この連載が始まった頃から、どだいこの大月っては何をしているやつなのか、という疑問が、特に最近わが『MEETS』を手に取るようになった若い衆から寄せられるようになったようです。
以前、及ばずながら大学で教えていたことは前号でも触れましたが、今は馬と馬まわりのあれこれを専門にするもの書きとして世渡りしている身。それだけ仕事柄、地方の暮らしのありようを眼にすることが他人様より多いのですが、そんな中、最近改めて「ああ、このあたりに住んでる人たちってどうやってメシ食ってるんだろう」という素朴な疑問を抱くことが前にもまして多くなってきているような気がします。
もっぱら相手どっているのは地方競馬とその周辺の人たちの暮らしなのですが、土日にやってる華やかな中央競馬も含めていま、ニッポンの競馬は売り上げが落ちてどこも青息吐息。道楽で馬を持ってくれるような馬主志望者もこの不景気じゃどんどん数が減ってきていて、ここ数年で地方競馬の競馬場がいくつも潰れてきています。一昨年が九州大分の中津、去年は県営の新潟と島根の日本一小さな競馬場と言われていた益田が廃止になりました。中津はあたしも貼りついてそこに暮らす人たちの記録をつくるのを手伝ったのですが(『中津競馬物語』不知火書房刊)、今度は競馬場のみならず北海道の生産牧場も潰れるところが増えてきているようで、不景気だなあ、というのを実感しています。
公共事業が地方を食わせているというのは都会に住む人がよく言うことですが、なるほど地方で暮らしの安定しているのは役所勤めや郵便局、消防署員に学校の先生といった公務員系の人たちが常。北海道は自衛隊がそれに加わりますが、親方日の丸で生きていないことには今のニッポンでは安心して将来が見通せないらしい。
まあ、農業や漁業といった一次産業が人口の大勢を占めていたのは今から四十年ほど前まで。二種兼業の給料取りがほとんどの現状ではしょうがないのでしょうが、それでも、「暮らし」の手ざわりが見えなくなっているのはレジャー産業の一角のはずの競馬まわりにおいても事態は世間と同じもののようであります。
「役所や役人が主催者やってる間は競馬はよくならないだろうね。だって、あいつらサービスとか興行とかの楽しみなんて考えるアタマ持ってないんだもの。二年か三年で異動してゆくような連中が上の方にいて、売り上げからどれだけかっぱらって上納するかだけを考えてるようじゃ、そりゃあお客だって逃げてくと思うよ」
北海道競馬のある調教師の言うこういう意見は、しかしニッポン競馬じゃ未だ少数派。漁師が海のなくなることなど考えたことがないように、これまで危機が語られてきたとしても競馬が実際になくなるなんてことは想像できなかったはずです。
五十代から上の世代はまだいい。競馬と言っても若い世代だって仕事にしているわけで、すでに騎手などは自分の在籍する競馬場に見切りをつけて移籍したり、人によっちゃ海外の競馬場にチャンスを求めたりもしている。予想中心の競馬ジャーナリズムは「国際化」ともてはやしていますが、しかしそれは、かつて炭鉱がダメになった時、鉱夫たちがブラジルなどに活路を求めていった移民の過程とあたしなどには重なって見えます。
「でもさ、そうは言うけど街の人たちだって何して食ってるのかわかんない時あるよ」
まだ三十代、牧場のある跡継ぎにこう言われてハッとしました。なるほど、給料取りだけが暮らしじゃない。値崩れしているとは言え、一頭売れれば数百万にはなる競走馬と日々接していることの確かさというのは、やれグルメだファッションだとあおられ続けるあたしたちの「リアル」とはまた別のあるべき生のものなのだということでしょうか。
ともあれ、山形の上山や高知も今年半ばで廃止の噂もある昨今、地方競馬を仕事の場としてゆけるのも今のうち、かも知れません。