Blue Collar Aristocrats : Life Styles at a Working Class Tavern ……② はじめに


はじめに

「おれたちゃあんたのことを、ポリ公にしちゃいいヤツだ、と思ってたんだぜ」
――筆者についての『オアシス』の常連の弁


 社会、とりわけ複雑で多様な合衆国のような社会においては、社会の異なった切片を記録し、分析することは重要な作業である。この研究も、そのような作業に寄与することを意図している。

 この研究の基礎をなしている男性、女性は、ブルーカラー(いわゆる「労働者階級」と呼ばれている)のたむろする呑み屋において観察されたものである。この研究は一九六〇年代の後半から一九七〇年代の始めにかけて、具体的には一九六七年から一九七二年にかけて行なわれた。対象となった集団は、内輪の居酒屋『オアシス』の常連であるおよそ五十人の男女である。男性のほとんど(九〇パーセント以上)は建設会社に雇用されている。職種としては、大工、配管工、ブロック工、鳶職、金属板工、左官、壁仕上げ工、トラック運転手、その他の職人たちである。専門的には、彼らはアメリカの「石頭」(ハードハッツ)――彼らはこの呼び名を嫌っている――を代表している。

 調査方法は、いわゆる参与観察である。このアプローチにおいて研究者は、彼の研究対象である社会の社会的世界を外部から眺めるのでなく内側から見つめることが可能であるという期待と共に、彼にとってなじみのない社会の仕組みを洞察することを試みる。アメリカの社会学においてこの参与観察を方法として使った例は膨大にあるが、その最も顕著な例はエリオット・リーボウがそのモノグラフ『タリーズ コーナー』で報告した仕事である。黒人ではなく、また明らかに中流階級の生まれだったにも関わらず、リーボウは彼が研究を志した低所得層の黒人の生活感覚と洞察を読者に与えた。この本は、アメリカ社会のこのような部分についての認識が全く欠けている学部の学生にとって極めて役に立つものである。

 参与観察法のもうひとつの素晴らしい例は、『アーバン ヴィレッジャーズ』の題で発表されたハーバート・J・ガンスの仕事だろう。リーボウとは対照的に、ガンスはボストンのブルーカラーが集中している地域に住み込んだ。ちなみに、同じボストンのブルーカラーについての先行的研究として有名な『ストリート コーナー ソサエティ』においても、著者ウィリアム・フート・ホワイトは彼の研究する地域へと足を運んでいる。

 別の参与観察法は、研究者が彼自身の生活史的経験において何が重要に思えるかを明確にするために後に学んだことを利用し、自身の生まれ育った社会的世界を分析しているという点、いくらか異なったものになっている。これはW・フレッド・コットレルがその有名なモノグラフ『ザ・レイルローダー』で採用した方法である。ここで彼は西部の鉄道街における自分の青春時代を見つめ直しているのだ。また、アーノルド・グリーンのパーソナリティ研究のいくつかにも、ニューイングランドで育った彼の若い頃の経験が利用されている。

 この参与観察法を実践した例にアーヴィング・ゴッフマンがいる。ゴッフマンはその一連の鋭い仕事において、現代社会における平均的人間の入り組み、錯綜した世界のありようを照らし出した。

 現在手を染めているこの研究について言えば、わたしはすでに居酒屋『オアシス』のある地域(コミュニティ)であるレイクサイドという土地に住んでいる。この本の中でおいおい明らかになってゆくだろうが、この街は一応初めはブルーカラー労働者と隠居した農民とで成り立っていた。しかし、第二次世界大戦以降はホワイトカラーやさまざまな職業――医師、エンジニア、大学教授といった――の人々の大量のなだれ込みによる犠牲者(と、もとから住んでいる人々は思っている)となってきていた。このように、わたしはこの地域の住人ではあった(今でも)が、『オアシス』にたむろする人々と接触したことはなかったのだ。事実、わたしにはそこの人々と実際に接触する前に三つの乗り越えるべき障害があった。もとからの住人たちに根にもたれたなだれ込みのひとりである新参者(と彼ら自身は思っている)として。 過去においてブルーカラー労働者たちが裏切られてきたと感じている中流階級の人々や政治家たちと同列に見られるホワイトカラーとして。 怪しまれる教授として。というのは、この研究が始まった当時(一九六五年頃)キャンパス周辺はブルーカラー労働者たちが快く思っていない学生運動のラディカルたちによってずたずたにされていたし、彼ら労働者はわたしもその一員である大学当局がそのような学生たちを取り締まるべきだったと感じていた。

 参与観察法においては、形式的なインタヴューは避けられる。データは調査者がその集団の動きに関わっている間の観察から集められる。そのため、わたしはできるだけ多くの時間その居酒屋ですごすようにし、一週間単位でおこるできごとを経験できるような頻度でそこを訪れるようにした。例えば、金曜日の夜は『オアシス』で既婚のカップルを観察する最も良い機会だったし、土曜日の朝はいつもと違って猟や釣りについての「男の話」がよく聞けた。七月四日(独立記念日)のような休日には、しばしば家族全員――両親、子供たち、そしてそこに住む者のところへやってきたお客さんかも知れない親戚たちまでもがそこに集まっていた。

 人々はひとたび調査者を受け入れれば、ふたつの大きな調査プログラムが続いていた。資料を記録し、そしてある形式に従ってデータを整理する作業は行動科学者とその学生たちにとって有益だった。わたしはそこから帰るとすぐに――たいてい一時間かそこらの間に――そこでの会話とできごととを記録するようした。話した人の使った性格なことばを、その話した人についての情報と共にできるだけ書き留めた。できごと(例えば喧嘩といったような)を記録するということについては、そのできごとをとりまく状況や背景について記録するようにした。記録は筆記によって行ない、テープレコーダーは使わなかった。

 研究が進むにつれて、「何か意味のあること」を言おうとし、最終的に何か形にしようとするのならば、資料はもっとよりシステマティックに整理されるべきだったことが明らかになってきた。このことから、情報はテーマごと――子育て、政治、セックス、結婚、離婚、などなど――にわかれたカードやシートに記録された。このやり方が結局この本の構成につながっている。ブルーカラーの生活についての他の研究者、例えばジョセフ・T・ハウエルは、資料を整理するに際して年間のサイクル(春夏秋冬)をものさしとして採用しているが、わたしはそのやり方は読む時には面白いがデータを利用しにくくするものだと感じた。例えば、ハウエルのそのすぐれた研究の場合、読者は政治なら政治についての資料を拾い出すためにかなりな努力をしなければならない。そのために、わたしのこの研究ではテーマ毎にまとめることにした。このやり方は(ハウエルが考えたような)歪曲効果を持つかも知れないが、データを検索する時にはより便利なものである。

 参与観察法について困難な問題のひとつは、資料がシステマティックに(そこには形式的なインタヴュー計画も質問項目もないのだ)収集できないということである。このことは、資料を集めた後で、その集めた資料を整理し、分析するかなりの作業が必要であるということを意味する。また、このことは依拠すべき理論的枠組みを決定せねばならないということでもある。つまり、あなたが答えようとする行動科学者の最も基本的な質問は何だろう、ということだ。例えば、イギリスの裕福なブルーカラー労働者についての研究において、ジョン・H・ゴールドソープとその研究チームは社会的・文化的均一化についての理論をテストしようとした。つまり、熟練した手作業労働者は、裕福になった時中流階級のライフスタイルに同化するだろうか?、というものだ。イギリスの学者たちは基本的にノーだと結論した。制限つきで、裕福なブルーカラー労働者たちは彼ら自身の独自のライフスタイルを守ったのだ。

 わたしのこの研究における基本的問題は以下のようなものだと言える。 アメリカ社会はどの程度均一化しつつあるのだろうか? 裕福なブルーカラー労働者たちは彼らの収入が中流階級と張り合えるまでになった時、独自のライフスタイルを続けるのだろうか? ブルーカラーの世界において、内輪の常連がたむろする居酒屋はどのような機能を果たしているのだろうか? 先取りしてより一般的に言えば、アメリカ社会の均一化は何人かの研究者によって必要以上に強調されてきているものかも知れない、という結論にこの研究は到達する。この結論を支持するデータはこの本の以下に各章に見られるだろう。

 ある意味で、参与観察を行う者の役割は対照的であるかも知れないふたつの二次的役割を含んでいる。まず、資料収集について調査者は記述しようとする人々とのラポールを十分に社交的に形成しなければならない。そしてこのことは、彼が異なった外の世界からやってきている人間であるために、彼にその他の社会科学者が可能な以上につきあい上手であることを要求する。もうひとつ、分析者にとっての二次的役割は、素晴らしい参与観察者はある部分精通していない理論的熟練を要求する。より広い研究においては、これらふたつの二次的役割は異なった人々によって担われることになるのかも知れないが、この研究においてそれは不可能だった。

 参与観察の目的である集団のメンバーになろうとする時、調査者は研究しようとする集団の中である役割を演じなければならない。例えば、ゴッフマンはその精神病院の研究において、そのような場所で研究者はあり得べき三つの役割のひとつを自動的に演じることになることを指摘している。つまり、病院の患者になるか、病院の職員になるか、あるいは訪問者になるかである。ゴッフマンは病院の職員に属することに決め、体育・レクリエーション部門のメンバーであるふりをした。またハウエルは、その低所得層の研究において、彼らのそばに身を運び、ご近所であり友だちであるという役割を演じた。逆にリーボウは、調査中の社会科学者であるということを明らかにし、その役割を演じた。しかし、インフォーマルには彼もまた、その調査対象である集団のひとりが地域の行政官との対応で助けが必要な時には友だちとして機能している。

 このわたしの研究においては、わたしは最初に自分自身をその店のお得意さんとして位置づけた。つまり、ビールを飲み、ビリヤードをするのが好きなただのその他大勢、というわけだ。結局、わたしが居酒屋で多くの時間を過ごすことで問題が起こり、このことは困難になった。あとで知ったのだが、常連客の何人かはわたしを州の酒類委員会の秘密調査員に違いないと思っていた。この役割の定義がどうもあたっていないと思えてきた頃(ひとりの男は後に「おれたちゃあんたのことを、ポリ公にしちゃいいヤツだ、と思ってたんだぜ」と言った)、店の客たちはわたしがアル中であり、仕事仲間に酒を飲んでいるところを見られる心配のないこんなブルーカラーの居酒屋で飲んでいるのに違いないと結論した。これは妥当な仮説だった。なぜなら、研究が続いている間、わたしは『オアシス』をその中流階級の仲間たちからの避難所として利用している「酒にまつわる問題」を抱えたホワイトカラーたちを何度も目撃している。

 最終的に、わたしは居酒屋の人々から尋ねられた時に次のようなスタンスをとることに決めた。社会学者というものはよい教師になるためにはアメリカ社会のいろいろな局面について知っておかねばならず、ブルーカラーの人々がアメリカ社会をどのように思っているかを知るために『オアシス』の人々は役に立つ。そしてさらに、私はホワイトカラーの人々とずっとつきあうのに疲れてきていてこの居酒屋に来るのはとても気分転換になっている。このことばは全て本音だった――ただひとつの例外は、『オアシス』とそこにやってくるお得意さんたちについての本を書こうとしているということだけだった。

 『オアシス』で過ごす日々が一年ばかり過ぎた後、私はこの居酒屋についての本を書くことになるかも知れないという考えを漏らし始めた。客の何人かはそれを冗談だと受け取り、何度となくこう 「よーし、センセイ、こいつをあんたの本に載せといてくれ」しかし、店の主人であるハリーはその本の話が本当であることを知っていたし、そのための相談相手になることを引き受けてくれた。不幸にして、彼に相談できるほどに原稿が仕上がるその前に彼は癌で亡くなったが、この書き手が居酒屋でおこったできごとや行為についてわけがわからなくなった時に生じる多くの疑問に、彼は本当によく答えてくれた。

 結局、ほとんどの常連たちは「リーが俺たちについての本を書いている」ということを受け入れてくれたが、彼らの多くはそのことをそんなに深刻には考えていなかった。怒ったり、自分たちについて何か都合の悪いことが書かれているのではないかと心配する人も、ごくわずかだがいたが、この本の中から二つの章が社会学の専門誌に載った時、常連たちのほとんどは彼らの居酒屋がニュースになったのを見て喜んでくれた(その店の名前は変えられていたにも関わらず、だ)。

 参与観察によって集められた情報のある部分は、本に載せて世に出すにはあまりになまなましいものだった――他の読者にはわからなくても、店のメンバーはそこに書かれた人々が実際に誰であるかがわかった。必要に応じて、このような資料はこの本の中の記述から落とされている。

 参与観察に従事する人間は、その調査対象である集団の世界に入ってゆこうとする時、しばしば彼、ないしは彼女の心の扉を開くある種の「仕掛け」を必要とする。『オアシス』では、みんなの認めるビリヤードの名手たちがいて、幸運なことにわたしのビリヤードの腕は彼らの中でも上から七番目か八番目に位置するものだった。このことで、私はビリヤード仲間として打ち方を尋ねられたりしたし、ついにはメトロポリタン居酒屋リーグに属する『オアシス』ビリヤードチームのメンバーにまでなった。調査が終わるまでの間に、私はそのチームで三シーズンプレーした。

 明らかに、参与観察法は使うに際して数多くの問題を伴っている。例えば、その集団の中の観察している人間が、アメリカ社会の中でどのように典型的か、あるいは非典型的かということを、調査者は決して知ることはない。つまりこういうことだ。その著作『ストリート コーナー ソサエティ』の中でホワイトが描いた若者たちは、彼らの同世代の中で典型的なものだっただろうか? 黒人低所得者層のほとんどはリーボウが『タリーズ コーナー』で描いたようなものだろうか? 一般的に言って、参与観察の調査者は、そこで発見したことが他の人間にとっても役に立つものだという希望と共に、彼が接触することのできる場所へおもむく。アルフレッド・キンゼイは、何千人ものアメリカ人に対する三時間にわたるプライベートのセックスについてのインタヴューを試みた際、同じ問題に直面した。サンプルについて批判された時に、キンゼイはセックスの研究者は彼の得ることのできるインフォーマントをサンプルとして採用しなければならないのだと言って反論したのだ。また、社会人類学者、文化人類学者も常にこれと同じ問題に直面している。全ての人間社会、人間集団をよそものが親しく観察することが可能なわけではないのだ。

 さらに、参与観察法において、調査者は熟練していたり、完全無欠でないかも知れないし、また、そこで発見したことがどれだけ信頼性のおけるものかを確かめることは困難である。例えば、わたしの学生のひとりはかつて第二次世界大戦中にドブ族の調査を行なったが、彼は、人類学者レオ・G・フォーチュンが発見し、ドブ族の人々と文化とに典型的に見られると報告したパラノイドの症状を発見することができなかったと主張した。

 また、参与観察法についての別の深刻な問題は、これらの研究を検証することが極端に困難である(不可能ではないにしても)ということがある。

 このように、参与観察法にまつわる多くの問題を見てみると、次のような疑問が起こってくる。社会学や人類学においてこの方法がどうしてそのように流行してきたのだろう。ゴッフマンや、ホワイトや、リーボウその他の研究者たちの仕事が、アメリカの大学の社会学科においてそれほど広範に教科書として使われてきたのはなぜだろう。その答えはこうだ。もしもうまく行なえた場合、研究される人々の暮らしに対する洞察と、よりフォーマルで量的な調査によってでは得ることのできない感覚とをこの参与観察は読者に与えるからだ。例えば、もしもコットレルの『レイルローダー』を読んだとしたら、人は仕事が家庭生活にどれだけぶつかり合うものか、忘れ難いだろう。ゴッフマンの『アサイラム』の与える印象の後では、精神病院の患者たちがどのように感じているかということについて、知識人は忘れることはできないだろう。リーボウが『タリーズコーナー』に収められた黒人低所得者層の描写も、多くの読者にとって印象深いものである。

 もちろん、これら質的研究は量的研究の需要を減退させるものではない――ふたつの研究方法は互いに補填される。

 この私の研究が、アメリカ社会のエスノグラフィーに寄与することを望むものである。