゃそんな度胸のすわったもんじゃない。要するに、万引きだよ万引き。目の前に欲しいものがあったらあとさき考えずにパッと手を出しちまう、駄菓子屋にたむろする手癖の悪いハナ垂れガキとまるで同じ万引きだっての。
――【サイバッチ!】インデプス 前掲号

 そんな田口ランディをめぐる「万引き」商売の一部始終を、腐ったいまどきの出版業界のしがらみからひとまず自由な(つまりそういう商売とは縁がない)ネットの「無名草子」たちの合力によって、できる限り徹底的に暴露しちまおう、というのがこの本であります。




 田口の「万引き」の証拠物件については、ひとまず報道されて表沙汰になったものがこれまで二発あります。
ひとつは、田口の直木賞候補作(笑)『モザイク』の一部が、片山洋次郎の『気ウォッチング』から無断で引き写しされていたもの。以下、報道記事です。

田口ランディさん、解説本から無断使用 謝罪し書き直し
 インターネット・コラムなどで人気がある作家の田口ランディさん(42)が、直木賞候補作 となった小説「モザイク」の一部に無断使用があると指摘され、著作権を侵害したと認めていたことが分かった。田口さんは謝罪し、作品の一部を書き換えることで合意した。
 問題の著書は、東京・渋谷を舞台に、問題行動を抱える人間を病院などに移送するヒロインが、 彼女から逃げた少年を追い求める物語。昨年4月に幻冬舎から刊行され、直木賞の候補作になった。
 著作を使用されたと指摘したのは、神奈川県の整体師・片山洋次郎さん(51)。94年に 出版され、「気」と身体とのかかわりを解説した「気ウォッチング」(日本エディタースクール 出版部刊)の一部が、「モザイク」に似通った表現で引き写されたとした。
 「気ウォッチング」では、「気」の側面から他者に共鳴しやすい人の特徴を「持久力がない(疲れやすい)」「エネルギーの集中が持続せず発散しやすい」など47項目が個条書きに まとめられていた。
 田口さんは、この部分を使用。少年と主人公との共通点として「持久力がなくやたらと疲れやすい。運動会でパッとしない奴だ。エネルギーの集中が持続できず発散しやすい」などと会話の形で書いた。
 双方の記述が似ていることに気づいた読者が、片山さんに指摘。片山さんが出版社を通して昨年9月、見解を求めたところ、田口さんが、無断使用の事実と著作権の侵害を認めた。
今年2月3日付の合意書で、既に刊行されている版の絶版と、該当個所の書き直しで両者が一致した。
 田口さんは「片山さんの作品に共感した。この程度の使用は問題ないと判断した。しかし、使用個所は片山さんの趣旨と異なってしまい、申し訳ない。指摘をいただいた個所については書き直しをすることにした」と話している。
――asahi.com 2月16日付け 07:27

 もうひとつは、こちらもおのれで犯行を認めちまってるんですが、藤森直子の『Fuckin’ Blue Film』からの「万引き」案件。田口の小説『アンテナ』の中のSM女王の描写などがほぼそのまんま使われていた、というものであります。こちらも以下、報道記事を。

田口ランディが無断引用、小説「アンテナ」改稿へ
 作家田口ランディさんが小説「アンテナ」の中で、主人公のモデルになった女性がインターネットで公開している日記を無断で使用したとして、田口さんと出版元の幻冬舎は1日までに、日記の執筆者に謝罪し、該当個所を全面的に書き換えて文庫本で出版し直すことを決めた。
 田口さんなどによると、一昨年に刊行された「アンテナ」の中に書かれた風俗店などの描写について、この女性の日記と同じ表現を使っているとの指摘が読者から寄せられ、田口さんは無断使用を認めた。田口さんはこの女性の著書に解説文を書いているが直接会ったことはなく、女性の著書を刊行した出版社を通じて謝罪したという。
田口さんは「ストーリーも含めて全面的に改稿した。ご迷惑をおかけしてしまった」としている。田口さんの小説では昨年4月に刊行され、直木賞候補になった「モザイク」でも、作品の一部に 整体師の著作から無断で使用した個所があると指摘され、該当個所を書き直している。
――共同通信社配信記事

 普通、こういう場合、回収、そして絶版、というのが版元のとるべき処置だと思うんですが、「該当個所を書き直して文庫本として出版し直す」というのは、あたしゃ不勉強にしてこれまで聞いたことがない。だったらその「万引き」部分だけなしにしたらいいんでしょ、フンッ、というこの開き直りは、田口本人の主張なのか、はたまた版元幻冬舎の経営方針なのかわかりませんが、どっちにしてもまともじゃない。こういうバカにこういう版元、なのです。

 一応、表沙汰になっているのはこの二件ですが、これ以外にも「万引き」疑惑が指摘されているものは数限りなくあります。

 自ら「三部作」と称している小説(なのか、しかしこれ)『コンセント』『アンテナ』『モザイク』についても、前記の二件の他に、赤坂真理ヴァイブレータ』『蝶の下の皮膚』貴志祐介『天使の囀り』『十三番めの人格――ISOLA』森達也『スプーン』寺門琢巳『かわいいからだ』などからの剽窃、転写、使い回しの疑いが言われていますし、これらすでに活字になっているもの以外でも、ネット上のテレビドラマ関係の某掲示板に書き込まれていたものからの「万引き」疑惑も浮上しています。その「モザイク」というタイトルの架空のドラマのプロットが、田口の『モザイク』とタイトルから設定から、びっくるするほど似ていた、と。もちろん、この書き込みは田口の『モザイク』の刊行よりずっと以前で、この書き込みの主も特定できています。わが【サイバッチ!】インデプス編集部はご本人と接触、書き込み当時の事情などについても証言を得ています。

 まだまだこんなもんじゃない、これ以外にもさらにあやしげな事例がいくつもありまっせえ。『鳩よ!』の「掌編小説コンクール」とやらで当選したという「ポチの魂」なんか、岡崎京子の『チワワちゃん』と酷似していますし、「恋人たち」ってのも、同じく岡崎京子の『うまくいってる?』の引き写しみたいなもの。さらに、山岸涼子『月氷修羅』『銀壺・金鎖』が、それぞれ田口にかかると「エイプリルフールの女」「夜桜」に化けちまう、という次第でありますがな。

 少女マンガにインスパイアされて小説を、というのは、かつて吉本ばななの作品などにも指摘されていましたし、何より吉本自身そのことは認めてもいた、と。広義の「おはなし」の培養基が何も活字のブンガクに限ったものではなくなってるのは、いまさら改めて言うまでもない同時代の常識、てなもんですが、しかし、この田口のバヤイはそんな生やさしいものではありません。
それがマンガであれ何であれ、何かすでにある作品からインスパイアされて創作に赴くというのはあるにせよ、そのインスパイアされた元の作品に対する最低限の尊敬というものが必ずどこかに介在するものですし、またそれがないことには、ただのエピゴーネン、人真似小猿の真似っこに過ぎないままなのは言うまでもない。また、もしもそういう尊敬のや感謝のココロがあれば、たとえあとがきにでも「○○という作品から多大な影響を受けました」とか何とか、ひとことでも謝辞を添えたりするはずで、またそれが、どんなものであれ、何かものをこさえようとする者の仁義ってもんでありましょう。

 なのに、この田口の「万引き」にはそんな仁義はカケラもない。「あ、これっていい」と思った瞬間からそれは自分のものになっちまい、当たり前のように手を出してかっぱらっちまう、と。そして、バレなきゃいいや、とばかりに「万引き」を繰り返し、何かの間違いでそれが通ってしまえば、さらにその「万引き」を正当化して開き直る身振りやもの言いを肥大させて「あたしは悪くないもん」になってゆく、と。上記、報道されたふたつの案件についても、田口がしぶしぶ「万引き」を認めるまでにほぼ一年近くかかっているわけで、こやつがどれくらい往生際の悪いバカかがわかるってもんです。

 そもそも、この田口ランディがかなりあやしいブツであることは、すでに去年の春先あたりから、ネット上では話題になっていました。というか、その「盗作」疑惑の数々のうちのふたつがようやく新聞その他の表舞台に晒されるようになったのは、間違いなくこのネットでの「無名草子」たちによる無償の疑惑追及戦線の功績が大きいのであります。第一、その「盗作」の被害者周辺によるあたりまえの直接交渉ではまるでラチがあかなかったことも、すでにその当事者たちによって一部、明らかにされています。ネット上に集う無名子たちの組織されざる共同戦線が、表舞台のメディアの世間でまかり通っている「万引き」物件を暴いて追い込んでいる。その意味でこの田口ランディ案件というのは、インターネットが出現し、PCの普及や常時接続環境の浸透などによってこれまでの「マスメディア」とはひとまず別の、「もうひとつのメディア」として無視できないものになってきた、そんないまどきの情報環境のありようを反映しているできごとでもあるわけです。

 この稀代の下等物件相手にここまで追い詰めたのは、他でもない、2ちゃんねるという日本一の便所の落書きだ。そう、便所の落書きごときが天下の直木賞候補作家サマ(笑)を、とうとうこんな恥さらしな境遇にまで追い込んじまったのだ。ああ、素晴らしい。
 どう考えても一銭のトクにもならないのに、田口があちこちに書き散らした野グソ以下の排泄物を、活字はもちろんのことネットその他まで頼まれもしないのにていねいにかぎ回り、まわりからはやれ粘着よ、デンパよ、クレイマーよ、屈折した愛情表現よ、と罵られながらも、しつこくいじましくこのオバハンの手口を追いかけて、あまつさえ取り巻きの信者たちの言動までも観察し続け、疑わしい万引きの痕跡をひとつひとつ集めていった名もない便所の落書き野郎たち、この手柄は、そう、正しくあんたたちのものだぞ。
――【サイバッチ!】インデプス リニューアル新創刊号より 2月19日付け

 ともあれ、存分にお楽しみ下さい。

 当初の目論見と大きく異なり、原稿用紙にして無慮1000枚あまり、ページ数にして300ページ以上のの分厚い本になっちまいましたが、これも一年半にわたって執拗に田口の「万引き」追及と行状監視を行ってきたネットの「無名草子」たちの無償の情熱の現われ、ご用とお急ぎでない方はアタマから丸かじり、そうでない向きもおいしそうなところをつまみ食いで結構ですから、ぜひとも手にとり、そしてこの「万引き」事件をめぐるいまどきのニッポンのブンガク界隈の棚落ち加減にあきれ果ててくださいまし。

*1:俗に「検証本」と呼ばれたこの本、毀誉褒貶かまびすしかったが、それぞれの原稿のタイトルのアタマにはちと凝ったリードがついていた。たとえば、この原稿だとこんな感じ……ようこそジャングルへ Welcome to the Jungle……