猪瀬直樹というキャラ

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 ルポだのノンフィクションだのといったジャンルのもの書きが、「全集」や「著作集」だのを出したがるようになったら、ひとつもう寿命は終わり、というのが、かねがねあたしの持論であります。

 というのも、ここ十年足らずの間にそういう方面の「全集」「著作集」がちらほら出始めてきているのを横眼で見ていて、どうもなんつ~か、物欲しげなたたずまいの代物ばかりなんで、それでまずいやんなっちまってたんでありますね。

 だってほれ、何つってもまずはかの本多勝一(笑)に始まって、鎌田慧とかでしょ。いや、そりゃあ、全集や著作集ってまとまりにしてもらうことの効用っては間違いなくあるんだし、このご時世に全集/著作集を出せるってことだけでもそれだけ読者がいた証拠、大したもんだと思うんだけれども、でも、そういう実利とはひとまず別に、いまどきそういう全集/著作集を出したがる(しかも生前に)性根がイタいというか、勘違い丸出しというか。そのへんの根深い違和感なんですよねえ。

 だから猪瀬直樹までが「著作集」を出す、と聞いて、ああ、さもありなん、と思ったもんです。なるほど、このシトならいかにも全集/著作集を出したがりそうだなあ、という意味で。

 誤解なきように言っときますが、猪瀬直樹という書き手、あたしゃ尊敬はしてます。いまどきのルポ/ノンフィクション系もの書きの中では、「書かれたもの」に対する取り扱いとそのセンスが抜きん出てしっかりしたシトなわけで、このへんさすがに晩年の橋川文三門下の近代思想史専攻院生だった経歴などを感じさせてくれる。現場バカ、取材真理教みたいなアタマの悪さ(同時にそれは人の良さ、でもあるんですけど)がルポ/ノンフィクションの書き手のある部分にしつこくまつわる持病なのに比べれば、その仕事はどれもかなり文科系な「調べもの」のスキルに依拠していて、そういう持病を自ら乗り越えられる資質を持っている。そのバランスの良さは確かに信頼できるものであります。

 だから、純粋に読者としての猪瀬ファンというのは、案外まっとうな活字読みが多い。で、それはそれで幸福なんだけど、ただ、あたしみたいになまじ生身の書き手のたたずまいなど見聞する立ち位置にいちまうと、なんだかなあ、このオヤジ、という感想が(苦笑)まじりにわき起こるというのも、また事実なのであります。

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 このオヤジ、若い衆を面倒みてやろう、という感覚は結構持ってます。かくいうあたしも、もう十年以上前になりますが、内輪の勉強会みたいなのに来てもらった縁で何ほどかのおつきあいがあって、西麻布の仕事場に呼ばれたりもしました。その時、ほんとに無邪気に自慢話を聞かされて、思わず微笑ましくなっちまったもんです。その後も、たま~に行きあうことがあれば、「小物を相手にケンカばっかりしないで、もっと自分の仕事をきっちりやれ、それとカネ儲けの仕方を教えてやるからたまには遊びに来い」なあんて、野放しの捨て育ちでやってきたあたしなんかにも声をかけてくれる、その意味じゃありがたいオヤジなわけですけれども(いや、ほんとに)、どういうわけかわかりやすい上昇志向、立身出世主義みたいなものがプンプンで、そのへんがもともと野放しのろくでなしばかりだったルポ/ノンフィクション界隈では確かに異色、良くも悪くも浮いた感じになってたように思います。仕事自体はほんとに手堅いし、眼のつけどころなんかいいんだけど、どうもその仕事に見合った評価ってやつがいまひとつ伴わない。それってやっぱり、キャラの問題なんですよねえ。

 今回の著作集、全部で一二巻ということですが、ラインナップを見ると、まずはいまどき旬のネタ「構造改革」から入るのは営業的に正攻法としても、次から昨今の「ブンガク」シリーズ三部作を並べるあたりが、オヤジ自身の今の自意識を反映してますな。「ブンガク」という「エラい=権威」をマジに信心したい最後の世代、ってことなんでしょう。

 川端、太宰、三島に大宅壮一と並べて輪切りにしてみせたこれらの仕事は、確かに詳細な資料をもとに組み立てた活きたブンガク史で、その意味じゃこの著作集の編集委員のひとりに関川夏央が入っているのも、その仕事の近親性からしてわからないではないし(ただ、船曳健夫ってのは脈絡わけわからんぞ。中根千枝あたりに媚び売っといたのかあ?)、「研究資料としても活用できます」というウリ文句も、まあ、ありだろう。初期の佳作『日本凡人伝』も入れてるのは素直に拍手。『ミカドの肖像』は、バルト理論を具体的な資料で肉付けした当時としては画期的な労作ではあるし、『欲望のメディア』もテレビというメディアの日本的受容を追いかけた、結構な仕事。さらに、全体のくくりが「日本の近代」と大上段なのも、橋川門下のプライドの発露と見れば、その心意気やよし、だし、う~ん、確かにまあ、手もとに置いておいて損はない著作集ではあると思うんですよ。

 ただねえ、本の造りとかキャッチコピーとか(「この国には猪瀬直樹がいる」ってすげえ……)、御本尊の写真の笑っちゃうキザったらしさとか、ベタベタの肩書き並べた経歴紹介とか、推薦文寄せてる手合いの並び方とか(梅原猛から竹中平蔵辻仁成ときたもんだ)……とにかく、そういうキャラづくりのところで、相変わらず決定的に微笑ましい団塊オヤジのまんまなのは、う~む、なぜなんでしょ。

 「エラい」ってことをわかりやすく表現しようとした時に、目算なくまつわらされたアイテムの数々。あ、いや、仕事自体はほんとに信頼できるし、古本市場自体あやしくなってるこの状況で、過去の著作を一冊千円台で読み直せるのは全くありがたいんですが、でも、キャラの立て方がどんどん間違った方向にいってんじゃないかいな、と、多少は面識ある間柄のこと、あたしゃちょっといらぬ心配のひとつもしてみるのでありますよ。

 ちなみに、おおっぴらには誰も言わないだろうけど誰もが知ってる猪瀬直樹の功績ってのは、徹底的に食えないはずだった七〇年代出自のルポ/ノンフィクション方面で、確実にメシを食うための方法論を確立しようとなりふり構わずやってきて、で、それなりに確立させちまった、というあたりなのだと、あたしゃずっと思ってます。ノンフィクションの方法論とか小論文の書き方とかよりも、そういうなりふり構わぬ「猪瀬システム」の成り立ち自体を自らのぞきこんでみる、とは言え、結果としてそういうシステムを潔しとする書き手が実はあまりいなかった、ということなども含めて、そういう方法論的自省こそが残された大きな仕事のひとつなんじゃないかと、かなり本気で思ったりしております。どんなもんすかねえ、猪瀬のおっちゃん。

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*1:ネット書店bk1のサイトでの企画ものの依頼原稿だったかと。ただ、いつ頃のものだったかあやふやで、おそらく2001年頃だったとは思うのだが。なので、執筆日付についてはそういう事情なので月日についてはダミーとしてご容赦。