さまざまな「いなか」が――石原苑子『祖母から聞いた不思議な話』

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 主人公というか主な語り手、主な素材供給元であるおばあちゃんは、昭和7年の生まれ。主な舞台は、岡山県北西部とおぼしき土地、おそらくは今の新見市編入されたムラでしょうが、そういう具体的な地名もまた、まず意味がない。というか、関係ないんですね、こういう「おはなし」には。だって、「おはなし」だもの。

 おばあちゃんがこれまで見聞きしてきたことや体験したことを孫が聞いて、それをもとに描いた漫画――それがこのような「おはなし」という形になって、そしてwebを介して多くの人たちがそれを眼にして、興味深く読み、耳傾けるようになっている、そのこと自体、いまどきの情報環境における、これまでとは少し違った「民間伝承」のありかたを示しているように見えます。

 「不思議な話」や「こわい話」といったくくり方で、この「おはなし」は仕上げられています。描き手の作者がそのような話に関心があったのはもちろんでしょうが、でも、当のおばあちゃん自身は、もしかしたらそのような意識はあまりないかもしれません。これまでの見聞や体験の裡に、そのような「不思議」はあたりまえに含まれている、自分のこれまでを話し、語ること自体が、ごく自然に「不思議」と地続きになっている、そんな印象すらある。そしてそれは、何も彼女だけのことでもなく、どうやら世間一般、普通に人生を送ってきた人たちの〈リアル〉にあたりまえに含まれている特質だったようなのです。

 おばあちゃんの生い立ちの場所はいわゆるムラ、「いなか」です。ただ、その同じ「いなか」であっても、西南日本の山間部、それも環瀬戸内海文化圏とでも呼びたいような、ある独特の雰囲気が、実によく伝わってきます。縁あって墓が岡山にある自分には、中のもの言いの調子や響きまでもが耳もとで再現されるかのように感じる。それは単なるムラ、そういう「いなか」というだけでなく、わかりやすく言うなら、マチとの関係で早くから暮らしが成り立っていた、そういう「いなか」であるということでしょう。人もモノも、さまざまな意味や価値と共にあたりまえに日々、行き交うようになっていた、そういう歴史が背後にしっかりすでにある土地柄と風土。だから、いろんな「不思議な話」や「こわい話」も多彩に、多様に宿っていた、つまりそういうことなのです。

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 けれども、そんな「いなか」の裡にも、また、さまざまな現実がはらまれてもいた。

 たとえば、昭和20年代半ば、まさにおばあちゃんが井戸掘り職人のおじいちゃんと出会って、そろそろ大阪に出てこようとしていた頃、宮城県の山奥の、まだ電気も通じていなかった、とあるムラの分教場に赴任した小学校の先生は、言葉の発音が不正確で、語彙も少なく表現も拙く、何より自ら進んで何か発言したり、表現するという意欲自体乏しい、感情表現の見えにくいそのムラの子どもたちの姿に驚いています。

「この部落の青年たちは、男も女も余興に田植唄や山唄しか歌わないのに、他の部落の連中は流行歌をうたい浪曲をうなる。(…)考えてみれば歌に限らず、宴会の前の学習の時でも話題の選び方、話の筋だて、表現能力、どれをとりあげてもラジオのある部落の青年たちの方がずっとまさっていた。」*2

 すでに電気が通じてラジオもあり、蓄音器も入っていたようなムラは、同じ「いなか」でも人々の意識や感覚がはっきり違っていて、人づきあいの技術も社会性も、マチの衆と地続きのものが備わり始めていたらしい。そのようなマチとの距離感のグラデーションが、同じ時代のマチの側から「いなか」とひとくくりにされてしまうムラの裡に、そのような「違い」もまたあった。まして、今のわれわれの眼からはなおのこと。それは何も戦後に限ったことでもなく、少なくとも維新このかた、近代化の過程でこの国のどこにでも、いつもあり得た現実だったのでしょう。

 でも、そんなことはいちいち記録されることはありませんし、またわざわざ記録しようとするものでもない。ただ、「そういうもの」として人々の記憶の裡にいい加減に残って、そして知らぬ間に忘れられ、「なかったこと」として消えてゆくばかりです。

 ただ、それが「おはなし」というたてつけの中には、ひょい、と宿ってうっかり顔を出す。そういう意味で、お気づきになったでしょうか。おばあちゃん本人もさることながら、その見聞や体験の中に要所要所で登場する人たちが、実にいい味なのを。

 まず「カナヤのおっさん」、大阪に出てきてからの「ヤタイのおっさん」「山伏の大森さん」……住む場所はムラやマチ、異なっていても、何か「不思議」との縁が深いような人という意味で、これらの人たちはどこか共通していないでしょうか。これらのまわりの人たち自体が「この世のものではない」側、時には「人間でも動物でもないあかんもん」も混じる、そんな世間に半分くらい身を置いているようなたたずまい。それもまた、先に触れたような西南日本の、マチとの関係で早くから暮らしが成り立っていた「いなか」に生きることの根を持っていた人たちのしるし、のように思えます。

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 そういう「この世のものではない」存在、が平然と日常にあらわれる。顔を出す。そっとこちらをうかがっている。それをこういう人たちが、教えてくれる。

 その「この世のものではない」と判断するのはこちら側、この世に生きているわれわれであり、「おはなし」もそのような話者の一人称でつむがれるわけですが、その「この世のものではない」ものが見えたりあらわれたりする感覚というのが、その人ひとりに宿っている特別な「能力」「才能」としてみるのが、まあ、いまどきの普通の考え方でしょう。

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 でも、ほんとのことを言うと、実は案外、そうでもない。それはたまたまその人を媒介にしてあらわれる、そして具体的な「おはなし」として形になっているだけのこと。ひとりの個人はたまたまの媒体、メディアでしかなく、その「この世のものではない」世界、異なる世間は、誰のうしろにもいつも平然とある――そんな感覚がどうも、われわれの親や祖父母や、それ以前を生きてきた人がたの間には、割とあたりまえにあったらしい。そして、いまでもこういうタチの人というのは間違いなくいて、それこそ「実はまだ、そこにいるのです」のはずなのですが、悲しいかな、今の多くのわれわれの日常感覚では、なかなかそう気づけるものでもなくなっている。

 けれども、こういう「不思議なはなし」を「おはなし」として接した時に、「ああ、あるある、あり得るかも」とつい思ってしまう、そういうココロの習い性は、そんなわれらの裡にもどうやらまだあるらしい。あって、だからこそ初めて、その「見える」人もわれわれの中にうっかり出現してくれるものらしい。このおばあちゃんも、そういう経緯でこの21世紀、令和の御代に、web上に姿を現わしてくれたんだ、と。

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 時代が変わり、人々の日々暮らす環境もそれまでとはまるで別ものになってきています。けれども、でもだからこそ、そのような「この世のものではない」ものは、その時代、それぞれの情報環境に即したかたちでうっかりとあらわれる。「こわい話」「不思議な話」などと呼ばれて、それらを足場に〈そういうもの〉としての自分たちの生きる現実の成り立ちを改めて確認するよすがとして。ああ、もう立派に「民俗学」の仕事ですね、これは。

 たまたま Twitter のTLに流れてきたご縁で見知るようなったのですが、単によく整えられた「おはなし」としてだけでなく、そういう意味も含めて「現代民俗学」のひとつの良いテキストとしても、自分は楽しませてもらっています。ありがとう。

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*1:Twitter介して知った『祖母から聞いた不思議な話』というマンガの、紙媒体の「分冊版・少女編①」に縁あって書かせてもらったもの。解説というか書評というか、そんな感じのつもりだったのだが、組まれた版では「特別寄稿」などと大層な扱いをしていただいているようで、いたく恐縮した次第。

*2:この事案というか素材、こちらに少し詳しく言及しております……|ω・`) つ king-biscuit.hatenablog.com