不幸の書評、てか?

 前回、引っ越し先を探してる、って話をした『サンデー毎日』の連載「ハナ丸書評通信簿」(しかしこれってタイトルと中味とが全くそぐわない連載だったなあ。こんなほのぼのしたタイトルつけてあんな中味をごまかしきった担当のIさんがエラい……てか)なんですが、ありがたいことになんと、『本の雑誌』が引き受けてくださることになりました。五月発売の号から転居新装開店、ということになります。これからもひとつ、ご贔屓によろしくお願いいたしますです、はい。

 とは言え、決まるまでは正直、難渋しました。というか、はっきり言って相手にされなかったですね、ほんと。

 みなさん特に編集者とかライターとか、こういう活字稼業界隈の方々は結構な割合で読んでくださっていたらしくて、「ああ、あれおもしろいですねえ、頑張ってください」とまで言ってくれるシトもそれなりにあったにも関わらず、ですよ。ならば、おたくでひとつ引き受けてやってくれませんか、てなことになると、たいていはものの見事に腰引かれちまうありさま。う〜ん、そりゃまあ、世の中そんなもんだとはいい加減わかってるつもりですけど、もうちっと心意気っつーか、おのれの仕事を自らオモシロくするやんちゃなココロってやつがあっても、みなさんバチはあたらないんじゃないっすかねえ。


 実はこの連載、その行く末が見えてきた頃になって、それまでまな板に乗せた書評の書き手がふたりもバタバタくたばっちまいました。しかも、おふたりとも女性ですがな。

 ひとりは久和ひとみ、もうひとりは井田真木子(共に敬称略ね)であります。久和ひとりならまだしも、井田まで急に亡くなるとなると、そっか、こういうのってやっぱりなんか意識しないところでの暗合ってあるのかも知れないなあ、とか。

 以前、ナンシー関と『クレア』誌で対談している時に、彼女にネタとして取り上げられてツラ彫られたやつはその後かなりの割合で不幸になってる、ってことを発見したんですが、そのデンでいけば……あ、いや、別にだからってやたら気に入らない奴をとりあげようとか、そんなことはしないつもりですけど、一応。

 ただマジメなハナシ、書評ってのはそこらの文章などよりずっとナマに書き手の自意識っていうか、自分をどのように見せたいと思ってるのか、ってあたりがさらけ出されたりする、その意味では結構神経使わなきゃヤバいジャンルだったりします。ほら、書評ってつまり読書感想文みたいなもんでしょ、だったらあたしにも書けるわ、程度のゆるい認識でホイホイ書評仕事請け負うとえらい目にあうってのは実にそのへんなわけで、ほんと、他人の思想や言論ダシにしててめえを売り込もうなんてのは、よっぽどこちら側に器量が備わってないことにはあぶなっかしいことこの上なし、なんですけどねえ。どうもそのあたり、無謀というかスッポンポンな方がこのギョーカイにも少なくないようです。


 ともあれ、ここまで不吉な事態が続くと、はて、あたしゃこの連載中、オンナのシトで取り上げたのは他に誰が……と、これまで書いた原稿ひっくり返してみたら、あらら、なんと最後の最後に中野翠の名前があったじゃないですか。いかん、二度あることは何とやら、万一、翠のオバちゃんに不幸がふりかかったりしちゃあ、こりゃいくらなんでも寝覚めが悪い、と、滅多にかけない電話などあわててかけたりしてみたところ、ご安心あれ、ひとまずお元気でした。今日さっき歌右衛門さんが死んじゃったのよ〜、と悲しんでらっしゃる最中でしたが、ああよかった。でもって、その後は三谷幸喜森まゆみや某有名紙書評委員会界隈の悪口なども流れでひとしきり。どっちがどの悪口にどう加担していたかについては、営業上の高度な機密事項に属しますのでご想像にお任せします(笑)。

 え、その他とりあげたオンナの書き手に誰がいたのか、って? え〜と……島森路子田口ランディ、蓮紡、香山リカ、それに……あらら、斎藤美奈子もいたぞ、とにかくそういった面々ですねえ。う〜ん、こうやってみると別に今すぐくたばっちまったって天下国家に影響なし、それどころかむしろせいせいするってもんで、どっちにしてもあたしゃ全く構やしねえや、ってな物件も混じってたりしますが、まあ、そこはそれ、それらが今後どういう事態に遭遇することに相成るか、ひそかに注目していましょう、へっへっへ。

 定期的に仕事させてもらうようになってマメにのぞくようになったから言うんですけど、このbk1って、知らない間にいろんな人がいろんな形で関わって、仕事するようになっていますねえ。

 安原顕のおっちゃんが元気いっぱいで「文学」のコーナーで頑張っているのは以前から知ってましたが、その後、山形浩生宮崎哲弥、なあんていささか座りの悪そうな御神酒徳利から、斎藤美奈子永江朗のブンガク界隈の小姑、最近じゃ猪瀬直樹のおっちゃんまでが出張ってきてます。いずれ活字のメディアで看板張って商売してきた手練れたちなわけで、また、そういう連中が寄ってたかってこそ、ネットもまた活気づくってもんです。

 その意味で、あたしゃネットから生まれた才能、なんて能書き、全く信用しませんね。ましてそんな能書きを言い訳にしたがるバカタレなんざ、目ざわりだからとっととくたばっちまえ、であります。

 活字のメディア、紙の媒体の厖大な蓄積の上に初めて「文字の文化」ってやつは成り立っているわけで、好きか嫌いか、なじめるかなじめないかとは別に、眼の前にある〈いま・ここ〉ってのはとにかくそういうもん、です。その厳然たる事実の前に素直に謙虚になれない、なるつもりもないまま、抑えもきかない自意識持て余して好き勝手なつづり方垂れ流していいと思い込む、それこそが最も悪い意味での「シロウト」なんだと思いますね。

 だから、活字=プロ、ネット=シロウト、って図式はきっと間違ってる。依拠する場所がどこだろうが、言葉に忠誠を持って仕事をする人間かどうかってことだけが重要なわけで、それ抜きに単なる図式で理解するから逆に、ああ、もう活字はダメだからこれからはネットで、てな勘違いも平気で宿る。ほら、こういうこと平気で言うオヤジとかって、メディアの界隈にもまだ結構いるでしょ?

 ネット出身のもの書きってのが、これだけ資本その他が懸命に旗振って情報によるドーピングかましながらも、たかだか田口ランディ程度のポンコツ(取り巻きも含めて)しか出てこれない現状(でしょ?)ってのは、ネットというメディア自身の限界というよりも、むしろそれ以前、そういう活字の、さらには文字の文化に対する信心もロクにないようなポンコツたちが先を争ってネットにながれ込んで、そういう経緯に原因があるってだけのことなんじゃないかなあ、とか思いますね。他でもないあの田口自身、十年ばかり前は「パソコン通信から作家を生む」てなうわごとぬかしてオヤジ転がしなバブル系編プロやってたタマですがな。いや、これはオバタカズユキに言われるまで気づかなかったんですが、なんだよ、田口ってあの田口かよ、とひっくり返りました。そう言われて顔写真よく見たら、トシは食ってるし顔つきも変わってるけど確かにあいつじゃないの。香山リカがもともとナゴム系のバンドねえちゃんだった、って聞いた時と同じように、ああ、ほんとにごく限られたせま〜い世界でわれわれゴソゴソ生きてきてるんだなあ、と、その後にわかにクラくなっちゃいましたよ、あたしゃ。

 田口の書いたものって、あたしも商売柄、多少は辛抱して読ませていただいてますが、これってアタマの中味はひと頃よくいたニューサイエンストランスパーソナル系「何か大きな存在が世界を、アタシを動かしてるわ、これって宿命なのね、どうしましょ」な妄想大炸裂の代物でしょ。まあ、最近は宮台真司あたりも「サイファ」なんて言い出して完璧にイッちゃってますから、このテのキ●ガイぶりはいまどきのネット界隈にこそなじみやすい風土病ってことなんでしょうけど、でも、これってもしもネットから出てきたってウリがなかったら、でもってそのネット界隈独特の「あ、それアタシのことだわ」的同病の取り巻きがゾロゾロくっつかなかったら(なんせメルマガ出身っすからね、こいつ)、いきなり活字の間尺で計測したんじゃ、もはやほとんど相手にもされないようなトンデモなポンコツじゃないですか。電気のコジマじゃあるまいし、コンセントだのアンテナだのって物言い使ってリセット煽ったところで、しょせん真っ昼間いきなり往来に出てきた日にはイタくて正視できない要保護観察物件な代物なわけで、その距離感がわからなくなってるほどにいまどきのブンガクその他の世間がロフト・プラスワン化してるってだけのこと。まあ、ビョーキこそ見世物になるってのはメディア商売の基本技のひとつですから、柳美里だろうが乙武だろうがネタにするのは稼業としてありとは思うけど、でも、ビョーキやトンデモにも質ってのはあるよねえ。