主催者養成機関をつくろう

 地方競馬改革の動きがどうも鈍いままです。鈍いどころか、文字通りの「反動」まで起こり始めている。どうしてこのような動きがまともに報道もされず、各主催者はおろか、肝心かなめの厩舎関係者にも周知される気配さえないのか、ほんとに謎です。

 地全協を解体して主催権を統括する新たな形の主催者団体を構成、民営化できる部分は民営化を進め、徹底的な経費削減を行い、まだ不十分な相互の馬券発売なども全面的に進めることで、最低でも一着賞金五十万円程度の競馬にすることができる、というのが競馬法改正を進める競馬議連の構想の大枠でした。なのに、面従腹背、あろうことか巧妙に地全協を温存しようとする策動が、おそらくは農水省筋によってでしょうか、進められています。

 本当ならば地方競馬の当事者たる主催者が連携してイニシアティブをとり、改革の実をあげるべく体制を整えるべきなのですが、この期に及んでどこもまだお役所体質のまま、積極的に旗を振る主催者も見あたらず、結果としてせっかくの改革の枠組みもなしくずしに骨抜きにされてゆきそうな気配。このままだと、現場の体制が整わないので、といったお約束の言い訳ひとつで、再編のタイムテーブルも先送りされる最悪の事態も想定されます。そうなれば、すでに体力もモティベーションも限界に達している現場を抱えた競馬場の新たなドミノ倒しが始まることは必定。そうやっていくつか「掃除」できたところで、「地方でもJRAの馬券を売らせてあげます」という切り札を出してありがたい救済措置、おのれの手を汚さずにめでたく地方競馬ガラガラポンができる、という思惑かと。

 さらに腹立たしいのはそういう一部競馬エスタブリッシュメントの思惑の尻馬に乗り、おまえのところはつぶれる、こっちは生き残れる、としたり顔で解説してまわる手合いまで跋扈し始めていることです。競馬場がつぶれてもトレセンで生き残れる、外厩になれば競馬も使える、などという無責任な甘言も、追いつめられた厩舎関係者にはもっともらしく聞こえたりする。いま、本当に何が起こっているのか、きちんと知らせてゆく責任が、競馬に関わるジャーナリズムにはあるはずです。

 こういう情けない状況を前にして最近改めて痛感しているのは、これから先、本当に競馬を良くしてゆこうとするのならば、調教師や騎手ばかりでなく、まっとうな見識を持った主催者職員を養成する機関が必要だということです。

 地方競馬の主催者職員は現状、二、三年のサイクルで異動してゆくところがほとんど。以前、岩手県は専属の競馬担当職員を養成する体制をとって、それは確かに一時奏功しましたが、一方で一部が利権化して自分の首をしめてしまったところもあります。とは言え、昨日までまるで違う部署にいた者をいきなり競馬場に引っ張ってきて一から勉強してもらうという非効率な人事体制のままでは、仮に今後大きな制度改革が成ったとしても、また同じ弊害が出てくることは明らか。職員ひとりひとりに興行として、レジャービジネスとして競馬をプロモートしてゆくための基本的な理解を最低限持ってもらうことで、本当の意味で現場も含めた「みんなで作ってゆく競馬」も現実のものになる。

 例のディープインパクトの薬物の件も同じこと。現場で起こっていたことについては、僕はまるで部外者、傍観者のひとりに過ぎませんからとりあえず何も言いません。ただ、事件が発覚した後のJRAの対応については、ただ一言、相も変わらず恥知らず、と言っておきます。あれだけ湯水のごとくカネをつぎ込んでディープインパクトを煽っておきながら、いざこういう事態になると手のひらを返したように口をつぐんで切り捨てようとする、そうとしか見えない。主催者としての器量、貫禄にあなたたちは欠けています。

 競馬は競馬です。勝負ごとです。ゼニカネのかかった、その限りでは常にあやしい部分を含み込んだ、まただからこそステキに映る瞬間も宿る、そんなプロの、玄人のやってのけるスポーツ、敢えて言えば芸能です。薬物にしたって、ゼニカネかかったスポーツならば常に隣り合わせ。マムシや茶っ葉、モチ米から救心の類のカマシをやらかしていた昔から、おそらく本質的に変わってはいない。そんなもの、です。そして敢えて言えば、そういうものも含めて国際標準、ワールドスタンダードの競馬、でもあるはずです。自分たちが仕切らねばならない、仕事としての競馬の現場で何が起こっているのか、それを目の高さで把握しようとすることもせず、ただ高みからモニターしようとするだけの偉い人たち。そんな人たちがうつろな眼で夢見る「世界」など、ファンも含めてもう誰も望んでいないことをもっと思い知るべきです。

 競馬を仕事として生きようと思っている全ての人たちに言います。役人競馬の、今いるエスタブリッシュメントたちの多くは、どうやらあなたたちの味方ではない。ひとりひとりはいい人が、競馬という仕事に想いを持った人がいるとしても、構造として、ものの仕組みとして本当に仕事としての競馬のことを考え、守るように動くことがしにくい、そんなものになってしまっている。そのことを厩舎関係者は今改めて、肝に銘じておいて下さい。JRAも地方も同じこと。そんなどうしようもない、情けない現状から、それでもわれらの競馬、ニッポンの競馬にはまだ自前で夢見ることのできる未来がある、僕はそう信じています。